第二話 -5

 掃除を終えて昼食にしようと思ったが、隊員食堂の勝手が判らなかったので駐屯地の外で食べることにした。

 小隊室を出て中庭を通り、街路樹とアスファルトで整備された幅広な歩道を歩く。

 空は春の陽気に相応しい晴天で、駐屯地の玄関へと続く並木道はまだまだ桜花爛漫だ。

 これで何の気兼ねもなく、手ぶらで歩けたらどんなに気持ちいいだろう――と思うのだが。

「つーか、雑用リストにサイクロの散歩、って書いてあるのはどうよ……」

 というわけで、俺の手にはサイクロの首輪に繋がれたリードが握られており、そいつは俺の歩幅に合わせるようにして、とてとてと短い足を踏み鳴らしているのであった。

 この犬、わんともすんとも鳴かないのだが、その挙動は犬以外の何者でもない。無機物とオイルで出来ているハズの身体に運動なぞ必要であるはずがないのだが、そよ風と共に振りそそぐ暖かな太陽の光を浴びて、心なしかご機嫌のように見えるから不思議だ。ケツから伸びたケーブルのしっぽがふりふりしてなければ、間違いなくノーマルな生物と見紛うだろう。

「これでマーキングして回ったら、日本の技術革命に驚くな……悪い意味で」

 呆れながら気もそぞろで歩いていると、不意にサイクロが尻尾を立てた。

「ん? どうした?」

 そして唐突に猛ダッシュ。

「うわ、ちょ! リード離しちまった!」

 弓から放たれた矢の如く突っ走るサイクロを、俺は慌てて追いかけ始める。それにしても……なんちゅー速度で走りやがるんだこの駄犬!

 まだ駐屯地内とはいえ、犬っころ追いかけて走り廻る姿を他の隊員なんぞに見られたくはない。ただでさえ午前中だけで伝説一個作ってるってのに。

 桜吹雪の中をしばらく走り続け、そろそろ見失うかも、なんて俺の息が切れかけた――そのとき。

 モーターで動く犬の身体は誰かの前で急停止して、そっと、その手の内に抱き上げられた。

「あ……お、おまえは……」

 息が上がって声が出なかったせいか、なんだか変などもり方をしてしまう。

 サイクロを抱え上げた少女――アリアルドは、その大きな瞳で俺の顔を覗き込んだ。

 ……うわ、なんで急に緊張してんの、俺。

 今日の彼女は紺のブレザーに鼠色のスカートという学生のような出で立ちで、背もそれなりに低いものだから余計に幼く感じてしまう。不思議な光沢を放つ長髪に、陶磁のように白い肌。瞳の大きい双眸はぱっちりと開かれており、腕の中で身じろぐ犬の背中を愛おしそうに撫でている。

 桜並木の下というシチュエーションのせいかもしれないが、戦闘時に彼女が放っていた殺伐とした空気は、今は微塵も感じることはできなかった。むしろ桜の匂いの方が強すぎて、彼女までその柔らかい色に染まっているような錯覚がするほどだ。

 一瞬、見惚れていた頭を切り替えて、俺はどうにか口を開く。

「え、えーと……アリアルド一尉。ありがとうございます、サイクロ拾ってくれて」

 とりあえず、そう言ってみる。明らかに俺より年下だろうけど、階級を考えれば敬語だよな。

 俺に声をかけられて、一度、腕の中のサイクロに目を落とした一尉は、再び顔を上げ、俺の顔を興味深げにじーっと見つめたかと思うと、


「…………」


 無言だった。

 ……なんなんだろう、テレパシーでも送られているのだろうか。残念ながら俺には受信アンテナは設置されていないぞ。

 一応、垂れ下がった犬のリードを握ってみるが反応ナシ。

 再び俺は口火を切ってみる。

「一尉は、今日は何をされていたんです?」

「…………」

「あ、もしかして桜を見ていたんですか? 綺麗ですものねえ」

「……………………」

「それともひなたぼっこですか? 今日は天気も良いですし」

「………………………………」

 頼む、誰か彼女との会話を成立させるコツを教えてくれ。

 直立不動でサイクロの背中を撫でつつ、俺を純真無垢な二つの眼でひたすら凝視し続ける不思議系少女。世間話を投げ続けるのもそろそろ限界だ。

「あー、そっすね……なんつーか、この間の戦いは大変でしたって――」


 ぐ――。


 ……俺の話を遮るように、少女の腹から大きな音がした。

 俺はぱくぱく口を金魚にしてしまう。どうやら腹時計だったらしい。

 士官様はぽかんとした顔のまま、自分のお腹をサイクロを持たないほうの手ですりすり。そして再び俺の顔を覗き込んでくる。……どうしろと言うのだろうか俺に。

「……昼メシ、まだなら一緒に行きます?」

 そう言うと、びっくりしたように背筋をぴんっと伸ばした一尉。しばらく俺の顔を上目遣いで眺めていたが、こくこく、と判りやすいくらい首を上下させた後、控えめにはにかむような笑顔を見せた。

 ……なんだ、やっぱ年相応の顔、できるんじゃんか。

 そうして、犬っぽいロボと西欧人っぽい美少女を連れた田舎モノっぽい自衛隊員という如何とも形容し難い様相の一行が、習志野駐屯地の正面ゲートを潜り抜けて街へと繰り出したのだった。



「って、そういや俺、まだこの街に詳しくねえんだっけ」

 とりあえず大通りまで出てきたところで、今更のように思い出す。むぅ、俺の三歩先で嬉しそうに犬のリードを引いている少女の姿に触発されて、俺まで頭の中がお花畑になっていたのだろうか。

「一尉、どこかオススメのお店とかって、あります?」

 そう訊くと、くるりと百八十度回転して俺の方に向き直る一尉。ぱっちりおめめを見開いて、

「…………」

 何か言ってくれ。

「あー……もしかして、言葉話せなかったりします?」

 ふるふる、と可愛らしく左右に首を振る。とりあえず日本語は通じるらしい。

「じゃあ、何か食べたいものってありますか?」

 こくこく。お、いい反応だ。

「何がいいです?」

 こくこく。

「え? 今のどういう意志表示?」

 俺が訊くと、一尉は眼の前を通り過ぎたモンシロチョウをふらふらと追いかけ始めた。

 ヤバイ、ぜんぜん思考が読めねえ……。

 この子が本当にあの陸戦魔導士なんだろうか。身体年齢は十五、六といったところだろうが、精神年齢はそれに追いついているとは認めがたい。表情の起伏も微妙、言語機能なんて皆無だ。俺にまだ慣れてないだけなのか、それとも逆に、魔導士って種族はこれがデフォルトなのか。

 本当は訊きたいことが山ほどあったはずなのに、飯屋を訊き出す時点で躓いている俺なんかでは、とてもではないが突っ込んだ会話なんて成立しそうにもなかった。

「……じゃあ一尉、適当に歩きますんで、食べたいモノみつけたら俺に教えて――」

 くださいね、と言う前に、一尉の足はとある出店の前でぴたりと停止する。

 ワゴン車を改造して作られたカウンターの頭上、ファンシーな暖簾に「おいしいクレープ」と書かれたその文字に、

「いや……それは昼飯じゃないだろう……」

 思わずつぶやいた俺だったが、ショーウインドウを食い入るように見ている少女の迫力と、店先でよだれを滝のように地面に落とす偽犬の営業妨害的行動、そして買う気があるのかないのかはっきりして欲しそうな店員のジト目に睨まれて、泣く泣く俺は二人分の甘いヤツを購入したのだった。って俺の自腹かよ。

「……まぁ、いいか」

 絶対食えるはずがないのにクレープ生地の切れ端をロボ犬に差し出す一尉の横顔を見て、俺はなんだか彼女の親父のような兄貴のような保護者的な思考になっているのが可笑しかった。

 兎にも角にもブラックボックス属性を持つ魔導士様だが、この短い時間でわずかに分かったことがあるとするならば。

「……ったく、幸せそうな顔してますねえ」

 遠い存在だと思っていたこの子は、実はそれほど手の届かない奴じゃないんじゃないか、ということだけだった。

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