第二話 -2
千葉県習志野市の郊外には、陸上戦略自衛隊の駐屯地がある。
元々は防衛大臣直轄の陸上自衛隊第一空挺団及び
現在では六隊一群一小隊が在籍。総在籍人数は一八〇六名。
昭和二十六年の警察予備隊発足から続く根っからの軍備施設であるが、二〇四八年に大規模な増改築が成され、今では新旧入り乱れる和洋折衷の建造様相が特徴的だ。特に習志野のシンボルたる松の樹は広い駐屯地中に生い茂り、騒々しい市街地からは隔絶された独特の基地として、その名は自衛隊内外にまで知れ渡っている。
そんな習志野駐屯地の最深部。
一般隊員の集う訓練棟とは間逆に位置する、第二業務棟。
中庭に接する一階のとある一角に、魔導小隊の小隊室は存在していた。
「ここが、俺の新しい居場所か……」
俺は小隊室の扉の前に立ち、拳を握り締めて沸き立つ感慨に想いを馳せる。
新しい部署に、新しい隊員たち――この扉の向こうでそんな方々が待っているかと思うと、緊張でドアを開く手もなんだか震えてくるってなものだ。落ち着け恵一郎、こういうときは『人』って文字を手の平に三回、
「とっとと入れ!」
後ろの獅子堂一佐にケツを蹴られて、俺の身体は小隊室に突入した。
扉を開いた先に待っていたのは、白い床と白い壁。その向こうに青空の映る大きな窓と、パーティションで区切られた応接間。そして、いくつかのスチール机で構成された、やけにこぢんまりとした空間が広がっていた。
「いやー、良く来たね! 吉良瀬恵一君だよね? 君が来てくれて嬉しいよぉ!」
と、オフィス然とした部屋の一番奥からこちらに近寄ってきたのは、四、五十代と思われるおっさんだ。
風船みたいな身体つきをした中年で、髪の毛量はやや薄め。眼鏡の弦がこめかみの肉に食い込んでいる。いかにもお役所の役人然とした格好をしており、益荒男が多い自衛隊員の中にあっては比較的珍しい部類のひとではないかと俺は思う。
とはいえ、おそらくは目上の方であるのは間違いない。とりあえず俺の名前の修正と着任挨拶くらいはせにゃならんだろうと、俺は敬礼の手を上げた。
「吉良瀬川、恵一郎、であります。三日ほど自衛隊病院に入院しておりましたが、本日から――」
「ああそうそう、検査入院していたんだって? 身体は大丈夫なの? ダメだよ、若いうちから無茶しちゃ。そりゃ若いうちが華って言うけどまずは健康が一番大事、ボクもこの前の定期健診で高血圧をお医者から言われちゃって肝臓は悪くないはずだからおかしいなぁと」
「こら、オヤジ」
がっしと頭を一佐に掴まれるオヤジ。ちなみに背丈は一佐の方が十センチ高い。
「あ、こら、何をするんだね獅子堂君っ。せっかく男同士の親交を深めようとしてるところなのに……」
わたわたと手を振り回すオヤジをよそに、一佐は首だけを俺のほうに向けて、
「吉良瀬川。こちらが陸上戦略自衛隊特務部魔導小隊の隊長を務める、
陸将だ」
「り、りりり陸将ッ?」
俺はずささっと瞬時に後退した。
陸将だって? 士の上の曹の上の尉の上の佐の上の、あの「将」か?
軍隊式で言うのなら中将クラス、二十二万人いる自衛官の中のトップ三十位圏内、一士からすれば雲の上の天国に建つ宮殿の天守閣に住むくらいの超大物である。
だというのに、この陸将様。安物スラックスにチェックのチョッキという、どこにでも売っていそうなジジ臭い事務服を突き出た腹に纏ったまま、俺の手を握ってブンブンと振った。
「ま、気楽に隊長って呼んでくれて構わないからね。ボクも同じ男の隊員が増えて嬉しいよ」
思いっきり人の良さそうな笑みである。俺はどうしたもんかと逡巡しながら握手に応じた。
「そう言えば、私も正式な自己紹介はまだだったわね」
と、今度は獅子堂一佐。その黒のレザースカートに赤いワイシャツ姿は、知らない人ではとても自衛隊員とは思うまい。長く真っ直ぐの黒髪を耳の脇で掻きあげながら、俺の方に向き直った。
「特務部魔導小隊で副隊長を務める、獅子堂聖一等陸佐だ。改めて、以後よろしく」
「副隊長……ですか?」
俺は少し驚いた。この前の戦闘では、確か「獅子堂司令」と呼ばれていたはずだ。
俺の疑問に合点が行ったらしい獅子堂一佐は、苦笑するように隣の陸将を見た。
「実質、対魔法使い戦闘の指揮は私が執っているからね。本当は司令職じゃないんだけど……ま、この人が戦場に出ないから、二番手の私が仕方なく部隊を引っ張ってやってんのよ、うん」
という適当な一佐の返答に、榊陸将のジト目が動く。
「ちょっとちょっと……獅子堂君のワンマンぶりで、どんだけ軍備予算を圧迫してるか知ってて言ってるのかな。上のハンコ一つ貰うたびに、ボクの血糖値は上がっちゃうんだからね?」
「へいへい、隊長の苦労はわかってますって。……とまぁ、官僚組の隊長は年の功を生かした内政担当。若くて美人な私は現場担当ってことでやっているから、アンタも一日も早く慣れなさいね」
「うわ、獅子堂君! ボクだってまだ若いんだから、年寄り扱いはやめてよね!」
「もうすぐ五十のくせして何言ってんのよ。若いってのは、私みたいなお肌ピチピチの二十代を言うの」
「ボクだって脳トレで精神年齢三十代並って言われてるんだからー!」
自衛隊組織ピラミッドの頂点付近に立つ上級士官二人が妙にフレンドリーであることが判明した丁度そのとき。今しがた俺が押し通った扉がガチャリと開いて、二人の女性が姿を見せた。
「ういーす」
「ごめんなさい遅くなりましたっ!」
眠そうな声に、慌てふためく甘ったるい声。
その二人の顔を見て、俺は、ああ、と得心した。
「おまえら遅いぞ! 集合時間くらい守れっつーの!」
「んだよ副隊ぃ。昼寝中に呼び出しておいてそりゃねーだろ……って、あ、オマエ」
眠そうな声の主は、ようやく俺の存在に気付いたようだ。俺は軽く敬礼して頭を下げた。
「どうも、三日ぶりです……美咲一尉」
「あー、新人クン! 退院したんですね? おめでとうございますぅ!」
にこりと花が咲いたように微笑んでくれる恋子二曹。入院中はお見舞いに来てくれたので、久しぶりというわけではない。ちなみに、お見舞いに来てくれたのはこの人一人だけだった。
「顔合わせは済んでいるから判るな。魔導小隊戦闘主任の美咲真琴一等陸尉と――」
「同じく戦闘補佐・戸代恋子二等陸曹です。改めてよろしくね、恵太郎君っ!」
ハハハ恵一郎ですよもういいですけどね、と頬筋をヒクつかせながら、俺は恋子二曹の差し出した小さな手を握り返す。
美咲一尉は瞬時に興味を失くしたらしく、手近な事務椅子に座り込むと机に突っ伏して二度寝モードに移行していた。この人に過度な期待はしないでおこう。
これで、部屋の中には俺を含めて五人。
俺は机の数を確認しながら、榊隊長に尋ねてみた。
「それで、他の小隊員はどちらにいらっしゃるんです? 訓練ですか?」
「いや、これで全員だけど」
「……へ?」
期待水準に届かない隊長の答えに、俺は思わず間の抜けた声を上げてしまう。
「あ、支援戦団はいるけどね。正式な魔導小隊員なら、ここにいる六人で全員なんだよねぇ、これが」
「え、だって……女性ばっかりじゃないですか。男性隊員とか、もっとこうたくさん……」
「ああ、そりゃ、男子は全員死んじゃったから」
……笑顔で、さらりとナンテコトを仰るんだ、この陸将様は。
「五年前の発足時は十四、五人いたんだけどねえ。なんていうかホラ、男の人は最前線向きだから。次から次へと殉職しちゃって、今では若い女の子か、ボクみたいな転属組しかいないってワケ」
「この間の青森攻防戦でも、三人一気に
緊張感のない眠たげな声で美咲一尉が補足する。って、ちょ、ちょっと待ってくれ。
「そんなわけで瀬川君、同じ男性隊員同士、末永く仲良くやっていこうねぇ!」
そんなポンポン肩を叩かないでください。いくら陸将様でも腕をねじ切るぞこの野郎。
(それが本当なら、本気でシャレにならんだろ……!)
特筆すべきは、その死亡率の高さである。
しかし……そうだよな。
良く考えれば、トンデモ生物ばかりなんだ魔法使いってやつは。
先日の多摩川での光景を思い出す。戦車をいともたやすくひっくり返し、戦闘機を腕一本で振り払う生物と戦うなんて、命がけじゃないとやっていられるはずがない。
想定しておいて然るべき当然の帰結を改めて認識して、俺はさっと血の気の引いていく血管の音を聴いた気がした。
「って、そう言えば隊長、最後の一人はどうしたんです? またどっか行っちゃったんですか?」
ショックから立ち直れない俺を余所に、恋子二曹がきょろきょろと回頭した。そういえば、隊長はさっき「六人」と言ったっけな。
その行方をあらかじめ知っていたらしい隊長の人差し指の先は、くいくいっと奥の応接間へ。軽く頷いた獅子堂一佐がつかつかと足音を立てて応接間へ近づき、こちらに背を向けているソファを覗き込むと、得心して俺に視線を向けた。
「そして、最後の一人がこいつね」
俺はソファに近づく。ソファの背もたれの向こうですぴすぴと眠っているお姫様の素顔は、見覚えのある少女のものだった。
「魔導小隊所属『陸戦魔導士』の、アリアルド一等陸尉だよ」
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