第一話 -1

「長っ」

 俺と初対面した指揮官殿の第一声が、それだった。

「あー、アンタ。もう一度名前言ってくれる?」

「は。本日付で北部方面隊第一特科団第五〇二観測中隊内合同海洋巡視隊より転属になりました――」

「前半カット。ナ・マ・エ、だけ。アンダスタン?」

「は。吉良瀬川恵一郎であります。よろしくお願いいたします」

「……キラセ……んー、それ、どっからがファーストネームなワケ? 長いんだよこの野郎」

 名前の長さでこの野郎と罵られたのは、これが生まれてはじめてだった。

 隊務用ジープに乗って連れて来られたのは、平塚市の海岸沿いに設置された野外大本営だ。

 大本営、と言っても外から見れば単なる鉄パイプと鶯色のテント布の集合群。海水客用の広い駐車場に大小さまざまなテントを無秩序に敷き詰めて作られた、お世辞にも立派とは言えない緊急陣である。

 俺が呼び出しを食らった指揮所テントは、四面のうち一面が野晒し状態。中はホテルの鳳凰の間くらいの広さはありそうだが、持ち込まれたオペレータ機材と男性の通信将校COで一杯だ。

 そんな男所帯の環境の中にあって、唯一にして最上の権力者である作戦指揮官がこのような年若い美人の女性であれば、嫌が応にも部隊の士気は揚がろうというものだが、どうやら今この場においてはそんなことはないらしい。

 赤のタイトスカートに白いワイシャツという、おおよそ自衛官とは思えない格好をした我らが偉大なる指揮官殿は、迷彩柄のジャケットを申し訳程度に肩に掛けると、むさ苦しい空気の渦巻く指揮所テントからおもむろに外へ出て、まだ四月だってのにさんさんと照りつける太陽の真下に身を晒した。

「あー畜生! こいつら、よくこんなジメジメしたトコに篭ってられるわね。脳味噌溶け過ぎてカビだらけになってんじゃないの?」

 などと、他のCOが聴いているにも関わらず、大声でイライラを指揮所の中にぶん投げている。……この人、容貌はなかなかのアレだが、性格がどうもアレらしい。

ひじり副隊ぃ。アリアちゃん、妹尾せのおセンセに預けてきましたよぅ」

 そこに、今度は場の空気を反転させたような甘ったるい声の自衛隊員が別テントの方向からぽてぽて走って近づいてくる。おそらく元々は長いのだろう髪を後頭部で団子状に結った小柄な女性で、肩の階級章は二等陸曹だった。

 ヒジリフクタイと呼ばれた指揮官は、少しだけ眉間の皺を軟化させながら女性二曹のほうへと向き直る。

「おう、ごくろう恋子れんこ。んで、どうだって?」

「外傷はほとんど無いそうです。副交感神経の一時的な障害が原因で、軽い脳震盪状態だって」

「アンフェタミン打てばなんとか出られそうだな。ったく、不幸中の幸いだよ」

 女性指揮官が、ようやく破顔して息を吐いた。レンコと呼ばれた娘も嬉しそうにニコニコと笑う。恐ろしいほどの童顔だ。二曹なんだから、普通に考えれば俺よりも年上のはずなのだが……はっきり言ってその予測に自信はない。

「で、その方が、今日からの人ですか?」

 そう言いながら、二曹の視線はこちらのほうへ。女性指揮官はつまらないゴミを見るような眼で俺を見て、

「そうだ。名前は……なんだっけ、キラとかケイとかそんな感じ。恋子より階級下だからコキ使い殺して構わんぞ」

 どこかの戦争映画よりも酷い扱いを決定付けられるのだった。

「もう副隊ったら……。ごめんね新人クン。私は小隊専属の通信員を担当しています、戸代このしろ――」

獅子堂ししどう司令! 伊勢原・平塚間第三防衛線、突破されました!」

 突然の怒号で、レンコさんの声が掻き消される。女性指揮官はすぐさま指揮所の中にとって返し、報告を叫んだCOの肩を掴んで傍らのモニタを食い入るように見つめた。

「状況は?」

「御殿場基地防衛大隊と第六一迎撃中隊が壊滅。現在は空戦自の二二教導が応戦しています」

「まずいわね……東京まで五十キロないじゃない。特専の狭山さやまを最終に向かわせなさい」

「で、ですが。それでは横須賀の防衛線ががら空きに……」

「なら海自の地対空全部出させなさい! とにかく時間を稼ぐの。一分一億なら安い物よ!」

 激を飛ばすと、指揮所内がいきなり活気付いた。

 一斉にCOが無線を取り、下士官達が走り回る。飛び交う指令と相次ぐ伝令。そんな熱気の渦から颯爽と抜け出してきた上官は、青空の下で胸元からさっと携帯電話を取り出しリダイヤル。すぐさまどこかに繋がったようだった。

さかき隊長、そういうことだから。防衛大臣の決裁取れた?」

『あ~も~、獅子堂君ったら、すぐ勝手なコト指示して。またボクが怒られちゃうでしょ? 海自だってプライドあるんだからね、決裁のたびにジト目で睨まれるボクの気持ちも……』

「はいはい。いつも感謝してますよ、小隊長殿。で、ハンコは貰えたの?」

『うん、ばっちしね。海治自かいちじもバックアップに回すよ。でも、次はもう無いんだからね!』

「さっすが! 仕事早いね隊長。帰りの打ち上げはオゴってあげるわ」

『いや~、この前医者にコレステロール高いって言われちゃってね。早めに帰らないとウチの奥さ』

 哀愁漂う中壮年男性との通話を途中でぶった切り、指揮官なんだか司令官なんだかそろそろ良く判らなくなってきたワークウーマン的二十代後半女性は、俺を視界の真正面に見据えて、

「というわけで、あんたに命令を授けるわ」

 前後の文章が繋がらない唐突な言葉を、俺に投げた。

「魔法使いを倒してきなさい。復唱」

「はっ! 吉良瀬川恵一郎、魔法使いを倒してき、ま……? きまっ?」

 復唱の途中で、脳裏に浮かぶクエスチョンマークが飽和基準値を飛び越える。

 獅子堂聖作戦指揮官は切れ長の眼を俺に向けると、それまでの気だるそうな態度とはまるで違う、凛とした表情で言葉を発した。

「きまっ、じゃないわよ。今日からあんたの所属は陸上戦略自衛隊・特務魔導小隊。あたしの直属の働きアリってわけ。そして、対魔部隊は魔法使いを殲滅するのが任務の全てよ。それとも何? あんたは疑問があったら隊と上官の命令に従うなって、そう今まで指導をされてきたのかしら?」

「い、いえ! 決してそのようなことはっ! ですが、その……魔法使いって……」

「アリアルドを助けたときに、貴方は見たはずよね? 空に浮かぶ橙色の光を」

 その一言で、思い出す。

 空の彼方に浮かんだ十二、三歳の少女の姿。

 戦闘機を軽く吹き飛ばす異形の力。その圧倒的な存在感を。

「やっぱりあの子が……魔法使いってヤツなのか……」

 ぽつりと口に出る。その呟きを聴いた聖指揮官は、あれまと口を小さく驚きの形にした。

「あんた……もしかして、魔法使い見たことないの?」

「副隊、知らないんですか? 吉良瀬川一士は今まで千歳駐屯地に在任していて、去年の青森攻防戦のときには訓練のために海洋巡視艦でアラスカへ行っていたんです。見たことがないのも無理ありませんよぅ」

 などと、恋子二曹が俺に代わって説明してくれる。聖指揮官は俺をあらためてまじまじと見つめると、

「……へぇ、魔法使いを見たことのない人間がこの世にいたとはね。おねーさんビックリだよ。だが、それならそれで面白味がある。無知が如何に恐ろしいものかの臨床試験ができるな」

 くすりと、否、ニヤリと笑う。なんて恐ろしいその不敵な笑顔。俺は猛獣に襲われたときのような恐怖感に、ぶるるっと背筋を震わせた。襲われたことないけど。

「よし、じゃあ恋子。あんたが最終地点まで道案内してあげな。途中で美咲みさきも拾っていきなさい」

「うえ、えぇっ!」

 恋子二曹が素っ頓狂な声を上げた。どの部分に反応したのか、俺には良く判らない。

「な、なんで私なんですかぁ? ていうか、私COです! COのお仕事は――」

「人手が足りないのよ。現場が足りないのなら、通信員にだって銃を持たせるのが私の仕事だ。あんただって魔導小隊員だろ。国のためなら命を投げ出す覚悟は――当然あるのよね?」

 突然の冷徹な口調だった。気圧されて、恋子二曹は絶句してしまう。飄々とした顔に戻った聖指揮官は、ほいほいっと近くの下士官に命令を出して、一台のジープを持ってこさせた。

「それに、美咲真琴まことちゃんがあんたをご指名なのよ。ほら」

 俺と恋子二曹の前にトランシーバを突きつけて、スイッチオン。

『ちっくしょーっ! もう弾丸切れそうだっつーの! 補給まだか補給! てめぇレンコ、聴いてんのなら弾持ってこい弾! 四号一発、八号二発。六号はあるだけ持ってきやがれ!』

 粗雑というか、もう粗暴の域に達している若い女性の金切り声が、レシーバのスピーカを破壊せんばかりに響かせていた。

「う、ううぅ~、もおお、マコちゃんのバガぁ! 死んだら化けて十七代先まで呪ってやるぅ!」

 濁点を「カ」にも付けるのだから、よほどの怒髪天でいらっしゃるのだろう。ぶすったれた顔のままジープの助手席に飛び乗り、ふーんと口を尖らせてしまった。

「ほらほら、吉良瀬川さん! ちゃっちゃと行きますよ!」

 上官にそう言われては仕方がない。ほとんど丸腰のまま、ジープのドアを開いて足を掛ける。

「あ、そうそう。これ持っていきな。あんたの武器と弾丸だ。大事に使えよ」

 言われて振り返ると、でかいアタッシュケースを押し付けられた。結構重い。中には何が、と聴こうとして――聖指揮官はいきなり俺の胸倉を掴んで、自分の顔を引き寄せた。

「いいか吉良瀬川。やっこさんは川崎と多摩を繋ぐ最終防衛ラインに向かっている。それを越えれば奴の目的地――東京だ。ここで負ければ日本は終わり。一億人の国民の半分は死に、半分は海外での生活が余儀なくされる。全国民の運命が、貴様の双肩に掛かっていると思え」

「そんな……! もう、本当にギリギリのラインじゃないですか……!」

「あぁそうだ。土壇場瀬戸際崖っぷちだ。だがな、そんな瀬戸際を貴様の仲間達は、今も死地の向こうで必死に戦っている。それを忘れるな。仲間のために戦え。国民のために死ね。国を、仲間を、人々を守りたいのなら、自衛隊員である誇りを忘れるな」

 圧倒されそうなほどに強い瞳。その奥に並々ならぬ決意を見る。偉そうなだけの女ではないという証拠だった。

 くそ――まだまだ、訓練が足りないな、俺。

 一度眼を閉じ、頭の奥でスイッチを押すイメージをする。

 オフからオンへ。静から動へ。

 俺はアタッシュケースを車の後部座席に押し込むと、すでに手を離していた獅子堂司令へ向き直り敬礼。「俺」ではなく、自衛隊員としての「自分」の声で命令を復唱した。

「はっ! 吉良瀬川恵一郎、自衛隊員として、任務に従事いたしますッ!」

「声でかっ」

 両耳を手で塞いで顔をしかめた指揮官が下がる。俺はドアを閉め、アクセルを一杯に踏みつけた。

 唸りと土煙を噴き上げて、ジープは獣の如く疾駆する。

 目指すは目標、橙色の敵。俺は自衛隊員として、職務を全うするのみだ――!

「――吉良瀬川、か……。死ななけりゃいいけどな、アイツ」

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