第308話 立ち上がるべき時は……
女神と元魔王から放たれた禁術『メルクオリフィア』は、味方でさえ震え上がる程の凄惨な光景を目に焼き付けた。
空と大地に硝子の様な透明な境界線が引かれ、
視線の先には自分と全く同じ姿をした存在がおり、驚愕に顔を歪めているのだ。
人間の脳を移植したレブニールは、他の魔獣よりいち早く異常事態を察知して逃走を始めたが、見えない力に次々と捕らわれていく。
空中で鋼の剣や鉄の槍を振り回して脱出しようと足掻くが、無駄だと悟るや否や攻撃に転じて反対側に映る自分の心臓部を突いた。
ーーグギャッ⁉︎
レブニールは同じタイミング、同じ速度で繰り出された一撃に心臓を突かれ、周囲には絶叫が響き渡る。肉体の大きい魔獣から境界面に辿り着くと、徐々に
跡形も無く粉々に。再生などさせぬくらい無慈悲に。
千体強から成る群勢があげる断末魔は、地面から空を見上げるシュバンの兵士達へこの世の地獄を想像させる程に恐怖心を煽った。
魔獣の実体が邪魔をするからだとレイアとナビナナは予想し、ビナスの広範囲魔術が最も有効であると作戦を立て、実行したのだ。
最高の形で敵の殲滅に成功したかと思われたが、当の女神の表情は青褪めていた。
__________
禁術の発動のタイミングに合わせて、『紅姫』のみんなは一度俺の元に集合していた。アリアが遠い目をしながら言う。
「……グロいわ」
「うん。グロいね」
続いて隣で鼻を摘みながらディーナが言う。
「気持ち悪いのう。血の臭いで鼻がひん曲がりそうじゃあ」
「うん。気持ち悪いね。吐きそうだね」
コヒナタは気を遣ってくれている様で何も言って来ない。でも、プルプルと震えながら半分涙目だった。怖かったんだね。その気持ち分かります。
俺はバルコニーの床にへたり込んでおり、力尽きて眠るビナスを膝枕していた。魔力の譲渡と制御にはかなり神経を使うらしく、禁術を撃ち放った後、気絶する様に一瞬で眠ってしまったのだ。
それでも流石だと言いたいのは、民や兵士を誰一人巻き込まず、範囲内の敵のみを標的にした精密さだった。
ただ、残念ながら俺達の表情は決して明るくない。
「「「オボロロロロロ〜〜!!」」」
味方の兵士達は敵を圧殺するまでは耐えられたのだが、とどめと言わんばかりに上空から降り注いだ緑色の血の雨で、
そこら中で嘔吐する者、気絶する者、泣き叫ぶ者がいて、いち早くアズラとミナリスもトイレに駆け込んだ。
キルハとチビリーは、灰になったかの如く真っ白に燃え尽きており、シルバは野生の勘が働いたのか、イザヨイを背中に乗せていつのまにかどこかへ消えている。
「阿鼻叫喚とはこのことか……反省しよう」
敵どころか味方まで壊滅してたら意味がないぞと、俺は深い溜息を吐き出した。最善の一手が、最高の結果を生むとは限らないのだ。
「みんな。多分俺はこれから以前の様に進化に入るから、あと五、六時間耐えてくれ」
先程から徐々に肉体が軋み始めており、徐々に内臓が掴まれいる様な鈍い痛みが襲っている。センシェアルの血を取り込んだ時みたいな激しさは無いけど、動けなくなるのは間違いない。
「あとは私達が残敵を掃討しておくから、レイアは安心して眠っていて頂戴」
「いや、ぶちゃけ痛くて寝れねっすよアリアさん……今もやせ我慢中」
銀天使形態のアリアが微笑みながら頭を撫でてくれた。偶には撫でられるのも癒されるね。
「道化も今の攻撃で死んだんじゃないかぇ?」
「ビビらせたのは間違いないけど、彼奴は元々俺達ならこれくらいやってのけると確信してる。今までの敵の中で一番油断も隙もないし、過剰なくらい警戒してる筈だよ」
ディーナが背後から抱き締めて来て、豊満な谷間に俺の後頭部を埋めた。柔らか過ぎて癒されます。
「でも、道化は洗脳さえされなければ、手こずる程度の実力しか持っておりません……以前も敗走させましたしね」
「う〜ん。どうやナビの予想だと、仲間がいるみたいなんだよな。さっきの凶暴化した魔獣が統率されていたのは、別の
「確かにゼン様に頼んで戦闘中に道化の姿を探しましたが、周囲には見当たらなかったんです」
「じゃあ隠れ潜んでいる可能性が高い。きっと、セイナちゃんも其処にいる」
コヒナタは俺の身体を労ってくれているのか、隣にチョコンと座って掌を握ってくれた。小さくてプニプ二で可愛いです。
「とりあえず、相手が何も動かず時間が稼げるなら俺としては好都合だし、様子を見よう」
みんなにある程度癒された所で、俺は自室のベッドに運んで貰い横になった。気が抜けたのか次第に骨が軋み、激痛が襲い掛かる。
「ふぐぅ! んむむぅ〜!!」
枕を噛んで必死に痛みに耐えていると、警護の為に隠れていたミナリスが姿を現した。眩む視界の中で目にしたのは、一枚の手紙。
「聖女様の部屋を片付けていた際に、棚に仕舞われていた手紙です。レイア様宛てでしたので中身は確認しておりませんが、報告が遅れてしまい申し訳御座いません」
「ドタ、バタして、たからな……気にしなくて……いい」
ナナは俺が眠る事はないと言っていたけど、痛みで意識が遠のきそうだった。最早文字を読んでいる余裕はなかった為、ミナリスに中身を読んでくれとサインを送る。
ーー『短い時間でしたがありがとうございました。最後に良い思い出を抱けて、私は心から幸せです』
それはとても短い言葉。それだけの筈がないとミナリスの手から手紙を奪う様にして眼を凝らすと、何度も何度も消しては書き直した跡が残っている。
滲んでいる字は、恐らく涙を流しながら書いたのだと容易に想像させた。
彼女は一体どんな気持ちでこの手紙を残したのだろうか。自分の死の運命を受け入れ、いつ読まれてもいいようにしたため、隠していたのだろう。
「ハハッ! アハハハハハハハハッ!!」
「如何なされたのですか?」
突然笑い出した俺を心配する様にミナリスが覗き込んだ。誰でも良いなんて言い方はこいつに悪いが、思い切り両手で身体を抱き締めてベッドに引き寄せる。
「ーーなぁっ⁉︎」
「黙れ。ちょっとだけこうしてろ。これは命令だ」
「……はい」
ミナリスが『身体変化』で女性化してて良かった。沸々と沸き起こる激情をぶちまけずに済む。数分間力の入らない腕でミナリスを抱きしめた後に、俺は決意した。
ーーブチッ! ブチブチッ!!
「ぐああああああああああああああああぁっ!!!!」
「レイア様⁉︎」
筋繊維が千切れた鈍い音と共に、再び意識が遠のきそうになる。でも、考えろ。思い出せ。忘れるもんか。
「アリアとセイナちゃんの料理に比べれば、痛みなんてなんぼのもんじゃいいい!!!!」
俺はこれ以上の苦しみを知っている。これ以上の激痛を経験している。腹が裂かれる様な、抉られるよりもっとキツイ生死の境を乗り越えているのだ。
(立ち上がるべき時は数時間後なんかじゃない! 今だ!!)
「起きろナナ!! 誰でも良いから寝てんじゃねぇ、嫌いになんぞ! 俺が困ってる時に力を貸せないなんてお前らしくねぇだろ!!」
無理矢理立ち上がると、窓を開け放って空に向けて吠えた。無茶は承知だと理解している上で言うんだ。
ーー力を貸せ、と。
「進化なんて待ってられるか! 俺は今助けたい! セイナちゃんを、きっと泣いてるだろう女の子を助けたいんだよ!!」
「あらあら。また正妻の前で不倫発言なんて、終わった後にお仕置きが必要ね。あなた?」
雲を破り、天から一筋の銀光が煌めきを放ちながら俺の部屋へと繋がる。瞬時に眼前に現れたのは、『十二枚』の羽根を舞わせた美しき天使。
「残念だけどあの子達は本当に動けないの。その代わりに私が力を貸してあげるわ。お礼はもっと解像度の高いカメラね?」
「だから何度も言ってるけど、俺にそんな専門的知識はないんだっつの……奈々」
「我儘は言わないわよ。あなたを泣かせた馬鹿を始末するなんて、簡単な仕事ですもの」
天使は微笑みを浮かべながらも口元はヒクついており、額に青筋が浮かんでいる気がする。愛されてんね俺。
「進化までの時間なんてどうでも良い! 俺は今、敵を倒し聖女を救いだす!」
「……そうね」
拳を掲げる俺の宣言を聞いて、奈々は少しだけ困ったように視線を下方へ流した。どうしたのか疑問に思ったが、今はいい。
「奈々、道化の索敵を頼む! ミナリス! みんなにシュバンを任せて平気か?」
「それが、つい先程から街の外周に多数のAランク魔獣が転移しており、現在紅姫と魔王軍が交戦中にあります!」
ーープツンッ!
俺は守ると決めた。セイナちゃんと約束した。俺の力で救える人は、『全て救う』と約束したんだ。
「いつまで日和ってんだこの馬鹿!! 女神の肉体なんてチート貰ってんだからしっかりしやがれこの野郎ーー!! 奈々! 全力ビンタよろっ!」
「っしゃーー!! 気合い入れろ馬鹿夫!!」
俺は自分自身の腹に向けて思い切り拳を突きあげる。進化なんて知るか。俺の思う通りにならない身体なんて、奈々にぶっ飛ばされて強制的に目覚めさせてやる。
ーーズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!
「ンギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア〜〜ッ!!」
「あら? 前世であなたに良くやってた全力ビンタって言ったから……つい……やり過ぎたかな?」
俺は凄まじい速度で斜めに城の天井を突き破り、空を舞った。間違いなく顎が外れたと分かるくらいの威力を秘めた『掌底』を食らって、色んな意味で目を覚ます。
「『
ーーバッサアアアアアアアアアアアッ!
顎をはめ直した瞬間に広がった金色の翼は一回り大きくなっており、どことなく羽根の艶と輝きが増した気がする。当社比1.5倍的な感じ。
「うおおおおお〜〜! 痛いとか通り越して死ぬかと思った。奈々さんまじパネエっす!」
「あははっ! ごめんごめん! でも、あなたの想いに女神の肉体が応えたみたいね。気分はどう?」
グッグッと拳を握り、漏れ出そうになる程の強大な神気に思わず頬が緩む。
「一つだけ言わせて貰うと、気分は最高ってとこかな。でも、あれは絶対に『ビンタ』じゃなくて『掌底』だったと抗議したい」
「……あれが我が家流のビンタなのよ」
「次に核に会ったら優しくしようかな」
「それは良いわね。私からしたら二人共夫だし?」
ーー鬼嫁だ。ここに鬼嫁がおる。きっと前世では尻に敷かれていたのだと分かる程のツワモノだ。
「とりあえず敵味方含めてこっちに注目が集まっているみたいだし、二人で優雅に挨拶でもどうだい?」
「あら? あなたにしては良い案ね。ーー女神とナビシステムのリンクを開始。直径三十キロ内の
ニヤリと口元を歪めながら、俺達は嬉々として笑う。思う存分力を奮ってやろう。敵対する者は殲滅あるのみ。
「処理速度が桁違いに跳ね上がってるな。こっちも集中するか……『メルフレイムストーム』の魔力を収束開始。脳内レーダーに標的情報を共有と同時にリミットスキル『
この間三秒。以前とは違い、瞬時に適切な処理と適切な解を導き出して、最短で答えに辿り着くまでの時間を省く。
奈々の強力なサポートを経て、俺の力はより高みへ辿り着いたのだ。
新リミットスキル『
「お前らに構ってる暇なんてないんだよおおおおおおおっ!! 焼き尽くせ! 『
俺の目の前に展開された『獄炎球』はかつてない程の密度を誇っており、奈々は真横で『仕事は終わった』と言わんばかりに肩を回していた。
「「「「「「………………」」」」」」
静寂が戦場を支配する。俺の放った『滅裂火』による拡散砲は一瞬で周囲の魔獣の肉体を消失させ、血の一滴も残さず蒸発させた。
味方に擦り傷一つ負わせぬ程、一ミリ単位の精密さを誇ったままに。
嫁達も久々の俺の全力に驚いたのか瞳を見開いて固まっており、俺は一分一秒を争うと奈々に手を伸ばした。
「さて、行こうか奈々」
「えぇ、あなたを泣かせたクズを懲らしめに、ね」
待ってろセイナちゃん。今、光を超える程の速度で助けにいくから。
ーーだから頼むから、どうか無事でいて。
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