第305話 『災厄の始まり』

 

『聖女の血を体内に取り込んだ事により、『女神の神体』が『女神の真神体』へ進化しました。リミットスキル『女神の腕』の上位互換スキル『女神の抱擁』を習得しました。聖女の血が固有スキル『久遠』の影響を受け、新しく『聖櫃』のスキルを習得しました。天使型ナビシステムナナが最終進化までバージョンアップしました。人格統合後、『天使召喚』が永続的に発動しますーー』


 深い深い意識の海に沈む様な感覚に身を委ねながら、俺はボンヤリとナナが並べている文字の羅列を聞き流していた。


 今頃城では女神の肉体の成長、進化がまた起こっているんだと思うと起きるのが憂鬱になる。吸血鬼センシェアルの血を流し込まれた時の、身が捻れる様な激痛はもう勘弁して欲しいからだ。


 ステータスの確認は起きてからすれば良いと、俺は全てを放り投げて再び瞼を閉じる。


 誰かに抱擁されているのだと錯覚する程に、この海は心地よくて、温かかったのだから。


 __________


 エスコートの夜。王都シュバンのレイアの私室では、セイナとアズラが眠る女神の傍に付き添っていた。


 以前にも同様の経験があった事から『紅姫』メンバーの動揺は少なく、交代で付き添いながらレイアの目覚めを待っていたのだ。


 セイナの表情は決して明るく無い。この現象を起こしてしまった原因が自分だと知った時には、禁止されていた『完全治癒』のスキルを発動しようとして、コヒナタに制止されるまでに至った。


「アズラ様。レイア様はいつお目覚めになられるのでしょうか……」

「少しばかり心配しすぎだぞ、聖女様。うちの姫はこれしきの事でどうこうなる程ヤワじゃない。寧ろ起きてからの方が大変な気がする」


(きっとまた身体が成長するんだろうなぁ〜。俺の理性が保つか不安過ぎるぜ)


 アズラは今でさえ、主人に対してエロな思いを抱かぬ様に努めている。レイアちゃん人形に依存するのも、溢れる情欲を抑え込む手段の一環となっていた。


 そんな遠い目をしながら黄昏る騎士に目向きもせず、セイナはレイアの手を握り締めて祈りを捧げていた。

 その姿は愛しい人の目覚めを待つ純真無垢な乙女としか映らない。


 ーーコンコンッ!


 部屋の扉がノックされ、開いた先にはうさ耳のついたパジャマ姿のコヒナタと、ゆったりとしたマタニティーワンピースを着たビナスが立っていた。


「そろそろ私達が交代致します。先程も言いましたが、セイナ様の顔色も良くありません。街で何があったのか暗部から報告を受けていますしね」

「無理をして貴様が倒れる方が旦那様も心配する。それに、添い寝は嫁の特権だからな!」

「いやです! 私はレイア様の目が覚めるまでお側に居たいのです!」

 必死に首を横に振る聖女を見て、ビナスは軽く溜め息を吐き出した。レイアが心配なのは勿論の事、それよりも『また嫁が増えるのか』といった別の悩みに頭を抱える。


 コヒナタはどこか達観した雰囲気を醸し出しており、微笑みを浮かべるだけだった。


「お気持ちはわかりますが、レイア様の肉体の発光も始まっていない状態では、まだまだ目覚めませんよ。前回の経験からして、今度は目覚めるまでにどれ程かかるかわかりません。変化が起こったら呼びますから、今は客室で休んで下さい」

「コヒナタさん……でも……」

「歳上のアドバイスは素直に聞くものですよ? セイナ様が倒れてしまったら、それこそ目覚めに立ち会えませんしね」

「……」

 コヒナタに諭され、セイナは静かに頷くとレイアの手を離して立ち上がった。すると、途端に視界が眩み、倒れそうになる身体をアズラが真横から支える。


「俺がこのまま部屋まで案内しよう。今はゆっくりと休むといい」

「えぇ。お手数をお掛けしてしまい申し訳ございません。では失礼致します」

 アズラに身体を凭れさせながら、聖女はゆっくりと部屋を去った。


 コヒナタが見おくりつつ扉を閉めて振り返ると、既にビナスはレイアの右隣に寝そべっており、スンスンと匂いを嗅いで若干発情している。


「ビナス様……お腹の子供に悪影響を与えそうな行為は控えて下さいね……」

「分かってるよコヒナタ! 旦那様成分を今の内に補充してるだけだしね〜!」

「今だけですよ! 次の子作りは絶対私なんですからね!!」

 先程とは態度が一変して甘えているビナスを前にして、コヒナタも抑え込んでいた感情を曝け出した。


 ビナスは『はいはい』と柔和な口元を浮かべながら、膨れっ面のコヒナタの頬を突つく。愛しい人との子供を授かったという事実は、徐々にビナスの内面にも良い変化を起こしていたのだった。

 そのまま二人はレイアに寄り添いながら眠りに就く。


 このまま何も無い日常の朝を迎えるのだと、誰もが疑いもしないままに。


 __________


「……レイア様」

 聖女は与えられた客室のベッドに座りながら、窓の外に映る星空を眺めていた。ぽそりと漏らした自らの想いを胸に仕舞い、胸元に掌を添えると、瞼を閉じて深呼吸をする。


 ほどなくして心音が落ち着いた頃、セイナは奇妙な違和感を壁際から感じ取った。懐かしい感覚を覚えると、不意に帝国アロという『鳥籠』を思い出して言葉を紡ぐ。


「そこにいるのですか? シュバリサ」

「はい。ここに控えております」

 密室の筈のカーテンが、風に靡くようにフワリと揺れた先には、跪いて頭を垂れる道化の姿があったのだ。


『何故レグルスの王城に貴方が?』などとセイナが驚く事はなく、不意に笑みを溢す。


「本当に何処にでも貴方は現れるのね。そんなに私を鳥籠に戻したいのかしら?」

「悪魔は精神体になれば、同族以外に気配を悟られませんので。そして……愚王はもうおりません。セイナ様が帰るべき場所は、俺が壊しました」

「ーーーー⁉︎ 」

 ピエロの仮面の隙間から覗いた漆黒の瞳は、至って真剣な話である事を聖女に理解させた。嘘や冗談の類では無いのだと知った時、セイナは顔を伏せ、涙を滴らせる。


「もう少しだけ、待てなかったの?」

「時間が無かったのです。既に準備は整いました。今こそ、俺達が交わした『契約』を果たさねばならないのです」

 微動だにせず淡々と要件を告げる道化の姿はまるで操られた人形の様に無機質だったが、セイナには痛い程その想いが伝わっていた。

 セイナは堪らず懇願するかの如く両膝を地面につき、シュバリサの肩を掴む。


「お願い! 契約は果たすし、何処にも逃げないと約束するわ! だからレイア様と争うのだけはやめて!」

「……それは聞けない」

「どうして⁉︎ このまま王を失った帝国アロが滅びるのなら、最早戦争をする理由は失われた筈よ!」

「あの化け物が必ずこの世界に破滅を齎らすと、『悪魔デモニス』にはわかるからです! セイナ様こそ、眼を覚まして下さい!」

「……嫌よ。もう暫く優しい温もりに包まれていたいと、心が望んでしまっているもの」

 そこにはレイアの知る、飄々とした様相の道化の姿など何処にも無かった。互いに想いをぶつけ合い、なんとか相手を説得しようと感情を剥き出しにするものの、平行線の一途を辿る。


 ーーヒュッ!


 次の瞬間、セイナの視界から姿を消した道化は、眠り藥を染み込ませた白布を口元に押し当てた。


「申し訳御座いませんセイナ様。時間が無いのです」

「シュバ、リ、サぁ……」

 力なく項垂れた聖女の身体を抱き抱えると、道化は一瞬哀しげに瞳を落とす。


「世界中の全ての存在が死んでも、俺は貴女を守りたい。寧ろ貴女を苦しめる世界など、滅びてしまえばいい」

 漏れ出た本音を聞いた者は場内にはおらず、ピエロは誰にも気配を悟らせぬまま、転移魔石を発動させてセイナと共に王都シュバンを去ったのだ。


 __________


「おかえり。その様子だと無事に聖女を連れ返せた様だね」

 帝国アロの玉座には、茶色の長髪に黒い瞳をした貴族の青年が足を組み、肘をついて座っていた。玉座をただの椅子といったばかりに振る舞う姿を見て、道化は思考を切り替える。


「あらら〜? 陛下がいないからといって軽々しく一介の商人が玉座に座するとは、恐れいりますねぇ〜!」

「こんな物はただの椅子さ。少なくとも僕ら悪魔デモニスにとっての王が座るべき椅子では無いよ」

「無事に身体に精神が馴染んだ様で良かったですねぇ〜。私も協力した甲斐がありますよ」

「その点については君に感謝してるさ。『魔獣使い』のリミットスキルと、僕の固有スキル『蠱毒コドク』は非常に相性が良い」

 両手を広げて大袈裟なリアクションをとる青年は、かつて人であった頃とは違い、禍々しい瘴気を身に纏っていた。


 道化は呼応する様を肉体を漆黒に染めると、一礼した後に青年の元へ向かう。


「復活おめでとうございます〜! 流石は五大悪魔が一人、『ウェルズ』様ですね〜!」

「よせ。君と契約して力を貸している悪魔もその内の一人なのだから、いらぬ世辞は無用だよ」

 やれやれと肩を竦めながら、ウェルズは瞳を細めて道化を一瞥する。十分に時が満ちた事を確認すると、嬉しそうに笑みを浮かべつつ、口を開いた。


「さて、アグニス様の行方が分からない現状では、僕等の独断で動かざるを得ないだろう? 何から始めようか」

「ウェルズ様は計画通り、『紅姫』の相手をお願いしたいのですよ〜! こちらの情報通り、女神バケモノが動けない今が最大のチャンスですしね〜!」

「本当に君は悪運の強い男だね」

「……運なんて不確かなもの、信じていませんけどね」

 一瞬張り詰めた空気を察知すると、ウェルズは不思議に思い首を傾げた。


 目的を達成する為の『鍵』と『素材』は全て揃ったというのに、道化を模した同族からは自信や喜びを感じないからだ。


 悪魔に恐怖といった人間的感情は希薄であり、ウェルズは所詮は人族と悪魔が混じり合った半端モノかと、表情には出さずにシュバリサを見下した。


「君が何を考えているのかは知らないが、『災厄』の誕生をこの目に出来る喜びに僕は打ち震えているよ。ここまで計画を進めて躊躇するようであれば、あとは僕が引き継いであげるさ」


 ーーゾワゾワッ!!


「ーーーーなにっ⁉︎」

 圧倒的な捕食者を前に心臓を鷲掴みにされたかの如き悪寒が、ウェルズの背筋を凍らせた。先程までとは比べものにならない禍々しい瘴気を放つシュバリサを前にして、思わず生唾を飲み込む。


「口を謹んで下さいねウェルズ様〜? あまりにも下らない事を仰るから、思わず殺しちゃいそうになりましたよ〜!」

「……それが君の正体か。面白いね」

 道化は片足を上げると、玉座の間をクルクルと回りながら劇の始まりを歌った。


「さぁ、『女神を語る化け物』と『神に届き得る怪物』の戦いが始めましょう!」


 二体の悪魔が醜悪な笑みを浮かべつつ拍手を送り合う中、帝国アロの地下に眠る『災厄』は、『最後の鍵』を身の内に取り込み、今まさに目覚めようとしていたのだった。

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