第302話 諦めてしまった想いと、答えの在り処。

 

 初めて『そう』発言したのはいつの頃だったか、自問自答する。

 どうしてセイナちゃんの行動を見て、怒りや悲しいといった感情では無く、胸の内に『喪失感』が去来するのか不思議でならなかった。


『この世界は優しく無いんだから』


 何度も自分に言い聞かせた言葉。それはまるで呪いの様に、俺の手足を縛り付けて離さなかった。

 でも、その言葉に救われたのもまた事実だ。

 言い訳だと言われればそうかもしれないが、瞼を閉じて思い返して見ると分かる。


『深淵の森』に初めて転生した頃の事だ。俺は女神の身体のチートスキルに溺れていた。オークの巣を殲滅してSランク装備を手に入れた頃、自分には何でも出来ると力に酔っていた。


 それこそ異世界転生の物語の主人公さながら誰も死なさず、『英雄譚』を紡げる存在になれると確信していたんだ。


 ーーでも、アズラに負けた。


 俺は『天使召喚』したナナに助けて貰う形にはなったが、魔人とはいえ初めて出会った『人』との戦いで敗北した。

 その夜の事は今でも鮮明に覚えてる。


 近場の湖で血と土で汚れた身体を『水魔術アクア』で洗い流しながら、水面に映った自分の姿が酷く弱々しく見えた。

 続いて両掌に視線を向けて泣いた。


 ーー何て小さいんだろう、と。


 転生時に女神様と決め、十歳に設定したのは俺自身だ。でも、まさか女になるなんて思ってもいなかった。


 それと同時に女神の身体に憎しみを覚え、身の毛がよだつほどの忌避感を覚えたんだ。血が出る位に地面を叩いて叫んだ。


 ーー敗北の悔しさを。

 ーー理不尽な転生を。


 アズラと旅をする様に交渉したのはいわば保険だ。利用するだけ情報を引き出し、アズラのレベルを俺が超える為の糧にすると決めた。

 だって、良い奴だと理解した上でも自分が下になるのは我慢がならなかったのだから。


 でも、ビッポ村の『竜の宴』、即ちアリアの事件で俺の残された『誇りプライド』は粉々に砕け散った。

 途中まで思惑通りに進んでいた『計画プラン』は、アズラに涙ながらに懇願し、アリアを失った『セーブセーフ』の世界で破綻したんだ。


 今思えばナビナナだけが当時の心の拠り所だった様に思う。主人格は自我が強過ぎて信頼に置けなかったし、必死で強がり続けていた俺にとって、機械的で『正しい』解答を述べてくれる存在は頼もしかった。


 そして、『闇夜一世オワラセルセカイ』の起こした『竜喰らい』の事を知った俺は諦めたんだ。


 ーー破滅の力を持つ自分が、『誰かを救いたい』などと願う事が分不相応なのだ、と。


 それでも必死で争った。

 敵を殲滅する力を手に入れた。

 弱者を守る為に、強者を屠るのは当たり前だと思うようにした。

 血が乾くと凝固して、洗い落とすのに時間がかかるのだと知った頃には、もうこの小さな掌から零れ落ちた命が多過ぎた。


 メムルが自殺しようとしたのを止める最中に聞いた絵本の話を聞いて、俺は表面上彼女を抱き締め、慈しむように女神としての行動を見せたが、内心では『ストン』っと納得してしまっていたんだ。


 ーー俺に力が無いのでは無く、この異世界が単に高難易度ハードモードなのだ、と。


 それからは意識を切り替える様にした。俺に全ては救えない。世界がどうなろうとも知らない。分不相応な願いはしない。


「俺は自分の近くにいる、大切な人だけを守りたい」


 それの何が悪い。俺だってこの世界に転生して生きている一個人だ。肉体が女神だからって、義務なんて与えられて無い。

 女神様自身が言ってたんだ。


『幸福に包まれる事だけではありません。痛哭にその身を喘ぐ事もある筈です。ですがどうか、新しい人生を悔やまず生きてください。貴方は人の死に対して脆く、とても弱い。出来るなら持てる力で数多くの他人ではなく、自らの周りの大切な命を救えますように』


 俺は女神様の言葉に従ってるだけなんだ。だから家族を守る。関係を築いた大切な人たちだけを守る。それ以外の人間が死のうが知るか。

 俺に助けて貰えた人は、口々に『奇跡』という言葉を涙と共に漏らすが本当にそう思うよ。


 ーー死にかけた所を助けてくれる存在なんて、普通は現れない。


 なんで人は自分だけが特別だと思えるのだろう。『君は運が良かっただけで、何も特別スペシャルでは無いんだよ』っと、そっと耳元で呟いてやりたくなる。

 俺はもう諦めたんだ。全ての人を救うなんて『偽善』を自ら行う事はしない。


(なのに、それなのに、『心眼』で見る彼女の一体何処に『虚栄』や『利己心』があるんだ? 名誉? 愛情? 金銭? 命を賭けてまで何かを求める事などない)


 俺が震えている理由は分かってる。ずっと心の片隅に閉じ込めていた答えを実現する存在を見てしまったからだ。


(あぁ……もう言い訳も、逃げる事すら出来ない。体現者が現れてしまったのだから)


 喉奥が締め付けられる程に苦しい。ずっと逃げ続けてきた。泣き続けては諦めてきた。誰かを死なせてしまう度に、世界は優しくないのだと言い聞かせてきた。


 でも、目の前にいる可愛げな桃髪を血と汚物に塗れながらも、『奴隷』を助けられた事に涙している聖女を見て震えた。


 ーーあぁ、逃げ続けてきたのは俺だったんだ。


 吸血鬼の真祖センシェアルから血を分け与えられて『女神の神体』を得た頃から、ステータスを見るのが嫌になった。正直、レベルが上がっていてもどうでも良かった。

 STポイントもナビナナに適当に任せてた。


 寧ろドワーフの国の事件で全てを封印された時、内心安堵している自分が何処かにいたんだ。ーーこれで、『頑張っても良いんだ』って。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ〜〜〜〜!!!!」


 俺は泣く。外聞も恥も関係なく、地面に崩れ落ちて泣いた。寿命を削ってまで人を救おうと思い、行動に移す聖女を前にして、言い訳の余地も無かった。


 情けない。こんな姿嫁達には見せられない。もしかしたら前からずっと俺が気付いてくれるのを待っていたのかもしれないと思わせる言動の数々を思い起こすと、逃げ出したくなる気持ちで一杯になった。


『ナビナナ。俺はずっとかっこ悪かったかな?』

『念話を使うあたりまだまだだと思いますが、私はマスターの前進を祝福するだけです』

『……ただの見栄だ』

『知っておりますよ。主人格と違い、私は常にマスターのサポートをしておりますからね』

『うん。駄目な俺を支えてくれてありがとう』

『こちらこそ。互いに未熟な面を支え合っての私達です』

 この時、少しだけナビナナが機械的ではなくどこか笑ってる気がした。バージョンアップの効果は凄いね。そして、主人格がワインに溺れて最近引きこもってる事は互いにスルーする。


 俺は立ち上がると、自分の体調の方がやばい癖に心配そうな顔をしているセイナちゃんに向けて宣言した。


「俺は君も、俺の力で救える人も助ける!! これからは全力で、だ!!」

「ーーーーッ⁉︎」

 両手で口元を抑え、号泣する彼女を抱き締めた。互いの胸が潰れる様に重なり、俺は前までこの自分の身体にうんざりしていたが、もう気にしない。


 ーー今こそ『女神』になろう。沢山の人を救える存在になろう。


 そう決意した。そう決意させてくれたセイナちゃんを俺は絶対に助けてみせる。


「えいっ!!」

「ーーんむっ⁉︎」

 その直後、何を思ったのかセイナちゃんは血の滴る自ら傷付けた人差し指を、俺の口に突っ込んできた。


「レイア様も先程の戦闘で傷付いておられます。私に出来る事はこれくらいですので……」

「へ、へいなひゃん……」

 本当にいい子やでっと涙ぐんだ瞬間、ナビナナから警告は発せられた。


「マスターー!! 直ぐに口を離して下さい!! 聖女の血は今取り込むと拙いのーー」

「ーーふぇっ⁉︎」

 ナビナナの言葉途中で俺は懐かしい感覚に襲われる。吸血鬼センシェアルに血を注ぎ込まれたのと同じく、次第に意識が遠退く。


 嫌な予感しかしなかったけどね。的中はして欲しくなかったかな。

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