第297話 『聖女の証明』

 

 ーーやられた、と思った。


 俺が彼女に抱いていたイメージは、『お淑やかな温室育ちの女の子』だ。

 女神を語っていたのも、自分の寿命を削ってまで帝国アロの民を治癒し続けたのも、全ては意志の弱さから流され、都合よく操られての事だと思い込んでいた。


「治療をお願いしても宜しいですか、ーーレイア様?」

「……馬鹿がいる」

「ふふっ。初めて言われましたけど、悪くない響きですね」

 俺にとって『馬鹿』は最上級の褒め言葉だ。女神の想像を覆す者。だって、俺の嫁や仲間達がそうなのだから。


 微笑む聖女セイナを見て、自然と俺の口元は緩んでいた。


 __________


 一時間程前、俺とセイナちゃんは治療所に向けて歩いていた。正直俺の足取りは重く、『幻華水晶の仮面』を装着して、かつてシルミルで活動していた時の冒険者ユートの姿に変身している。


「ねぇ、本当に治療所に行くのか?」

「ーーはい。それよりもレイア様の神力は本当に凄いですね。さっき私と歩いていた時も、騒ぎにならなかったのはその御力ですか?」

「目立たないように『霞』ってスキルを使っただけさ。俺が街中を歩くと勝手に大行列が出来ちゃうからね、この姿は特殊なアイテムのお陰で俺の力じゃないよ」

 最近お忍びで街に行く際は、変装やスキルでの隠密行動を欠かさない。我ながら大人気過ぎて騒ぐだけならまだしも、俺の姿を見て気絶する者まで出る始末。


 その度に説教を食らう羽目になるので気をつける事にしたんだが、その噂すら広まって俺が街中にいないのに探す輩まで出てきているらしい。アイドルじゃねぇっつーの。


「きっと、レイア様の美しさを皆間近で拝見したいのですよ」

「う〜ん。俺も悪い気はしないんだけど、自分自身じゃいまいちピンとこないんだよな。嫁達の方がよっぽど綺麗だし、セイナちゃんの方が可愛いと思うぞ」

「……贅沢な悩みですね」

 何故か薄眼で睨まれてしまった。本当に心からそう思うんだけど、偶に家族からもこんな視線を受ける事がある。


 しかも嫁達が溜め息混じりの時は肩身が狭くなる気がするので、触れない様に心掛けている。


 そんなたわいのない話をしながら中央通りを歩いていると、次第に白を基調とした二階建ての木造の建物が見えてきた。治療所は何箇所かに分かれて建てられており、今日向かうのはその中でも上級治癒術師が配置されている場所、ーー即ち重傷者の多い治療所だ。


 これはセイナちゃんの希望だからという事もあるが、最初から彼女に現実を見せつける意味で俺が許可した。

 中級治癒魔術ヒールアスを習得している彼女は、『完全治癒リミットスキル』を使わなくても人の役に立てるなんて事を考えているのだろう。


 下手にそれで自信をつけて、『次へ』なんて言い出さないように釘をさすつもりだったんだ。


 __________


 俺は治療所の入り口で一瞬だけ変身を解くと、見張りの兵士の一人に『念話』で責任者へ取り次ぐ様に伝えた。ここを任されているのは、第二魔術部隊の中で特に治癒魔術の素養が大きい者だ。


『俺がここに来ている事を態度に出さない様に。これは私用だ』

 慌てて走ってきた熟練の魔術師に文を渡すと、俺とセイナちゃんは奥へと進んだ。最初に目に飛び込んできたのは比較的軽症な者達だ。


 ベッドに寝込んではいるが、骨折している者や怪我人が多く見られることから治療待ちなのだろう。セイナちゃんの様子も特に変わった所はなく、辺りを見渡しているだけだった。


「レイア様、あちらへ行きましょう」

「どうした?」

「……誰かに呼ばれる様な感覚があります」

 俺は素知らぬフリをしながらも、指差された方向を見て内心では驚いていた。前以てこの建物に入った瞬間に、ナビナナから重傷者の位置を聞いていたからだ。


(出来れば近寄らずに済ませたかったなぁ……)


 徐々に強くなってくる鼻が曲がりそうな臭いから、俺は憂鬱な気分になるが、セイナちゃんは止まらない。まるで目的地が決まっている様にずんずんと歩を進めると、あるドアの前で立ち止まった。


「ここですね」

「……」

 俺は無言のまま応えない。治療所には様々な者達が運ばれるが、その中でも特に酷いのは奴隷だ。ミリアーヌでは当たり前の様に奴隷の売買は行われており、このレグルスを訪れる商人は荷馬車の御者や護衛も兼ねて奴隷を買っている者が多い。


 冒険者ギルドに依頼を出さないのは、『安く』すむからだ。魔獣の囮にするなり、盾にするなり使い勝手が良く、重傷を負った者は平気で捨てられる。


 レグルスは俺が治める様になってから真っ先に奴隷制を廃止し、冒険者ギルドを利用する代わりに、国から護衛のクエストに掛かる経費の補助金を出して解決した。


 だが、蔓延った悪い風習はそんな簡単には拭えない。セイナちゃんが凄惨な光景を目の当たりにして気絶しないか心配していると、ソッと手を握られる。


「私は大丈夫ですよ?」

「うん。無理しない様にね」

「ふふっ、レイア様は少し過保護なところがおありですね」

「可愛い子限定だけどな」

「じゃあ、私が困った時は助けてくださいね」

 俺は一瞬彼女らしからぬ台詞だと違和感を覚えたけど、素直に頷いた。そして、ドアノブに手をかけて部屋の中に入ると、セイナちゃんの纏う空気が一変する。


 柔らかな目元はくっきりと見開き、ベッドに寝そべる奴隷達を見据えていた。

 その中でも一際目立つのは、およそ三十代後半の人族の男だ。魔獣にやられたであろう無惨な傷痕は、かつてのアリアを思い起こさせる。


 喉元を食い千切られているのか呻き声一つあげず、死を待つだけの存在に対して俺がどう動くかを逡巡している隙に、セイナちゃんは男の真横に立っていた。


(何をするつもりだ?)


「すぐに貴方を苦しみから救ってあげますね」

 腐臭にも近い臭いなど気にせず男の耳元で小さく囁くと、彼女は懐から先程俺がプレゼントした『氷眼の短剣ブルーアイズ』を取り出した。


 ーーザシュッ!!


「ファッ⁉︎」

 俺が思わず驚きに染まり固まった。セイナちゃんは在ろう事か刃渡り三十センチ程の短剣を、自分の掌へ深々と突き刺したのだ。


 しかも、痛くない訳がないのに苦痛に呻きもせず、淡々と男の口元に血を垂らしている。傷口を覗き込みながら軽く頷くと、別の怪我人や病人の元に向かい同じ事を繰り返した。


 しばらくすると満足したらしく、聖女は満面の笑みを浮かべながらこちらへ戻って来た。ちなみに俺はその間ずっと固まっていた。

 ほんと何してんのこの子。別の意味で怖いわ。


「私の血は『完全治癒』と同じ効果を持っています。暫くすれば、あの方達の傷や病は完治しますよ」

「……それで俺との約束を守ったつもり?」

「えぇ。私はスキルを使っていませんし、困った時はレイア様が助けて下さるんですよね?」


 ーーやられた。俺が放っておく訳がないのも計算に入ってるのか。


「お願い……出来ますか?」

 この状況で美女から潤んだ瞳を向けられて、断れる漢がいるもんかと思う。


「ほんっとに馬鹿だねぇ……」

 セイナちゃんは俺が思っていたよりずっとしたたかで、聖女らしからぬ良い女だった。


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