第232話 巫女は嘆き、竜姫は暴走を開始する

 

『ゼンガ王城にて』


 コヒナタは鎖で繋がれたまま、食事も摂らずに脱水症状を起こしかけていた。差し出された水や食事の一切を断り続けたのだ。

 ネイスットの存在を恐ろしいと感じているからこそ、警戒に越した事はない。

 ステータスを封じられた今だからこそ、相手の次の手を必死に頭を働かせて考える。導き出された答えは、『洗脳』だった。

(私を手に入れるとしたら、きっとワーグルに施した様に精神を操る術を使ってくる筈……)

 慎重に考えを重ねた結果、食事すら摂る事すら出来ない状態まで追い込まれていたのだ。


 ーーそんな最中、唐突に扉が開かれて諸悪の根源がまるで悪戯っ子の様に顔を覗かせた。


「まだ食事を摂って頂けないのでありますか? お姉様に死なれては困るのであります」

「何が混ざってるかわかりもしない食事など、到底食べる気になれませんよ」

「その慎重さは流石と褒めて差し上げたいのでありますが、封印された状態でそんな事を続ければ、本当に餓死するでありますよ?」

「大丈夫。その前に家族が助けに来てくれますから」

 神官に向けられた巫女の微笑みが、決して挑発でも強がりでもない事を感じさせる。何故なら瞳の色が一切死んでいないからだ。

 確信を持った言葉なのだとネイスットは多少考えを改めた。


「それでは、希望を砕く様に動くしかありませんね。誰を殺せばお姉様のその瞳は絶望に染まるのでありますか?」

「ふふっ! だから無駄だと言っているでしょう? 貴方如きに負ける程、『紅姫』のみんなは弱くないんです」

 コヒナタは些からしくない物言いをし、ネイスットの本音を聞き出そうとしたのだがーー

「やれやれであります。この方法はあまり使いたくはなかったのでありますが、仕方がありません」

 ーー神官はローブの懐から金環を取り出すと、徐々に巫女の側へと近付いた。


 サイズ的に己の頭がスッポリと入りそうなそのアイテムを見て、コヒナタは途端に青褪める。


「やめなさい! 近付かないでぇ!」

「あれ? このアイテムがどんなものかバレちゃったのでありますか? 安心して下さい、命に危険はありませんよ」

「やめっーー」

 ーーキィンッ!

 甲高い音を一瞬鳴らし、コヒナタは額にハマったアイテムは『失忘の円環』と呼ばれるSランクアイテムだった。

『隷属の首輪』の上位に位置する、奴隷へ着ける凶悪な代物。用途は『大切な存在』の記憶を忘れさせ、無用な反抗を抑える事にあった。


「…………」

「暫くは言葉すら話せない状態になるのが、このアイテムの欠陥でありますね……」

 虚ろな目をした巫女を捨て置いて、ネイスットは部屋を後にする。外では同じく虚空を見つめたワーグルが無表情のままに立っていた。


「ワーグル様、コヒナタお姉様に食事と水をお願いするのであります。自分はそろそろ『ネズミ』の駆除に取り掛かるので」

「……わかったんだな」

「それでは、朗報をお待ち下さい」

 ネイスットは笑いを堪えながら廊下を歩き出す。全ては己の計画通りに進み、一切の乱れもない。

(後は女神の始末をつければ、お姉様は永遠に自分のモノであります)


 歪んだ愛情の為に、化け物はレイアと対峙する道を選んだ。

 ーー蛇が蛙を呑み込むのと同じく容易い事だと、勘違いしたままに……


 __________


『レグルスの王都シュバンにて』


「それは本当かぇ?」

「はいっ! ガジーからの伝言であります!」

 着物を着崩して妖艶な色気を振り撒いた白髪の竜姫は、紅い鉄扇で口元を隠したままマッスルインパクトの団員デールから報告を受けていた。


 元々ミリアーヌの西、商人の国ザッファで文官を務めていた老人は、現在隠密と作戦立案の立場にいる。

 それでも嘗て女神、竜姫、魔王により放たれた『禍津火(マガツヒ)・六獄』に味合わされた恐怖は忘れられない。

 震える膝を抑え込みながら、必死で任務に準じていたのだ。


「なるほどのう……ナナが異変を伝えても我等が動けなかったのは対象が分からずにおったからじゃ。この事は他の仲間にも申し伝えたのかぇ?」

「いえ、先にディーナ様に伝えろとの命令でしたのでまだ……」

「それは僥倖じゃ。デールとか言ったな? そのままドワーフの国に戻って伝えよ。『何が起こっても取り乱すな』、と」

「は、はいっ!」

「く、くくく! 妾の主とコヒナタに封印か……最近暴れる機会が減ってたゆえに丁度いいのう……」

「あの〜! 出来るだけ穏便にとガジーが言っておりましたが……」

 愉快に嗤う竜姫を諌めようと老人は進言するのだがーー

「分かっておるわ。妾も『成長』しておるからのう」

 ーーその表情を見て、額と背筋に冷や汗が流れる。


「さぁ、嫁として他の者を出し抜く機会じゃ! 久しぶりに父上と暴れるかのう!」


 その夜、ディーナは『紅姫』のメンバーを出し抜いて一人王城から飛び去った。向かう先は薄幸の少年の元だ。

 丁度クラドはピステアに続いてシュバンにも『異世界食堂二号店』をオープンさせる為に、城下町のカナリア宿に暫くの間下宿していたのだ。


「クラド〜〜! 冒険の時間じゃあ!」

「お断りします!」

 匂いを感じ取り、宿の部屋を勢いよく開いて放った第一声を、少年は瞬時に却下した。付き合いの長さから碌な事に巻き込まれないとリミットスキル『悟り』が判断したのだ。


「連れない事を言うでないわ〜〜! 主様とコヒナタがピンチなのじゃ! これだけでお主なら大体分かるじゃろ?」

「レイアさんがその状態って事は、何かしら能力を封印する様な敵って事ですか? その情報を知ったディーナさんが他の『紅姫』メンバーを出し抜いて一人で行動を起こしたと……」

「うぬ! では行くぞ?」

 クラドはベッドに腰掛けながら、ブルブルと震えて反論を開始する。


「だから! 何で毎回僕を巻き込むんですか! もう何回言ったか分かりませんけど、僕はただの子供で、知識はあっても力は無いんですって! マーニャがこの深愛のネックレスをくれなかったら何回死んでるか分からないんですよ! この前の海底探索だって、一体何度死ぬかと思ったか……」

「コヒナタが苦しんでおるんじゃ、救いたいとは思わんのか?」

「うっ!」

 モジモジと指を絡ませながら呟かれた一言に、少年はたじろいだ。


「た、助けたいとは思いますけど……レイアさんもきっと動いてると思いますし、邪魔になるんじゃ」

「そうやって人任せにして、お主の心は痛まんのか? 食堂のオープンに尽力してくれたのは誰じゃ?」

「うぅっ!」

 竜姫の口元がニヤリと吊り上がる。レイアの側について、だんだんと交渉術を学んでいたのだ。


「安心せい! 今回クラドの役割は指揮官じゃ!」

「……指揮官?」

「前線には出なくて良い。妾はこの後竜の山に向かって父上とついて来たい竜達を連れて進軍するのじゃ!」

「それって……大惨事になるんじゃ」

「ふふっ! 主様が良くやる手じゃよ。圧倒的な戦力を見せつけて、戦わずして勝つのじゃあ!」

「おぉっ! ディーナさんがらしくない正論を言ってる!」

 クラドの瞳の輝きを竜姫は見逃さなかった。付け入るには十分な状況を作り出し、交渉に戻る。


「それでは、竜達の指揮官をやってくれるな?」

「はい! 僕で良ければお手伝いしますよ! 二人を救い出しましょう」

「うぬ! それでは竜の山に飛ぶのじゃ!」


 こうして、ディーナに騙されたクラドは背に乗り飛ぶ。だが、悟りのリミットスキルを持ってしても予測出来ていなかったのだ。

『紅姫』の中で封印されたコヒナタと出会った時にいたメンバーはアズラとディーナだけだった。

 喚きながら己の人生を諦めていたドワーフの涙が思い起こされる。

(あんな想いをまたさせたというのか……殺すだけじゃ済まさぬぞ……)


 白竜姫の心中には燃え滾るほどの怒りと、力が漲っていた。

 ここから、ドワーフの国ゼンガの歴史において、最大の事件が幕を開ける。

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