第205話 クラドの苦悩の日々 6

 

「ねぇ、将来クラドはミリアーヌとレグルスのどっちで暮らすの? 元々はミリアーヌ出身なんでしょう?」

「そうだね。僕はピステアの村で生まれて、首都カルバンで奴隷商に攫われたんだよ。ザッファに運ばれる途中で、マッスルインパクトのみんなに助けられたんだ」

「じゃあやっぱり……故郷に帰りたい?」

「いつか父さんと母さんに生きている事は伝えたいけど、それでもエルムアの里で生きようと思ってる。だって……マーニャがいるしね」

「…………ありがとう」

「それに、ここを隠れ里じゃなくてみんなの故郷になる立派な里にしたいんだ! その為なら何でも頑張るよ!」

「うふふ! それは素敵な夢ね」

「一緒に手伝ってくれるかな?」

「えぇ、私は貴方の側を離れないわ。絶対に……」

「ありがとう、マーニャ」


 ーーそれは幼い頃に誓い合った夢の記憶。僕とマーニャの大切な思い出。

 ーー今でも夢に出てくる位なのだから、幼い自分でも本当に彼女を愛していたのだと確信出来る。


 ゆっくりと瞼を開いて身体を起こすと、頬を伝う涙を服の裾で拭った。隣を見ると、同じ様にうなされながら眠るメムルさんがいる。

『お姉ちゃん』ーー確かにそう呼んではいるが、それはリミットスキル『悟り』で理解した、この人の境遇を思っての事だ。

 半身を失った女性。愛しい人を失った僕。

 寄り添い合うにはちょうど良いとレイアさんは思ったのだろうが、実際には違う。


 ーーこの関係は歪だ。


 僕はメムルお姉ちゃんを愛せないし、同じく僕も愛されはしない。ただ傷を舐め合う様に弟として振る舞い、失った姉の代わりに僕を大切にしようとする彼女を見て、偶にどうして良いか分からなくなる。


 だって、起きて互いを見つめる度に涙を流しているのだから。

 料理を作りながら働いている最中は気が紛れる。僕達は本当に楽しんでいるんだ。でもーー

『孤独な夜は無情に訪れる』

 ーー見たくない悪夢が襲う。見たい優しい夢が、無理矢理記憶を思い起こさせてしまう。


「一体どうしたら良いんだろうね。旅をしてる時はこんな事考える必要が無い程大変だったのになぁ。今思うと、あの二人と過ごした時間は楽しかったんだ……」

 窓辺から明ける夜を見つめる。今日も沢山働いて、その後レイアさんに頼まれてるウエディングケーキの練習をしなきゃ。


「今はただ頑張ろう!」

 始まる日常に頬を叩いて気合いを入れていた。まさか、唐突に非日常が訪れるとは予想すらしていなかったんだ……


 __________


『昼十四時過ぎーー異世界食堂にて』


「うんまいのう! また腕を上げたんじゃ無いかぇ?」

「はむはむっ! 私の舌を唸らせるとは……やりますねクラド君!」

「これも妾達の教育の賜物じゃあ!」

「えぇ、勿論ですディーナ様! やっぱり人材として丁度良いですね」

「…………あの〜そろそろ説明して貰って良いですか?」

 チキンカレー、角煮定食、ボロネーゼ、新しく増えたメニューのカツ丼をガツガツと食べながら懐かしい光景を見つめる。

(一体なぜこの人達がいるんだ……結婚式の準備で忙しいんじゃ無いのか?)


 ペロリと完食したディーナとコヒナタの二人は、腹を撫でながら恍惚の笑みを浮かべている。呆れるメムルを他所に、クラドはどこか嬉しそうに口元が緩めていた。

 単純に料理研究を開始した当初から、己の味を知っている二人の満足そうな笑顔が嬉しいのだ。


「それで今日は何でわざわざピステアに? レイアさんから聞きましたけど、プロポーズされて式の準備に忙しいのでは?」

「フッフッフッ! 実は妾達は暇なのじゃ!」

「えぇ、式の準備に忙しいのは国の大臣やミナリスさん達だけで、私達は特に忙しく無いんですよ。たっぷりと愛して貰いましたし、嫁達の中でアリア様が面白い事を言いだしましてね」

 その説明を聞いた途端に、クラドは反転して全力で入口の扉へダッシュする。


「逃すか!」

「ヘブッ!」

 突如両足にザッハールグ改のチェーンが巻かれ、顔から地面に叩きつけられる瞬間に両手で防いだ。身体を捻ってチェーンの回転を解き再度疾走する。逃走を開始したのだ。


「くっ! 中々やりますね。伊達に一緒に旅をした仲ではありませんか……」

「お主の鎖って、ああやって解くんじゃなぁ〜。初めて知ったのじゃ」

「あの子……『悟り』を発動させましたね。普通解けませんよ」

「なるほどのう〜! やるでは無いか」

「さて……では鬼ごっこの開始ですね」

「……見た所、再教育が必要じゃなぁ〜!」

 ドワーフの巫女は瞳を輝かせ、白竜姫は口元を吊り上げて牙を覗かせる。その様子にメムルはただ一言だけ言葉を発した。


「死なないでね。クラド……」

 己が止めてみせるなど、思考の片隅に過ぎりすらしない。ただ無事に帰って来てくれればいいと願っていた。


 __________


 ーー走る。ーー走る。路地裏の角を走り抜ける。

「はぁっ、はぁっ、はぁ、はぁぁっ、止まるな僕! 逃げ切れ僕!」

 暗示の様に乱れた吐息の中、自分を鼓舞し続けた。捕まったらアウトだ。確実に身の危険な場所へ連れて行かれる。

「はぁっ、はぁっ! 僕にはもう店があるんだ! お客様がいるんだ!」

「そんなものは知らん!」

 突如、襟首を掴まれて身体が宙に浮く。足をじたばたさせて抵抗してみせるが、無駄な程の膂力の違い。


 ーーこれしか手はない!

 帯の結び目を掴んで思い切り引っ張った。スルリと音を立てて巨大な乳房が露わになる。女性ならばこれで胸元を隠す筈だ。

「…………?」

「ーーーーッ⁉︎」

 ディーナさんは、一体どうしたのだと言わんばかりに首を傾げている。

 駄目だ……この人に羞恥心なんてものを求めちゃいけなかった。ならば……

「あっ! レイアさん!」

「えっ⁉︎ 主様⁉︎」

「このぉっ!」

 緩んだ力の直後、右手で手首を払い除けて走った。諦めるな僕。負けるな僕!


「中々良い手ですね。ですがこれで終わりです!」

「えっ?」

 四肢に鎖が絡みつく。その直後理解した。これは完全に詰みだと。

「こんな技……以前は使えなかった筈です」

「女は日々進歩するのですよ。これでまた一歩大人に近付きましたね」

「……何をさせるつもりですか」

 背後から迫るディーナさんが告げた説明を聞いた直後、ーー涙が滴り落ちた。


『アリアからの提案で、主様が一番喜ぶ物をブレゼントした者が『初夜』を過ごす事になってなぁ〜! 妾達は料理に決めたのじゃ!』


 そこまではいい。問題はその後発せられるであろう言葉だ……

「どうやらレイア様は『大トロ』? とやらの『スシ』? が食べたいらしいのです。なので海に潜りますよ」

「無理無理無理無理無理ぃぃぃぃぃっ!」

「無理じゃない! 人間諦めなければ何とかなるのです!」

「コヒナタさんはドワーフでしょうが!」

「いい台詞を言うのう、コヒナタ……」

「ディーナさんは竜でしょうが!」

 駄目だ。この人達一切成長してない……それにスシなんて以前聞いた情報的にきっと職人技だ。僕の包丁技術じゃ無理だ。


「分かりました……『スシ』以外ならお受けします!」

「えっ? 良いのかぇ?」

「ふむふむ。『スシ』以外ですと……『アレ』ですかね?」

「そうじゃのう。オークの『アレ』じゃな」

「…………まさか………」

 嫌な予感がする。いや、嫌な予感しかしない。


「Sランクダンジョンにいるという、変異種『オークエンペラー』の肉を使ったカツ丼でどうじゃ?」

「えぇ。オーク肉はランクが上がれば美味しいと聞きますしね。それ程の素材なら色々試行錯誤出来るでしょう!」

「無理無理無理無理無理ぃぃぃぃっ! いくら僕には深愛のネックレスがあるとはいえ、そんなランクのダンジョン死んじゃいますって!」

 この人達分かってない。『深愛のネックレス』は僕が危機に瀕した時にしか守ってくれないんだ。

 つまりーー生命の危機に直面してるって事だ。

 毎回毎回そんな瀕死に陥ってたまるか。


「さぁ、行きましょうか!」

「うぬ。確かここから北に飛ぶんじゃったな。妾ならひとっ飛びじゃあ!」

「助けてぇぇっ! この人達人攫いです! 助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

「「「「……………………」」」」

 みんなが何故か生温かい視線を向けてくる。そうか……そうだったね。


 この人達に立ち向かっても死ぬってみんな『ハーレンベゲン』との戦いを見て理解してるんだ……それならばーー

「逝ってきます!」

 ーー敬礼に対して、みんなは瞳を潤ませながら返礼してくれた。優しい人達だ。


 そして、満面の笑みを浮かべる『理不尽』達に僕は攫われた……


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