閑話 女神の国レグルス誕生 2

 

 王都シュバンに着いた女神と魔王は、揃って首を傾げる。いつもなら城門に向けて行商人や移民が並んでおり、兵士による検問が行われている筈なのに人っ子一人いないのだ。


「俺がいない間に、検問を無くしたのか?」

「いや、そんな報告は受けていない筈だぞ。相変わらずミナリスに内政は任せているが、あいつがこんな真似をするとは思えない」


「街に入って見ればわかるか。ナナは大丈夫だって言ってるけど、一応油断するなよ?」

「あぁ、いつでも剣を抜いて姫の前に立てる準備は出来ている」

 ゆっくりと城門に近付くと、招き入れる様に扉が開き始めた。そこには……


「うわぁぁぁぁぁぁっ! 本当に女神様だぁぁぁぁ!」

「お帰りなさいませ、魔王様ぁ!」

「は、鼻血が止まらないぃぃぃ!」

「ありがたや、有難やぁぁ!」

「うわぁ、パパ! 女神様、綺麗だねぇ? あれ? なんで鼻を抑えてるの? 痛いの?」

「バンザーイ! 女神様バンザーイ!」

「あぁ……俺、今日、死んでもいい……」

「レイアたん萌えぇぇぇ!」

「魔王様ぁ、抱いてぇ!」

「女神様ぁ、愛してるぅぅぅう!」


 直後目にした光景は、皆が二人の通り道に花を舞わせ、城へと続くアーチを作り上げる姿だった。歓声が街中に響き渡る。

「なっ? 言った通りだろ……」

「うん。流石にここまでとは予想して無かったよ……」

 二人は呆れた顔を浮かべながらも、一瞬にして『アイドルモード』へ切り替わった。そこへーー

 ーー「こちらにお乗り下さい! この役を頂く為に仕事を辞めました! くうぅぅぅ。人生最良の日だぁぁ!」


 パレード用に拵えた、魔術で光輝くお立ち台に登る。本当は断りたかったが、直前に聞いた台詞『この役を頂く為に仕事を辞めた』という四十代のおっさんの好意と、このセットを作り上げる為に頑張った職人の苦労を無駄には出来なかった。

「すまん……」

「いいよ。俺だけだったらお前をぶん殴っていたけど、二人だと思えば何とか耐えられる……」

 パレードが始まると降り注ぐ花弁、勢いを増してゆく絶叫にも似た歓声が響き渡る。二人はその賞賛と羨望の眼差しを一身に受けながら、満面の笑顔で交互に入れ替わり手を振っていた。


 直後、人混みに弾かれた幼児がパレードの進行方向に弾き出される。誰もがレイアとアズラに視線を向けて気付かない最中、視線の先に映った光景にアズラが飛び出そうとした瞬間、台座を引いていた七頭の馬達は歩みを止めた。レイアが手で制したのだ。


「うえぇぇぇぇん!」

「もう大丈夫だから、泣かないの……ほら、高い高ーい!」

「きゃっ、きゃっ! もっとぉ〜!」

「おっ? 楽しいのかい? 両親はどこかなぁ?」

 皆の眼前には女神が幼児を抱き抱え、高い高いをする姿があった。何が起こったのかと民衆が注目を集める中、飛び出して来たのは獣人の女性だ。


「あぁ! 女神様のお手を煩わせてしまい、大変申し訳ございません。この子ったら、いつの間にか居なくなって探していたのです! ありがとうございます!」

 その母親の台詞を聞いた瞬間に怒声を上げた。

「俺の事より、まず子供の心配をしろ! 跳ねられてたら死んでたんだぞ! 親なら自分の宝である子供を一番に思え!」

「はいぃ! 申し訳ありませんでした!」

「あうぅぅ!」


 崩れ落ちて号泣する母を庇おうと、幼児は両手を広げてレイアの前に立ちはだかる。

「そうか、お母さんを守ろうとするんだな。きっと君は強い子になる。もうお母さんを困らせるんじゃないぞ?」

「あうぅ? いじめない?」

「虐めないさ」

「ありがとうございます……ありがとうございます……」

 母親の首に両手を巻きつけて、抱き着く幼児を見ていると、自然に微笑みを浮かべた。パレードの周囲にいた民衆は押し黙り、その光景に唖然としている。


「あれ? そういやなんか静かだな。どうしたアズラ? ん? お前泣いてんのか」

「ははっ! いや、姫が信仰される意味が久しぶりに実感出来たよ……見てみろ、民衆の姿を」

 アーチを囲む様に花弁を撒きながら騒然としていた姿は無く、皆が膝をつき、胸の前で両手を組み交わしながら祈りを捧げている。


「女神様……」

「あぁ。信じていたさ……でも、でも……」

「いたんだなぁ。神様っていたんだなぁ……」

「俺、みんなが言うから入ったんだよ真女神教。だけどさ、すげぇなぁ……」

「息子にも見せてやりたかったなぁ……生きてりゃ、こんな奇跡も起こるんだってさ……」

「見えない神様じゃないんだよなぁ……目の前でこんな光景を見せられたら、信じるしかないよなぁ」

「うぅぅぅぅ……女神様ぁ」

 シュバンの民は感じていた。神に祈りを捧げるのは簡単な事だ。しかし、誰もが己の不幸の際に思わずにはいられない事が一つだけある。


『なぜ、神様はこれだけ祈っても、我々を助けてくれないのだ』

 世界は優しくない。だからこそ人々は救いを求めようと、神に縋ろうとする。しかし、それに神が応えてくれた事例は少ない。

『神は存在する』

 だが気まぐれなのだ。その奇跡を目に出来る機会なぞ、それこそ無いに等しい。


 しかし今、眼前には死の危機を救われた幼児と、慈愛に満ちた女神の救いが繰り広げられた。自分達が信仰しているのは、決して虚像や幻では無いのだと証明された瞬間がそこにはあったのだ。

 涙が溢れる。頬を伝い、喉元まで滴り落ちる程の勢いを以って、嗚咽を吐くものまでいた。己の身内を失った者達は悔恨に顔を歪ませる。


 レイアはその民衆の想いを一身に受けて悲痛な想いが伝わると、涙を流しながら溜息を吐く。

「しょうがないかな」

『女神の翼』『女神の天倫』を発動させると、頭上に聖なる輪を浮かばせ、翼をはためかせながら空中に飛んだ。そのまま『念話』を発動させ、民衆に語り掛ける。


「私がこのレグルスを治める限り、誰一人として死なせないと約束しましょう。貴方達は、この言葉を信じられますか? 信じぬならば私を見ていなさい。きっと約束を違えぬと此処に誓います!」


 女神の降臨と共に宣言された台詞、まさに神託だ。その光景を目の当たりにした者のみならず、シュバン中に伝えられた想いは、暖かな温もりに溢れていた。

 全ての者がまるで赤子の頃、親に抱きしめられている様な安堵に包まれ、アズラはその姿に確信する。己以上の信奉を受ける主人こそが、このレグルスの王に相応しい。


『あれは、確かに王の資質を持っているね。悪いが君以上だよ』

「分かってるさ。あんな性格だからこそ、俺はレイアを『姫』と呼ぶのだ。これからは『女王』になるかな」

『あぁ。僕達の目標は遥か彼方、遠い先にいるよ。君は僕について来られるのかい?』

「分かりきった答えを聞くなよ。麒麟様こそ、力不足だと感じたら契約解除すっからな」


『以前の僕なら一笑にふしていたけれども……相手があれじゃ、ーー笑えないね』

「分かってくれればいいさ。あれが我が敬愛する主人、紅姫レイアの姿だ!」

 平伏す民衆を一人一人立たせる女神の姿に、アズラは感涙して、祈りと誓いを捧げていた。


 一方、レイアは……

「あぁ〜もう、みんな立ってよ! 俺は跪かれたりするのは、好きじゃ無いんだってばぁ!」

 孤軍奮闘する姿を見て、アズラは思った。それは逆効果だとーー


「あぁ〜女神様に触って貰えた! 俺はこの腕を一生洗わないぞっ!」

「きゃあぁぁぁっ! 女神様と目が合ったわ!」

「ありがたや、あんがたやあぁっ!」

「俺なんか手を握って立たせて貰ったもんね! な、舐めてもいいかな……」


 女神が人々を立たせようとする度に、『絶対に立つもんか』と民衆は想いを一つにしてーー

『触って貰うんだ。あわよくば、触るんだ』

 ーー狡猾に、強かにアイコンタクトのみで協定を結んでいたのだ。


 シュバンの民は、アズラやレイアが思っている以上に逞しかった……

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