36匹目 【勇者編】剛突の触手
ブジャアアアッ!
ピギャアアアァッ!
「え……」
それは一瞬の出来事で、何が起きたのか分からなかった。
黒い触手。
突如シュードキベレ将軍の死体から槍のように飛び出したそれは、傍に立っていた魔術師ミアの体を貫いた。
先端が針のように尖っており、数本の触手がミアの腹、心臓、喉のそれぞれに穴を空ける。
「ミ……ミア?」
「……」
ミアは何も答えない。
ただ、傷から噴出した血液が彼女の外套を染める。雨によってその赤はすぐに広がっていった。
ピギャアアアアッ!
――ドサッ!
触手が将軍の体へ引っ込むと同時に、ミアの体は力なくうつ伏せになる。血液が止め処なく溢れ出し、彼女が再び動き出す気配はない。
「お、おい! ミア!」
俺は彼女の体を持ち上げ、すぐに将軍の死体から離れた。泥と血で汚れたミアの顔は青白くなっている。脈は完全に消失し、彼女が息絶えたことを示していた。
大動脈を破壊されたことによる出血死。何本もの触手が同時にミアの体を攻撃し、体に穴を空けた。さらにこの雨で流血スピードも速まったのだろう。
すぐに俺はミアへ回復魔法を使った。助からないことを知りながら――。
「ミア! おい! ミア!」
何度も呼びかけた。もちろん反応はない。
俺だけの回復魔法では彼女が助からないことは分かり切っていた。他に大勢の優秀な治療術者がいれば助かったかもしれない。しかし、ここは魔族野営地の中心で、俺とミアのたった二人だけ。
「うぅ……うっ……ミア。答えてくれよ」
「……」
俺の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたと思う。その涙さえも雨によって奪い流され消えていく。
「おい、ミア!」
「……」
「何か言ってくれよ! ミアアアアアッ!」
ピギャアアアアアッ!
将軍の体から聞こえるモンスターの鳴き声。ミアの代わりに返事をしたつもりなのだろうか。
まさか……将軍は体内にモンスターを飼っていたのか?
俺たちは将軍を倒した直後で完全に油断していた。それでも死体からモンスターが攻撃してくるなど、誰も考え付かないだろう。そもそも『魔族の体にモンスターが寄生していた』などという話は聞いたことがない。
「まさか……」
一瞬、俺の脳裏に『モンスター・デベロッパー』という言葉が浮かぶ。
カジという人物ならこうしたモンスターを作り出すことが可能だ。そして噂どおりサイコパスな男なら、仲間の体にこうしたモンスターを住まわせることも考え付くかもしれない。
「お前もそうなのか? あのカジとかっていうヤツに作られたのか!?」
俺は鞘からエクスカリバーを抜き、将軍の死体へと歩み寄る。
ピギィィイ!
俺の殺気を察知したのか、将軍の毛皮を突き破って触手の本体が飛び出した。
黒いテンタクル。全身を昆虫の甲殻で覆ったような光沢を持つ個体。
そいつは俺の姿を捉えると、森の奥に向かって逃げ出した。
「おいっ! 待てよ!」
俺はヤツを追いかけた。ヤツの息の根を止めるため。カジという人物がどこまで危険なのか帝国政府に知らせる証拠にするため。ミアの敵を討つため。
黒いテンタクルは先端が堅い触手を器用に使い、整備されていない林道を走っていく。その走り方はテンタクルというよりも、クモに近い。木の根を飛び越え、藪を抜け、森の奥へ。
そして――
ピギィィイイイイ!
そいつの目の前にグリーン・テンタクルの大群が現れる。彼らは黒い個体の叫び声を聞くと、集団で俺に触手を伸ばしてきた。辺り一帯の地面を覆うほどの数が、一気に俺へと押し寄せる。
「くそぉ! 何だよ、お前ら! 邪魔だよ!」
グリーン・テンタクルの集団防衛本能――仲間が攻撃されると、周囲の仲間も協力して敵を追い払おうとする本能だ。
おそらく叫び声を聞いた彼らは仲間が襲われていると認識し、俺を駆逐するために攻撃を開始したのだろう。あの黒いテンタクルの合成素材にはグリーン・テンタクルが使用されており、それが野生の個体にも共鳴した――という可能性が高い。
俺はグリーン・テンタクルどもを切り裂いた。触手がビチビチと動き、俺の体が粘液でベチャベチャになる。圧倒的な力で攻撃しても、知能が低い彼らは死を恐れずに次々と触手を振った。
「ハァッ……ハァッ!」
俺に襲いかかってくるテンタクルを全滅させたとき、すでに黒い個体はどこかへ逃げてしまっていた。目の前にあるのは、原種テンタクルの死体だけだ。
「くそぉっ! ちくしょおおおおおおおおっ!」
俺の叫び声が森林に響き渡る。
まただ!
また訳の分からないモンスターに仲間を……!
きっと、またカジというヤツに作られたモンスターなのだろう。
どこまでも俺たちを振り回しやがって!
お前はどれだけ仲間の命を奪えば気が済むんだ!?
このとき、俺の怒りを象徴するかのように、雷鳴が森林に響いていた。
カジ・グレイハーベスト!
お前は……!
絶対に……!
――この俺が殺してやる!
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