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「このメモを本多さんが見てしまうことはないと思いたい。だから書けます。見ないと思うから書けるのですが見てほしいと思っているずるい自分もいて。私にはこんなやり方しかできなくて。もしこれを読まれていると言うことは、もう私が本多さんに会うことはないのだと思います。
いま本多さんは私のベッドで眠っています。寝苦しそうに寝返りを何度もうっているのは深酔いのためだけではないんだと思います。
止まっていた時間を過ごしてきた私達にとって本多さんは一陣の風で。
東京に戻ってからの数日間。小倉の食べ歩き。私にとっては憧れがほんの少しかなった時間で。
あのまま終わらない夢でも良かった。
でも本多さんは前に進もうとしていました。
心の苦しみからも立ち直ろうとして。
そんな人を前にして自分勝手な甘えに生きることは正しくありません。
本多さんの心を何度となく痛めつけてこんなにボロボロになるまで苦しめるもの。それがどうしても許せない。
自分が人を殺してやりたいと思うほど憎むことがあるとは。感情だけは強いというのに向ける対象が誰なのかまだはっきりしていないと思いますが。衝動で行動するような人間でもなかったはずだと自分では思うのですが。
母も父も白琴会の前に敗れましたが次につなげてくれました。
私も同じことが出来るか分かりませんがやってみます。道を開くだけでも。
本多さん。
止まった時間の中で真緒ちゃんと同じ記憶と想いを共有しているうちに私も同じ想いを抱いていました。過去の拠り所にいつまでもすがってしまう後ろ向きな慕情。
でも私は自分の見た目のことぐらい分かっています。
私のような女は。静かに見守っていてひょっとしたらいつか自分のほうを振り向いてくれる奇跡があるかもしれないと。そんな淡い夢を見て待つことぐらいで丁度いいんですよ。私より真緒ちゃんがまず幸せになるべきで。
本多さん。
花言葉のことを質問してきたことがありましたね。きっと本多さんのことですからそれっきりまだ調べてないですよね。
パンジーの花言葉。
ちゃんと調べてくださいね。きっとですよ。これが、臆病な私に出来る精一杯です」
真人は虚ろにしおりを見た。息が苦しかった。
「しおり。花言葉って、詳しいか?」
「…ど、どうしたの。真っ白な顔」
「いいから」
「詳しくはないけど。少しは…」
真人はテーブルの上のフラワーポットを指した。
「そのパンジーは?」
「パンジー? パンジーの花言葉って言ったら…」
その答えを聞いたとき。
真人の手からスマホが落ちた。
情動の波が頬の筋肉を押し上げた。
決壊は突然に訪れて。しおりの眼があることも最早気にならず、両手で顔を押さえた。
「ウ、ゥアアアァァーッッ!!」
「ま、真人ッ!?」
「ご、ごめんッッ! 佳澄ぃッ、ゴメンよおォ! 分かってたんだ俺は、知ってたんだ!!」
両手を熱く濡らすものに気付いて、はっとして手の平を見ると、視界が歪んでいた。
幾筋も、留まることなく、頬を流れていく。
真人は笑い出した。
「ハ…ハハ、ハハハッ! やった、やった佳澄! 俺は、泣いてる! 涙が、戻ってきた…」
ぐにゃぐにゃの天井を見上げて、ひとしきり笑って、大きく息を吐き出して、最後につぶやいた。
「ありがとう、佳澄…」
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