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佳澄がノートに書き足した。
「『その5.仙開さんについて』としておきます。特に引っかかるのはアカリパウダーのことですね」
「そう。市販されているアカリパウダーは特におかしなこともなさそうなものだった。沢蟹の粉だよな。でも、どうもおかしい」
「あの養殖場…」
佳澄が言った。
「…あの施設で養殖される沢蟹だけでは、いま市販している大量のアカリパウダーの原料を生むには、あまりに貧弱なように思えます」
「そうなんだよ。アカリパウダーが仙開拡大の鍵だったにしては。でも、アカリパウダーは現実に大量に出荷されている。工場で添加されている原材料のほうが多いんだろうか」
「そこに何かありそうですね。もしアカリパウダーが麻薬のようなものだとしたら、沢蟹の粉末だけなんかじゃないはずですから。もっと違う成分が入っていて、それがいつの間にか人に影響を与えている…」
「あの青い連中がそれで生み出されている、って君は考えているんだろう? トンデモ話だけど、実際にあいつらを見ているとな…。でもさ、そうすると…恐ろしいことにならないか?」
「どういうことですか?」
「アカリパウダーは、通販で全国に出ているんだろう? 出荷量だって相当なもので。それが人間を変えていくようなものなんだとしたら、日本はあいつらだらけなんじゃないのか? 仙開がアカリパウダーを本格的に売り始めてからどのぐらい?」
「黒澤さんが来てからだとしても、もう十年以上のはずですよね」
「でも日本が白琴会に支配されるようなことにはなっていない」
「そこですね…。お母さんの資料を調べ直したところでは、コールセンターが何か噛んでいるようなんです。美奈子さんが呼び戻されたことも関係があるんじゃないでしょうか」
「コールセンターか…。アカリパウダーの通販をしているんだよな。やっぱりそこを調べてみないことには、これ以上進まないか…」
「美奈子さんが行ったという北九州のコールセンターですね…。行ってみるべきでしょうか」
佳澄が不安げな顔で訊ねる。
「ううむ…。いまの白琴会と仙開の上層部は、黒澤さんの工作でたぶん混乱しているだろうが…。末端のほうの組織がどうなっているかは、分からないんだよな…。それに、阿賀流の本社での雰囲気からすると、そうそう外部の人間が簡単に出入りできるような感じではなかった」
「危険でしょうかね」
「黒澤さんは、しばらく潜伏するように言っていた。コールセンターは理沙子社長と兄様の領域だしな…。何か接触をすれば、きっと向こうの動きにも影響が出るだろう」
答えの見付からない問いを真人は言葉にし続けた。堂々巡りかもしれないが、言葉に出していれば、佳澄の知恵も加えて少しは道が見えてくるかもしれない。
「真緒は、お母さんや黒澤さんの言いつけを守らない形で行動した結果、ああいうことになってしまいましたが、どうしますか?」
「…気持ちの整理はともかくとして、結果だけみたら、あの真緒の行動のおかげで阿賀流に大きな動きが起きているとも言えるんだ」
「リスクはあって、リスクを踏まないと新しい行動は出来ないですもんね」
「こりゃあ、経営者の判断と同じだな。そんなガラじゃないんだけど」
「そうでしょうか? 私は、本多さんが社長ならその判断にはついていきますよ」
「そりゃあ、買いかぶりだよ…」
真人は物憂いた目で佳澄を見つめた。
佳澄は何も言わず、真人が次に口を開くのを待っているようだ。
「…分かったよ。このまま潜伏するだけなんて、納得出来るような自分じゃないしな」
真人は、自分に言い聞かせるためにそう声に出して、ふっと勢い良く息を吐いた。
「君と話してきて、少しは考えが整理できたようにも思う。でも色々とまだすっきりしないことも出てきた」
「そうですね。疑問が解消されると次の疑問がすぐ浮かんできます」
「疑惑の雲があるんだ。どうも色々なことがひっかかる。とはいえ、これ以上は頭でウジウジ考えていても、腐っていくだけだ。行動あるのみでもあるだろうさ。信じがたいことだけど、仮にあの装置が量子テレポーテーションとやらの仕掛けだとして。それから、アカリパウダーに何か陰謀めいた秘密があるんだとして。そういうでかい問題もあるけど、でも、根本的にはそこじゃないんだよ。真緒の魂のようなものが、どこかここではない時空に彷徨ってしまっているというなら、助けたいじゃないか。行動しなければ、何も前には進まない」
佳澄が深くうなずいて、微笑した。
「本多さんらしい結論で、安心しました。では、何をするべきなのか。まとめておきましょうか」
「うん。頼む」
「まず、兄様の学生時代を調べてみることが一つ。これは東京ですし、阿賀流と接点があるとは思えませんから、それほど危険はないように思います」
「これは、明日にだって出来ることだ。よし」
「もう一つは、美奈子さんの北九州ですね。仙境開発の北九州コールセンターを追ってみることが一つ」
「そっちは、ちょっとやり方を考えないとな…。どうやって探るか。北九州なんて土地勘もないし、工夫が必要だろうけど。でも、行ってみることには変わりないだろうなあ。東京で考えてたって分かんないさ。阿賀流に戻るわけではないんだし」
「はい。ちょっと、手を考えましょう…。いずれにしても、いまからやっていかないといけないことは、この二つではないでしょうか」
「良く分かった。ありがとう。うん、なんか阿賀流から戻ってからのモヤモヤが、だいぶ消えたよ。わけのわからないことはたくさんあると言っても、今からやるべきことははっきりした。遠回りかもしれないけど、一つ一つが、真緒を追うことにつながっているんだ。よし、やったろうじゃないか」
「本多さん、元気になってきましたね。よかったです」
佳澄が不揃いの歯を見せて笑った。本当に、うれしそうに。
もう真人は、佳澄の顔を見ても不快感を感じることはなかった。佳澄の存在は真人を勇気づけ、安心させてくれるものになっていた。
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