特に意識合わせも何もしていなかったが、仙境開発の敷地に戻ってからは、真人も佳澄も喋らなかった。

不愉快だったわけでも険悪だったわけでもない。静かに二人の感情は共有されていた。喋り出すと、ここまでうまくつないできた緊張の糸が切れてしまいそうに思えたのだ。


仙境開発の通用口まで来ると、真人はアコーディオンゲートの前で一時停止した。ゲートは人が歩ける幅だけが開いている。

申し合わせもしていないが、佳澄が助手席からすぐに出て、ゲートを押して車一台分まで開けた。


そうしてまた車に戻った佳澄を乗せて、仙境開発から車は外に出た。

路肩には、よこまちストアの裏からここまで運んでくれた例のポンコツが停まったままになっていた。

それを横目に見送ると、あれがたった数時間前のことだったかと去来する想いもあったが、先に進むこと、一刻も早く阿賀流から遠くに離れること、それこそが今は重要なのだと、真人は前を見続けた。


阿賀流を出ると、行きはちんたらとバスでやってきた道のりを、グングン飛ばして滑るように降りて行った。

黒澤の車での運転は、例のポンコツはもちろん、レンタカーのツーリングワゴンとも比べ物にならないほど静かで、大柄な車体とあいまって快適なものだった。


やがて、行きはバスに乗った乗換駅の近くをバイパスで走り抜け、さらに新幹線を降りた町に入ると高速道に乗り、一路、東京を目指した。


そこまで、二時間足らず。

二人は引き続き、喋らなかった。


高速に乗ってから最初のサービスエリアが近付いてくると、阿吽の呼吸で真人と佳澄は顔を見合わせた。

真人はうなずき、高原地帯にあるサービスエリアに車を入れる。


車を停めて、近くのスペースに降りて大きく背伸びをした。

「ふう…」

車外の冷たい空気を吸って身体を伸ばすと、やっと、阿賀流からの距離を実感した。

佳澄も真人の近くで大きく体を伸ばしている。


自然に、口が開かれる。

「阿賀流から、だいぶ離れたな。これでひとまず安全だろうか」

「そうですね。…私、阿賀流からこんなに遠くに出たのは初めてです」

そう言って佳澄は、サービスエリアの外側、山々の景色を遠く眺めた。

大雑把にはそちらのほうが阿賀流の方角だろう。


真人ははっとして佳澄の表情を探った。真人にとっては慣れ親しんだ東京への帰郷だが、佳澄は生まれ育った故郷を、親も親友も失ったまま、着の身着のまま追い出されたのだ。戸惑いは真人の比ではないだろう。


「東京まであと数時間だ。身体はどうだい? 疲れてない?」

問いかけてから愚問だとすぐに気付いて自ら苦笑した。

「いや、疲れてないわけがないよな」


「いいんですよ。本多さん。私だけじゃなくて、本多さんだって疲れてるんです。今は気になりません。東京に着いて落ち着けたら、爆睡するかもしれませんけどね」

「はは…それは、俺もやりそうだ」

「それと。本多さん、気を付けてください。私達、ひどい有様ですから。東京に着いて真っ先にするのは服を買うことでしょうね」


「?」

言われて真人は自分の格好を見直した。昨日から同じ服を着通している。季節柄、汗こそ少ないだろうが、火事の煙にまみれ、便槽をくぐり、鍾乳洞の水に濡れてここまでやってきている。改めて見れば薄汚れているし、自分では慣れてしまって分からないが、臭いもすることだろう。こういうことに気付くのは、やはり佳澄の女性らしさゆえか。


そうは言っても背に腹は代えられない。二人とも、空腹と喉の渇きはひどいものだった。

サービスエリアの建物に入り、ペットボトル飲料と、フランクフルトにご当地焼きそばと、ちょっとしたジャンクフードを購入した。

ふと、よこまちストアで寛子とやり取りした買い物バトルを思い出し、真人は切なく思った。あれから何日も経っていないとは。


建物から出ようとすると、公衆電話を見かけた佳澄が、指さしながら真人を呼んだ。

「そういえば本多さん。そろそろ黒澤さんに連絡しておいたほうがいいと思いますよ。きっと騒ぎになっているはずですから」

「そうか。黒澤さんには嘘をついてたしな。混乱しているかもしれない。まあ、何も公衆電話から架けなくても、スマホでいいだろ」

「今はそうですね。でもスマホは位置情報とか基地局で居場所が分かりますから、そのうち、手放したほうがいいかもしれません」

「よし、じゃあ、このスマホから最後の発信かもしれないが、ちょっと架けてくる。先に車戻って、なんか食ってなよ」


佳澄にキーを渡して行かせると、真人は建物から出て、人気がないスペースまで小走りに移動してから、黒澤に発信した。


黒澤はすぐに出た。

幸い、第一声から上機嫌な声だった。

「よお。俺に内緒で何かやらかしたな?」

「はあ、まあ…。連絡遅くなってすみません」


「だいたい、何があったか見当は付いている。真緒を取り返しに行って、そこで連中とひと悶着あったんだろう? 俺に隠して行動するとは、困ったもんだな」

「すみません。反対されると思い、行き当たりばったりに行動してしてしまって。おかげで、ひどい目に遭った」

「それは自業自得だろう。まあ、結果としては俺の望んだ以上のことが起きているようだから、これ以上どうこう言うつもりはない。それで、真緒は見付かったのか?」


「いや…うまくいかなかった」

真人はぼやかして答えた。

だいたい、自分達でも何が起きたのか整理がついていないものを、電話越しで黒澤にきちんと説明できるとは思えない。


「そうか…。しかし、どうやったのかは知らないが、清水をどうにかしたのか? 朝から行方不明らしくてな、社長が青ざめている」

「清水…兄様か。兄様は…おそらく死んだと思いますよ。トチ狂って地底湖に落ちたんで、確かめたわけじゃないが、いくら超人だろうとあれで生きていられるとは思えない」


受話口から聞こえてくる黒澤の声が、急に上機嫌なものに変わった。

「ほう!それは朗報じゃないか! いいニュースだ。終わり良ければすべて良しだよ。それを知ることが出来れば、次の一手はいくらでも考えられる。清水がいなければ、社長を追い落とすこともそう難しくない」


陽気になった黒澤の様子に、真人は安堵した。まさに、終わり良ければすべて良し。黒澤の機嫌が良くなり、真人達の独断がお咎めなしになれるのは願ったりだ。今のところ、黒澤が阿賀流との接点として唯一残ることになるのだから。


「俺達は…ひとまず言われた通り、東京に向かっている。しかし真緒は行方不明のまま…」

そう真人が伝えると、黒澤が声を潜めた。

「そうか。君達が逃げてくれたのはいい知らせだが、こっちは悪い知らせもある。よこまちストアの件に本署の応援が来たが、清水君と渡辺君はダメだったそうだ。まだ、君の胸にしまっておいたほうがいいだろうがね」


真人はぐっと一度唾を呑んでから黒澤に頷いた。

「…分かった。佳澄ちゃんには、落ち着いたころに話す。今はきついと思うから」

「任せる。焼死だそうだが、果たして本当に火事による焼死なのかどうかは怪しいと俺は思うがね」


真人はため息をついた。

阿賀流に来てからの頼りだった寛子と、黒澤の指示とはいえ支えになろうとしてくれた渡辺駐在。

数日間とは思えない密度での交流だった二人の末路には、現実感がなく、悲しみよりも虚脱感のほうが大きかった。


「とにかく阿賀流に関しては、俺のほうで後始末として出来ることを全力でやっておく。伊藤君の捜索も続ける。君達はそのまま、ほとぼりが冷めるまで逃げて潜伏しろ。この先も何らかの方法で連絡は取り合おう。だが、今は逃げろ。携帯電話も、プリペイドに変えたほうがいいだろうな」


「ああ…。そうするよ。でも、阿賀流にそのままにしてきたものも色々あるんで、面倒かけると思いますがね」

「心配ない。よこまちストアに置いたままだった君のレンタカーも処理しておく。俺はいま気分がいいんだ。万事、俺の期待以上に進んでいるからな。君達は俺の虎の子だ。逃げてくれていればいい。逃げ続けていれば、いつか挽回の機会はある」

「…ありがとうございます」


その後も二言三言、会話を交わし、真人は電話を切った。


寛子のことを伏せながら、黒澤との会話の内容をどう佳澄に伝えるか考えながら仰ぎ見ると、灰色の曇り空が重く幾層にも折り重なっていて、今にも雨になりそうな空模様だった。


真人はまた、ため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る