それは真人を非難してきた口調とは相いれないもので、阿賀流に戻ってきてから見慣れていた真緒らしさを思わせるものだった。


その一瞬。


ブルッ。

ジーンズのポケットに押し込んであったスマホが震えた。


まさに電気信号の流れるほんの一瞬で、真人は何かを感じ取った。

ピリピリしたものとしか言いようがない、この瞬間に起きるとしか言いようがない、決定的な確信。

外部から訪れてきたといってもいい直感。


「いいかげんにしてください、じれったいですね! 兄様、向こうから手伝ってください」

真緒が荒い声で言い、手を伸ばして真人の腕をつかんだ。力強く、しかし痛みを感じるほどの強さでもなく。


真人は靴下を下ろそうと屈んでいた姿勢のまま、真緒に軽く引っ張られた。つんのめるように前に傾く。

その間に、兄様が真人の後ろにすっと移動した。後ろから真人をどうにかしようというのか。


気になって兄様の動きをつい目で追った真人は、兄様の後ろの死角にすっと佳澄が入ったことに気付いた。


真緒、真人、兄様、佳澄の順に、四人が一列になった。

真緒と真人は棺桶の中で向き合っていて、真人の背に兄様。兄様の背には佳澄。


ぐっと真人の手を引っ張り自分のほうに手繰り寄せた真緒が、真人の両手をさらに強く引いて、すぐに手を離した。ふらついた真人が棺桶から外によろめき出すには十分な勢いで。


「お…わっ…!」

真人はバランスを崩してつんのめる。


その刹那、真人の視線を真緒の横顔が通り過ぎていく。それは怒りや苛立ちの表情ではなく、真人に好意を感じさせていたあの頃の表情で。

頬には細く涙が流れていた。


涙?


疑問を感じた真人だったが、真緒の傍らの空中を泳ぐようにして前に転げた。

どうせ後ろから兄様の手が超人的な速さで伸びて、倒れかけている真人を無理やり元に戻すだろうと、ぼんやりそんなことを思いながらも、思わず受け身をとろうとした。

案の定、棺桶のふちに膝をひっかけて、ほとんど水平近くまで倒れかけた真人に、兄様が身を屈めて手を伸ばしてくる。


そのとき、忘れられたようになっていた存在だった佳澄が、獣のように身を丸めて突進し、兄様の両足に飛びつきすくい上げた。


「…ぉ、おっ!?」

兄様が驚きの声を上げた。


皮肉なことだった。

超人的な速度と力で真人を引き戻すべく身を傾けた兄様の運動に、佳澄はおそらくほんのわずかな力を加えるだけでよかったのだ。支持面になっている兄様の両足を宙に浮かせる、わずかな力と勢いだけで。


兄様は、自分自身の力と速度で勝手に飛び出した。

空中遊泳で棺桶から転げ出る真人と入れ替わるように、倒れこんでくる。


「真緒…佳澄っ!?」

兄様が困惑した声を上げたのを、よろめきふらついて倒れゆく真人は見送った。


真緒が、棺桶の外側―プレートが付いているとおぼしき辺りに腕を伸ばしているところまでが、倒れゆく真人には見えた。


後になって振り返れば、真緒と佳澄はただの別人ではなく、あるいは双子以上といってもいいほどにお互いを理解していたのだろう。


人格は先天的に形成されるのか、それとも後天的に形成されるのか。その両方なのか。どの程度のウェイトなのか。

論争が絶えない命題であろうが、少なくとも真緒の後天的な人格の大部分は、本人の記憶が欠落するたびに佳澄が再教育した結果によるものであった。

その二人だったからこそ、阿吽の情報伝達が行われて、兄様の超人的な反応速度さえ出し抜くことが出来たのだろう。

究極の情報伝達速度を実現するあの実験が、そんな二人の絆に勝てなかったとは、それこそ運命の皮肉としか言いようがない。


真緒がプレートに触れてから次に起きたことは、まさに一瞬のことだった。

地面に倒れつつあった真人はすべてを見ることは出来なかった。


佳澄から聞いたところでは、決して映画の転送装置や合体装置のような派手な仕掛けも煙もなく。

ただ眼が眩む真っ白な光だけが棺桶から飛び出し、鍾乳洞を真昼の世界にした。


一秒も経ってないうちに光が消えると、真緒はいなくなっていた。

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