「兄様!」

たちまちのうちに真人は臨戦態勢に入った。

兄様の目が青く輝いていることを見て取るや、撃ったこともないずっしりした拳銃を思わず取り出した。

ただし、持った時の重さだけで自ら驚いてしまい、構えられるような状態にはならなかった。


慌てる真人を見てか、兄様は腕組みをしたまま悠然としていた。

「真人に、佳澄。よく俺達から逃げられたものだな。あの店にしても夜だというのにどうやって逃げたのか。たかが駐在の入れ知恵ではないんだろう? どうせ黒澤辺りか」


真人は答えなかった。状況を把握することに脳のすべての力を割り当てる必要がある。

後ろのほう、少しだけ真人から離れた場所に佳澄の気配がある。兄様と真緒の存在は真人の言動を通じて佳澄にも伝わっている。


「同志を集めてここでいざ儀式、とやってもよかったんだが。よこまちストアは意外と手こずったらしいな。さすがに本署が来ると後始末に時間がかかる。向こうは周りと社長にあたってもらって、俺はこっちでお前の相手をして儀式の執行という分担だ」


兄様の瞳は輝いている。日光の届かないこの暗がりでは、例の力を発揮できるだろう。使ったこともない拳銃が役に立つとも思えない状況だ。


白琴会の人間にバッタリは予想していたことではあるが、まさか兄様本人が地底に来ているとは計算違いだった。おまけに、同じ場所には眠る真緒。


真緒が目を覚ましてくれれば、また変化が生じるかもしれないが、今は真人に出来ることは何もない。

唯一の手は、時間を引き延ばすことだけだ。


「どうした? その大砲で俺と勝負するか? 俺はどこかの大佐と違って三分も待たないが」

「くそっ。話しぐらいさせてくれよ。よこまちストアはどうなった?」

「あっちは他に任せている。さっき報告を聞いたところだと、全焼だそうだ。俺達に公然と反抗するからそうなる。俺達が阿賀流なんだ。俺達と同じ道を選ばずにどうするつもりだったのか。理解に苦しむ」

「全焼…? おばさん達をどうしたっ?」


兄様の唇が少し笑った。

「身内の恥は始末した。…佳澄。お前は賢いだろうな? 賢くないなら次はお前の番だぞ」


声はしないが後ろで佳澄が息を呑んだのが分かる。

真人は兄様を睨んだ。

「身内を…家族だろ? 狂ったか」


「狂ってないぜ俺は。極めて理性的だ。もうすぐ俺達は、家族なんて枠組みから解放される日が来る。そのために、ここに来たんだ。真緒が来てくれたんでな。真緒を預かっていれば、仮によこまちストアで取り逃がしてもお前達はここに来るんじゃあないかとヤマを張らせてもらった。ここだけは、俺自身が立ち会いたくてね」


「ちっ。飛んで火にいるなんとやらだったか。真緒を捕まえたのか」

「真緒は防空壕から滝の上を抜けてここに降りてきた。あの頃から、俺が、必ずあると確信していた同じ抜け穴だよ。お前達なら見付けてくれると信じていたんだ。遊ばせた甲斐があったもんだよなあハハッ」


「…? ど、どういう意味だ…」

問い返しながら、真人は恐ろしいことを理解していた。


シャンバラの穴。

兄様の見守るなか、防空壕を探検する幼い真人、真緒、佳澄。

大人では見付けられないような狭い隙間も、子どもや小柄な女性なら通り抜けられる。


「まさか…。子どもの頃の私達を使って抜け道を…?」

それまで黙っていた佳澄が、震える声で真人の考えを代弁した。


「そうだ。あの儀式なんぞ、成功させるわけにはいかなかったからな。よくやってくれたよお前達は。おおむね期待以上。まあ、予想しなかったことも多少あったが。それもここに来てようやく丸く収まるってわけだ。あとは真人、お前と真緒の儀式をここで行えば俺の勝ち」


「勝ちとかそんなことでどうにかされてたまるかよっ。真緒も俺も道具じゃないんだぞッ。くそ、真緒ッ、起きないのか? 真緒に何をしたんだ?」


兄様は小馬鹿にしたような微妙な表情をした。

「真緒は瞑想しているだけだ。俺達は何もしてない。すべて、真緒自身が選んだことだぜ」

「…!?」

「自分から準備をしていたとは良い心がけだな。お前も見習えよ」


「どうなってるんだ…くそ、どうする…?」

真人は半ば独り言のようにつぶやいた。


後ろから佳澄のささやきが滝の音に紛れてかすかに聞こえる。

「本多さん。とにかく時間を稼ぎましょう? なんでもいいから質問攻めにして」


佳澄の言う通り、どんなことでもいい。時間を稼ぎながら次の一手を編み出すしかない。幸い、勝者の余裕なのか兄様はすぐに実力行使に出る雰囲気ではない。

真人は強張った口を開いた。

「真緒が寝ている、この…棺桶みたいなこれは…いったいなんなんだ?」


「俺達で制作した、一種の機械だよ。黒澤が元々は持ち込んだアイディアだが、今は俺達のものだ」

「黒澤さんが…?」


黒澤から聞いている話では、そんなことはなかったが、と真人はやや訝しんだ。

が、経緯はどうであれ、兄様の一派が黒澤派からノウハウかそれに類するものを奪って、この機械を作ったということのようだ。


真人は兄様をじっと見た。

「こんな棺桶みたいなもの、何のために使う? ここが儀式とやらをする祭壇なら、そのための機械なのか?」

「その通りだ」」

「どういう働きをする機械だと言うんだ?」


「まあ、そう慌てるなよ。お前らが身をもって体験したはずだがな。まあ、動作エラーを体験したというのが正しいか」

「…?」

「失敗によって、意図しない結果がもたらされた。それが今まで尾を引いていたわけだが、本来はお前にとってもいい話なんだ。うまくいけば、肉体的な意味ではなく精神的な意味での超人が生まれる」


「なんのことだ?」

「二つの精神が溶け合う儀式だよ。素材を一つに統合し、時空間の認識能力を飛躍的に向上させる。いや、統合というのも正しい表現ではないな」

兄様は少し考えるような顔で、目線を上に送った。青い瞳で再び真人を見つめる。


「ある人間の情報をデータとして分解し、別の場所に量子的もつれを使い転送する。その際、再構成のための素材を、近いパラメータをもつ人間の構成要素から抽出することで、二人の人間の経験値が瞬時に一人のものとなる。瞬間学習装置といってもいいだろうな。理論的にはこれが完成すれば、だ、多世界解釈における確率世界を瞬時に同時把握出来るラプラスの悪魔が生まれる。真緒は儀式の内容を理解していたよ。そのうえで、協力に同意した。ふん、物分かりがいいじゃないか」


真人は薄笑いを浮かべている兄様に戦慄した。

「な、何を言ってるんだか、全然分からないぞ」


困惑する真人に対し、後ろから佳澄がささやく。

「だいたい、お母さんが黒澤さんから聞いていた通り。儀式という名をかたった科学実験ですよ」

「実験…? 実験なんかされてたまるか。おい、真緒。真緒ッ、起きろ、起きてくれ。こんな意味の分からない場所にいる必要なんか、ないんだ」


とにかく真緒の目を覚まさせることだ。

真緒が何を考えているのかを聞きたかった。

「真緒ッ…!」


真緒の眠る棺桶に被りついて呼びかけたが、真緒は静かに眠っている。目覚めのキスでもしてみるかと混乱した妄想が頭の中で渦巻く。


兄様はそんな真人を冷ややかに見ていたが、やがて低くつぶやいた。

「真緒。時間だ。真人はまだ納得していないようだが、準備を始めよう」


真人があれだけ呼びかけても反応しなかった真緒の瞼が、兄様の声で開いた。

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