ひととおり場内を回り、土産物の直販所を兼ねた休憩コーナーにやってくると、予定通り一時間ほどが経過していた。


「だいたいこれで、見学はおしまいですね」

「今日はありがとうございました。急にお願いしてしまって」

寛子が律儀に黒澤に頭を下げる。

「いえいえ。私も清水さんのお役に立ててうれしいですよ。本多さんともお知り合いになれましたしね。いかがでしたか本多さん、ご覧になって」


「なかなか面白かったですね。本業は洞窟ライターなので、養殖の話がよかったですねえ。しばらく滞在すると思いますから、もし追加取材があればぜひその辺りを詳しく」

「お手柔らかにお願いしますよ。どうしても、お教えできる範囲とそうでない範囲がありますからね」

「そりゃもう、わきまえているつもりですけどね…」


真人が少し言葉を濁すと、寛子が真人の脇を軽くつつく。

「マサ君、今のうちに、もっと訊きたいことがあるんじゃないの?」


聞きつけて、黒澤が首をかしげる。

「?」


真人は黒澤に向き直った。ここまでは仙境開発自体のことに探りを入れてきたが、寛子がこのタイミングで真人を促したということは、少し違う角度に切り込んでいけというゴーサインだろう。

「うーん。仙境開発と直接は関係ないかもしれませんが…」

と、真人はやんわり口を開く。

「十年ぐらい前のことですけどね。こちらがまだ夕鶴という名前だった頃に、仙境開発に社名変更するお知らせの手紙を出したと思うんですが」


「社名変更ですか。そうすると、私がまだ入社したかどうかという頃ですね。それはさすがに覚えてないな。ただ、これまでに社名で出した手紙はすべて一部は保管しているはずだから、あとで調べてみることはできるかな。しかし、どうして?」

「いや。ちょっとね。水谷美奈子という人は、黒澤さんはご存じないですよね? 昔、阿賀流に住んでいた…私の叔母なんですがね」


「水谷、美奈子。はて。聞いたことがあるような気もするが。従業員にいたかな…」

黒澤は腕組みをして目線を天井にさまよわせている。


腕組みは心理学的に警戒心と防衛本能の現れだというが…。

「じゃあ、本多浩太と本多小百合は、ご存じないですか」

「本多…? あなたのご家族か何かで?」

「私の両親なんですが。死に別れまして。何か当時のことを仙境開発でご存じないかなあ、なんて思ったんですけどね」


「私は村では十年足らずの新参者ですからね。村のことなら社長か清水君のほうが詳しいだろうが…、清水さんが私宛に来たということは、清水君とはまだ接触していないということだろう?」


真人は首を傾げた。

清水君と清水さん?


清水さん、が寛子のことだろうから、清水君は別の人物だ。

つまり、昨日から少しだけ話に出ていた、兄様という人物か。


「そうですね。兄様と会わせるのはまだ早いと思ったもので。黒澤さんもそう思いますでしょう?」

そう話す寛子の言葉が、清水君=兄様であることをすぐに裏付けた。


ごくまっとうに考えると、仮に寛子達三人が真人の味方側だとするなら、当然、兄様も味方になるように思える。

しかし昨日から今の会話に至るまで、寛子はむしろ黒澤に真人を近付けようとするばかりで、兄様からはひたすら遠ざけようとしているようだ。

どうもその辺りの人間関係は、そう単純ではないらしい。


「そうですね。清水さんの考え通りでいいですよ。私としては、本多さんの世話をしてもかまわないと思っています。困ったことがあれば、直接でも構わないから連絡していいですよ。名刺に、直通の携帯も書いてあるからね。こうしていつも社用の携帯を…」

黒澤が胸ポケットから携帯を取り出した。画面をちらりと見て黒澤が声を漏らす。

「おっと…次の打ち合わせが始まるようです。では、清水さん、本多さん。私はここまでで。カードは受付に返してもらえれば大丈夫です」

「本当に、黒澤さん、お忙しいところありがとうございました。うちの事情もあって、ごめんなさい。色々と」

「なあに、困ったときはギブアンドテイクですからね…では、あとはぜひここで、何か買って帰ってくださいよ?」


黒澤はそう言ってにこりと笑い、軽く会釈をして立ち去った。

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