ここにいなければならない理由

 ぼんやりした視界の端で、蜘蛛が空中をするすると歩いていた。

 目を凝らし、蜘蛛の足が乗った細い糸に気づいたその時、頭の上からカイリの声が降ってきた。

「ヨウ! 気づいた!?」

「動かしちゃだめよカイリちゃん。この子は頭を打っているかもしれないんだ」

 心配そうなカイリの声に続いて、やや低い温和そうな声が聞こえる。視線を動かしてその方向を見ると、そこにいたのは座り込んでヨウの顔を覗き込むカイリとゾボロだった。

 見渡すとそこは家の中だった。いつのまにか村の中まで運び込まれていたようで、既に太陽は沈みきっているのか、粘土細工で作られた皿の上に灯される火のが室内を薄明るく照らしている。

「二人とも……」

 呻きながら立ち上がろうと地面に手をついて、自分の体重を支えきれずがくんと崩れ落ちる。

「ヨウ!?」

「無理はだめだヨウ君。君はさっきまで本当に危ないところだったんだよ。カイリちゃんが見つけるのがあと少し遅かったら、本当に溺れ死ぬところだったんだ」

「っ……」

 そういわれてヨウは自分の身に何が起きていたのかを思い出す。

 フェンネルに痛いところを突かれて、それが恥ずかしくなって逃げだして、そして挙句の果てに足を滑らせて危うく死にかけた。はっきり言って無様の極みである。

「……カイリ。ごめん」

「な、なんでヨウが謝るの? 別にヨウはなんにも悪いことしてないじゃん」

 頭を下げるヨウに、カイリはいつものように無邪気に笑ってみせる。

「あそこで急にどこかに走り出したのもなにか理由があったからでしょ? 大丈夫だよ、ヨウが何をしたかったのかは知らないけど、私はヨウがすごいヒトって知ってるから!」

「……」

「カイリちゃん、それは……」

 いっそ怒られたほうがマシであったし、軽蔑されるほうがまだよかったとすら思えた。カイリは悪意からヨウのことを皮肉っているわけではない。本心からそう思っているのである。

 その不相応なまでの羨望はあまりに重く、苦い。

「よお……気ぃついたかよ」

「っ?」

 その時、不機嫌そうな声と共に大きな影が部屋へと入ってくる。聞き覚えのある声と姿、シロッコである。

「目が覚めたならさっさと部屋を出ろ。カイリの部屋汚してんじゃねえよ」 

「シロッコ君それはないんじゃないのかい? 彼がどういう状況だったか知っているだろうに」

「そうだよお兄ちゃん! そんな言い方ひどいよ」

「はっ、テメエで撒いた種だろうが。何もねえ場所から足滑らせて転がり落ちて溺れるなんてマヌケ、俺ぁ聞いたこともねえ」

「お兄ちゃんッ!」

 シロッコの物言いにカイリは牙を剝いて睨む。その視線をしばし向けられ、シロッコは嘆息して親指で部屋の入口を指した。

「ともかく出ろテメエら。メシの用意ができてるからよ」

 そう言ってシロッコは部屋を出て行く。その背中を見てカイリは、憤懣やる方ないといった様子で頬を膨らませていた。

「まったくもうお兄ちゃんは! 失礼にもほどがあるよ! ねえヨウ?」

「……」

「お兄ちゃんはヨウがどれだけ凄いか知らないんだよ! ほら行こうヨウ! お兄ちゃんのことなんて放っておけば――」

「カイリちゃん」

 カイリの言葉が熱を帯び始めたその時、ゾボロがにこりと笑ってそれを遮った。

「ヨウ君はまだ足に力が入らないらしい。君だけ先に行っていてくれないかな? 私たちは少ししてから行くから」

「? わかった。先に行くね」

 ゾボロの言葉にカイリはあっさり従って部屋から出て行った。そしてカイリの気配が完全に消えたところで、ヨウはゾボロに頭を下げた。

「その……ありがとうございます」

「いや、謝らなければいけないのは私の方だ」

 頭を下げるヨウに、ゾボロは目を伏せて言う。

「今朝私の言った、今日一日辛いと思う、という言葉、覚えているかい?」

「……? ああ、そういえば」

「本当はね。君がこんな風にボロボロになって帰ってくると知っていたんだよ。私は」

「え?」

 思わず声を出すヨウに、ゾボロは本当に申し訳なさそうな顔をする。

「シロッコは君がカイリちゃんの手伝いをすることを許した。だがそれは、ビニティではない君ではハナから何の役にも立てないと、最初から分かっていたからだ」

「ッ……あいつ」

 妙にあっさりとヨウの同行を許したと思ったが、そういうことだったのかとヨウは歯噛みする。しかし、

「本当は私も、シロッコのその意図には気付いていたんだ……けれどわざと口出しはしなかった」

「わざと?」

「私も、君にここで生きることの過酷さを知ってもらいたかったからだよ」

「っ!」

 ゾボロの表情は真剣そのものだった。視線を逸らさず、まっすぐにヨウの眼を見据えて言葉を続ける。

「今日一日辛かったろう? だけれどもそれは今日に限った話じゃない。君がこの村の中で生活していこうと思うのなら、ずっとこんな思いをしていかなければならないんだ。泳げないし手先の器用さもない君がこの村で生きるのは、正直難しいと思う」

「それは……」

 ゾボロの言うことは正しかった。実際今日一日だけでも悲しくなるぐらい自分がここでは無力なことを痛感したし、それにこれからどれだけ頑張ったところで、カイリ達のようになれる気もしない。

 だがそれでもここでしか生きる場所がない以上はそんなことは言っていられない。そう考えていたヨウだったが、その内心を見透かしたようにゾボロは、「ヨウ君。これは提案なんだが」と口を開いた。

「三日後私は若い者達を数人連れて森の外に出て、行商人に必要な物を買い付けに行く。君もそれについて来るかい?」

 急にゾボロはそんな言葉を口にした。驚くヨウにゾボロは重ねて言葉を続ける。

「このセキエイの森を西に抜けて街道を進めばジンクという小さな国に辿り着く。森さえ抜ければあとは君の足でもそこまで辿り着けるだろうし、様々な人種が集まっているというその街なら、かなり生活はしやすいだろう。少なくともここよりはね」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! それってここを――」

「出て行った方が賢明だと思う。ここで暮らすよりはずっと楽だ」

 ヨウの言葉を制して、ゾボロは言う。

「カイリちゃんと仲がいいのはわかるけれど、今日のような思いをし続けてまで、無理にここに居続ける必要はないんじゃないのかい?」

「……っ」

 ゾボロは恐らく本当にヨウを気遣って言ってくれているのだろう。そしてその言葉に、自分の中の思いが僅かに揺らぐのを感じた。

 ――なんの為に……俺はこの村に……。

「二人共なにしてるの? 早くごはん食べようよ!」

「ああ、今行くよカイリちゃん! さ、行こうかヨウ君」

「……ああ」

 家の外から呼ぶカイリの声に促されゾボロは立ち上がる。それに続いてヨウも腰を上げた。


 

「ヨウ、大丈夫? どこか痛いところない?」

「大丈夫だカイリ……ありがとうな」

 心配げに問いかけるカイリにそう言いながら、ヨウは視線を前に移す。

 村の中心の広場では、石の台座と鉄の網に乗せられた巨大な肉が火に炙られていた。時折滴った油が炎に吸い込まれオレンジ色の光が揺らめく。

 ――網に、石作りの……ってああ、さっき言ってた商人からか?

 木材と葉っぱで形作られた村の中で妙な存在感を見せるそれらの器具に視線を奪われるヨウ。焼かれている肉はおそらく昨日シロッコが獲ってきたものだろう。丁度村人達も食べている途中のようで、二十人ほどの村人達が一堂に介して各々に配られた肉にかぶりついている。

「ゾボロさん遅かったじゃないか! 僕らは先に食べているよ!」

「おっちゃんおっそいーっ!」

「はむ……んぐ」

 その時陽気な声がこちらに飛んできた。見るとそこにいたのは、肉を頬張るリーシャとトトを膝に乗せたフィンネルだ。妙に顔が紅潮しており声も弾んでいる。酒でも飲んで酔っているのかもしれない。

「はは、悪いねフィンネル君」

「あーっ! 私のお肉ちゃんと残してあるの!?」

「……」

 笑顔でフィンネルにそう返すカイリとゾボロ。しかしヨウはとても笑顔など浮かべられず苦虫を噛み潰したような表情をしてしまう。

「おやあ? そこにいるのは……」

 その時フィンネルの視線がヨウを捉える。そして、膝の上に乗った娘達を下ろしてニヤニヤと笑いながら大声で叫んだ。

「みんな聞いてくれ! ここにいるのは昨日からこの村で世話することになった部外者だ! 今日一日、彼はとてもよく頑張ってくれた!」

「フィンネル君……っ?」

 驚くゾボロだったが、そちらには目もくれず、集まった村中のビニティに向かってフィンネルは叫ぶ。

「朝はカイリの捕まえた魚を全て逃がし! ダムを直させれば使い物にならず! 挙げ句の果てにはなにも無い場所で溺れて死にかける始末だ! さっきも気絶した彼を運び入れる為に僕たちはわざわざ村の壁に穴を空けさせられたりもした! 大したものだよ本当に!」

 フィンネルの弁舌に村中がどっと湧く。大人も、女性も、トト達のような小さな子供達までも大笑いしていた。そしてその渦中に、ヨウがいる。

「ちょ、ちょっと! みんな止めなよ! 酔っ払ってるからって失礼だよ!」

「いいや違うね! そいつはカチュアの大枝ってやつさ!」

「な、なにそれ?」

「古い言い回しさ! 体ばっかり大人でも中身は何の役にも立たない! 育ちすぎたカチュアみたいに、食べられもしなければ何かの材料に使えるわけでもない! つまりは役立たずってことだ! 庇ってくれたババ様やカイリちゃんの顔に、泥を塗るだけの存在だよ!」

「フィンネル君! やめなさい!」

 再びどっと沸き上がるビニティ達。ヨウはそれになにも言い返せずにただ立ち尽くす。 

 カチュア。今日の昼に食べたウドの、この村での呼び名だ。ヨウの知る言葉に置き換えるのなら、カチュアの大枝とはさしずめウドの大木といったところだろう。

「~ッ! もういい! 行こうヨウ! 私の部屋で食べよっ!」

 そう言って木皿に乗った二人分の肉をかっぱらい、カイリはずんずんと歩き出す。

「カイリ……?」

「一緒に来て! こんなところで食べることないよっ!」

 そう語気も荒く言われ、ヨウは嘲笑の声を背に受けてカイリについていく。

「あんなの気にしなくていいよ。ヨウのことは私が面倒見るから、ね? だからゆっくり凄いところを見せてくれたらいいから」

「……」

 カイリはやはり自分に期待してくれている。それを重圧に感じながら歩くヨウだったが、その時急に立ち止まったカイリにぽすんとぶつかった。

「……? カイリどうし――」

 どうしたと聞こうとして、その言葉が止まる。

 二人の前に、腕組みをしたシロッコが立っていたからだ。

「何してんだカイリ……そいつをどこに連れて行くつもりだ?」

「何って、私の部屋だよ。いいでしょ? ヨウはどうせ今日も寝る場所がないんだし私の部屋でも」

「宿なら心配すんな。こいつの今日の寝床は、あれだ」

 そう言ってシロッコは村の端を指差す。そこではビーク達が背の低い柵に囲われて、その奥には鶏舎のような細長い建物があった。 

「あ、あれってビーク達の小屋じゃん! なんであんなところでヨウが寝なきゃならないの!?」

「逆になんでソイツが俺らの家に来んだ? 冗談じゃねえ」

 カイリの抗議をばっさり切り捨て、シロッコはヨウの眼を見据える。

「なあ、テメエはどうすんだ?」

「っ……」 

 その眼には有無を言わせない圧力があった。そして同時に、これ以上まだ迷惑をかけるつもりかという言葉にならないメッセージ。

 その視線から逃れるようにうつむいて、ヨウは口を開いた。

「……わかった。あそこで寝る」

「ヨウ!?」

「当たり前だ、馬鹿」

 そう吐き捨て、シロッコはカイリの腕を掴む。

「おら行くぞカイリ。飯食ったらさっさと寝る。灯りがもったいねえ」

「そ、そんなの! いいのヨウはそれで!?」

 瞳を揺らしそう問うカイリ。早く助けてくれて言って欲しいと言わんばかりのその表情に、ヨウはあくまで普通に笑いかけた。

「ああ、大丈夫だよ。今日一日ありがとうな」

「……っ? ヨウ?」

 驚くカイリに背を向け、ヨウは自分の寝床に向かって歩き出す。

「ヨ、ヨウ! また! また明日ね!」

「……おう!」

 悲しそうな声を上げるカイリに手を上げて応じ、そしてヨウは歩いていく。

 つらい思いをしてまでこの村に残る必要はない。ゾボロのその言葉がずっと頭の中で回り続けていた。







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