カチュアの大枝

「さて、と。それじゃはじめよっか」

「ああ」

 川面から顔を出し、まっすぐこちらを見ながら言ったカイリにヨウは頷いてみせる。

 場所はコロニーから二百メートルほど離れた場所だ。川のそこそこ深い場所までやって来ているので、今はランタンの背中に乗っている。

「ヨウには簡単な手伝いをしてもらうよ。私が潜って魚を獲るから、ヨウはそれを籠に入れていってね」

「それだけでいいのか?」

「あはは、だってヨウは私みたいに泳げないじゃん。また気を失っちゃうよ?」

 ――耳が痛い……。

 カイリは決して悪気があって言っているわけではないし、だから別に腹が立ったりするわけではないが、しかしこうまでストレートに言われるとやはり少しばかり悲しくなる。

「……そういう評価を覆せるように頑張らなきゃな」

 小さく呟き、拳を握りしめるヨウ。と、そんなヨウを見てカイリはふうむと唸る。 

「その服……やっぱり地味だよね」

「そうか? 俺は気にしないし、結構着心地もいいと思うけど」

「うーん、そうなんだけど……」

 ヨウが来ているのは、昨日までヨウが着ていた緑色の手術着ではなく、ゾボロが渡してくれた奥さん謹製の部族服だった。ヨウの体格に比べると少しばかり大きくてだぼつくが、麻のような少しざらつく肌触りの生地で、ゆったりとしていながらも手足の動きを阻害したりせずとても動きやすい。そして尻尾のないヨウに配慮してくれたのか、腰の辺りに開けられている穴はきちんと塞がれていた。

 ただ、その色味だけはカイリ達のものとは違い、灰色一色となっていた。明るいベージュに緑色の模様があしらわれたそれらと比べると、確かに見た目には地味に見えるかもしれない。

「まあ見た目なんか何でもない。昨日一晩で俺の服を用意してくれたんだ。不満なんかあるわけもないさ」

「ふーん、ならいいけど……」 

 いまいち呑み込みきれないという風な感情は滲ませていたが、それでもカイリは一応納得したように頷く。

「それじゃやるか。カイリ、俺はお前から魚を受け取って入れていけばいいんだな?」

 言いながらヨウは背負っていた魚籠を前に抱える。

 ランタンの背中に乗りながらカイリの獲った魚をここに入れていく。簡単な手伝いではあるが、しかしまあ最初だから仕方ない。ここから少しずつ、彼らの役に立てるようになっていこう。

 そんなことを考えていたヨウだったが、その次にカイリが口にした言葉は予想外のものだった。

「うん。じゃあランタンはここからは別行動だね。ヨウ、しっかりキャッチしてね!」

「は?」

 そう言うやいなや、ヨウを背中に乗せていたランタンが一気に水の中へと潜った。ヨウの体は水面に残され、ランタンはまっすぐに岸へと泳いでいく。

「ちょ、ちょっと待て! これ――」

 カイリに説明を求めようと振り返る。しかしそこには円を描いて水面に広がる波紋が残されているだけだった。目を凝らすと、水中へと体をしならせて凄い勢いで潜っていくカイリの姿が見える。

「……おい、まさか」

 そうだ、昨日そういえば話していた。ランタン達ビークの仕事は木を切り倒したり運んだりする力仕事。ならここでカイリと別行動をとってもおかしくはない。

 ランタンは岸へと向かい、カイリは魚を探しに潜っていく。そして残されたのはヨウ一人。

「俺一人で、泳ぎながらカイリを手伝うってことかよ……」

 必死に足をばたつかせて水面に顔を出す。こうしているだけでもかなりきつい。ビニティならばこの程度居眠りしながらでもできるのだろうが、ヨウにはこの状態を維持するだけでも大変なことだ。 

「……っ」

 荒くなる呼吸を抑え、意識を泳ぐことに集中させる。幸いにもゾボロがくれた服は軽くて水を吸わないのでとても泳ぎやすい。

 ――大丈夫いける……これならなんとか……。

 足をばたつかせながらカイリが帰ってくるのを待つ。自分がやることは戻ってきたカイリから魚を受け取って魚籠に入れるだけだ。

 そしてその状態で待つこと数分、水面に人型の影が現れる。カイリだ。

「っ! 来た!」

 ようやく戻ってきたカイリに思わず安堵の表情を浮かべながらしっかり魚籠を抱える。そしてカイリは、ヨウのすぐ側に浮上し――、

「え……?」

 瞬間、水柱がヨウの視界を白く染めた。

 カイリが水面からもの凄い勢いで飛び出し、その白い波頭で視界が遮られる。微かに見えた太陽を背に宙を舞うその姿は、まるで海面に飛び出した人魚のようにも見えた。

「ヨウ! お願いね!」

 その言葉と共にヨウの側に何かが三つ、ばしゃりと水面に落ちる。そしてカイリも再び水面に着水し、そのまま再び潜っていった。

「っ? ……っ?」

 一瞬カイリの姿に見とれていたヨウだったが、はっと我に返り今水面に落ちたものを見る。それは、カイリが捕まえてきたであろう生きた魚だった。

「え、あ……」

 軽くパニックになっている内に魚たちは四方八方に逃げてしまう。当たり前だ、川の中で泳ぐ魚を、人間が泳いで捕まえられるわけがない。

 ――ちょっと待て。こんなもん……っ

 つまり、こっちは捕まえた魚を投げて寄越すから、そっちはその魚をキャッチして籠に入れておいてくれ。というのがカイリの言うところの“簡単な手伝い”ということらしい。

「んなもん無理に、決まって……っ!」

弱音を吐くヨウだが、その後もカイリはマイペースに、こちらの様子は気に留めず魚を獲り続けた。


     ・ ・ ・


 川岸に上がったヨウはドサリと力なく膝をついた。全身が鉛のように重い。数時間も立ち泳ぎを続け、足は疲労で僅かに痙攣している。

 だがそんな疲労より何より、岸に上がったら後にヨウが魚を全て捕り逃したと知ったときのカイリの顔が何より堪えた。

「悪い……カイリがせっかく、あんなに魚を獲ってくれてたのに……」

「う、ううん! そんなことないよ! 私だって、その……悪かったなって思ってるし……」

 こちらを宥めるようにそう口にするカイリ。しかしその目の中には、ほんの僅かに失望の色が滲んでいる……ように見えた。

「ま、食料は他のみんながいっぱい獲ってきてるはずだし、私たちは別のお仕事しよっか」

「別の仕事?」

「うん。ダムの補修だよ。それなら泳ぐ必要も無いし、ヨウでもできると思うから」

 そんなことを言いながらカイリは川岸の草むらへと歩き出す。なぜ川の中にあるダムではなくそちらに行くのか、と思ったヨウだったが、カイリはそこで三十センチほどの長さにまで育った白い茎をもいで見せた。

「とりあえずお昼にしよっか。これ美味しいんだよ~」

「……?」

 どこか見たことのあるようなその植物に首を傾げるヨウ。カイリはそんなヨウの前で、もいだその植物の茎にガリッと歯を立てる。

「ん……っ」

 びーっというガムテープを剥がしたような音と共に、カイリは茎の周りの固い皮を噛んで引き剥がす。それを数度繰り返し、紐のような皮が足下に小さく山を作るころには、その茎は綺麗な白い芯だけを残していた。

「はい。これヨウの分ね」

「あ、ありがとう……」

 渡してきたそれを受け取るヨウ。白く細長いその見た目は、エシャロットやセロリによく似ている。

 カイリが一口それを囓り、しゃくしゃくという音を立てて咀嚼しているのを横目に、ヨウも恐る恐るそれを囓る。口に含んだそれは、アクもなくとても小気味いい歯ごたえで中々に美味しい。

「うまいなこれ。なんていう植物なんだ?」

「私たちはカチュアって呼んでるよ。大きくなりすぎると硬くて食べられないけど、蕾も茎も若芽も全部美味しいし、いっぱい生えてるからお昼ご飯にぴったりなの」

 おまけにお腹によく溜まるしね、と言って笑うカイリ。それを見ながら手の中に残っていた芯をさらに囓るヨウだったが、ふと、そのカチュアと呼ばれていた植物がなんなのかを思い出した。

 ――これ……ウドじゃないか。

 見た目だけではぴんとこなかったが、カイリが今語ったカチュアの特徴とその味から、ヨウは今食べているのがかつてウドと呼ばれていた山菜であることを思い出す。

 ウドは山地や湿地で自生する大型の草本で、カイリの語っていたように若芽や茎は勿論のこと、根は薬として、皮も地域によっては食用とされていた捨てる部分の少ない植物である。

 だがその分布は主に日本や朝鮮半島、中国といったアジアが主である。昨日は軌道エレベーターの存在から、ここが赤道付近であると推察していたヨウだったが、そうなると矛盾が生じてくる。

「ヨウまた考え事? どしたの?」

「……いや、なんでもない」

 そう言って残りのウドの茎を口に収めてゴクリと飲み込む。

 いったいどういう出来事があってこんな場所にアジアの植物が自生しているのかは気になるが、今はひとまず目の前の問題だ。

 ヨウは早々に食事を切り上げ、カイリに手を引かれて上流のダムへと向かった。 

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