始まりの終わりのあとは

 虫と鳥の鳴き声と河のせせらぎが混ざり合う。そこかしこから聞こえるその音は、まるで森そのものが呼吸しているような錯覚を聞く者に覚えさせた。

「……ん」

 目を開けると、朝日の眩しさに少しひるむ。ゆっくりと息を吸うと、湿った土と木の匂いがした。

 体を起こして辺りを見渡し、四方を木の壁で覆われた小屋の中に自分がいるという事を認識する。

 ――ああそうか、そういう状況だったっけか……。

 寝呆けた頭で昨日のことを思い出し、立ち上がってポキポキと首を鳴らす。小屋の中にはカイリもランタンも居なかった。立ち上がって小屋の外に出ると、朝の涼しい風が頬を撫でる。

 どうやら今は日が昇ってまだ間もないらしい。まだ朱色の抜けきらない朝の光が、鬱蒼と茂る木々や川面を照らしていた。

 川幅はおよそ三キロほどだろうか。改めて明るい場所で見ると、かなりの大きさの河川である。

「あ! 起きたんだねヨウ! おっはよーっ!」

 ダムの下から元気な声が聞こえてきた。見下ろすと濡れた前髪を掻き分けて、水面からダムの上に立つヨウを笑顔で見上げるカイリがいた。その隣には心なしかまだ眠そうなランタンもいる。

「ああ、おはようカイリ。何してたんだ?」

「えへへー。ホラ見てヨウ! あさごはん!」

 そう言って笑いながら、カイリは川魚が入った魚籠を自慢げに見せる。どうやらヨウの分も含めた朝食を獲りにいってくれていたようである。

「悪いな、朝から俺の分まで」

「あはは、別に大丈夫だよ。食べる分のお魚を獲るのはいつもの事だし。ね? ランタン」

 ダムを登りながらのカイリの言葉にランタンはふごっと鼻を鳴らす。ランタンはこちらとは言葉は交わせなくともニュアンスでこちらが何を喋っているのか感じ取っているらしい。賢い生き物である。

「にしても、明るいところで見るとやっぱでかいなこの川」 

「そうなの? 私この河しか知らないから分かんないけど……」

「いや大きいよ。かなりのもんだ」

 ダムに塞き止められて湖面のように滑らかな水面を見下ろしながらヨウは呟く。視線を上げると、川岸は遙か遠くに見えていた。生い茂る木々がまるで針のようだ。

「ふふ、いいことを聞いたな~。その話も聞かせてね」

「ああ、そんじゃあ朝ご飯にしようか」

「うん! 話しながらね!」

 やや呆れながらもそういったヨウに、カイリは笑顔で頷いた。

 

 食事を終え、簡単に支度を調えたヨウ達は、来た時と同じように川を下っていた。ランタンの背に乗るヨウは、すいすいと気持ちよさそうに泳ぐカイリに声をかける。

「なあ、俺普通に戻って大丈夫なのか? 昨日のこともあるしお前の兄貴……シロッコも怒ってるんじゃ……」

「大丈夫だよ! お兄ちゃんが何か言ってきても、その時は私がびしっと言い返してあげるから!」

 水面から顔を出して自慢げにそう言いながらカイリは笑う。

「なんにも心配しなくていいよ! ヨウがすごいってことは、私が一番よく知ってるんだからさ!」

「そ、そうか」

 明るいカイリの言葉にヨウは苦笑いで返す。カイリはヨウの面倒を見る気満々のようだが、ビニティの集落で世話になる以上カイリに頼りっぱなしというわけにもいかない。

「俺も自分でできる事は何とかしないと……な、ランタン」

 小さな声でそう囁くとランタンはフシューと鼻息を鳴らした。肯定しているつもりなのか否定しているつもりなのかいまいち分からないかったが、それでもその姿に少しほっこりする。

「あ、そろそろ着くよ」

 カイリの言葉にヨウは緊張で唾を飲み込む。見ると百メートルほど先にビニティ達のコロニーが見え、そしてその近くの岸では数人のビニティ達が何やら話している。

 そして、その中には筋骨隆々の大男、シロッコの姿もあった。

「おーいっ! おっはよーっ!」

 ――ッ! オイ!?

 水面から顔を出し、岸にいる仲間達にカイリが元気に手を振る。しかしヨウはその無防備なカイリの仕草に呼吸が止まりそうになった。

 そして、その声に釣られてこちらを見たシロッコ達は案の定不機嫌そうに眉を潜める。

「……おうカイリ。おはよう」

 ヨウの方には視線も合わせずそう言うシロッコ。しかし相手の様子には頓着せずカイリは笑顔で岸に上がる。

「やあやあお兄ちゃん、昨日は怒鳴っちゃってごめんね?」

「いや構わねえ……気にしてねえからよ……」

 ――噓だ……。

 言葉に反してこちらに向けられている敵意が痛いほどに伝わってくる。

「今日は確かいけす? とかなんとかいうの作りだよね? 私は何したらいいかな」

「……いや、今日はそれは無しだ」

 カイリの言葉に何故か、苦虫を二、三匹まとめて噛み潰したような顔をするシロッコ。

「えーなんで?」

「昨日コイツが村の土台を壊しちゃったろう? その補修が結局昨日一日じゃ終わらなかったのさ」

「はは、だから今日私たちの方はそちらの手伝いだ」

「ぐ……っ」

 答えたのはシロッコの両隣に立つ二人の男だった。カイリはその返答に「ふーん」と頷き、そしてはっと思い出したようにヨウへ方を振り返る。

「そうそう紹介しとくねヨウ! この二人はフィンネルさんとゾボロさんだよ!」

「……よろしく、フィンネルだ」

「私はゾボロ。よろしく」

 挨拶を受けてヨウはぎこちなく頭を下げる。

 フィンネルと名乗った方は身長百七十センチ半ばのビニティだった。人畜無害そうな大人しめな顔立ちをしているが、ヨウに向けるその視線には警戒の色が滲んでいる。

 一方ゾボロと名乗った方は、体格はシロッコには及ばないまでも百八十センチを優に超える上背に加えて、笑い皺が顔にくっきり刻まれた穏やかそうな顔つきで、色々な意味でフィンネルとは正反対の姿をしている。

「っていうか、生け簀ってさっき言ってましたけど……」

「生け簀は生け簀だ馬鹿。テメエまさかンな事も知らねえってのか?」

「コラお兄ちゃん、必要も無いのに絡まないの!」

 目も合わせずに毒を吐いたシロッコに対してカイリは頬を膨らませて怒る。そんな二人の様子を前にしながら、ヨウはその側に立っている二人に声をかけた。

「あの……生け簀を作るって本当なのか?」

「っ……」

 その瞬間、声をかけられたフィンネルがビクリと肩を震わせた。

「え? あ、ああ……そうだ」

 こちらに急に声をかけられて驚いたのだろう。しかし、その動揺は一瞬で、すぐにその目に警戒の色が戻る。

 ――なんだ? 

 相手の真意が掴みきれず、再び言葉をかけようとするヨウ。しかしそれに割って入ったのはゾボロと呼ばれたもう一人のビニティだった。

「そう、生け簀だ。君はここの外から来たと聞いているが、生け簀がなんなのか知っているのかい?」

 ずい、とフィンネルとヨウの間に割って入ってきたゾボロに、ヨウは少しだけ戸惑いながらも頷く。

「そうか、それなら話は早い。毎日の食料を釣果だけに任せてしまうのも不安だし、捕れすぎた魚を捨てるのも勿体ないからね。なんとか生きたまま魚をおいておく方法を、と考えていたんだ」

「なるほど……」

 確かに、ビニティの技術力なら魚を入れておく水槽ぐらいなら簡単に作ってしまえそうだ。

 しかし、ヨウには今の言葉を聞いた上で気になることもあった。

「けど、仮に魚を入れておく槽を作れたとしても、その魚はきちんと元気で保たせられるんですか?」

「ほう? いいところに気がつく。その通りだ」

 ヨウの言葉にゾボロは感心したように頷く。

「確かに、槽自体は半日で組み上げられる。しかし獲ってきた魚をそこにいれると二日と保たずに大概が死ぬ。どうも魚も急に環境が変わると弱ってしまうらしいね。土や水草を入れたり、色々と研究しているんだが、あまり上手くはいかない」

「川の浅瀬に木の柵を沈めてそこで魚を生かす、っていうのじゃ駄目なんですか? 生け簀を作るよりかなり長持ちさせられると思うんですけど」

「それも試したんだが、そうすると鳥やら獣やらに食われてしまう。逃げられない状態の魚を浅瀬に置いておくんだ。連中からすれば餌を与えられているようなものらしい。それを避ける為に屋根やら壁を作ってみても、森の王みたいな巨大な獣には効果が無くてね」

「ああ……」 

 昨日ヨウのことを食い殺そうとしたあのワニもどきを思い出し、そりゃそうだろうなと納得する。

「結局のところ、川の中に置いておくのはできないという答えになった。生け簀を作るのなら安全な村の中ってことになったんだが、そうすると魚がすぐに死んでしまって、もうどうしたらいいのかわからなくてね」

 大柄な体に似合わない人の良さそうな表情で笑うゾボロ。それに苦笑しながら、ヨウはその生け簀が上手くいかない原因を考えてみる。

 ――きちんとした水槽で、なおかつ住む環境も再現できてるんなら、魚が死ぬ原因は水の汚れだよな。

 流れることを止めた水が澱むのは意外に早い。魚たちの排泄物などもそうだが、プランクトンや藻がすぐに蔓延って水を汚すのである。そしてそうなってしまえば、魚などあっという間に死んでしまう。生け簀で魚を長期間保存しようと思うのならば、継続的な水の濾過は必須となる。

「ゾボロさん」

 と、そこでゾボロとヨウの間にフィンネルが言葉を挟む。

「話はもういいだろう。僕らは僕らで仕事があるんだ」

「え、あ……うむ、その通りだね……」

「シロッコもだ。いつまでも兄妹ゲンカしていないで、いい加減に仕事にいくよ」

 三人に声をかけ、フィンネルはトントンと話を進めていく。だがその様子はどこか、ヨウが混じったこの場を早く終わらせてしまいたいという意図があるようにも見えた。

「ああ、言われねえでもわかってんよ。俺とフィンネルは土台の補修、ゾボロのおっさんはダムの修繕を監督してくれ。カイリは魚だ。で……」

「っ……」

 そこまで言ってシロッコがジロリとヨウを見る。

「テメエは、一体何が出来るってんだ。お客さんよォ」

「お、俺は……」

「ヨウは私と一緒に魚を獲るんだよ! ね?」

 その時声を上げたのはカイリだった。

「カ、カイリ! それは許さない! 駄目だ!」

「えーいいじゃんフィンネルさん。私が教えてあげればいいんだし。ヨウもそれでいいよね?」

「あ、いや……」

「そいつの意見なんか聞いてない! 僕は――」

 なおも語気を荒げて食い下がるフィンネル。しかし、それをシロッコが腕で止めた。

「シロッコ? どういうつもりだ!」

「まあ待てフィンネル……カイリのしたいようにやらせてやりゃいい」

 意外にもそんなことを言ってフィンネルを抑えるシロッコ。そして、改めてカイリの方を見る。

「ひとまずそいつに色々と教えてみなカイリ。そうすりゃ、わかることもある」

「……っ」

「ふーん? よくわかんないけど、まあいいや。そんじゃあいこっ、ヨウ!」

「あ、ああ……」

ヨウの手を引いて歩き出したカイリの動きを潮にして、シロッコ達も各々の仕事場に向かい出す。

「さっき……」

「え、なに?」

「いや、なんでも……」

「おーい」

 その時、後ろから二人に向かって大きな声が飛んできた。振り返ると、先ほど話していたゾボロがこちらに駆け寄ってきている。

「えっと、カナタ君だったか。これを渡しておこう」

 そう言ってゾボロが手渡してきたのは、一着の服だった。カイリやシロッコ達が来ているのと同じような、しかし装飾の類いがないやや簡素な作りの衣服である。

「昨日妻が君にどうぞって作ってくれてね。その服じゃ仕事にも身が入らないだろう」

「あ、ありがとうございます」

 そう言われてヨウは自分が目覚めたままの手術着姿であることを思い出す。たしかにこのままでは幾分動きにくい。

「へー、アマラさんやっさしいね。流石は自慢の奥さんだねゾボロさん」

「はは、冷やかさないでおくれよカイリちゃん。それに今回は時間が無かったから、そんな簡単なものしか作れなかったと妻は悔しがっていたんだから」

 人の良さそうな顔で苦笑したゾボロは、「それに」と言葉を次いだ。

「今日……かなりしんどいと思うけど、気をしっかりもつんだよ」

「え?」

「それじゃ。私は仕事があるから」

 そう言ってゾボロは川に飛び込んでダムの方へと泳いでいく。その姿を見送りながら「なんだったんだろうねさっきの?」と首を傾げていた。

 ――ひとまずそいつに色々と教えてみなカイリ。そうすりゃ、わかることもある。

「……」

 先ほどのシロッコの言葉。それが妙に引っかかる。

 あの最後の言葉は、ヨウに対して向けられていたような気がした。

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