ヒト無き世界に降る光

「カ、カイリ……お前な……」

「ご、ごめんね! 本当にごめんね!」

 コロニーの外、朱色の夕陽を反射する水面、そこに浮かぶランタンの背中に掴まりながらゼエゼエと息を切らすヨウに、カイリは涙ながらに謝る。

 死にかけた。呼吸云々の前に、凄いスピードで水中まで引きずり込まれて意識が半分飛んだ。何が悲しくて日に二回も溺れ死にかけなければならないのか。 

「う~。そうだよね……私たちの泳ぎに合わせちゃったらやっぱりしんどいよね。気をつける……」 

「……いや」

 何度も頭を下げるカイリだが、ヨウは胸中でそれは違うと頭を振った。

 自分はしばらくこの一族の下で厄介になるのだ。それならば、少しばかりきつくともこの一族の生活に自分も合わせなければ庇ってくれたカイリにも迷惑がかかる。それに、ヨウ個人としてもたかだが村の出入りだけで毎回このザマではあまりにも情け

ない。

「と、とにかく目的の場所に向かおう……どこにあるんだその小屋は」

「えっとね、一番外側のダムだから……ここからだとのんびり泳いで大体日が暮れるぐらいの時間には着くかな」

「一番外側?」

「うん。この川のダムは全部で三つあるの。一番外側の大きなダムで流れをあらかた遮って、残りの二つに作ってある水門で、村の周りの水位を調節するんだって」

「なるほど」

 少し例えは悪いが、カジノのピンボールのようなものだ。ボールを完全に遮ってしまえば、弾かれたボールは四方に飛び散ってしまうが、釘の並べ方によってはどれだけ中心へと届くかはある程度コントロールできる。

 下手に川をすべて遮るようなダムを造っても、結局は川幅はダムに沿って広がるだけだ。ビニティたちは流れを止めるのではなく勢いを殺すことで制御しているのである。

 ——日が暮れるまでか……結構遠いな。

 既にかなり傾いて半分以上沈んでいる。恐らく完全に辺りが暗くなるまではあと一時間といったところか。

「ヨウはランタンの背中でゆっくりしてるといいよ。私は泳いでいくから大丈夫!」

「助かる……」

 一緒に泳げと言われたらどうしようかと思っていたが、カイリの言葉にヨウは安堵する。そしてよいしょと体をランタンの上に持ち上げ、そしてその大きな背中に跨がった。

「よし行こう! すっすめランタン!」

「おおっと」

 ふごっと鼻を鳴らして泳ぎだしたランタンの背中に掴まり、カイリも仰向けになってのんびりと泳ぎ始める。しかしそれでも人間の小走りほどのスピードで河を泳いでいく。

「カイリお前、よくそんな体勢でこんなスピードで泳げるな」

「え? こんなのふつーだよ。ビニティは泳ぐのが得意だからね」

「いやまあ、そうなんだろうけどさ……」

 そう言って苦笑しながらヨウは何とはなしに空を見上げる。と、そこである事に気付いた。

 ――なんだあれ……?

 空は夕陽の朱色と宵の群青が入り混じってコントラストを作り出していた。人工的な物など何一つ無い、大自然の作り出す美しい天蓋である。 

 しかしその奥、空の外側に何か、橋のようなものが架かっているのが見えた。それは雲のさらに上で伸び、空をいっぱいに横切って遙か彼方へと続いている。

「カイリ……あれは……」

「え? ああ空の橋のこと?」

「空の橋……ああたぶんそれだ。あれ、何だと思う?」

「何って言われても……うーん生まれた時から見てるから考えたことも無かったね……そう言えばなんだろあれ……」

 唸りながら首を捻るカイリ。どうやらあれは大昔から存在していたようで、カイリにとっても空の一部として認識してしまっていた様である。

 だがヨウは、あれが何なのか何となく予想がついていた。

 ――星のネックレス……軌道エレベーターの一部だ。

 軌道エレベーター。地球の赤道近くから宇宙へとワイヤーを伸ばし宇宙ステーションを接続、重力と遠心力を釣り合わせて宇宙空間への進出を簡易にする為の機構だ。そして、軌道エレベーターで接続された宇宙ステーション同士を、地球を外側からぐるりと一周する形でケーブルで接続して安定させたモノが、星のネックレスと呼ばれる技術である。

 ヨウの知識は恐らく西暦二千年前後辺りのモノだ。ヨウの知る時代の技術では軌道エレベーターでさえ技術的に可能であるというレベルに留まっていたし、さらに星のネックレスともなると、それはもはや空想科学と呼んでいいレベルの高度な科学だった。

「つまり……人類はそれが可能になっていたぐらいの文明を有していたってことか」 あくまで仮説であったこの世界が未来の地球であるという説がいよいよ真実味を帯びてくる。そしてこれほどの技術を持って尚、滅びに向かっていった人類を思うと思わず頭を抱えたくなる。

 だが同時にあの軌道エレベーターの残骸は手がかりでもあった。

 軌道エレベーターの地球上発着地点アースポートは、物資の打ち上げに地球そのものの遠心力を利用するという性質上赤道に設置される。重力場の影響や機構なども考慮すれば、アースポートの設置可能な場所はそう多くはない。この場所を推測する上でかなり重要な情報となり得る。

「……ね、ヨウってあれが何か分かるの?」

「ん、まあ何となくだけど」

「教えてっ!」

「うおっ!?」

 気のない言葉を返したヨウにカイリがもの凄い勢いで迫ってきた。あまりの勢いでランタンの背中から滑り落ちそうになる。

「お前……なんだよ急に……」

「いいから教えてよ! あれが一体何なのか!」

 キラキラとした目でもの凄い勢いで食い付くカイリ。しかし宇宙や科学と言った知識の下地のあるヨウとは違い、カイリにはまずその辺りから説明しなければ理解は出来ない。

 ヨウとしても色々と聞きたいことは山ほどあるのだ。そんな事を一から話してはいられない。

「まあそれはいいだろ。それより――」

「よくない!」

 適当に話を流そうとしたヨウの言葉をカイリが遮る。目を大きく見開き、純粋な瞳で真っ直ぐにヨウを見据える。

「あれがなんなのか私は気になるの! 今は他の事なんてどうでもいい!」

「そ、そんな事言われてもカイリ……俺もお前に聞きたいことがあるし、お前だって俺に聞きたいことがあったんじゃなかったのか?」

「だからそれも今は全部どうでも良いの!」

「っ……」

 カイリは決して自分の意見を曲げなかった。今カイリの頭の中は好奇心でいっぱいになっている。 

 まるで子供のようなその様子に、ヨウは呆れ半分にため息をつく。

「分かったよ……けど、話し出したら長くなるぞ」

「うん! 聞かせてヨウ!」

 そうして、物語に耳を傾ける子供のようなカイリにヨウは語り始める。

 その話は、日が暮れて目的の場所に辿り着くまで続いた。


     ・ ・ ・ 


 静かに揺れる火の中でパチパチと枝が弾ける音がする。

 辿り着いたのは木と土砂の高さ七メートルはあろうかという巨大な土砂と木のダム、その上に建てられた木造の小屋だった。しっかりとした作りではあるが、村の中の家と比べるとかなり簡素で中もあまり物が置いていない。広さはおよそ六畳ほど、どちらかというと仕事の合間に休憩する為に建てられた小屋なのだろう。

「……」

 そんな小屋の中でヨウは壁にもたれ掛かりながら静かに火を見つめていた。火は部屋の中央にある囲炉裏の中で燃えている。この囲炉裏一つ取って見てもよく出来ていて、ビニティ達の技術に感心する。

 そしてヨウの隣では火に当たりながら体を乾かすランタンが居た。暖かさのせいで微睡んでいるのか目がとろんとしていて、その姿はヨウの知っているビーバーと殆ど変わらずとても愛らしい。

「おっまたせー、ご飯獲ってきたよ!」

 その時カイリが小屋に戻ってきた。背負っていた魚籠(小屋の中に元々あった)を鼻歌交じりに下ろし、中から大小合わせて八匹の川魚を取り出す。

「ふんふ~ん。ふふふふ~ん!」

「何だ、ずいぶん楽しそうだな」

「うん! とってもわくわくする話を聞いたから!」

 そう言いながらカイリは魚に木の串を打っていく。本当にとても嬉しそうな様子だ。

「けど、すごいよねヨウ! まさか私たちがいるこの世界がまん丸だなんて!」

「ああ、そうだな」

「本当にヨウは何でも知ってるね。このまん丸な世界のこともそうだし、空のもっと上に浮かぶ……うちゅうすていしよん? だったっけ……それはちょっと分かんないけど、それの事とかも。本当になんでも知ってるんだね!」

「……知ってるだけだよ」

 そう、ヨウが持っているのは知識だけだ。自分の中にある記憶をなぞってカイリに聞かせただけで、本当に凄いのはその答えに辿り着いた者達である。

 地球が丸い事に関してもそうだ。ヨウは知識として地球が丸い事は知っている、しかし何故丸いと分かったのか聞かれれば、それには分からないと答えるしかない。

 何の手がかりも無い場所からその答えを導き出した先人に畏敬の念を覚えつつ、ヨウはカイリを見る。

 カイリは、丁度濡れた服を脱いでいるところだった。

「ッ!!? バカお前! 何してんだ! 何を脱いでるんだ!」

「? だって濡れたまま着替えなきゃ風邪引いちゃうよ?」

「だ、だったら先に……」

 目を背け、ヨウは顔を背ける。その赤面したヨウの顔をカイリが覗き込もうとして、ヨウはそれから隠れるようにさらに顔を逸らした。

「変なの。そんなに私の裸見たくなかったの?」

「見たくないんじゃない。見ちゃならないんだよ」

 きょとんとした表情で小首を傾げるカイリにヨウはそう言う。

 濡れた服を脱ぎ去ったカイリの体は、想像していたよりもずっと女性的な体だった。

 手の平に収まるか収まらないかというぐらいの大きさの胸に、細身ではあるがほんの僅かに肉の付いて柔らかそうな足や腹部。どうやら着ていた服はヨウが思っていたよりもずっと厚く、ボディラインを隠してしまっていたらしい。先ほどまでの子供っぽい言動とは正反対のその肢体に、ヨウはさらに顔が赤くなるのが自分でも分かった。

 ――けど……。

 視界の端で、小屋に置かれていた着替えの服に袖を通すカイリをチラリと見る。

 体や顔立ちはたしかにヨウと同じぐらいの年齢の女の子だ。だが、その手足は間違いなく人間とは別の形をしている。

 ビニティ。それが彼ら一族の名だ。そしてそのビニティ達にとっては、やはりヒトであるヨウは異形な存在であることに変わりはない、その筈なのに……。

「カイリ。お前は何で俺のことをこの村に置いてくれたんだ?」

「へ?」

 ヨウの問いかけにカイリは少しだけ驚いたような表情を見せ、しばらくして誤魔化すように曖昧に笑って視線を逸らす。

「そ、そりゃあ……ほら、ヨウが困ってるみたいだったから助けようと思っただけだよ……」

「……そうか」

 その言葉にヨウも適当に頷く。

 ヨウを助けたかったというのも噓では無いだろう。今日少し会話しただけでも、カイリが裏表のないとても優しい心を持った相手だということはヨウにも分かる。しかしその理由の裏側に、ヨウに話せない何か本当の理由があるのが透けて見えた。

 ――まあ、話したくないってんならいいけど。

 せかせかと火の周りに串を打った魚を立てていくカイリを手伝いながらそう考える。自分を助けた理由が気にならないわけではないが、わざわざ詮索するのも趣味が悪い。

「しっかしそれにしても、あの村もそうだったけどこのダムやら小屋やらも凄いな。立派なモンだ」

「そうかな? 私は生まれた時から見てるからよく分かんないけど」

 話題を切り替えるつもりで発したその言葉に首を傾げながら、カイリは焚き火に枝を足していく。

「いや凄いさ。このダムにしたって何キロにも渡って川の流れをコントロールしてる。こんだけでかいダム……一体どれだけの時間をかけて作り上げたんだか」

「えっと……確か三日ぐらいかな?」

「三日!?」

 ひいふうみいと指を折って数えたカイリに、ヨウは思わず大声を上げる。

「す、凄いな本当に……ビニティって種族は」

「別に私たちが凄いんじゃないよ。凄いのはランタン達……ビークだね!」

 そう言ってカイリが得意げにランタンを指差す。当のランタンの方は夢でも見ているのか目を閉じてむにゃむにゃと口を動かしていた。

「ビーク……それがそいつらの呼び名なのか?」

「うん。ビークが森の木を切り倒して運んで、それを私たちが加工するの。力仕事はビーク達が、組み立ては私たちが、それぞれ持ちつ持たれつで一緒にやってきたんだー」

「そうか……働き者の良い相棒なんだな。ビーク達は」

「えへへー」

 何故か自分が誉められた時よりも嬉しそうに笑うカイリに、ヨウもおかしくなってクスリと笑う。

 ――そう言えば……大昔に巨大なビーバーがいたって聞くな……。

 どこから聞いたかも分からない記憶を思い出し、ヨウはふうむと唸る。

 カストロイデス。ヨウが生きていたであろう西暦二千年初期からおよそ一万年前に生息していたとされる巨大なビーバーである。二百キロ以上の巨体を持ち、木の皮などを食べていた、水辺で暮らしていたなどビーバーとも多くの共通点を持っている。

 ただ、彼らはその巨体が災いして普通のビーバーのように住処を作ることはできなかったと聞くが……。

 ――いやそうか……だからビーク達が暮らせる住処をビニティが与えてるのか。

 考えれば考えるほどよく出来た仕組みだ。きっとそういう生き方をずっと続けて、最適な形に少しずつ変えてきたのだろう。

「ほいっと、焼けたよヨウ!」

「お、ありがとうな」

 すっかり焼き色のついた魚を取ってヨウに手渡すカイリ。ヨウは軽く礼を言ってそれを受け取る。

 ジュウジュウと小さく脂の弾ける音と香ばしく焦げた皮目の匂い。何の魚かは分からないが、五感を通して食欲に強烈に訴えかけるその魚を前に、ヨウは思わず唾を飲み込む。

「……いただきます」

 空いた手で頭を掴み、空腹に任せて魚に腹から齧りつく。その瞬間、前歯が焼けた皮をぱりっと破り、薄い塩味のついた身の味が口いっぱいに広がった。

「ッ……」

 美味い。言葉にならないぐらいに美味い。だが、それ以上にヨウが驚いたのは魚についたその味だった。薄味ではあるが間違いなく、魚の身に後から振られた塩の味である。

「これ……」

 口いっぱいに頬張った魚をゴクリと飲み込み、ヨウは同じように魚に齧りついているカイリに問いかける。

「これって……塩の味だよな……?」

「味薄かった?」

「いやそういうんじゃなくて……ビニティは塩も持ってるのか?」

「ああそういうことか。うん、これだよ」

 そう言ってカイリは首から提げていた小さな木筒をヨウに見せる。完全に密封されたそれの蓋をポンと開くと、中に黄土色をした大粒の塩が見えた。 

「この河をずっと下っていったらとってもしょっぱい大きな湖があるの。そこの水を乾かして、このお塩を作ってるんだよ」

「え、塩田まであるのか……」

 ビニティの文化レベルに舌を巻きつつ、ヨウはもう一口魚を頬張る。

 しかしそこでヨウは、カイリの目がじーっとこちらを見ている事に気付いた。

「……? どうした?」

「ヨウって……すっごくいろいろなことを考えてるよね」

「な、なんだ急に」

「今だって私の話を聞いていろんな事を考えてたみたいだし……それってやっぱり、この世界をたくさん見てきたからなのかな?」

「見てきた……のかもな。覚えてないけど」

「覚えてない?」

 こちらの顔を覗き込むカイリに、ヨウは少し目を伏せて口を開く。

「俺は今日目を覚ましたらこの森にいたんだ。それ以前の事は覚えてないんだよ」

「っ……そ、それって……」

 はっと息を呑むカイリ。その表情を見て、話すんじゃなかったとヨウは僅かに後悔する。

 ヨウ自身は記憶が無いことについては特に気にしていない。だがそんな表情をされると何だか悪いことでもしてしまった気になって……、

「それって……ヨウは昨日のことも忘れちゃうぐらいうっかりさんだって事……?」

「……ああそうだ」

 わなわなと震えながらそう聞いてきたカイリに、無表情で頷いてみせる。途端カイリの表情がぱあっと明るく輝いた。

「そうなんだ! いやあヨウって中々抜けてるところもあるんだねえ! なんだか安心したよ私!」

「そう言ってもらえてなによりだよ……」

 少し言いたいこともあったが、カイリが嬉しそうならそれが何よりである。

「……そっかあ、何も覚えてないんだね」

「どうした?」

「っ! ううん何でもないよ!」

 その時、カイリの表情に僅かに影が過ぎった。それを指摘され慌てて笑って誤魔化すカイリだが、しばらく笑ったその後にふとヨウの目を見つめる。

「じゃあ……ヨウはさ、この世界の果てに何があるのか……知らないんだよね?」

「世界の果て?」

「っ! わあああ! 今の無し今の無し! 忘れてヨウ!」

 自分で口にした言葉を慌てて否定し、カイリは二本目の魚に齧りつく。

「……世界の果て、か。けどさっきも話した通りこの世界は丸いから、どこまで進んでも果てに突き当たることは無いぞ」

「……っ、笑わないの?」

「何を?」

 魚を口にしていた動きをピタリと止め、信じられないというような表情でカイリはヨウを見る。

「だ、だって私……今とんでもないこと言ったよ? 世界の果てがどうのって……」

「……カイリが何を言っているのかは知らないけど」

 そう言ってヨウは手に持っていた魚を口に運ぶ。串についていた残りの身を骨ごとバリバリと咀嚼し、ゴクリと飲み下して口を開いた。

「自分が見たことの無い景色に憧れるのは別に変わった事じゃない。カイリぐらいの年齢なら特にな」

「っ!!」

 その言葉を聞いた瞬間、カイリの尻尾がぴーんと立つ。そしてブルブルと体を震わせ、今まで見た中で一番嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ヨウ~っ! よく言ってくれたね! 私は嬉しいよ!」

「っ!? な、何だよ急に!?」

 嬉しそうな声を上げて抱きついてくるカイリ。その体の柔らかさと、触れた肌から直に伝わってくるカイリの喜びの感情にヨウは面食らう。

「そうだよね! この世界の果てを見てみたいって思うのはおかしな事じゃ無いよね!? ヨウもそう思うんだよね!?」

「あ、ああ……そうだけど……」

「く~っ! 良いこと言うね! その通りだよヨウ!」

 嬉しそうにそう叫び、カイリは体を離す。そして瞳をいっぱいに光輝かせてそれを口にした。

「私! この世界の果てを見に行きたいの! いつかこの村を出て! 森の外の世界を旅して!」

「っ!」

 その言葉にヨウは先ほどのカイリとの会話を思い出す。自分の事を何故助けたのか言い渋っていたカイリだったが、恐らくは……、

「……まさかお前、俺を庇ったのも……」

「うん! ヨウが世界の果てに何があるのか知ってるかもって思ったから!」

 笑顔のままそんな事を言うカイリ。しかしそこで、はっと我に返って慌てて首を横に振る。

「ち、違うよ!? 別にそれだけが理由でヨウを助けたわけじゃ無いからね!? 例えヨウが何にも知らなくたってちゃんと助けてあげたからね!?」

「いや、大丈夫分かってるよ」 

 言い訳をするカイリに少し笑い、ヨウは改めてカイリを見る。

「けど……さっきも言ったようにこの世界は丸いんだ。だからカイリの言うような果てはどこまで行っても……」

「……ううん、そういう事じゃないよ。私が言ってる世界の果てっていうのはね」

 ヨウの言葉にカイリはフルフルと首を横に振る。

「世界の果てっていうのはきっと、この世界で一番綺麗な場所だと思うの」

「綺麗な場所……?」

「うん。こう、すっごくキラキラしていて……その光景を見ることが出来たならもうそこで死んでもいいって思えるような……そんな場所がもしあったなら、この世界が例え丸くたってそこが世界の果てだと思わない?」

「……」

 揺らめく炎に照らされるカイリのその表情にヨウはドキリとする。ただ可愛らしいと言うだけではない、この場所よりもずっと遠くを見据えたその目に吸い込まれそうになる。

「うー……なんだか恥ずかしいねえ。私こんな夢みたいな事考えていて……」

「いや別に、そんな事は――」

 その時、一陣の風が小屋の中に吹き込んだ。その風は焚き火を揺さぶり、炎が風に吹き散らされて消えて闇の帳が狭い小屋の中に降りた。

「あっ、ごめんねヨウ。すぐに火をつけるからちょっと待って」

 そう言いながらカイリは慌てて火打ち石を擦る。しかし暗闇の中で手元が定まらないのか、火花が散るばかりで中々火がつかない。

「いやいいよカイリ。飯はもう食い終わったしそんなに急がなくても」

 と、そこまで言ったところで、暗闇に少しずつ目が慣れたヨウは小屋の外からぼんやりとした光が差し込んでいる事に気付いた。

「……?」

 立ち上がり小屋の外に顔を出す。そして蓮太郎はその光景に息を呑んだ。


 その日、生まれて初めてヨウは星を見た。 


「すげえ……なんだこれ……」

 知識として星空は当然ヨウは知っていたし、その頭の中の写真は実際今見ている星空と変わらないものだ。

 だが、今目の前にある光景はそんな頭の中のイメージなどとは比べものにならないぐらいに、雄大だった。

 透き通るような暗幕の上に銀を砕いて散りばめたような輝き。人間が作り出した軌道エレベーターなど問題にもならない、頭の上を跨ぎ、この大地全てを覆い尽くす、遠近感さえも掴めないほど巨大な美しい闇が頭上に広がり、圧倒的なまでのスケールで作り出された星のパノラマが、光源の無いこの森を包み込んでいる。

 ――そうか……この光景は、人間が居なくなった世界だからこそなのか……。

 文明が消え、人が消え、何の為に生きれば良いのか分からなくなっていたヨウだが、この光景だけでも目覚めた甲斐はあったと思う。

 そして、もう一つ胸に去来した想いがあった。

「カイリ」

「うん?」

 まだ火打ち石と格闘しているカイリに、ヨウは視線を向ける。

「……火、もういいんじゃないか。俺も疲れたし今日は寝よう」

「そう? まあヨウがそう言うんならいいよ」

 そう言ってヨウは小屋に戻り、床に敷かれた干し草の上に寝転んだ。そのすぐ側ではカイリがランタンに寄りかかって座り込む。

「ねえヨウ、教えてよ。私が知らない話」

「今日はもういいだろ……俺も疲れた……」

「えー、ケチだなあ」

「明日になったらいくらでも話してやる。だから今日は寝るぞ」

「……うん、そうだね」

 それっきり、二人は口を閉じる。ヨウはまどろみの中で、先ほど言おうとして止めた言葉を思い返していた。

 ――この世界は俺の知っていた世界とは大きく変わった……なら、カイリが言うような世界の果てだってもしかしたら……。

 その言葉をもし伝えていれば、カイリはきっとビニティの村を出てしまっただろう。失敗の可能性や危険など気にもせず、ただ逸る心の赴くままに。

 カイリはきっとこの世界の誰よりも自由だ。だからこそヨウは、知っていると言うことの責任を常に覚えておかねばならない。いつでもカイリをこの場所から解き放つことが出来てしまう自分の言葉の重みを。

 ――なんて……考えすぎか……。

 そうして、ヨウの意識が闇の中に沈んでいく。明日はカイリに色々と話してやらなければならないことがあるのだから、しっかり体を休めなければ。

 明日……そう明日の話だ。ヨウがこれからこの世界で生きる長い長い時の話。


 カナタ・ヨウの最初の一日は、そうして終わりを告げた。



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