洗礼

「ッ!? な、何だ!?」

「ほう、もう帰ってきよったか」

 突然鳴り響いた轟音に、何事かと慌てて家から飛び出す。するとそこには、他の村人達に囲まれて一人の男が立っていた。

 ――な、なんだアイツ……。

 それは異様な男だった。服装、手足や尻尾に見られるビーバーとしての特徴こそ他の連中と同じだが、明らかに身に纏う雰囲気が異なる。

 かなり大きな、目算でも二メートルは超えていようかという長身に加え、筋骨隆々に鍛え上げられた体格。肩から露出している腕だけでも、その鎧のような筋肉量が見て取れる。

 そしてそのすぐ側には、家一件分はあろうかというほど巨大な猪の死体が転がっていた。

 この閉じられたコロニーの中にどうやってあれを持ち込んだのかも気になるが、それ以上にヨウが信じられなかったのはその猪のサイズだった。あのサイズならば重さは低く見積もっても一トンは下らないだろう。

 ――あんな化け物を、一体どうやって?

「で、どいつだその余所者ってのは」

「あ、あいつだシロッコ! あのババ様の家の前に立ってる奴!」

 低く腹に響くような声で尋ねたシロッコに、村人はヨウの方を指差す。

 そしてシロッコの射殺すような視線が、ヨウの視線と重なった。

「テメエか……なるほどマジでビニティじゃねえ。何しに来やがった」

「ッ……」

 静かな声ではあったが、それでもヨウは自分の背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。檻の無い場所で猛獣と向き合ったような、押し潰すような恐怖が背筋を舐める。

「……俺は、ここの村人に助けてもらった者だ。アンタらの警戒も分かる……けど俺はもうここを出ていくつもりで――」

 その瞬間、シロッコが地面に拳を叩きつけた。

 土が大きく抉れて衝撃で空気までもがビリビリと振動する。信じられないことに、今の一撃でほんの僅かだが村全体が傾く。

「笑えねえな……テメエ生きてここから出て行けるとでも思ってんのか」

「ッ?」

 その言葉と共にシロッコが一歩踏み出す。あまり感情を表情に出さないヨウも、流石に僅かな焦りの色を見せる。

「ちょ、ちょっと待てよ。俺は出ていくって言ってるんだぞ?」

「無事に帰した後にテメエが仲間連れて戻ってこねえ保証がどこにある。あん時みてえによォ!」

 そう言ってシロッコが前傾姿勢を取る。体重を前に乗せ、こちらを八つ裂きにせんばかりに敵意を向ける。

「どっちにしろテメエはここで終わりだ」

 その瞬間、シロッコが一歩踏み出す。

 互いの間にあった距離は十数メートル。その距離をシロッコは一歩で潰した。

「ッ!?」

 瞬きなどしていなかった。だがその動きは追えなかった。そして気付いた時には既に目前まで迫ったシロッコが拳を振りかぶっている。

 ――やばい……。

 腕の筋肉が皮膚を突き破りそうなほどに隆起している。人の形に納まっていること自体がおかしいレベルの莫大な膂力が、ヨウの頭に照準を合わせる。

 ――これ……死ぬ……?

 そして、シロッコが拳をヨウの頭目がけて振り抜く。だがそれでもヨウの思考は圧倒的なまでに状況に追いついておらず棒立ちのまま――、

 その時、咄嗟にシロッコの腕をヨウが掴んだ。

「ッ!?」

 振り抜かれた腕。それをヨウは掴み、力の流れを逸らして躱した上で絡め捕る。そして腕を捕った状態でシロッコの重心を崩した。

「ぐッ!」

 体勢を崩されたシロッコが地面に倒される。そして腕を捕った状態で背中を踏みつけ、完全に身動きを封じた。

「ッ……ぶっ、はぁ……」

 そこまで来てようやくヨウの思考が現状に追いつく。気がつくと、自分はシロッコを完全に組み伏せていた。

 ――な、なんだ……? 一体何が……?

 自分でも何が起きたのか分からない。あの瞬間ヨウは確かにシロッコに対して反応できていなかった。しかしヨウはシロッコに対して全く知らない技術で迎撃し、そして今こうして動きを封じている。

 ――いや、違う……知らない技術じゃない……今のは明らかに体が覚えていた動きだった……。

 咄嗟のことで思考が介在する余地は無かった。あの状態で出た動きはつまり、ヨウの体に染みこんでいた動きということだ。

 すなわち、記憶を失う前のヨウが持ち得ていた知識ということになる。

「テメエ……どういうつもりだ……?」

「……どういうつもりも何も、アンタが話を聞かないからだろうが」

 取り押さえられたまま低い声を放つシロッコに、ヨウはやや威圧的に言葉を返す。

「俺はここを出ていく。だから、頼むから邪魔してくれるな」

「さっきも言ったろうがぁ……俺はテメエをここから生かして帰す気はねえ」

 その時、ミチリとシロッコの腕に筋繊維が浮かび上がる。

「それにテメエ、なんだこりゃ」

「ッ?」

 ――噓だ。そんな筈……。

 ヨウの体がフワリと浮く。全体重をかけて動きを封じていた筈のシロッコが、腕を捕っているヨウを意に介さず立ち上がった。

 シロッコの腕の筋肉が倍ほどに隆起した。

「弱ええんだよ! この異種族がァ!」

 その瞬間、シロッコの腕が振るわれ、ヨウの体が小石のように軽々しく吹き飛ばされ、家屋の一つに砲弾のような勢いで叩きつけられた。

「ッ!!?」

 意識が飛ぶかと思うほどの衝撃。力任せの一撃で家の壁が叩き割れ、全身が家屋にめり込む。そしてその直後に、叩きつけられた背中から腹へと衝撃が貫き、体の中の空気が全て口から押し出された。

「カ、ハ……ッ!」

 何とか死んではない。だが体が言う事を聞かない。

 あの体勢から平然と起き上がり、自分の体を腕だけで十メートル近く投げ飛ばして叩きつけた。有りうべからざる膂力である。

「チッ、まぁだ生きてやがるか」 

 不機嫌そうにそう言いながらシロッコはこちらへと歩いて行く。既に死に体となっているヨウに対してもう警戒はしていない。だが敵意だけは未だに漲らせたまま。

「やっちまえシロッコ!」

「叩き出せそんな奴!」

 周囲からはシロッコに向けて歓声が上がる。しかしそれを聞きながらもヨウは立ち上がることも出来ない。

 このまま自分は殺されるのだろう。しかし焦りは無い。どの道この右も左も分からない世界に放り出されれば遅かれ早かれ野垂れ死んでいたのだから。

 ――でも……アイツに礼を言ってなかったな……。

 ヨウをあの鰐もどきから助けてくれたカイリ。例え同族と間違えての行為なのだったとしても、ヨウはキチンと礼を言えていなかった。それだけが唯一心に引っかかる。

 せめて最後に、カイリに対してありがとうと言ってから――、


「やめてお兄ちゃん! 何してるの!?」


「ッ!? カ、カイリ!?」

「……?」

 その時ヨウとシロッコの間にカイリが両手を広げて立ち塞がる。先ほど話していた時とは違う、明らかに怒ったような声音だ。

「何でこんな事するの!? 酷いじゃんお兄ちゃん!」

「い、いやカイリ違う。そいつぁここの外からやって来た奴で……危険な可能性もあるから……」

「危険かどうかなんて会ってすぐ分かるわけないじゃん! バカじゃないの!?」

「うぐっ……」

 あれだけ恐ろしかったシロッコをカイリが凄まじい剣幕で圧倒している。だがそれより、ヨウにはどうしても気になることがあった。

「お、おい……」

「あっ! 大丈夫!? 怪我してない!?」

「いや、それは大丈夫なんだけどさ……お前、アイツとどういう……」

「へ? 妹だよ?」

 震える指でシロッコを指したヨウにカイリはキョトンとした表情でそう言う。そしてヨウは小柄で可愛らしいカイリと、筋骨隆々の巨漢であるシロッコを交互に見た。

 はっきり言って、全く似ていない。

「……突然変異か?」

「とつぜんへんい?」

「いやこっちの話だ」

 小首を傾げるカイリにそう言って一息つくヨウ。と、そこにまた一人踏み込んでくる。

「シロッコよ。お主何をしておるのじゃ?」

「ババア……」

「其奴はここの客人じゃぞ。それにこんなに暴れ回りおって……」

 そう言って家から出てきたのはビャクシンだった。そして崩れ落ちた家屋や抉られた地面を眺めて呆れ混じりのため息をつく。

「家もそうじゃがお主の馬鹿力のせいで村の土台が歪んでしもうたではないか。今すぐ直すのじゃ」

「ま、待てババア! その前にそいつを――」

「こやつのことはもうよい。族長権限じゃ。しばらくここに置く」

 ――え……?

 その言葉にヨウは自分の耳を疑った。周りの連中もざわつき、シロッコは信じられないという表情で目を丸くしている。

「オイオイ……オイオイオイオイ! 何言ってんだババア! テメエ耄碌しておかしくなったのか!?」

「儂ではないぞ。これはカイリが決めた事じゃ」

「なッ!?」

 ヨウも含めたその場の全員の視線が一斉にカイリに向かう。その中でカイリはあっさりとビャクシンの言葉を首肯して見せた。

「そうだよ。いいでしょべつに」

「お前自分が何言ってんのか分かってんのか!? そいつは外から来た余所者で――」

「お兄ちゃんこそ、自分が何をしたのか分かってる?」

 そう言ってカイリは、ジト目で壊れた家を指差す。

「それ、私たちの家だよね」

「あ……」

 それを指摘された瞬間シロッコの表情が面白いほどに凍り付く。

「あ、いやそれはだな……」

「お兄ちゃんテンションが上がっちゃったのは分かるけどさー、でもこれはちょっと駄目だよ……ね?」

「ぐっ……」

 ――凄いな……あの化け物を黙らせてる……。

 カイリの様子を後ろから見ていたヨウは静かに舌を巻く。と、そこでカイリがクルリとこちらの方に体を向けた。

「さて……そんじゃ行こっか」

「え?」

 壊れた家に寄りかかるヨウの手を取って立ち上がらせるカイリ。その様子を見たシロッコが慌てて声を上げる。

「ま、待てカイリ! テメエそいつとどこに行くつもりだ!」

「どこって……外だよ? 上流のダムの小屋まで一緒に行くの」

「はあッ!?」

 シロッコが素っ頓狂な声を上げる。しかしヨウも内心としては同じ気分だった。カイリが何を言っているのか意味が分からない。

「何を言ってやがるカイリ! もうすぐ日も暮れるんだぞ! それにそんな奴と二人なんざ!」

「二人じゃないよ。ランタンがいるもん」

「ビークじゃねえか! ンなもん人数に入るか!」

「ええい、うるさいのシロッコ」

 熱を上げて声を張り上げるシロッコだったが、そこにビャクシンがやんわりと言葉を挟む。

「そもそもカイリが外に行くと言い出したのは、お主が家を壊して今晩寝泊まりする場所が無くなったからじゃ。それに来たばかりのヨウにも寝泊まりする場所が必要なのじゃから、それなら二人でそこに行くのが一番都合が良いじゃろ」

「他種族と二人ってのがそもそも危ないんだろうが! 馬鹿言ってんじゃねえ!」

「だからランタンもいるってば」

「そいつを数に入れるのやめろ!」

 流石は兄妹だ。流れるような漫才である。

「さ、お兄ちゃんなんて放っておいて行こ」

「あ、ああ……」

「待てテメエら! クソ誰か止めろ! いや、やっぱり俺が――」

「ならん。土台と家の修繕にシロッコが獲ってきた肉の解体もある。今日中にやってしまわねばならん仕事が山積みじゃからな」

 シロッコが叫ぶがそれをビャクシンが冷静に制止する。それを横目にカイリは呆れ混じりにため息をつき、ヨウの手をぐいぐいと引っ張っていく。

「まったくもう心配性なんだから……」

「……なあ、なんで俺の事を――」

 その時、ゴツンと腰の辺りを何かに小突かれる。

 振り返ると、そこには熊ほどもあろうかという大きなビーバーがヨウの顔を見上げていた。

「っ……」

「ランタン? 外で待っててくれてよかったのに~」

 そう言いながらカイリはランタンと呼ばれた巨大なビーバーの背中をポンポンと叩く。

「この子が私の相棒のランタン! って、あれ? そう言えばまだ私、君の名前聞いてないね」

「? そういやそうだったか……」

 言われてみればまだキチンと自分の名前を名乗っていない事を思い出し、ヨウは改めて名前を名乗る。

「俺の名前はカナタ・ヨウだ。ヨウって呼んでくれればいい」

「私はカイリ。よろしくねヨウ」

 そう言ってカイリはニコニコと笑う。嫌悪に満ちたここの村人や老獪さに隠れて真意の読めないビャクシンとは違う、眩しいほどに真っ直ぐな笑顔だ。

「さ、そんじゃあ行こう! お兄ちゃんがまた何か言ってくる前にね!」

 そう言ってカイリは笑顔のままヨウの手を引き、

 そのままヨウごと水の中へと飛び込んだ。


 その後、ヨウがもう一度溺死しかけたことは言うまでもない。

   

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