ビニティ

 意識は闇の中にあった。未だに水中を漂っているような気持ちの悪い浮遊感に晒されながらも、瞼から微かに差し込む光に意識を起こされる。目覚めて、一番最初に感じたのは酷い息苦しさだ。

 というか、呼吸が出来なかった。

「ぶはあっ!!」

「ひゃあ!?」

 込み上げるように咳き込み、ヨウは喉の奥に栓をしていた水を吐き出す。それに驚いて何故かヨウの顔を覗き込んでいた少女が尻餅をついた。

「げほっ! ごぼっ……あ、ぶ……っ」

 地面に手をつき、必死に咳き込んで喉の奥の水を吐き出していく。そしてようやく一心地ついたところでヨウは大きく深呼吸して、自分が手をついている地面の違和感に気付く。

 ――土?

 先ほどまで自分が転げ回っていた森とは違う、硬く踏みしめられた土の地面だ。

 その時、ヨウは周囲がわざついていることに気付く。

「あいつ……何なんだ……?」

「どうしてカイリはあんなのをここに……」

「……?」

 周りからかけられる不安げな声。その声に顔を上げ、ヨウは思わず息を呑んだ。 

 木と土で組み上げられた天蓋に、木と草で作られたいくつもの家々。そして天蓋の隙間からは柔らかい日差しが射し込み、外からは河のせせらぎの音が聞こえてくる。

「だ、大丈夫……?」

「っ!」

 村の景色に驚いているヨウの顔を、一人の少女が心配げに覗き込んでくる。

「あ、あの……ごめんね。まさか溺れるとは思ってなくて……」

「え、いや……」

 ヨウを助けた少女がたどたどしく何ごとかを謝っている。しかしヨウの感心はそこにはなく、

「その……手とか尻尾とか……どうなってるんだ?」

「え?」

 ヨウの問いかけにキョトンと首を傾げる少女。その動きに合わせて頭の耳がぴょこんと揺れる。

 一言で言えば、とても可愛らしい女の子だった。年齢はヨウと同じぐらいだろうか? 大きな目と水に張り付いた耳にかかるショートカットの髪がとても可愛くて、それでいて少し扇情的だ。

 だがその手足はふさふさとした茶色い毛で覆われていた。遊牧民風の服から伸びた手足はすらりと長いが、しかし手足の指先には水かきまでついている。そして尻の辺りには服にスリットが入り、そこからオール状の黒い尻尾が顔を出している。

 顔つきこそは人間の女の子だが、その姿は人間とビーバーが混ざったような異形なものだった。

「手とか尻尾……お、おかしい、かな?」

「いやおかしいっていうか……」

 そもそも毛皮に覆われた手足や尻尾を持っていることそのものがおかしい。とはさすがに言えず、ヨウは周りを見渡す。

 ヨウの周りには数十人、この少女と同じようなビーバー人間が立っていた。性別年齢全てまばらだが、それぞれが皆一様に同じように尻尾と水かきを持っている。

「ほれほれ退いた退いた。そんなに囲んでおっては客人が怯えるじゃろうて」

 その時、野次馬の壁を掻き分けて一人の老婆が顔を出す。相当高齢なのかすっかり腰が曲がり、他の者がブラウンの体毛なのに対し、そいつだけが真っ白な体毛をしている。

 ――このばあさんが……ここの族長か?

「あの……」

「ああ、お主のことはカイリから聞いておる。災難じゃったなぁ」

「災難?」

「うん、キミ森の王に襲われたんだよ? ほら、あの大っきなの」

 カイリの言葉にヨウはあのワニもどきのことを思い出す。そう言えば、あれから逃げている最中で自分は助けられたのだ。

「そうか……ありがとうな。お陰で助かった」

「えへへ、どーもどーも」

 真っ直ぐに目を見ての礼にカイリは照れたようにはにかむ。その感情に合わせて、尻尾やら獣耳やらがピコピコ動いていた。

「ふうむ、何故森の主がこんな森の奥までやってきたのかは気になるが……それよりお主……」

「……?」

 唸りながらビャクシンは興味深そうにヨウの顔を覗き込む。そして、

「……まあよい。何はともあれお主も一旦休まれよ。ひとまずは濡れた体を拭かねばの」

「あ、ああ……」

 カイリの手を借り、ヨウはフラフラと立ち上がる。掴んだ手は皆毛で覆われていて、手の平には弾力のある肉球の感触。それだけでもこの相手達が人間ではないと言う事が伝わってくる。

「それでは儂の家に案内するで、ついてまいれ」

 そうビャクシンが口にした。その瞬間周りでヨウ達を取り囲んでいた連中がざわつく。

「ババ様! そりゃあいくらなんでも!」

「やめなよババ様! 危ないよ!」

「何が危ないもんかね。ほれお主らも仕事に戻らんか。上流のダムに刺さった流木、まだそのままなんじゃろうが」

 そう言って心配そうな声を上げる連中をしっしと追い払い、ビャクシンはヨウに手招きをする。

 ――俺は……厄介モンらしいな……。

 周りのリアクションを見ながらヨウは嘆息する。まあそれも仕方の無い話だ。いきなり姿も違う生き物が出てきて、それを歓迎しろと言う方が無理な話である。

「あ! 私も行く!」

「ん?」

「ねーいいでしょお婆ちゃん! 私も話がしてみたい!」

 しかし、そんな中でカイリだけが元気に声をあげた。周りの連中のような警戒心ではなく、溢れそうな好奇心で目を光らせながら。

「儂ではなくそっちの坊主に聞かんか」

「あ、そうだね。ねね? 一緒に行ってもいい? いいよね!」

「……ああ、まあ構わないけど」

「やったあ!」

 見ているこっちまで嬉しくなってくるほど大きな声で喜ぶカイリ。

 そして、ヨウは周りからの刺すような視線に晒されながらビャクシンの家に向かった。


    ・ ・ ・


 案内された場所は、コロニー出入り口から一番離れた場所にある小さな家だった。木で組まれた骨組みと泥で形作られた壁、天井は葉の繊維を編み込んだ光を透かす薄い屋根、こんなもので雨風を防げるのかと不安になるような作りだ。

「いや、そうか……このコロニーの中なら雨風を防ぐ必要も無いのか……」

「え? どうしたの?」

「ああいや、なんでも……」

 つい口に出してしまった考えに食い付いてきたカイリに曖昧に言葉を返し、ヨウたちは葉っぱで覆われた暖簾のような扉を潜って家に入る。

「っ……」

 部屋に入ったヨウは思わず声を上げそうになった。

 部屋の内装は外から見た家のみすぼらしさとは不釣り合いなほど綺麗な作りだった。床は平坦に整えられた板で覆われ、机や椅子といった家具も華美ではないが実にしっかりと作られていて、その奥には簡易なキッチンや洋服棚さえある。他にも何部屋かあるようで奥には葉っぱで覆われた扉が見えている。

 内装は家具も含めて全て木で出来ている。ヨウが知る時代の家屋と比べても遜色ない、いやそれどころか数段上の出来映えだった。

「あ! コラコラ足ちゃんと洗って! 床が汚れちゃうでしょ!?」

「あ、ああ……悪い。これか?」

 カイリに言われて慌ててヨウは入口に据え置かれた木桶を手に取って、その隣の樽のように大きな槽から水をくみ出す。中には澄んだ水が注がれていて、水を流す為の排水溝もきちんと作られている。

「すごいな……」

「……? 何が?」

 ヨウが何を言っているのか分からない様子のカイリを背に、自分の足を洗い流し、木綿のような触り心地のタオルで足を拭いてヨウは改めて家に上がる。見るとビャクシンは既に椅子に座って待っていた。

「さて、座りなされ」

「ああ……」

 ビャクシンに促され対面に座るヨウ。と、そこでカイリが不思議そうにキョロキョロと辺りを見渡す。

「……? おばーちゃん私の椅子は?」

「ここには椅子は二つしかないでの。お主は立っておれカイリ」 

「えーっ!? なんで!? 私も疲れてるのにーっ!」

「静かにせい。河で生きるビニティの一族が、そんな事で情けない声をあげるでない」

「……ぶー」

 小さい体でぴしゃりとそう言い放ち、拗ねたようにカイリは唇を尖らせる。喜怒哀楽に合わせてコロコロとよく表情の変わる女の子である。

「あの……そのビニティってのは?」

「うむ、ビニティとは儂らの種族の名じゃ。他の種族の連中どもも、儂らをそう呼んでおる」

「ッ!?」

 何気ないビャクシンの言葉。しかしその言葉の端にあった聞き捨てならない情報にヨウは思わず食い付く。

「ほ、他の種族って言ったか? ここ以外にも、アンタ達みたいな連中がいるのか?」

「ふっふーんそうだよー? コロニーの外の、このセキエイの森を抜けたずっと先には私たちとは違う姿をした人たちがいっぱいいるんだって! びっくりしたでしょ?」

 自慢げに語るカイリ。しかしヨウが言っているのはそういう事ではない。しかしヨウの言いたい事を察したビャクシンは、ふうむと唸りながら口を開く。

「……そうじゃなぁ。お主の考えておるように、この森の外にもお主とは違う者達が暮らしておる。若い頃にはこの森の近くにある小国ぐらいまでは足を運んだが、お主のような者はとんと見んかったの」 

「……そうか」

 流石に驚きを隠せずにいた。目覚めて驚かされてばかりのこの世界、しかしどこかにヨウと同じような境遇の者がいるのではないかと思っていたが、その予想は大きく外れてしまっていたらしい。

 この森の外にも世界は続いていて、そしてそれを治めているのはビニティ達とは姿こそ違えども人間とは全く違う生物――言わばここは獣人達の世界なのだ。

 つまりこの世界には、ヨウ以外の人間はいないという事になってしまう。

「あれ? どうしたの? 思い詰めた顔してるけど……」

「……いや、大丈夫だ」

 こちらを覗き込んでくるカイリに辛うじて平静な声で返す。しかし頭の中は未だにパニックだ。

 ――この状況……眠っていて目覚めたら人間のいない世界。どう考えるべきか……。

 ひとまず状況を整理する。ここはこの世界のどこかしらにある大きな森(カイリはセキエイの森と呼んでいた)のどこか。そしてここ以外にも獣人は国まで作って暮らしているというのにビニティ達がこの場所に住み続けている事を鑑みるに、恐らくは文明圏とは隔絶された少数部族のようなものなのだろう。

 そして目覚めた場所から随所に垣間見えた文明の残滓……、

 ――ならやっぱりここは、未来の世界なのか……、

 考えていた可能性ではあったが、改めて胸中で呟き思わず笑ってしまいそうになる。あまりに突拍子も無い話だ。

 だが、そう考えれば文明が森に飲まれている事も人間がいない事も説明がつくし、仮にそうだとしてヨウが目覚めたあの場所が、人間をコールドスリープさせる為の装置だったと考えればこれまた色々と辻褄が合ってしまう。

 ただそうなると今度は、こんな前時代の面影を完全にぬぐい去るほど時間が経過しているとなれば、自分は一体どれほど眠っていたのか――

「坊主、大丈夫かの?」

「っ!」

 ビャクシンの声にはっと我に返る。考えに没頭するあまりどうやら周りが見えなくなっていたようだ。カイリもヨウの顔を心配そうに覗き込んでいる。

「だ、大丈夫? すっごく怖い顔してたけど……」

「……大丈夫だ。問題ない」

 なおも心配そうに「ホントに……?」と小さく漏らすカイリ。その尻尾も感情を表すようにショポンと倒れている。

「それにしてもキミって変わってるよね」

「え?」

「だって、ビニティって呼び方のことを今更聞くなんて。よっぽど忘れんぼだったのかな」

「……は?」

 小首を傾げるカイリにヨウは言葉に詰まる。

 どうしてカイリが自分に警戒心を抱いていないのか不思議だったが、もしかするとコイツは……、

「それに水の中に連れて行ったら溺れちゃうし尻尾もないしだし……あはは! これじゃまるでビニティじゃないみたいだね!」

「そうじゃ。其奴はビニティではないぞ」

「へ?」

 おかしそうに笑うカイリにビャクシンは当たり前のようにそう言い、その途端カイリの表情が固まる。

「そ、それって……キミもしかして、外から来たの……?」

「……ああ」

 カイリが目を丸くしているのを見てヨウは嘆息する。

 どうも警戒心が薄いと思ったら、どうやらカイリはただ単にヨウが同族ではないことに気付いていなかっただけらしい。

 ――こりゃ、もうここには居られないかな……。

「……悪かったよ。騙すつもりは毛頭――」

 目を丸くしているカイリに説明しようとした、その時だった。

 ズン、という腹の底まで響くような爆音が家の外から響いた。


  




   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます