レガシー

 最初に感じたのは臭いだった。かび臭いような埃っぽいような、とても清浄とは思えない濁った空気が鼻腔を抜ける。

 次いでゴウンゴウンと、静かに、しかし重たい音を立てる何かの稼働音。そしてその次にはヒンヤリとした空気が肌を撫でる感覚。

 そして最後にゆっくりと目を開く。薄い冷光の向こう側で稼働するいくつかの機械が見えた。

「…………?」

 体の感覚を確かめるようにゆっくりと指先を動かし、目だけを動かして辺りを確認する。その段になって少年は、ようやく自分が横になっていることに気付いた。

 ――なんだ? 俺は、どこにいるんだ?

 固まった関節を軋ませながら少年はゆっくりと起き上がる。見ると自分が横たわっていたのは長方形の光沢のない金属の桶だった。その内側にはファンが取り付けられ、それが少年にかび臭い空気を供給していたと知る。

 まるで棺桶のようだ、と益体も無い事を考えながらさらに部屋の中を見渡す。

 それ程大きくない、八畳ほどの広さの部屋にびっしりと機械が詰め込まれている。以前何かで見たスーパーコンピューターに似ているが、勿論それが正しくは何であるのかなど分かろう筈も無い。

 が、そこであることに気付いた。


「……俺は、誰だ?」


 少年は、自分の名前が分からなかった。いやそれどころか、自分がどんな人間で、ここに来る以前に何をしていたのか、どんな人格であったのかすらも思い出せない。そして、ここが何処なのかも分からない。

 詰まるところ自分についてもこの場所についても何一つ分からない状態でいた。

「……」

 状況を整理し、少年はため息をつく。

 意味が分からない。何が起きているのかも理解できない。だが不思議と焦りで心が波立つことはなかった。

――まあ、考えても仕方ないな……まずは動こう。

 あまりに状況が突飛すぎるのか、パニックになることもなく、やるべき事を合理的に考えて気怠げに立ち上がる。薄暗くて分かりづらいが、自分が着ていたのは緑色っぽい手術着だった。 

 さて、ここからどうするかと思案を巡らせ、とりあえず部屋の中を見て回ろうと、手術着姿のまま裸足でペタペタと部屋の中を歩き回る。薄い明かりを頼りに壁を伝って何があるのかを確認する中で、少年の視点はある場所に止まった。

「……?」

 暗くて気付かなかったが、よく見ると少年が眠っていた隣にもう一つ同型の槽があった。しかし槽は既に開け放たれていて、中には誰もいない。

 ――てことはもう一人はもう既に起きてるのか? ならもしかしたら近くに……、

 そんな事を考えながら少年はさらに部屋を見渡す。そしてソレを見つけて、一瞬表情が失せた。

「……ああ、確かに近くにいることはいたが…………」

 少年が見つめる先にいたのは恐らくは自分よりも先に目覚めたであろう先人だった。自分と同じような手術着を着て、槽の壁に寄りかかるようにして座り込んでいる。

 ただし、既に骨になってはいたが。

「……はあ」

 骨になった仏に手を合わせ、ナンマンダブナンマンダブと唱える。少年よりもよほど早くに目を覚まして、そして亡くなったのだろう。その骨には肉片の一片さえ残っていない。

 とりあえず後で供養してやろうと決め、少年は視線を横に向ける。そこには恐らくはこの部屋と外界とを区切っているであろうスライド式のドアがあった。 

 開かなかったらどうしよう、という嫌な予感を感じながら、壁に設置されていたLEDのパッドを見つけそれに手をかざしてみる。

 幸いにも認証機能は正常に作動し、パッドが少年の静脈を読み取る。そしてスライド式ドアからガコンという何かが外れる重々しい音が響き、ドアがギギギと開き始めた。

「はっ、助かっ――」

 ギギ……っ、

「止まりやがった……」

 三十センチを程開いたところで力尽きた扉に嘆息し、少年はその隙間に体をねじ込んで無理矢理に体を通す。

 外に顔を出すと、新鮮な風が頬を撫でた。室内の体に悪そうな淀んだ空気とは違う、澄んだ清涼な空気だ。

「フンッ! んぎぎぎぎぎ……ッ!」

 寝たきりだった体に鞭打って何とかかんとか外へと踏み出す。裸足の足がべしゃりと冷たい泥を踏みつけた。

「っ!」

 最初は日の光の眩しさに思わず目を閉じる。だが目を閉じても草の擦れる音や鳥の鳴き声は耳にはっきりと届く。

 そして再びゆっくり目を開き、少年は絶句した。

「っ……噓だろ?」

 そこは、少年が思っていたような場所ではなかった。

 高層ビルの代わりに群生する、梢がはっきり見えないほどに巨大な木々。足下は苔と草と土で覆われ、倒壊した高層ビルはびっしりと苔で覆われ、コンクリートの外殻を突き破ってそこから何本もの木が生えている。

 少年が眠っていたのは無骨なシェルター。しかしそのシェルターは巨大な木に呑み込まれ、完全に森の一部と化している。

「は、はは……すごいな。俺は一体何年ここで眠ってたんだ?」

 もはや笑わずにはいられない。少なくともこんなシェルターを、最初からこのような原生林に置いておくわけがない。ということはある程度文明の手が加わっていた場所に後から森が生まれ、そしてこんな事になっているのだ。

 まともに人間の手で植林して森を作ることでさえ、およそ半世紀近い年月が必要だ。なら、文明を丸ごと呑み込んで森へと変えてしまうまでには一体どれほどの年月を要するだろうか。

「これから、どうすっかなあ」

 倒木に腰掛けて少年はガリガリと頭を掻く。しかしこんな状況でさえまだ心は冷静だった。 

 それは恐らく、少年が自分の命にさえ執着していなかったからなのだろう。そうであったから、目覚めた時も、骨になった人間を見つけた時も、このジャングルを目の当たりにした時でさえ、冷静なままでいられている。

 そして、そうであったから少年は、この大自然の中で一人生き延びることに既に見切りをつけ始めていた。

 ――ま、別にどうなってもいいか……こんな状況で生き延びたところで……。

 見渡す限りの森を目にしながら捨て鉢気味にそんな事を考えて少年は空を見上げる。だがその時、自分の胸の辺りで何かがぶつかり合う感触に気付いた。

「……?」

 自分の胸を見下ろし、そして今更に首から細いチェーンで二枚の金属片(ドッグタグ)がぶら下がっていた事に気付く。二枚はどちらも長方形の一辺が緩く弧を描いたオベリスク型の形状で、金属の縁には二枚がかち合って音が鳴らないようゴム製のラバーがついている。

 その一枚目には少年の物と思しき生体情報が彫られている。ほとんどのデータは文字が掠れて判読できないが、しかし部分的には何とか読める。

「ネーム……You Kanata……カナタ・ヨウ…………日本人……年齢は十……駄目だ、ここまでしか読めん」

 結局分かったのは少年がカナタ・ヨウという名であるということ、日本人であるということ、年齢は十代であると言うことぐらいだった。正直名前以外は自分でも何となく分かっていたような事ばかりなので、あまり役に立ったとは言い難い。

「カナタ・ヨウなあ……」

 自分の名前であるはずなのにあまりしっくりこず、何度も呟いて反芻するヨウ。だがそこで、ドッグタグの二枚目に何かが彫られていることに気付く。

 普通ドッグタグは二枚とも同じ内容が書かれる。そもそもドッグタグは戦場で元が誰だか判別できないほどに遺体が損壊した兵士を識別するための物であり、二枚に分かれているのは二枚目を切り離して残された家族に渡すためだ。だから普通は一枚目と二枚目で別の内容を書いたりすることに意味は無い。

「……そりゃあ」

 二枚目に彫られたその言葉にヨウは困ったような表情を浮かべた。

 そこには別段変わった言葉が彫られていたワケでは無い。一枚目と同じヨウのデータの上を塗り潰すように、

 たった一言【生きろ】と書かれていた。

「ンな事言われたってなあ」

 これを書いたのは恐らくあの骨の人物だろう。死んだのは自分よりずっと前かも知れない。その人は上司かも知れないし、父親かも知れないし、他人かも知れない。なんなら女で母親かも知れない。

 今こんな状況ではもはやヨウにそれを知る術は無い。だがそれでも、ヨウとしては余計なことをしてくれたなと思わざるを得なかった。

 自分一人の命なら割とどうでもいいのだが、そう言われてしまうと死ぬに死ねない。

「ん、このまま朽ち果てて森の一部になるって選択肢も有りかと思ってたが……さあどうすっかね」

 どうしたものかと思案し、とりあえず今のままではどうにもならないと結論づける。ここに突っ立っていても水も食料もないし、そもそもここに何があるのかすらも分からないのだ。まずは歩いて色々と見て回るところから始めてみよう。

 そう、そんな事を思った矢先のことだった。ヨウの頭上を、巨大な影が覆い尽くしたのは。

「ッ!?」

 回避しようなどと考える間もなかった。ほとんど反射でヨウはその場を全力で飛び退く。

 そしてその一瞬後に、ヨウがいた空間を巨大な足が叩き潰していた。

「なッ……んだよ!?」

 衝撃に煽られて地面を転がり、倒木にぶつかって勢いを止めたヨウは、目の前に現れたを目にする。

 それはヨウの知る生き物で言うなら鰐に酷似していた。だが、似ているのは形だけであってその姿は原形を留めないほど巨大で禍々しい。

 全高はおよそ三メートル。尾まで含めた全長は十メートルを軽く超えているだろう。鰐によく似た巨大な顎にはナイフのような牙がずらりと並び、尻尾は大木を束ねたように太い。足はヤモリのように吸盤の着いた五本指でしっかりと地面を捉え、両目の代わりに頭頂部にまで広がっている複眼がこちらを見据えている。

「まさか、挨拶に来てくれたわけじゃないよなあ……」

 恐怖を誤魔化すように肩頬を引きつらせるヨウ。その時そのワニもどきが動く。 人間とは比べものにならないほどの速度でこちらに突進し、そしてその大顎をヨウへと向けて、丸ごと体を食い千切ろうと迫る。

「……ざっ、けんなぁッ!」

 だがそれよりも間一髪ヨウが早かった。皮膚を剥ぎ取るような風圧をすぐ側に感じながらも紙一重で飛び退いて突進を回避。目標を外したワニもどきの顎がヨウの背にしていた朽ち木をビスケットのように咬み砕く。

「う、おおおお!」

 走る。獰猛に唸るワニもどきに背を向けてひたすらに走る。

 自分の息づかいがやかましいほどに耳につき、何度も何度も突進を繰り返すワニもどきを、その度に大樹を盾にしてやり過ごす。

 相手は巨大な化け物。岩も木もお構いなしにぶち壊して直進してくる。そして、追いつかれた瞬間にヨウもなる。

「はっ……ふっ、くあ!」

 悲鳴をあげる体に必死に鞭を打ち、無様に転がりながらも必死に走り続ける。

 幸いにもワニもどきは走ることは速くともその動きそのものは非常に直線的だ。ヨウの樹を盾にする動きに何度も引っかかり、太い樹木を根元からへし折りながら動きを止めている。

 ――こ、これなら……逃げ切れ……っ、

 希望がチラリと脳裏に浮かぶ。その時、足首に鋭い痛みが走る。

 無意識に追った視線の先には、浅い切り傷を受けた自分のくるぶしと、青紫の実とナイフのように鋭い葉をつけた背の低い見慣れない葉があった。

 ぷつんと、目の前が真っ暗になった。

「ッ!?」

 突然の出来事に頭がパニックになり、一瞬足が止まる。その一瞬があまりにも命取りだった。

 直後、すぐ後ろで爆音が轟き、ヨウの体は石蹴りの小石のように吹き飛ばされた。

「うおおあ!?」

 上下感覚がめちゃくちゃにかき回される。だがそれでもヨウは必死に手を伸ばした。このまま岩の上にでも落ちれば食われるまでもなく死ぬ。それだけは回避するために何とか受け身を取ろうと必死に暗中で腕を伸ばす。

 

 その時、宙を吹き飛んでいたヨウの手を何かが掴んだ。


「ッ!?」 

「掴まって!」

 闇の中、女の子の声がした。文字通り暗中に差し込んだ一筋の光、

 ヨウの中の生存本能が、その手を掴めと叫んだ。

「ぐっ!」

 考えるよりも先にその手を力一杯掴む。その瞬間ヨウの体が勢いよく引きつけられ、何かの背中の上にドスンと乗せられる。

「な、なんだ!?」

「しっかり掴まって! このまま逃げるから!」

 ヨウの背後から切羽詰まった声が響く。どうやらヨウは牛のような大きな生き物の背中に乗り、そしてその後ろに先ほどの声の主が跨がっているらしい。

 そして、跨がった何かが勢いよく走り出し、ふわりと、その巨体が宙に浮いた。

「潜るよ!」

 ――は?

 その言葉の意味が分からず一瞬ヨウの思考が止まる。だが、それを言葉にするよりも早く、ヨウと少女諸共二人を乗せた何かが水面を叩き割り、そして前言通りなんの躊躇も無く、潜った。

「ぼ、ごぶばあっ!?」

 盛大に気泡を吐き出し、息苦しさに慌てて水面に上がろうとするが、それを後ろの少女が凄い勢いで襟を掴んで止める。

 ――なんだ!? な、何が……。

 突然の事に思考が追いつかず、ヨウは微かに回復した死力で必死に目だけを動かして上を見る。

 見えたのは揺らめく水面の光と、ヨウを追おうと水面に飛び込むが水に阻まれここまで届かぬまま浮かび上がっていくワニもどきと、

 必死にヨウを助けようとする、一人の少女の顔だった。

 ――なんなんだ、よ……。

 どんどん遠ざかる水面。それに比例し酸素の行き渡らない体がびりびりと痛み、そして急激に視界が暗くなっていく。

 少女がヨウの顔を見て何かを言っていた。だが、それがどういう言葉なのかを聞くほどの意識はもう無く、その表情がヨウの見た最後の光景だった。



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