彼方へのレガシー

雨空修一

守人の少女

 水に潜る。ジャポンという透明な音がして、昨日からの雨で僅かに濁った水が体を冷たく包む。枝で出来たコロニーから水中を通ったトンネルをひたすら潜り、少女はオールのような尻尾で水を漕ぎ潜っていく。

 ダムで塞き止められているとはいえ、トンネルは川底まで続いていてとても深い。きっと川沿いに生えたシアの木の一番高い奴でもすっぽり水の中に浸かってしまうだろう。

 ――ビャクシンお婆ちゃんが言うには、外敵から身を守るためって言ってたけど……。

  水底の泥に手を着き、尻尾で水を漕いで上昇。頭上で水面を照らす太陽の光を目がけて泳ぐ。

 少女……カイリは一族の中でもそれ程物覚えが良い方では無かった。今でこそ難なく泳いでコロニーからの出入りが出来るが、小さい頃は兄の背中にしがみつかなければ息が切れる前に外に出ることも出来なかったのだ。

 ゆらゆらと光が照らす水面を目指していっそう強く尾を漕ぐ。そして口から気泡を漏らしながら、カイリは勢いよく海面に顔を出した。

「ぷはあ!」

空気を勢いよく吸い込みフルフルと顔を振って水を払う。空は晴天、雲が立体的に流れ、その光景をカイリは目を細めて見上げる。

 見た目にはまだ幼さの残る、人間でいえば十代半ばぐらいの小さな女の子だった。少し乱れた髪を肩の辺りで切りそろえ、空色の瞳やスンスンと鼻孔をひくつかせるその仕草は小動物のようでとても愛らしい。

 しかし、その頭に着いた獣の耳と尾てい骨から伸びたオールのような尻尾、そして手足を覆う茶色い毛皮と指の間に張られた水かきが、カイリが人間ではないことを如実に物語っていた。

「良いお天気……」

 いつもより一際澄んだ空を見上げそう呟く。と、その時水中から何かがカイリの尻を突き上げた。

「え!? う、うひゃあ!」

 いきなりのことに素っ頓狂な声を上げ、体が水面に一気に持ち上げられる。そしてそのまま不届きにも女の子のお尻を鼻で持ち上げたソイツは、器用に鼻先を動かしてカイリの体をコロンと転がして自分の背中に乗せた。

「び、びっくりしたぁ、もうランタン!」

 濡れた毛の上にべちゃりと張り付きながらカイリは声を上げる。が、当の本人は素知らぬ顔でそのまま岸に向かって泳ぎ出す。

 カイリの尻を持ち上げたのは、牛ほどに大きなビーバーだった。巨体のくせに滑らかに水を掻き分け、オールの尻尾を数度振る。

「……もしかして待たせちゃったの怒ってるの?」

 そう尋ねるとランタンと呼ばれたビーバーはふごっと喉を鳴らす。どうやらその通りらしい。

「むー、ごめんね。その代わり今日は美味しい若木をいっぱい見つけるから、それで手打ちって事で……」

 ずるずるとランタンの大きな体を登り顔を覗き込むようにして問いかけると、再び喉をふごっと鳴らした。

 そうこうしている内に岸にたどり着き、カイリは朽ち木がまばらに散る地面に足を着く。そしてランタンと二人して大きく身震いし濡れた毛皮の水を払った。

「さてランタン。今日もお仕事するよー」

 灰色のどこか牧歌的な印象を与える貫頭衣。それについたゴミを払い、伸びをしながら相棒にそう言って背後に広がる自分たちの住処をカイリは振り返る。

 そこに広がるのは木と泥で出来た堰で川の中に作られた溜め池だった。川の幅は目算でおよそ二千メート。その川の中心にダムで区切られた溜め池が存在し、さらにその池の中心に木と土砂で作られたドーム状のコロニーが存在している。

 これがカイリ達の、木と川と、そしてビーバーと共に生きる一族の家。そしてカイリにとっての世界の全てだった。

 姿は見えないが恐らく既にビニティの若い連中は水中に潜ってダムの補修を開始しているだろう。自分も早く木を集めて作業に加わらなければどやされてしまう。

「ま、ず、は~、材料の木材集めから~っと、あれ?」

 その時、カイリは気付いた。

 森がなんだか騒がしい。野鳥が鳴き、木がバキバキと踏み砕かれる音が響き、何か巨大な足音がこちらに迫ってきている。

「あ、危ないなあ……出て来ていきなりなんて……」

 うっかり川から離れていたら少し危なかったかも知れない。カイリ達はそそくさと水の中へと戻り、仲間への警告のためバシバシとランタンは水面を叩く。

 仲間へ危険を知らせる合図だ。これで岸に上がることが危ないと言うことは仲間にも伝わった筈だ。そしてカイリも危ないので水中へと身を潜める。

 ――くわばらくわばら……とりあえずお兄ちゃんのところ行こ……。

 そしてカイリは足音に背を向けてダムの方へと泳ぎ出す。家を作り、ダムを造り、一族皆で食料を収穫して生活を営む。それがビニティの生活であり、これまでも、そして恐らくはこれからもずっと変わらないカイリの生活でもあった。

「あれ?」

 

 その日までは。

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