第32話 終章
その後、グレゴリア・ローグ・ド・デイナスは渓谷を抜けてレストリア領内へ到り、そこに呆然と立ち尽くしていたレストリア王軍七万に終戦を申し出た。
総数で上回る七万といえどもダナス王軍二万五千と同様に多くの訓練兵を抱え、戦闘を専門としない従軍者も省けば正規兵は約五万……しかしその戦意は眼前の地獄のような光景によって完全に消滅していた。
一万五千は残っていたはずの赤鷹翼騎士団は数千の死体を残して散り散りに逃げ去っており、そして国内最強の戦力だった紫竜鉄鎖騎士団はほぼ全滅。彼らの姿は戦死というよりも壮絶な虐殺に呑み込まれたかのようであった。英雄ゾイ・バレッド将軍すら渓谷から戻らない。
最大の戦争責任者であるオルソン・ニクス・ド・レストリア王は、この時敗戦と国の滅亡を覚悟した……と後に語っている。ゆえに、グレゴリア王の終戦の申し出は奇跡にも等しく、レストリア国存続へのたった一つの道となった。
この日改めて結ばれた不可侵の平和条約は両国が在る限り破られることはなく、サイゴン国を交えた三国はこののち長い年月をかけて互いへの信を回復させ、やがては友好な関係を築き上げていくのだった。
ダナトリア渓谷が元の姿を取り戻すには多くの時間を必要とした。
両軍合わせて万を超す遺体の多くは凄惨に過ぎ個々を判別できず、ほとんどをそのままにして巨大な火葬を行った。その炎は十日ほどを要し、大量の油も使われた。人の焼ける凄まじい臭いが渓谷から溢れ、それは長い月日のあいだ一帯に染みついて離れなかった。
やがて谷風が遺灰を巻き上げ、季節風に乗せて遥か遠くへと運んでいき、最後に残されたのは黒く焦げ付いた無数の武器と鎧や兜、そしてその下で人の形を失った遺骨の白い絨毯だったという。装備品は熔かせるだけ熔かし、遺骨はダナトリア山脈に穿たれたあの隧道に納めて入口を完全に塞ぎ、その東西の山腹に慰霊碑を作って年一度の弔いの儀を途絶えさせることなく続けた。
十年戦争の英雄として語り継がれることになるダナスの勇者達。
四軍は解体され、兵士の多くは一般の民に戻って家督を継ぐなり、鉱山で働くなり、田畑を耕すなりとそれぞれの暮らしを営んだ。また、治安維持機構に属しその充実のために働き続けた者も多くいた。
メスカル隊の侵攻を食い止めた“二百勇士”……その僅かな生存者は著しい後遺症をその身に残す者が殆どだった。そのために普通の仕事に就くことが難しく国の手厚い保護を受けて暮らしたという。その名は一人一人がダナスの正史に記され、未来永劫に語り継がれていった。
元銀鳳隊将軍、スピナー・フォン・オルトラスは国政に従事し、十年戦争によって疲弊した国の再生に尽力した。
のちに宰相に当たる地位まで昇り詰め、七十七歳で没する。名門オルトラス家の中でも不世出の偉人と讃えられ続けた。
妻は二度娶り、家系は華やいだ。一人目の妻の名はエルフィーネ・クーデリオ・フォン・オルトラスと系図に残る。
元金獅子隊将軍、ケイオス・オブ・スタンフォードは右腕の重傷から一時は危険な状態に陥るが、辛くも一命を取り留める。
容態が快復して間もなく家督を次男に譲り、国の中枢から姿を消してしまった。病で急死したという噂も流れたが、彼のその後は正史に残されてはいない。
元黒狼隊将軍、ジョシュ=プレイグは終戦直後に国を去り、愛豹ダークと共にその行方は
十年戦争終結より八年後、西の強国アイザスがレストリアに宣戦布告する。国力の落ちた隣国に対して、蓄えていた武力を揮う機を窺っていたのだ。
しかし、ダナスとサイゴンが起ち上がり三国同盟を結ぶと、二年に渡る戦いの末にこれを退けることに成功する。
この戦争の終結直前に、壮年の隻腕の騎士と、黒豹を従える漆黒の戦士の姿が目撃されたとの噂が語られた。
そして約百二十年後、帝国歴457年……三国は世界最大勢力であるローレイグ帝国の覇道に呑み込まれる。
ダナスを支配圏の最東域と定めたローレイグに対し、三国同盟は勇敢な抵抗を演じた。
特にダナスの闘いぶりは見事だったと伝わる。また、侵略を受けている最中にありながら、その誇り高い振る舞いはローレイグ軍の兵達に畏敬の念すら抱かせ、遂に降伏の旗をあげたダナスに対して兵達は称賛を惜しまなかったという。
ローレイグ帝国最東域ダナス地方。
特別自治権を与えられ、今日も僅かな徴税以外に彼らの暮らしは失われていない。
鉄を打ち、田畑を耕し、今宵も盛り場に集まっては酒をかかげ口々に謳いあげているのだろう。徒花のように散った、美しき最強の将の名を……。
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