第17話 緑翠の真実

 一塊で倒れ込んだ二人の身体が、弾むように離れる。直後、メスカルの喉から魂を裂かれたような悲鳴が上がった。そして水溜りから水溜りへ転がり、のたうちながら、その両手で顔面を鷲掴みにしていた。


「あ、熱い! くれぇ、暗ぇよ! 見えねぇッ……光……光が見えねぇよぉおぉお……!」


 ジョシュの手が零れ落ちたダガーを掴み直す。その刀身は雨以外のもので濡れそぼっていた。

 哭き喚くメスカルの両掌の下で、二つの眼を一つの深い斬傷が繋いでいた。


 もはや威厳も迫力もなく駄々っ子のように転げ回る首領を見て、力だけが全てだった盗賊達は戦う理由を失ってしまう。

 彼らにはレストリアの覇道もダナスの鉱山資源も関係ない。ただ報酬の金とその先の快楽、そんな目先の欲望の為だけにここで刃を振るっていたのだ。苦しむ頭に救いの手を差し伸べようとする者は一人もおらず、初めに走り出した人間を切っ掛けとして一気に蜘蛛の子を散らす光景が展開された。だが無論、黒狼隊がダナス領内で下衆な賊共を逃がすわけはない。

 自分が見捨てられたことを遠ざかる音や悲鳴で理解するしかないメスカルは、逆に近づいてくる一つの足音も耳に拾う。慌てて身を起こそうとするが泥濘で手が滑って再び突っ伏した。


「……これでお前は……リリーの顔を見ることは……出来ない」


 一言一言を苦しげに吐く、少年のような声が投げかけられる。右から聴こえたような、左から聴こえたような、はっきりと捉えられない。さっきまで味方に思えた雨が、いまは激しいタップ音で邪魔をする。


「そして……言ったよな? お前は、惨たらしく死ぬ……と」

「ひっ……ま、待ってくれ! な、何か取引を……。そ、そうだ、あいつのこと、リリーのこと知りたくねぇか!」

「リリーの……こと?」

 ジョシュは引きずる足を止めて、あたふたと首を回すメスカルを見下ろした。

「そ、そうだ。あいつの、故郷とかよ。教えてやるから命は助けてくれ……こんなんじゃもう盗賊稼業なんか出来やしねぇよ……!」

「話せ……」

「や、約束してくれんのか?」

 必死で身を起こし、座りこんだ状態で中空を見上げる。

「いいから、話せ。じゃなけりゃこのまま、殺すだけだ」

 分かった、とメスカルは手のひらを突き出しながら何度も頷き、ごくりと唾を呑んだ。

「あいつの家名は、エメラルディア。レストリアの西にある小国……いまはゴルナドってとこだが、六年前まではエメラルドって名前の国だった。そこの姫だったんだ」

 その国名は、僅かにジョシュの記憶にもあった。しかし詳しいことは何も知らない。

「その国に……お前らは何をしたんだ」

 メスカルは怯えた表情を見せる。もう一度喉を上下させる。

「い、依頼だったんだ……。王城を襲えって。だから俺の狼狼と、もう一つの賊が協力して……み、皆殺しにした」

 ぎし、と何かが軋む音にメスカルは肩を跳ねさせる。

 ジョシュの拳の中で強く握られ過ぎたダガーが震えている。

「誰の依頼だ……? もう一つの賊っていうのは?」

「い、依頼主は分からねぇ。その“幽鬼”っつう賊が持ってきた話なんだ。た、ただ、城攻めなんていくらなんでもやべぇと思ったけど、その夜はすんなり入れたんだ。だからもしかすっと手引きした奴が……」

 なるほどね、と呟くとジョシュは引きずるように一歩踏み出した。

「……最後の質問だ。お前、リリーの妹も生きてるって言ってたよな? その人の名前と居場所は?」

 すぐ傍に立たれて、メスカルはぶるりと震える。

「た、助けてくれんだよな……?」

「答えろ」

「い、妹は確か……花みてぇな……そうだ、ローズとかそんな感じだったはずだ」

 ジョシュの黒い瞳の中で瞳孔が膨らむ。

「ローザ……ローザだな! その子はいま何処に居るんだ!」

「……わかんねぇ、それは。貰ってった幽鬼っつう賊とはその後なんの関わりも持ってねぇし……売り飛ばされたか、ずっと監禁されてるか、もしかしたら―――」

 メスカルの右手がいつの間にか腰の後ろに回されていた。

「あの世かもなぁ!」

 その手が短刀を抜き放ち、眼前のジョシュへと躊躇いなく突き上げた。

 ずぶり、肉に深々と埋まる馴染み深い感触が手に伝わってくる。この位置なら腹部。メスカルは確信の笑みを浮かべた。

「へ……へっへっへ……はっはっはっは! 近寄り過ぎたなぁ! 分かってんだよ、リリーに合わせられねぇ俺を生かして捕虜には出来ねぇんだろ? ならせめて道連れだぜ……!」


「……お前の手下が、な」


 冷たく落ちてきた言葉に、メスカルの嘲笑は凍りつく。

 短刀が貫いたのはジョシュがあらかじめ盾にしていた盗賊の死体だった。

「むしろお前が手下の道連れだな。いま言ってた言葉、ご明察ってとこだよ」

 そう言い捨てると同時に黒刃が数回閃き、雨ごとメスカルの体を切り裂き、貫いた。



「―――ジョシュ将軍、隧道の出口は無事潰しました! ですが数十騎の侵入を許してしまい、現在山中及び麓で交戦中です」

 ちょうど部下が報せを持って駆けつける。彼の全身も泥にまみれ、二、三の血塊も滲んでいる。機動力を発揮できない状況ではわずか数十騎といえども手強い相手だ。

「……オレも行く。お前はここで指揮を執り、彼ら……命を張ってくれた勇者達から……息のある者を探して陣営へ運び、応急手当をしてくれ」

「分かりました……が、将軍、貴方の怪我も酷すぎます。とても闘える身体には……」

 その時、背後から細い声が聴こえ、それが嗤い声だと気付くのに二人は少しの間を要した。


「……くっくっく……あの……ホークって……野郎…………残酷だ……ぜぇ…………」


「まだ息があったのか」

 ジョシュはボロボロの身を引きずってとどめを刺しに近寄る。


「すげぇ……野心家だ……。俺らなんぞ……捨て石に……違いねぇ……。他にも…………」

 メスカルは血まみれの口角を吊り上げた。

「ぜってぇ……なにか狙っ……てる、ぜ―――」

 醜悪な笑みと不吉な言葉を残し、盗賊団“狼狼”の首領は息絶えた。その腐った性根は最後まで捨てられなかったらしい。


「いまのは、何だったんでしょう? ホークと言えば敵の指揮官の名ですよね」

 部下は嫌悪感を浮かべながら呟いた。しかし、ジョシュは何処か呆然とした表情でその死骸を見下ろしている。そして、

「ここ、任せた……。オレは……」

 その顔を、隧道のある南ではなく、ダナトリア渓谷のある北へと向けた。

「谷へ戻る。何か……何かヤバイ予感がするんだ」

 ジョシュは急いでダークの背に跨ると、その頼もしい脚力に全速力を命じた。


 みるみる遠ざかっていく戦傷者陣営と惨状の跡、そして敬礼で送る部下。

 少年は振りかえらない。震動が全身にもたらす激痛に歯を食いしばりながら、ただ前方を睨み続ける。


 ――リリー、スピナー、ケイオス、皆……お願いだ、無事でいてくれ……!


 山を下る風が強さを増し、横殴りの雨が次々と吹きつけてくる。目に見えざる“運命”という存在が、自分に何かを激しく訴えかけているように感じられた。



「―――ホーク様、如何なさったのですか! クレセントは……」

 トールハンマーの矢を放った直後、何の説明もせずに血相を変えて岩陰まで付いてこさせた彼に、側近のゲイルが理由を尋ねる。

「発射の瞬間にエルフィーネが仕掛けやがった……。クレセントも動いたから咄嗟に合わせたんだけどな……ミスってエルフィーネに当たったかもしれん」

 そのとんでもない回答に側近の二人は愕然とする。互いに顔を見合わせるが言葉が出ない。

「……そ、それで……今はどうなっているのでしょう?」

 やっと絞り出したゲイルの言葉に、ホークは岩陰から身を乗り出すとスコープを覗いた。

「ッ……! まずい、見つかったかもしれん」

 再び慌てて身を隠す。

「どちらも生きていたが……揃ってこっちを見ていやがった。状況はよく分からんがクレセントを狙うのはもはや無理だ」

 ホークは歯噛みをすると少しの思案を経て思い立ったように顔を上げた。

「……よし、ついてこい。こうなったらダナスの最終防衛線を崩す。白馬隊の指揮官を……殺る―――」

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