第12話 二百勇士の血戦
ダナトリア渓谷のもう一方の出口にして国境と定められている“レストリア関”は、やや深めに渓谷の中へと入り込んでいる。
両壁には関のモニュメントより外側に、馬では無理だが人間ならばなんとか登れるような天然の足場があった。時に緩く、時に急角度で斜めに登っていく坂だ。ここがあるからこの十年、幾度かのダナス軍の猛反撃にもレストリア領内への侵入を防いでこられたのだ。
そして今、レストリア軍から見て右手……南ダナトリア山脈の壁を這い上がる三つの人影があった。
「ん……? あ……こ、これはホーク様! お疲れ様であります!」
坂路の縁から現れた頭を見た兵士が慌てて敬礼を取る。
「……っしょ……とぉ、くそったれ、疲れる坂だぜ。……ああ、道開けろお前ら」
登りきったホークとその側近二名が悠々と歩き出す。
この高台の足場はそこそこに長く、遠く離れた対岸のそれと共に弓部隊の指定席となっている。ここにずらりと配置された射手の強力な攻撃によってレストリア関は守られているのだ。雨の如く降り注ぐ矢がダナスの騎士や騎馬を幾度も屠った。一年半前にはあの猛将“馬斬り”ライゼンを仕留めその首級に全軍が湧いた。
逆にダナス関付近にはこういったちょうどよい高台がなく、それゆえに近年のダナス軍にとっては白馬隊という存在が重要な最後の砦となっていた。
右翼弓部隊隊長が冷や汗を浮かべながら駆け寄ってくる。
「あの……何事でしょうか? 重要な作戦変更でも……」
「ん? ああ、いや、お前らには関係ない。このまま餌を待つ雛鳥みたいに並んでりゃいい」
「ヒナドリ……」
確かにこの戦場に於いては比較的安全な場所とはいえ、彼らとて絶え間なく射撃の訓練に励み誇りをもってこの最終防衛ラインを、“レストリア領”を守り続けてきたのだ。それに対するあまりにも侮辱的な言い草……隊長や近場の兵士達は微かに表情を歪める。だがホークはそんな部下の様子など目に留めない。いや、たとえ目に入っても意に介さない。
あまり幅のない道で兵達に目一杯よけさせながら遠ざかっていく彼と側近の後姿を、誰もが憎々しげな眼差しで見送っていた。
「……お頭! なんすかコイツ等! みんな怪我人のくせにやたらしぶてぇ……!」
三百強対二百弱という数で始まった小規模な戦場とは思えないほどの苛烈な剣戟の中、止まない怒号や気勢の叫びを裂いて部下の声が飛ぶ。
「負傷者の陣営だ! こんなもんの目の前に出ちまうとは思わなかったぜ……しかも異様に士気の高い連中だ」
数では勝り、しかも相手はまともな身体でもない。急いで装着したのであろうボロボロの鎧からは包帯ばかりが目につき、飛び出している四肢は傷だらけ、それどころか片腕が無い者などもいる。こちらが斬りつけたのか元々の傷が開いたのか判別できない出血がそれぞれの身体を染めていく。
それにも拘わらず、メスカル部隊の荒くれ者達は彼らを打ち破れずに足止めされていた。
「―――行かせん! 絶対に行かせんぞッ!」
はぁ、はぁ、とあからさまに肩を上下させる顔色のひどい負傷兵達がうわ言のように何度も叫ぶ。
「俺達の最後の戦場だ! 故郷の……家族のッ……」
身を低く素早い動きで懐を狙ってくる賊兵に彼は渾身の一振りを返す。しかしそれを躱され、背後を取られた。その一瞬後に左脇腹から臓腑を深く抉る灼熱の感触。
「ッ……! リ……リリー様の……為なら―――」
彼は込みあげる喀血を噛み殺し、それが逆流して鼻や目元から流れ出しても怯むことなく己の腰に取りついた敵の腕を掴んだ。生命ごと振り絞る握力は凄まじく、直前まで勝ち誇りの薄笑いを浮かべていた相手は驚きと恐怖を滲ませながらその手を振りほどこうとする。
「―――命なんぞ呉れてやるッッ!」
文字通り血を吐く叫びと同時、騎士の右腕が剣を一閃した。
目を剥いた賊兵の首が胴に別れを告げて地面に弾む。少し前から降りだした雨が踏みにじるように次々とその生首を殴った。追ってゆっくり倒れた胴体までも。
騎士は崩れそうになる膝を必死に踏みこらえ次の敵を探す。脇腹には根元まで短剣を埋められたまま。口腔も鼻腔も酸素より血液の熱さに満たされたまま。視界は紅に染まったまま……。そしてそんな瀕死の状態なのは彼だけではなく、多くの騎士達が今や生命の最後の一滴を搾り尽くさんとしていた。
敵の背後を突くという有利な戦いに臨もうとしていた者達と、守るべきものを背負ってここを死地と定めた者達。この覚悟の違いが後世にこの戦いを“二百勇士の血戦”と語り継がせ、この場所を“聖騎士慰霊陵墓”と呼ばせ、彼らを慕う数知れない人の足を運ばせることになる。
「くそったれ……このままじゃボンクラ騎士どもも隧道抜けて来ちまうぜ。ダナス軍を崩す最大の功が掻っ攫われちまうじゃねぇか!」
メスカルは苛立ちも露わに喚き散らした。
この三百の部隊、実はレストリアの正規の軍人ではない。その正体はレストリア国内で名の知れた山賊の一団だった。それがこの作戦に手を貸しているのは完遂時に約束されている莫大な報酬が理由に他ならない。加えて今までの罪科も免責するとの密約を結んでいた。
山岳を知り尽くし、また切り拓いてアジトにするほどの技術を持つ彼らこそ最適任とレストリアは考えたのだ。さらにその凶暴な暴力を戦にも利用するために、白馬隊の首級をそのまま報酬に上乗せすると契約していた。
「おい、まだ騎士どもには伝令を送っていねぇだろうな!」
メスカルの剣幕に手下は怯えつつ、首を激しく上下させた。
「送っちゃねぇっす! けどお頭、俺達が奥に消えたことに気付けばあいつらも……」
「ああそうさ、たぶん勝手に来ちまうんだよ……くそっ。敵の残りもあと三、四十ってとこだ! 俺も出る、さっさと皆殺しにするぞッ!」
業を煮やしたメスカルが背中からクロスボウを外し、矢を番えると顔の前に構えながら傲然と歩きだした。
だが、その歩みが僅か数歩で止まる。
「どうしたんです、お頭?」
「……おい、アレはなんだ?」
弓の上で細めていた両目がぐわりと見開かれていく。手下はその視線をなぞった。減りつつある砂煙と強まっていく雨足の幻想的なベールのずっと奥、いつの間にかポツリと現れていた小さな黒い点が少しずつ大きくなっていく。そして、そのさらに向こうからそれを追うような黒い波が迫ってくる。
「……呼べ」
「え……?」
「……騎士どもを呼べっつってんだッ! 今すぐ伝令を送れ! こいつら、援軍を呼んでやがった!!」
狼狽したメスカルの怒声を受けて手下はもう一度遠くの影を見やる。確かに軍勢、しかもその接近速度は凄まじい。
「何やってんださっさと動きやがれッ!」
頭領に殺気を込めて一喝され、肩を跳ねさせた顔面蒼白の彼は弾かれるように走りだした。
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