第9話 背に負うもの

 空気までもが敵として牙を剥いたかのように、ゾイ・バレッドの大剣は実体以上の空間を殴りつけてくる。

 紙一重で躱すことは風圧に巻き込まれる結果となり次の動作を妨げた。

 かと言って大きな動きで対応すればそれも同じ結果だ。しかも体力の消耗は増し、それを積み重ねればいつか致命的な瞬間を生むかもしれない。

 防御は剣で。それが最善。しかし、如何なる名剣でもあの巨大な鉄の塊の重量に対すれば、威力を殺しきる前に刀身の方が持たなくなる。

 一本では受けきれない。

 そして二刀を防御に使えば攻め手を欠く。

 数十回目の激しい金属音が響いた。ケイオスの黒馬がまたも一歩押し戻される。


「どうした“ラット”……。我の手を掛かりきりにさせていることは褒めてやりたいが、貴様の刃はまだこの鎧にすら触れていないぞ。我を止めるためではなく倒すために軍略を駆使して一騎討ちに持ち込んだのだろう?」


 欠け始めた刀身から将軍へと視線を戻し、ケイオスは静かに深呼吸をする。

 まさに言われた通りだ。剣の長さによるあまりの制空圏の違いに加えて、バレッドはその重量をまるで意に介さず並の片手剣のように高速で振る。それを読み誤って迂闊に飛び込めば、周囲に折り重なる首のない遺骸と同じ運命を迎えることになるだろう。ゆえに未だ一閃として切っ先を届かせることが叶わずにいる。

 そして“言われた通り”なのは後半もだ。

 今ここに居るのはゾイ・バレッドを止めるためではない。この決闘で彼に勝利することが、今日ダナスが勝利するための必須条件なのだ。しかしあまり時間をかけすぎれば……


「それとも背後の味方が気掛かりで実力が出せていないのか? 鉄槍部隊の突貫と流れ込みはじめた我が騎士達……ダナス関の防壁を打ち破るのも確かに時間の問題だろう」

 兜に浮き彫られたドラゴンが顔を上げてその乱戦を眺める。


 しかし、ケイオスは背後を一顧だにしなかった。

「彼らは決して破られはしない。そして俺は必ずお前に勝つ」

 両腕を肩幅より開いて前に伸ばし、双掌の中から二振りの刃を屹立させる。まるで、ドラゴンの顎門あぎとにそれを上回る大牙を見せつけるようだ。


「そうか。ならば我はあの壁を破るより前に貴様を消し去るとしよう……」

 獰猛な兜の下で、架空の魔物よりも確かな不敗の怪物は双眸に殺意の光を満ち溢れさせた。



「……くっ!」

 硬い土に右膝をついたままボードウィンは敢然と顔を上げる。右こめかみ、そして口の右端から、紅が筋となって伝い落ちている。被っていたはずの兜はやや離れたところに転がっており、僅かにひしゃげていた。

 口髭を生やした精悍な騎士……その瞳には苦痛を塗り潰す不屈の闘志が灯っている。だが、鎧の胸部には激しい損傷が刻まれていた。彼のダメージの大きさを想像させる。

 身体を支えていた右手が少量の砂ごと槍を持ち上げる。その柄はやや歪んでしまっているが、穂先の刃は失われていない。肩で息をしながらボードウィンはゆっくりと立ち上がった。


「ほぉ、まだやれるか。なかなか大した闘いぶりだが……なぁ、どうだ? 品格なんぞでは俺の鎧は破れんだろ? フッハッハッハッハ!」

 鉄鎚を肩に担いだまま品もなく嘲笑う巨人。頭と共に青い羽根飾りも揺れる。目元以外を完全に覆ったその兜や全身を包む鋼の鎧にいくつもの細かな傷はある……が、内に潜んでいるであろう巨大な筋肉まで届いた一撃はいまだ皆無だった。


「副官……!」

 銀鳳隊の騎士がボードウィンの隣に駆けつけ、共に闘わんと槍を構える。

「やはり仲間と力を合わせて来るか? 俺はそれで構わんぞ、どうせ何もかも捻り潰すことになるんだからな」

 騎士はその侮辱に歯を軋らせる。だが、隣に立つ副官の手が彼を制した。

「この男は私が止める、そう言ったはずだ。自分の役目を果たせ。ここに二人の手をかければ敵が一人多く後方へ襲いかかることになる。黒狼隊や白馬隊の危険が一つ増すことになるのだ」

 その言葉に騎士はハッと顔色を変える。歯軋りと怒りを解き、上官への謝罪を告げると、この場を退き戦塵の中へと飛びこんでいった。

「ふん、その様でまだ自分一人で俺を止め続けられると思っているのか? 後悔させてやろう」

 鉄鎚を肩の上で弄ぶ巨漢に、ボードウィンは傷ついた槍を構えて腰を落とした。

「背負っているものが違う……。我々に後悔の時など許されない。行くぞ、名も無き巨人よ……!」



「―――左翼の十! 右翼の一! 五! 左翼の……」

 嘗てないほどの目まぐるしい指示、指示、指示。

 リリーは声を嗄らしかけながらも矢継ぎ早に決壊の芽を摘み取っていく。

 実際に彼女の言葉を全体へと響かせるのは副官のトッド・ゾブリだ。しかし彼の声は嗄れるどころかいっそう力強くなっていくばかりだ。その胸中では、判断の早さと正確さが増すばかりのリリーに対する畏敬と感歎の念が膨らみ続けていた。

 また、彼女の逆隣りではこの部隊における数少ない騎馬の一頭に跨る青年が、全神経を傾けて周囲の危険の種を探っていた。

 鼠も見逃さぬと忙しなく動く瞳、針の零れおちる音も漏らさぬと剣戟の隙間にそばだてる耳、何が起きても必ず彼女を護る……その一心を幾度も胸に言い聞かせて。

 時折視界に入る彼女の横顔と華奢な身体や伸ばされた細い腕……その白百合のような美しさも、鼓膜を震わせる慈愛に満ちた叫びも、それを失いたくないからこそ今だけは心を向けることができないのだ。

 そんな微かなジレンマを若い鼓動が訴えている。憧れの隣で共に戦うということは蒼い喜びと苦しみを伴うのだと、想いを託してくれたあの仲間達に苦笑いの土産話が出来ればいい。そんな終戦を迎えたい……彼は強く胸に願っていた。その時―――

「……!」

 それは、想い馳せる仲間達のいる南の彼方から。

 一頭の騎馬が必死の様子で駆けてくるのを、彼は誰よりも早く目に留めた。

 このタイミング……あの様子……

 ――何かがあった?

 それは直感であり、言い知れない強迫的な凶兆だった。

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