第186話「運動会」

僕の小学時代。10月に入り、一週目の日曜日には運動会があった。今は、土曜日が多いみたいだが、当時は日曜日にお休みがとれる家庭が多かったからろう。(今は、春に運動会がある所も増えているみたいだ)


運動会といえば、天気が重要になった!お天気まかせの運動会は、当日が雨だと次の日に順延になった。そして月曜日が雨だと、火曜日に順延だった。(でも2日以上はなく、PTAと相談して2週間後の日曜日になった年もあったと思う。季節外れの台風が来た時だ)


あと、前日に大興奮して当日休む奴もいたなあ。(あっ、遠足もそうだったなあ)

運動会当日は、お弁当を持って出かけた。お弁当は、お昼に教室で食べたのを覚えている。(雨で月曜日に順延の時はでは給食が出た)


朝、8時30分校庭に全校生徒が集合すると校長先生が……


「みんなの、日頃の行いが良くて、今日はこんなに良い天気になりました」


とかなんとか挨拶があり、その後、PTA会長挨拶や来賓の挨拶を経て、やっと運動会が開始となった。

運動会種目の一番目は、1年生の徒競走、40メーター走だった。(我が小学校は校庭が狭く、最大でも45メートルしかとれなかった。家族が見にくる運動会の日は、観覧席を設けなくてはならず、40メートル走になってしまった。)


その後、各クラスごとに出し物をした。2年、バットでグルグル競技。1,2年の、大玉転がし(地面を、転がし、リレーしていく)3年、ムカデ競争。4年、二人三脚。途中、父母競技もあり、お玉リレーや障害物に大笑いした。


5年生、綱引き、騎馬戦。6年生は、組み体操をした。全校生徒、紅白大玉転がし(こちらは、頭の上を転がしていった)もした。そして、午前の最後の出し物は、1・2・3年による紅白対抗リレーだ。僕も、リレーの選手で出た。


昼休みは、各クラス、教室に戻り、家から持って来たお弁当を食べた。教室から校庭を見ると、手作りの万国旗が校舎から3ライン伸びていて、揺れる万国旗の下で色んな人が、ご飯を食べている姿にワクワクしたものだ。


午後一番の出し物は、紅白応援合戦だった。6年生が応援団を作り陣形を組んで、応援合戦をした。こんな感じだった……


「これから~。紅白~。応援合戦を~。始め~。ます。押す!(太鼓がドン!)まず、始めに赤組~応援!フレ~!フレ~!赤組。そ~れ。フレ、フレ赤組、フレ、フレ赤組~!」


と、まあこんな感じだ。間を空けて伸ばす言い方が、運動会後に流行るのだった。三三七拍子もした。あと、笛(ホイッスル)を吹いたのを覚えている。僕は、6年の時に副団長をしていて、団長に合わせて、笛を吹いていたのだった。でも、本当に一番したかったのは太鼓だった。


遥か後方では旗持ちが、青空の下に紅白旗をなびかせていた。そうそう応援の時だけは、紅白帽ではなく、紅白鉢巻きをしたのが、なんか嬉しかった!


3年か4年の時に、カンフーを元にした踊りをしたのを覚えている。イケが振り付けを考えたのだった。本人曰く……


「俺、やってるの空手なんだけどね!」


と、言っていたが、先生方にとっては同じだったらしい。中国武術でもなく空手でもなく、でもなんか太極拳みたいな、変な踊りをみんなでしたのだった。


運動会中、小雨が降って来た事もあった。そうなるとみんな昇降口に急いで逃げ込んだ。通り雨が上がると、光りの線が差し込んだ。先生たちは、校庭の水溜まりに砂を急いで盛っていた。


そうそう僕らの学校では、6年生が毎年恒例で花笠音頭をした。運動会も終盤になると、一段と盛り上がってくる。酔っ払ったオジサンや、オバサンも出てきて、先生に注意される一幕もあった。


6年生による組み体操では、2人での逆立ちから、クレーン車。3人から、はしご、扇などやった。


ピッ!


っと言う笛の合図と共に、次々と型を披露すると、会場中から拍手がおこった。5人での扇の後は最後の技、ピラミッドをした。下から5人、4人、3人、2人、そして最後に1人が立ち上がるのだ。ひとつのピラミッドは、16人で構成なので、学年で9個出来たかと思う。ピラミッドは……


ピッ!


の合図と共に崩れると、歓声と拍手が巻き起ったのだった。


運動会、最後の出し物は、4・5・6年による紅白対抗リレーだ。校舎の窓に設置されている得点板には得点が表されていて、あと何点で逆転だ!とかが分かった。そいしてこのリレーで、勝敗が決まった。


5、6年生は、運動会係にもなっていて、リレーに出ない人は、得点係や下級生の誘導係になった。(僕は6年の時に2着の旗持ちをしたなあ)


得点板は、5年生の時に美術の先生と一緒に作った。当日の得点入れ替えはカミとイシがした。僕はリレーの選手だったからだ。


僕は3年生以外は、ずっとリレーの選手になっていた。足の速い順で決まっていた。でも3年生の時はリレーの選手を断った。何故なら放課後に残るのが、とにかく嫌だったからだ!しかしその年、リレーに出なかったら婆ちゃんが残念がっていたので、4年生からまた出る事にした。リレーが終わると、全校生徒が校庭に集まった。今年の紅白の勝敗が発表されるのだ!


そうだ!思い出した。6年生の時にパプニングがあったのだ。僕たち白組は、赤組に得点を15点差で追われていたのだった。リレーの一着の得点は、運動会前に知らされていて30点だった。(二着20点、三着15点、四着10点だった)


しかし当日の午後、赤組にも逆転のチャンスをと、一着の得点だけが50点になったのだった!だが、このことはリレーの選手だけは、始まる前に別の所に集まっていたので、点数配分が変わったのを知らなかったのだ。


さてリレーが終り、白は二着と四着だった。そうそうリレーは紅白2人ずつ出していたのだ。2着、4着だったのでトータル30点と思っていた。赤のトータル40点でも5点差で白の勝ちだ。


「やったぜ!振り切った」


と、喜んでいたら……


「得点が入ります!なんと赤の一着50点と、三着15点を足して65点が入ります」


「65~!?」


なんと、逆転されていたのだった!!

得点板の点数が赤組の方が多いから、当然、白組のリレー部隊から文句が出た!


「得点間違ってんじゃん!!」


そこで先生が説明をしたが、特に学級委員のイシがブチ切れた!


「こんなのズリーよ!!」


普段は、とっても温厚なイシのブチ切れた声が響き渡り、みんなシーンとなった!

(思えば、得点板のカミがリレーが終わった直後、2階から文句を言っていたが、このことだったと気付いた。カミも白組だったからだ)


担任の先生やイシの母ちゃんも飛んで来て、イシをなだめていた。が、結局は赤組の勝利となった。運動会後、校長先生がイシに謝っていた。


この年から、どんなに点数差が開いても、「勝負」というのは、こうゆう事なのだということで、点数操作はしない事になったのだった。


おしまい




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