第58話

 ――幼女は、エジプトの町を歩いていた。

 神としての能力によって、出ることなど容易も容易だった。しかしそうしなかったのは、ひとえに羽食達への義理とでも言うべきものだった。

 何の拘束力も無く、そうしろとも言われていない、無形の契約。

 そんな貧弱なものにしか頼れないほど、神たる己と人たるSHITSの間には開きがある。下手に出るしかなく、してほしいことをしてもらう為には下から下から、じっくり動かす必要があるほどの力の差。

その開きを、彼女は――ベス神は、気にも留めていない。

 飼い犬に首輪が付いていても殆どの人が気にしないのは、犬が人間より下だと無意識に思っているから。大勢の人間が一柱の神に平伏してもその理由を問わないのは、人間が神より下だと無意識に思っているから。

 神は神として扱われ、当然だ。

 神なのだから。


「しかし我をほっぽって、奴らはどこに行ったのかのう……」


 ベス神は空を見上げた。

 まだ日も高く、灼熱の太陽が照り付ける日の下。

 かつてはその太陽と空しか目に入らなかったものだが、今は人の造りし構造物が空を狭めている。

 異国の神は天に近づいた人間の傲慢に怒り、言語をバラバラにしてしまったという逸話があるというが――ベス神は何の感慨も抱いてはいない。ただ「一人」の人間のように、思考に耽っていた。


「ああ、そういえば。なんかゴーサコ……がどうとか言っておったな」


 ベス神は思い出し、瞳に「彼女」の姿を映す。

 神として見ても、奇異の光景を創り出していた女だった。

 人の怒りを引き出して、絶望から立ち上がらせる姿――。苦痛の記憶を蘇らせ、今の希望を引き出す姿。

 クソゲー。現代に生まれてしまった忌み子を、絶望への叛逆の旗とした女。

 彼女には確かに興味を惹かれた。

 しかし――


「なんじゃ、ちょっと興味があった程度のものなのに、わざわざ探しに行っておるのか……。我がいまいち最近やる気出ないのは、違う要因なのにのう」


 興味を惹かれこそした。彼女の話を聞きたいとも言った。会ってみたいとも言った。

 知ってたクソゲーの価値観を、確かにかき乱されはした。

 しかしだからといって、彼女だけにこだわっているわけではないのだ。わざわざ外国まで赴いて、誘拐のように連れてくる必要はない。

 ただ、求めているのは「価値観が違う他人」。

 SHITSという組織以外の価値観を持つ人間。

 そもそも彼ら彼女らは問題自体をはき違えている――もしくは、手の付けやすい方にだけ着手しているだけ、とも言えるか。一番の問題から目を逸らして、別の問題に取り組む。

 人間らしいと言えばらしいだろう。

 脳裏から彼女の姿をかき消し、ベスは周りを見回した。

 初めて見る、「今の外界」。

 そこに行きかう人々の全員に、それぞれの物語がある。物語が違うということは、意見も視点も違う。

 故に今日こそ――故に今こそ――誰かに訊くことが出来るのだ。


「おい、うぬ」


 ベス神は適当な男に声をかけた。恰幅のよい男性で、幼女が突然話しかけてきたことに驚いたようだ。――もしくは、「生物」なら誰もが聞き取り、理解することが出来る「原初の言語」のせいだろうか。

 しかしそんな動揺にわざわざ反応するほど、ベス神は同次元にいない。

 ただ己の抱える究極の命題を――ずっと誰かに問いたかった質問を発する。


「『くそげー』ってなんじゃろうか?」


 現代エジプトの空の下。現代エジプトの道の上。

 ベス神の学習は、新たな段階を迎えていた。

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