15話 終結

 気付いた時にはコンクリートで囲まれた無機質な部屋にいた。自分の手足は壁に打つ付けられている鎖で繋がれて、部屋の中央には椅子とテーブル、あとはテレビが置かれていた。隣には同じく手足を自由を奪われた篠原さんが首を傾けて長い髪を揺らしたまま気を失っていた。状況は最悪だったが、側に篠原さんがいて安心した。

 すると、階段の上から扉を開くような音が聞こえてきた。僕たちの吐息しか聞こえない静かな部屋をゆっくりと革靴の足音が響き渡る。

 「清々しそうなお目覚めですね」

 コーヒーを片手に牧瀬が厭味ったらしく話しかけてきた。

 「今の僕の顔を見て清々しいという言葉が思いつくなら、あなたはそのコーヒーを飲んで今すぐ目を覚ますべきだ」

 「ほほほっ、そうですね。今の私はもしかしたら悪夢で彷徨っているのかもしれないですね」

 独特な笑いを密室で反響させながら椅子に座り、コーヒーを口に運んだ。匂いを楽しみ、よく味わうかのように舌で唇を嘗め回す牧瀬。肘をテーブルに置き、頬杖をしながらこちらに視線を送りながら、僕たちの様子を観察するように眺め始めた。

 「君を見つけるのは大変だったんだぞ。どれだけの経費が掛かったのか考えたくもないほどにね」

 「僕を見つけるため?」

 「うーん。……その口ぶりだとまだ君は気付いていないようだね」

 おもむろに立ち上がった牧瀬が近づいてくる。

 「口で説明するよりもの方が早い」

 牧瀬を手に握っていたナイフで僕の肩を切りつけてきた。一撃目で切り上げて鮮血が舞い、二撃目の切り下げで左腕の力を失い、高速で走る車が何度も何度もぶつかってくるような感じたことがない痛みが駆け巡った。

 「うあぁああああ――――っ!!」

 舌を噛み切りそうになりつつも首を左の方向に回す。自分の左腕は鎖に宙ぶらりんになったまま加工工場の肉のように地面に血をこぼし続けていた。その事実を知った時、更に全身に穴をあけるように痛みが浸食し始めたように感じた。暴れることで鎖がぶつかり合い、金属音が情け容赦なく自分の耳に伝わる。

 「しっかりしろ。こんなことで意識を飛ばすんじゃない。自分の肩をよく見てみろ」

 涙と痛みによる目蓋の痙攣に耐えながら奴の言葉に耳を貸すと、左肩が。赤い肉が集合し大きくなり、新しい組織を作り始めているように見えた。感覚がマヒしはじめたのか痛みもだんだんと和らいできていた。

 「こ、これって……」

 大橋で見た牧瀬の腕と同じようなものと直感した。

 「そう。これは橋の上で見た私の腕と一緒だ。ただ、私の場合は自身の適応力が足りなくて右腕しか変化させられないのだけど」

 牧瀬は残念がっているような口調で答えた。

 「そしてね。君の体内には、このゾンビ騒動を引き起こした元凶のウイルスが活動しているんだよ。簡単に言えば苗床だ。そして、君は街で無様に生きるゾンビたちやそこで気絶している出来損ない、そして私のだということだ」

 背筋が凍るとはこのことだ。言い知れぬ恐怖で唇が震える。自分の身体が自分以外の何かが支配しているような嫌悪感に包まれた。

 「そんなぁのは、嘘だぁあ!!!そんなことを認めたら、僕が……僕が、篠原さんを……」

 「化け物にしたことになるね」

 声に出したくない事実を牧瀬にはっきりとした口調であっさりと答えられてしまい、涙があふれ始めた。

 「なんで……、いつから、こんな身体に」

 「私から語るより客観的立場から見た方が賢明だろう。この映像を見たまえ」

 牧瀬はひとつのDVDを再生し始めた。映像にはどこかの病院を映している様子のものだった。患者で溢れているがまだ平穏だった頃の風景だった。

 「ココだ、ココ。これが君だ」

 牧瀬が画面に指を差している先に見える人物。姿と風貌から自分でも僕だと思った。

 「君は風邪を引いて母親に付き添われて病院へ向かった。通い慣れているいつもの病院。いつもの医者。何一つ変わらなかった。ただひとつを除いて」

 「それは私が開発したウイルスが混入したビタミン剤を不特定の患者に投与しろと命令したこと。懐柔は簡単だったよ、あの医者。診療報酬の水増しした件を突きつけたら即断してくれてこちらとしても助かったよ」

 当時のことを思い出したのか、牧瀬はケタケタと笑い始める。

 「一番のシーンが来るよ!よく見ときなよ」

 そこは僕が医者に注射器で何かを打たれているところだった。打たれて十数秒後、僕は椅子に座りながら苦しみ始めると、身体から触手のようなものが数本生えて医者を包み込んでいった。付き添っていた母は驚いて離れようとするが、無規則に動く触手の一本に吹き飛ばされ、壁に強打して動かなくなっていた。

 「これは今見ても爽快だね。悪に加担した医者が第一犠牲者になる瞬間はたまらないね」

 「悪魔か、お前は……」

 「これは仕方がないことだったんだよ。開発したウイルスの効果は強力だったが、感染力が低いし脆弱すぎて生存させるだけでも大変なことだったんだ」

 「でも、君は苗床として人類として初めてのウイルスを受け入れ、ウイルスを保ち数を増やしてヒトの白血球に対する抗体もつけてくれた。その功績は人類史に名を残す偉業となることだ」

 頭を撫でてくる牧瀬に僕は唾を吹き付けた。

 「……でも、してよいことと悪いことがあるよ?」

 その言葉の後、僕の腹にナイフが突き刺さる。突き刺したのち牧瀬はゆっくりと傷口をえぐる様にナイフを動かした。僕は激痛から嗚咽を漏らし続けた。

 「いくら再生能力が高いとはいえ、始めに受ける痛覚は人のまま。痛い目に遭い続けると脳がイカれるよ?」

 そう言い放つと牧瀬はナイフを抜き、付着した血を綺麗にふき取った。

 「それであんたの目的はなんだ?僕を一生モルモットにでもするつもりか?」

 「目的?私の目的は、君のウイルスを基礎に感染力も脆弱性も改善された真のウイルスを作り、人類に永遠の命を与えるのが私の神に授かりした使命だ!」

 語り口を述べている牧瀬の表情は常人の者とはとても思えないほどに歪んでいた。

 「……あんたの考えはわかった。目的はウイルスの苗床の僕だけだろ。なら、篠原さんは開放しても問題ないはずだ」

 「いや。彼女は君とは違い出来損ないだが、半分はウイルスを受け入れた被験者だ。サンプルとして管理しておくつもりだよ。彼女のために特注の食料も作ったんだから逆に感謝してほしいものだ」

 「特注の食料……。それって、あのクソ不味い缶詰のことか?」

 「あぁ、そうだとも。半分をウイルスに支配された身体だ。一定量のウイルスを血や食料で保っていないと生き続けることができない。一つの視点から見れば、私は彼女の命の恩時とも言える」

 「……人間としての身体を奪った張本人がよく言うわ」

 僕の言葉に引っかかったのか形相を変えて、僕の喉元を握りしめてきた。

 「俺はね。人間を新しいステージに昇華させる救世主なんだよ。何もわからない子どもは只々俺の実験材料として生きてればいいんだよ」

 喉元は牧瀬の締め付ける力で鈍く軋むような音を立て続ける。身体は化け物になっても酸素を求めて細胞が熱くなるようだった。轢かれたカエルのような声しか出なくなった時、いきなり牧瀬が横へ吹き飛んでいった。

 「大地くんを……離せ……」

 この声を聞いて、篠原さんが意識を取り戻して自慢の足で蹴り飛ばしたことを理解した。だが、息が絶え絶えで苦しそうに呼吸し、意識はまだ朦朧としていると悟った。

 「篠原さん、大丈夫!?」

 「私は、大丈夫だよ……ちょっとまだ眠いけどね、えへへっ」

 篠原さんはこちらを眺めながら、わずかながら口角を上げながらも再び力尽きてしまった。

 「この出来損ない!何時から目覚めてやがったんだ。麻酔が足りなかったか……この俺に蹴り入れやがって」

 牧瀬は右腕を肥大化させて衝撃を吸収し、直撃を免れていた。悪態をつきながら篠原さんの元へ向かい、注射器を無造作に突き刺した。

 「よし、これで当分は起きないだろう。……そして、気が変わった」

 「何する気だ、牧瀬……」

 「ここでこいつは死んでもらおうことにしよう」

 牧瀬は腰に付けていた拳銃に手を伸ばす。

 「やめろ!牧瀬、止まれ!!」

 「いや、止めないね。こいつの両親は俺の計画を知ってしまって、既に死んでいる。これはこいつの両親の元へ連れていく俺なりの善行だ」


 「――っ!!」


 ここで僕の意識が飛んでしまった。気が付いた時には、自分の拘束していた鎖は解け、隣でスヤスヤと眠る篠原さんと大量の血しぶきで鮮やかに彩られている白色コンクリートの部屋がそこにはあった。牧瀬の姿はここには見当たらなく、奴のナイフだけが床に落ちていた。






 篠原さんを背負って建物の外を出ると、外は真っ暗で雲がひとつもなく月が大きく輝いていた。出会ったあの日の夜のことを思い出させるような澄んだ夜空だった。入り口から大橋が見え、場所は通ってきた大橋にほど近い場所だとわかった。そして、僕は思いがけない人物を目にした。

 「荒垣……。なんでここに」

 荒垣はジープに乗り、橋の入り口で一服していた。車外から捨てたであろう煙草の吸殻が山のようになっていた。

 「夜間は検問所を巡回する兵士は極めて少ない。賄賂、引き入れ、拘束と出入り自体は意外に簡単なものだ」

 「そういうことも一緒に教えてほしかったが。で、わざわざここまで来て何の用だ」

 「俺のリセが何やら物騒なことに巻き込まれてたと聞いて迎えに来たわけだ。……白野の集落まで運ぶぞ?」

 「いや、結構だ。僕がリセの側にいるから大丈夫だ」

 「そうか」

 「それで荒垣。聞きたいんだが、おまえは?」

 「……さあ、何も知らないな」

 僕はそのまま荒垣の横を通り過ぎて昼間に渡った大橋を戻ることにした。夜風のせいか行きの時よりも風が冷たく感じた。


 「あれ?ここは?なんで私、大地くんにおんぶされてるの?」

 「篠原さん、気が付いた?どうやら、ご両親の情報は間違いだったらしい」

 「えぇ。そう、間違いだったんだ……」

 「残念だけどね……。それで行く当てもないし、外も外で危ないみたいだから白野さんの所にまた厄介になろうと思うんだ。検問所もね、今度から簡単に通れるみたい」

 「そっか。実はね、私はもう少し大地くんの側にいてもいいかなー思ってたからこれはこれでいいよ?お父さんもお母さんも、もう少しだけなら待ってくれると思うから」


 「そうだね。もう少しだけ側にいよう」

 


 

 

 

 

 

 

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ゾンビ娘に救われて 緑黄色野菜 @osmk2

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