ブラック加東ルミ江6 ~絶体絶命・有終の美を飾れ~

 宇田川リカがその武器・マジックハンドを「発見」したのは今から六年前の事だった。すでにアナレンマ48のメンバーとしてデビューしていた彼女だったが、他の娘(コ)を出し抜いて、九々龍俳山のヱージェントたる霧雨に取り入る事で出世を目ろんでいた。その為、自らヨルムンガンド・レンジャーに志願し、闇の世界へと入っていったのである。他の娘達が闇の世界の事を何も知らない中、彼女はすでにそれを知っていた。なぜなら、芸能界入りした彼女は、この世界の頂点に立ち女王として君臨する事を夢見ており、すぐに芸能界と闇社会の関係が深い事を悟った。リカの野心は当初から他のアイドルとは明らかに違っていたのだった。

 リカを待ち受けていたのは、東屋財団クラウド局のレンジャー養成機関・「蛇の孔」である。そこで、八神亜里沙も加東ルミ江も修行した。だが、お互いが顔を合わせる事は絶対になかった。お互いにレンジャーである事を隠し、全ての任務は極秘に遂行される。蛇の孔は、日本の権力構造を武士の世から影で支えて来た忍の一門が脈々と受け継がれ、今日に伝えた忍術と戦闘スピリットを伝えるものである。忍には伊賀と甲賀の系統がある事は歴史に知られた通りだが、そこは伊賀の系統を引くものだった。甲賀は、歴史と共に滅び去ったと言われている。一説には、伊賀に滅ぼされたとも言われている。

 忍とは、軍や警察など通常の戦闘員としての能力などとは比でない秘術であり、あくまでその秘術が核で、今日も忍者の格好をしている訳ではない。今日の社会に合わせた最新の分析とそれに適した戦術を構築し、かつそこに忍特有の訓練が加わる。歴史上、大陸の軍事探偵や、大戦時には陸軍中野学校にも関わっていた。これは決して歴史の表には現れない部分だ。外国では忍が超人・超能力者のように考えられているのはそのためでもあった。しかしそのお陰で、加東ルミ江のような華奢な女性でも一蹴りで大男を五メートルも吹っ飛ばす事が可能なのだった。宇田川リカはそこで様々な訓練を受けた。だが、そこに容易された忍道具-必殺の武器-に彼女は満足しなかった。まさか、素手で戦うつもりだろうかと教官は疑った。いいやそうではない。リカが蛇の孔で欲しかったもの、それは、忍の特殊鍛練でつちかわれた精神力そのものであった。精神力というのは、単に胆力や強靱な精神というだけではない。

 リカはある朝、代々木公園を歩いていた。草むらに何か光るものを発見した。それは白い球体の輝きだった。近づいてみるとラバー状の何かだった。すでに近づいている時に精神感応が始まっていた。それは自分のためにここに置かれたのだと彼女は思った。誰が置いたのかはどうでもいい。ただ、この地球上には存在しない物質であるように感じる。普通は正体不明のものに警戒心を抱くのだが、この時のリカの場合は違っていた。忍としての本能が呼び覚まされるような感覚。リカはそれを手に取った。白いラバーのようなものは手に馴染み、リカの思う通りの形に変わるのだった。野球チームが優勝した時に球場に一斉に放たれるフウセンのような形状になり、リカが一振りすると質量が重くなって目の前の巨木をなぎ倒した。木はリカの方に向かって倒れてきたが、とっさにラバーを翳すと、先端が手の形になり、木を支えた。

「これよ。これこそわたしが探して来た武器なのだワ!」

 と、早朝の代々木公園でアニメ声で叫んだのであった。

 リカはそれに「マジックハンド」と自分で名付けた。だが、彼女はその事を東屋にも【ヨルムンガンド】にも秘密にした。彼女が恐るべき戦闘員である事は、その後の任務遂行で証明されたが、宇田川リカの武器についての詳細は誰も知らず、当の九々龍も、正体不明の怪しいゴムのようなものを使っているという事しか知らないのだった。そしてそれを如何なる方法で手に入れたのかについても。九々龍は、人生の最後にリカの武器をその目で知り、それに殴り殺されて死んだのだった。

 リカはテレビ帝都で司会を勤める「アナレンマって?」では笑顔を絶やさない可憐なアイドルを演じていた。その後、目つきが暗いダークサイドの女へと変貌すると、芹香の運転するヴィッツで東屋本社のある新帝国タワーに向かった。芹香にはそこへ行く目的を伝えなかったが、一昨日リカを一気に不機嫌にさせる出来事があったのだ。その日、金剛アヤナは東屋のスタジオでCM撮りの最中だった。

 アヤナは撮影中から時折警戒したようにスタジオを見回していた。すでに何者か敵の襲来を感じた。

「うう……持病の癪が。お腹がいたいですぅ----」

 アヤナは両手で腹部を押さえ前屈みになった。彼女の訴えで、撮影は一時中断された。アヤナは一人で走ってトイレへと駆け込む振りをして姿を晦ました。この気配は間違いない。ヨルムンガンド・レンジャーの一員がそこへ来ている。姿は見えずとも、忍の者にはその気配がはっきりと分かる。ひとけのない、巨大倉庫の頭上の闇の一角を睨むアヤナの手にはピアノ線銃が握られている。引き金を引けば、人を切り刻むピアノ線が飛び出る仕組みだ。つまり、加東ルミ江の武器に酷似した、それ以上に進化した武器だった。

「リカね。何の真似かしら、そんなところでコソコソと」

 並の人間なら宇田川リカの気配を感じる事は絶対にない。気配を消しているからだ。殺気をたたえながら、その殺気を隠す技を持つのが忍。だが、忍には忍が分かるのである。そして、その気配の光線が、リカの色・ピンクである事もアヤナにはとっくに分かっていた。セットの大道具の物陰から華奢な宇田川リカは飛び下りてきた。その顔にさっきまでのアイドルの面影は全く残っていない。顔かたちは確かに同じだが、そこに宿ったものは、同じ人間とは思えないほど、思い上がった、残忍な殺し屋、かつ独裁者を望む人間の野心的な内面性である。

「あなたがお上だったとはね! そんな正義漢とは知らなかったわ。私以上に、闇に足を踏み入れているもんだとばかりにね。金剛アヤナってやつは本物の女優だわ!」

 まったく、悪人とも思えないキンキンのアニメ声で叫んでいる。人が聞いたらコントか何かに聞こえるかもしれない。

 リカの右手に握られている武器はアヤナも始めてみる代物だった。リカが操っているとも思えないような、それは奇妙な生き物のような動きをしていた。そのものの正体は、まだアヤナも分析できていない。これまで、世界中の様々な武器を目にして来たつもりだ。だが、どのような物質で出来ているのかも分からない。

「公安警察、金剛アヤナ。でも私たちが始末してやった連中とはちょっと違うみたい。一体何者なのかな」

 アヤナは、この国の闇権力とも密接に繋がる、いやその総本山、幕府と言っても過言ではない東屋の支配の邪魔になる反乱分子や敵対勢力狩りに、これまで力を振るって来た。その中には政府要人や財界の大物すら含まれていた。

 リカは携帯のCMのために着ているスーツ姿のアヤナを睨んでいた。

「レッド金剛アヤナ、ハタチです。公安とは言わないで。『東京バイス』って言ってくれる? で、いつ知ったのかしら。まさか」

 アヤナは穏やかに聞いた。

「まさかバレるとは思わなかったと? このアヤナ様が-----。フッそうでしょうね。【サイクロトロン】の大将から教えてもらったわ」

「なんですって!」

 アヤナは瞬時に悟った。彼女は数日前耳にした。モモタロウこと、桃流太郎が主演ドラマの撮影中に事故に合い、入院中だという。しかしそれは表のマスコミには公表されず、厳重に秘密は守られていた。この娘がやったのか。以前から「芸能界戦国時代」のライバルへ攻撃を仕掛けてきたリカだった。【サイクロトロン】を仕切るモモタロウもその一人だ。

「彼を……殺したのね? なんてヤツ。可愛い顔をして羊の皮を被った狼だわ」

「ダッサい台詞」

 ダッサダサといい続けている。頬を赤らめたアヤナも自分が平凡な事を言ったという事を自覚している。

 その間にも、アヤナはマジックハンドに注視している。この「物質」の正体が分からない以上、ここで下手に戦う事は危険だ。頭の中でシュミレーションを何度展開しても、どのような動きなのかが分からない。レンジャーは通常の人間が使う武器、銃や爆弾、刃物類といった予想が着くものを使わない上、お互いの武器も知らない。アヤナの武器は一応、その中でも最新鋭かつ、最強の武器のはずだった。ヨルムンガンド・レンジャーで最強。加東ルミ江の武器は彼女の派手な反乱で判明し知っていたが、それ以外の、これまでルミ江が戦ったメンバーの武器さえ、アヤナは知らなかった。彼女のピアノ線の発射速度よりも、想定以上にマジックハンドの降り掛かる速度の方が早ければ、先手は危険である。

 リカが桃流をなぜ事実上抹殺するまで警戒しなければならなかったのか分からないが、情報を聞き出したとあれば、おそらくその最後に残酷な方法で拷問に掛けたのだろう。これまでにも、裏切り者や内通者の存在はあった。リカはそれにも気を配っていた。

 アヤナは戦略を決めた。リカに銃口を向ける。ハンマーの先端が巨大に膨れ上った。それは五本の指を持つ、掌の形をしている。広がれば、盾にもなり、突出すれば武器にもなる。変幻自在の、正にマジックハンドだ。先端が、握りこぶしになって襲い掛かって来た。風圧を感じる程のスピードである。仕組みが分からない。

 アヤナは頭の中で決めた通り横に飛んで避ける。「拳」はアヤナの後ろにあった機材を粉々粉砕し、その部屋の壁を突き抜ける程の破壊力を有した。何を持って動かしているのか分からない、だが、アヤナ程の忍となれば気が着く事はあった。リカの中に宿る、強力な精神の力である。彼女の周辺に、一種の電磁場が出来上がっているような力を感じた。彼女のコンセントレーションがマジックハンドを動かしているのでは? 忍は、一般的に精神力が強い。だが、この物質はそれをストレートに反映させる事ができるのではないだろうか。そのような事ができる物質の存在は、理論上だけでは聞き知っていた。しかしそれが実現しているという情報はなかった。一体何処でこのようなものを? 東屋が? マサカ。アヤナはそういった事を一秒間の間に頭に巡らした。リカはそれをブーンブーンと頭上で回している。

 アヤナがこの部屋から脱出する事は可能か。マジックハンドが、アヤナを捕まえない内に逃げ出す事ができるだろうか。アヤナの銃口から鉄線が発射された。針金を塞ぐようにマジックハンドがはね除ける。が、それはマジックハンドに巻き付いた。電流を流し込む。しかし、リカには伝わっていないようだった。やはり、絶縁体。電気を通さない。おまけに、ハンドを切り刻む事もできない。切り刻んだとしても変幻自在。やむなく鉄線を銃から切り離した。リカのハンドは、カメラ・クレーンを持ち上げると、恐ろしい程軽々とアヤナに向かって投げ付けてきた。クレーンは轟音を立ててアヤナの頭上に落ちていった。『勝った』と思ったリカがクレーンをハンドでどけてみると、そこにアヤナの姿はなかった。

「チッ」

 そろそろ物音に気付いて人が来るだろうと考えたリカは自分も姿を消した。


 ドラマ「マジ駆る九ノ一」は二〇十六年も継続していた。秋にはTVスペシャル、来年には再び映画化と、主人公・日芭利@美と加東ルミ江は共に走り続けている。東屋財団のダークサイドのトップ達より、招待された日から今日迄、多忙な芸能生活を送っていた。一日も休む事なく、旬の女優は仕事に没頭する事で、闇世界の事を忘れようとしていた。何度か、金剛アヤナから面会の依頼があったが彼女は断わり続けた。画面や雑誌の表紙を飾る明るい笑顔から、誰もルミ江の心中は伺いしれない。彼女がトップランクの女優である事。ギャランティーの面から言っても、最高ランクである事。それは女優の中でもたった三人しか居ない事。そうあり続けるよう自分自身にかせている事。それは、加東ルミ江の夢だった。

 彼女がその光り輝くザ・芸能界とコインの表裏一体の闇との申し子であった事は、何も宇田川リカのように全国制覇の帝王になりたかったからじゃない。光り輝くザ・芸能界! そのNo1の女優になりたかったからである。単に美しい、かわいい顔をしたアイドル的芸能人というだけではない、歴史に名を残すような素晴らしい女優としての名声は欲しかった。

「あなたの仕事をみて今日一日、楽しい気分で居られます」

「励まされました」

「『ストップ! ギャングアイドル』を見て、私もこんなアイドルになってみたいです」

「今の不透明な時代にはないような、勧善懲悪の明瞭なスタンスで胸がスッとした」

 という言葉こそ、「綺麗ですね」「かわいいですね」と言われるよりも(それも嬉しいけど)さらに嬉しいのだった。

 ダークサイドへの返事を保留にしたまま三ヵ月、仕事だけはまい進する日々、それだというのに闇は向こうからまたやってきたのである。アナレンマ48メンバー・逢坂芹香は、真っ赤な薔薇を山程持って「マジ駆る九ノ一」撮影中の現場へと現れた。よりにもよって、それは全てのスタッフ、役者に見られてしまった。彼らは事情など何も知らなかったから、心から彼女の訪問を歓迎した。共演者の蓼丸などは、喜び過ぎて役の天王寺シンとなんら変わりないリアクションを取っている。只一人、作り笑いをした加東ルミ江だけは違った。「蓼丸ちゃん」が「何をそわそわしてるんだ? あれか、ファンか?」と言う。だがそれは蓼丸自身の事だ。

 ルミ江は口数少なく、ごまかした。現場は夜の世田谷の住宅街で、見学に来た芹香は十一時にロケが終わるまで居た。ルミ江がこのところ、一人で車を運転して帰っていくので、マネージャーとも現場で別れる。案の定、芹香は自分を離さなかった。無理矢理、車に同席してくる。しかたなく車を走らせる。

「品川オオムサラキホテルに向かって下さい。そこにリカさんが居ます」

「いかないわ。近くで降ろすから後は自分でタクシーでも拾って!」

 ルミ江はぶっきらぼうに突っぱねた。その言葉に感じたのだろう、美少女は真顔になって、

「断わるつもり? ルミ江ちゃん、まさか」

 声を低めた。ルミ江は今度はわざとぶっきらぼうな運転をして、無言で返した。話したくもない。

「仕事はずいぶん頑張るのに。一日も休み取ってないんでしょう。でも全部東屋が----」

「うるさい! もう私に構わないで。放っておいてほしいの!」

 自分でもびっくりするくらい大きな声で怒鳴った。

「わたしはもう人殺しなんかしたくないわ。ええ、そうよ! もううんざりしたの自分のしていた事がね-------気が着くのが遅かったのも分かってる。あなた達は勝手にすればいい、私には野心もなければ、闇の帝王の後釜になるつもりもない!」

 車を止め、芹香の腕を掴んでほうり出した。

「もう遅いんじゃないかな。これまで何人の人を殺したかしら。レンジャーの中では、殺した数ナンバー1だって聞いてるよ。歴史には残らない、けど恐るべき人殺し----その血塗られた手で掴んだ今日の地位。その闇に対する恩を忘れたとは言わせませんわ」

「闇に手を染めたアイドル、女優なんてみんな狂ってる。あなたもその一人じゃない。ええ、私もそうよ。私もそうだった。でももうこりごり。偽善と言われようと、なんと言われようと構わない、闇なんか潰れてしまえばいいと思う、でもそれは私にはできない、私には何の力もない。私も汚い事を一杯やったかもしれない。でも、あなたも、汚い事して栄光を勝ち取るような真似、もう止めなさいよ! 私ももう止めるから! これまでの私の生き方、間違っていたと思う。私は自分の力だけで栄光を掴めば良かった。でも、これまでだって、私は闇の力だけでここまでこれたとは思ってない。自分の女優としての力があったと信じているのよ! そしてファンが見守ってくれたからここまで来れた----。これからは私はそうするの。闇の力なんて使わないでこの世界で生きて、勝ってみせる」

 真夜中の路上で、彼女は叫んでいた。アナレンマ48の芹香は黙って聞いている。

 たとえアナキン・スカイウォーカーがダークサイドへ堕ちた後でも、加東ルミ江はダークサイドと決別するつもりであった。

「さよなら」

 ルミ江がアクセルを踏もうとすると、

「車を出すのは危険よルミ江ちゃん」

 と芹香が止めた。小さな手にスタンガンが握られていた。

「車と一緒に感電死したい? ヤでしょ」

 脅しではない事をルミ江は感じた。やっぱり、彼女とも戦わなくてはいけないのか! 腹立だしい。たとえ悪の道に堕ちているといっても、将来あるアイドルを殺さなければならない事は二度と味わいたくない不愉快なものだった。これまで殺してきた、薬師寺ルカ、八神亜里沙、いずれも才能があり美しく、素晴らしいスター達だった。全ては九々龍憎しの一点で戦うはめになった相手だ。できれば殺したいとはこれっぽっちも思っていなかった。一体、これまで、彼女のピアノ線はどれだけの人間の血を吸って来ただろうか。たとえ相手が悪だとして、殺してもよい絶対的な理由になるだろうか。こんな事は、以前は考えなかった。そう、考えたこともない。闇の論理に従い、まるで切り捨て御免の道理が当たり前のように、【ヨルムンガンド】のスキャンダルもみ消し依頼を無視し、好き勝手に「週刊実談」の記者に書かせたやくざを「言論弾圧」した事だってある。今更、自分が表の顔で見せているまっさらな天使のような存在であるなどと、おごがましい事は考えてもいない。闇の業を背負い、さりとて金剛アヤナの勧めにより、この世界を「改革」しようなどと自分には大それた力も発想もない。

「力づくでも会ってもらうわ。そうでなかったら、リカさんを完全に敵に回すってコトよ」

 ルミ江はイライラとした。頼んでもいないのに勝手な事ばかり言って! これでまたこの娘の首を跳ね飛ばさなきゃならんのか! あぁ腹が立つ。ゆっくりと車を降りた。深夜の商店街の路上だった。人は誰も居なかった。

「あなたの九々龍さんへの反乱が全ての始まりだった……」

 ルミ江はピアノ線をピーンと両手で張り、構えた。

「黙って去れば、殺さないでおいてあげる」

 ルミ江は相手に先に意思を伝えた。

 その返事は、芹香の手に握られたスタンガンだった。スタンガンから青白い火柱が天に向かってバチバチと火花を散らして昇った。新手の火遁の術。いや、雷遁の術か! 商店街が青白く照らされる。車に乗っていれば確かに感電死しただろう。

「ピアノ線じゃ、電気には勝てない。ピアノ線は電気を通すからぁー↑(語尾上げ)」

 そうだ。だから自分は金剛アヤナに勝てなかった。

「やってみなきゃ、分からない」

 ドカーンバリバリバリ。

 スタンガンから大音響と共に稲妻がルミ江に向かって走った。二十メートル先の散髪屋を直撃し、火事にした。危うく稲妻に打たれるところだった。

「ウルトラスタンガンよ。さぁ早く言う事を聞いてリカさんの元に」

「お断りよ」

 スタンガンがまた稲妻を吹く。ルミ江はムササビのように商店街を飛び回って逃げる。その手にはピン札の一万円があった。稲妻が発射された時、ルミ江は屋根から飛び下りながらそれを翳した。ホログラム部分が青白い稲妻の光に反射され、芹香の目の前に、『桜の模様』、『10000』、『「日」の文字』が目まぐるしく変化しながら大きく飛び出して映し出された。その映像にびっくりし、目が眩む。彼女はルミ江の姿を見失った。

 芹香の手首には、いつの間にかピアノ線が巻き付いていた。

「武器を離しなさい。スイッチを押そうとすればその前に手首を切り離す!」

 芹香は「うう」と悔しそうに唸った。ルミ江はピアノ線を張り詰めたまま、左手で一万円をシュッと投げた。ピン札の手裏剣はウルトラスタンガンをたたき落とした。

「万札のホログラム、私の武器仕様ではこんな風に使えるように改造してあるの。ピアノ線では電流に勝てないのは確かにあなたの言う通りだけどね。けど、新札の手裏剣の目くらましに、今度は電流が勝てなかったようね。あなたの負けよ」

 雷遁の術返し。以前の彼女なら、簡単に芹香の命を奪っただろう。後で復讐されるのは目に見えていたからだ。けど、殺す気はもはやない。

「残念だけれどもリカの所にはいかないわ。それじゃ」

 ルミ江は武器をほどくと微笑んで、車に乗り込もうとした。

 芹香は途端に泣き出した。

「ルミ江ちゃんは絶対に品川に行くわ! あなたが行かなければ、桃流さんは死んでしまうから!!」

「なんですって?」

 桃流太郎の名前を聞いてルミ江は顔色を変える。

「リカさんが桃流さんを捕えているからよ。あなたは助けたいと思うでしょう? ね、そうでしょう!! わあ~ん!」

 芹香は泣きじゃくった。

「どういう事?! 泣いてばかりいないで説明しなさい!」

 ルミ江は芹香の両肩をゆすった。

「リカさんが【サイクロトロン】を【アドラスティア】の配下に置くと言ったわ。でも桃流さんはそれを断わったわ。リカさんは短気なところがあるから、すぐ桃流さんをはり飛ばしてさらってしまった。桃流さんはまだ生きている。でもわたし、死んで欲しくない。あなたなら助けてくれるんでしょう。ね。そうリカさんに助言して----桃流さんを助けてお願い」

 いつまでも泣いている芹香を助手席に放り込むようにして乗せると、ルミ江は車を走らせた。どうせ、いつかは決着を着けなければいけなかった。たとえそれがアヤナの言う通り、この世界を正すような大事でなくても!


 オオムサラキホテルの駐車場に入ると芹香の腕を捕まえたまま、ルミ江はアヤナの居るホールへとズカズカと向かった。そこは結婚式場として使用される天井の高い部屋だ。黒いスーツを着た、数十人の東屋関係者と共に宇田川リカは居た。椅子に縛られ気絶しているのはモモタロウだ。無惨にも、殴られたような後が顔にくっきりと残っている。

「関係者一同、よーやく集まったわね。これでようやく新帝王誕生のドラマが始まるワ」

 リカはルミ江を見て高らかに言った。芹香は泣き腫れた顔でブスッと立っている。

「芹香、全くしょうがない子ねー。緊張感なさすぎ。ま、ここに彼女を連れてこれただけでも誉めてあげる。あとはオネーさんのする事をよく見ておきなさい!」

 リカと来たら、TVで見るいつものアニメ声でこの調子だ。まるでコントのような彼女である。芹香もそうだけど、こんな愛くるしい顔と声と格好をしたアイドルが、野心メラメラのとんでもないヤツだなどと世間は誰も信じまい。もっとも、加東ルミ江も人殺しなんだから、これも世間は信じまい。

「ブラック。レッドがね、公安の回し者だったのよ。敵だったの。由々しき事態だと思わない、だって仮にもレンジャーに何年も居た女だよ。あたしより遥かに闇に深く関わってるって思ってた。それなのにさ、スパイよ? 『蛇の孔』時代から、こっちの事全部筒抜けだったって事だよ。あたしの事も、あなたの事もよ? こっちのカレに聞いたんだけど」

 リカは桃流を顎でさした。声がどんどん高くなるのだった。

「それでアヤナは?」

 と、さほど驚いてもいないルミ江の返事にリカの方が驚いて、

「なんだ、あなたひょっとして知ってたの? まさか……」

「私は彼女の一味じゃない」

「……なーんだびっくりした。ブラックまでスパイだったらどうしようと思っちゃった。もうここのホテルの外、自衛隊か何かに取り囲まれてるんじゃないかと思って」

 自衛隊とリカが言ったのは意外だった。どういう意味だ。リカは説明を続けた。

「慌てて東屋財団クラウド局の諜報班から聞いたのよ。あ・い・つら。金剛アヤナを操っている大本よ。この国が、闇とそうでない権力に二分されている事くらいは知ってるでしょうけど、政府与党内部も真っ二つに分かれているの。その私たちにとって敵の方が、とんでもない事を考えているみたい。闇社会がこの国で広がっている事を理由に、自衛隊を使ってクーデターを起こすっていう計画よ! 彼らは、自衛隊の指揮権を乗っ取り、闇側の政治家を逮捕、暫定政府を立ち上げる。東屋始め、私たちメディア機関をすべて占拠する。闇を抹消する口実で言論統一、独裁政府よ。そうなったら、私たちみんな死ぬわ。大規模な粛清が行われるでしょうね」

「嘘……」

「うそじゃないわよ、政治の腐敗を廃するという理由でこれまで、歴史で繰り返されてきた事じゃないの。独裁政治の誕生の背景に。明治新政府の大久保利通だって仲間の西郷隆盛を西南戦争で殺したわ。権力を獲得すれば平気で殺す。あたしやあなたみたいな、汚れた部分を洗い流して、清浄な世界にするという事よ!」

 ルミ江はリカの言った事を考えた。もしこれが本当なら、この世は善と悪が相克する清濁合わせ持った世界というより、悪と悪がぶつかりあうような、暗黒の世界ではないか。どちらへいっても、地獄から逃げ出す事はできないという事だ。アヤナがかつてルミ江に語った事、光と闇の全面戦争が待っていると。自分がそのトリガーになってしまった事。戦後、長く続いてきた微妙な均衡を崩した事。その為に、こちらへ来いと公安のアヤナは言った。しかしその言葉も、信じていいのだろうか。

「分かった? あなたもあたしも、この道をいくしかないのよ! 東屋財団の方がずっとマシ。どんなに血塗られてようと、嫌気が差そうと何だろうと、あたし達が生まれた頃からこの世界はできあがっていた。そこに生まれてしまった以上、もう後は戦うしかないでしょう。やるしかないのよ!」

 キンキンとした黄色い声がルミ江の耳に突き刺さった。

「あなただって、今の多くの仕事は東屋財団クラウド局から来ているものじゃない? いくら誤魔化しても、それをしながらこれまでの人生を否定する事なんかできっこないわ。あなたにはもう、染み付いて絶対取れない、いいや、どす黒い血が流れている。いくら、綺麗に装っても、決別しようとしても。あたしと同じよ」

 と、さらに追い討ちをかけてくる。

「あたしと一緒にヤツらと戦うのよ。クーデターを企む勢力をぶっ潰す。勇敢なあなたとなら、やれるわ。あたし一人が帝王となるより、あなたとなら。さぁ、あたしと一緒にこの国を掴むのよ!」

 リカは手を差し伸べた。ダーンダンダダーン。ダークサイドの音がする。

『……この女の言う事なんか------気にするな。あんたは、あんたの道をいけばいい』

 目を覚ましたモモタロウが小さな声で、呟いた。

「黙ってろ!」

 リカは腹を立て、椅子ごと蹴り飛ばした。桃流は柱のところまで吹っ飛んでいった。

「やめて! 桃流さん……トウリュウさんを、これ以上痛めつけないでください」

 芹香が我慢しきれずに口を開いた。

「あんたファンだからってそんなんで闇稼業が勤まると思ってるの? それだからまだまだ甘ちゃんなのよ。私情を挟むな!」

 リカはピシャリと叱りつける。だが桃流は続けた。

『俺も気付いた……あんたもとっくに気付いているみたいだな……。こんな連中はクズだ。もち……俺もついさっきまでクズだった。この世界に甘んじていただけの-------だが、』

 桃流は血をペッと吐いた。

『こんな連中の言いなりになる事はない。テメエで考え、テメエで決める。この世界のルールなんかカンケーねェ。ルールは自分できめりゃーいい。なぁそうだろ、ブラック加東ルミ江さんよ』

 ルミ江は黙りこくっていたが、桃流の言葉は静かに胸に響いた。部屋の人間は、一様にルミ江が次に何を言うか見守った。

「わたし--------」

 言葉が詰まった。これまで、立ちはだかる多くの敵に対処し戦ってきた。だが、今金剛アヤナのサイドも、闇のサイドも、両方が加東ルミ江の決断を待っている。

『あんた、自分で考えて戦い抜いた女だ。俺にはそこまでの真似はできなかった。せいぜい、【サイクロトロン】クラウドの中だけで突っ張ってるだけの男だった。それも、この世界のルールってやつに縛られながら……そのお陰で俺も成功したかもしれない。あんたも相当成功したな、けどあんたの場合は違う。それだけじゃーなかった。たった一人で、帝王に刃向かっていった。なんてカッコイイ女だ。だが、ハハハ。俺は気付くのが少しおせーよな。まるでバカみてーだ。自業自得だ。おいヨルムンピンクの宇田川リカ、俺を殺すんならさっさと殺せ』

「フン、じゃそうさせてもらいましょーか!」

 リカの手に握られたマジックハンドがするすると伸びてゆく。

「止めて---! お願い、ルミ江ちゃん、リカさんを止めて!!」

 芹香が我慢ならず絶叫する。桃流の身体が、宙に浮き上がった。ルミ江のワイヤーが素早く桃流が縛られている椅子の背に巻き付いており、彼女がそれを引っ張ったのだ。マジックハンドは、肩透かしを喰らったように宙を舞った。そのお陰でリカはバランスを崩して転びそうになり、踏ん張る。キッとルミ江を睨む。ルミ江は桃流を抱き抱え、床に降ろした。

「やるっていうの? このあたしと」

 リカがアニメ声で凄む。あいかわらずコントのような……と思うが状況が状況なのでそんな事を考える余裕もなく、ピアノ線を目の前に張った。

「そんな武器じゃ、マジックハンドは切れないわよ。切ったところでドーしようもない」

 ルミ江は分銅でヒュンヒュンとピアノ線を回転させ、間合いを取った。

「やってみなきゃ分からない」

 正体はつかめない。だが、引き下がる気はない。

「ったくどういうつもりなの? あいつらと一緒にクーデターでも起こそうっていうの」

「彼を助けるのよ」

 ルミ江は冷静に言った。

「そいつの生殺与奪はあたしのものよ! 勝手に奪う事は許さない」

「あなたが支配する世の中なんて、自衛隊のクーデターよりもお断りよ。刃向かう者は容赦なく誰かれ構わずに殺す。慈悲のかけらもない。九々龍の方が、まだましだったと言ってもいい」

「なんですって……」

「わたしは、あなたと共に生きる道は選ばない」

 両者は、弧を書くように移動する。

「あたし一人でも天下は取れんのよッッ! せっかくチャンスを与えてやったというのに。桃流もあなたも、どいつもこいつも馬鹿なんだから-----こいつを喰らって死にな!」

 マジックハンドが巨大なムチになって横殴りに襲い掛かる。「千と千尋の神隠し」のカオナシのような怪物だ。だが幾ら巨大化しようと、リカのアンバランスな重心は崩れない。この世界に存在する物質としては知られていない、念の力で姿形・質量・質感を変え、動く怪物兵器だ。東屋財団クラウド局の黒服たちはそそくさと退避していった。ルミ江が如何にピアノ線を飛び込ませようと、瞬時に跳ね返され、リカの制空圏を侵す事はできない。ハンドを切る事は不可能だった。柔らかいのに切れない。ルミ江はワイヤーをまとめると桃流を背負って走った。百六十しかない華奢な彼女が男を背負って信じられない脚力で廊下を走るのだった。オリンピック選手? いいやそうじゃない。その倍以上のスピードだ。リカがマジックハンドを持って追い掛けて来る。階段を駆け上がるルミ江。今は逃げる他なかった。

 外に出た。停車する無人の観光バスの方へと走った。白い巨大なハンドがにゅーと伸び、殴りつけると、今度は大型バスが吹っ飛んだ。ヤツの力に限界はないのか。必殺のワイヤーも、一万円の手裏剣も彼女には効かない。ホログラムの目くらましも、日の光や強烈な明るさがないと使えない。雷遁の術。いいや、もうそのレベルではなかった。

 後ろから追い掛けてきた芹香の姿があった。手にウルトラスタンガンを持っている。さっきのは現場に残っているはずだ。替えがあったのか。彼女はリカに向かってスタンガンの稲妻を発射した。それをセンサーが感じとったように、ぐるりとハンドはリカの後ろへと移動し、巨大な傘を作った。傘に遮蔽された稲妻は跳ね返された。

「裏切るの? 芹香。そんな事をしてあんた分かってんでしょうね!」

 冷酷な暴君は部下に怒鳴った。芹香は怯まず叫ぶ。

「ルミ江ちゃん、今よ。わたしが彼女を引き付けるから。その内に……」

 芹香はひたすら稲妻を発射し続ける。ルミ江はその言葉を聞いて桃流を降ろし、リカとの決着をつける決心をした。ルミ江はワイヤーを椰子の木に引っ掛けて飛び上がると、頭上からとび蹴りを喰らわした。腰から短刀を引き出す。路面に降りた瞬間にリカの喉を狙う。

 短刀の動きが止まった。枝分かれしたマジックハンドが、刀を受け止めていた。もう一方のハンドは芹香のウルトラスタンガンを奪っている。奪われたスタンガンの稲妻がルミ江に襲撃する。それを間一髪で避けたところに、ハンドの拳が突き上がる。白いゴムの拳はルミ江の腹部にヒットする。彼女は吹っ飛ばされ、血を吐く。スタンガンの作った炎が辺りを明るくした。ハンドを手に持ったリカが近づく。自分の足でガンガン彼女を蹴っていく。

「テメーあたしに勝てると思ってたのかヨ! えぇ? このマジックハンドはなぁ! そんなセコい武器とは訳が違うのよ! 選ばれたクラウド新帝王であるこのあたしが天下を統一するために、天が用意した武器なのよ! 分かった? 分かったぁ?!」

 ルミ江は血を吐き、返事などできない。炎に四方を囲まれ、目の前にマジックハンドをブンブン頭上に回転させているリカが立っている。もうダメだ。

「こいつで死ぬ事を光栄に思って死ねェ!」

 リカはいっそうマジックハンドを頭上で回転させた。ブンブンという音がフォーンフォーンと風を切る音に聞こえてくる。全く奇妙な音だった。リカは怪訝な顔をして頭を上げた。


 フォーンフォーンフォーンフォーンフォーン……


 闇夜の上空に、巨大なシャンデリアの如き光り輝く物体が現れた。

「キャー!!」

 リカが叫ぶ間に、シャンデリアの真ん中に白い穴がぽっかりと開いてゆく。そこから怪光線が地上に向かって放たれた。それはリカをすっぽりと包む光だった。リカを包んだ白い光の中で、マジックハンドを握ったままの彼女はエレベータのように宙に浮き上がった。黄色いキンキン声の叫び声を上げながら、彼女の身体は円盤の中に吸い込まれていった。円盤の下部の穴がピタリと閉まると、素早く円盤は飛び去った。

 宇田川リカが何も知らないで振り回していたマジックハンドは、UFOを呼ぶ道具だったのだ。

 突然起こった事態を全く飲み込めず、呆然と見送ったユキエはゆっくりと炎の中で上体を起こし、芹香の肩を借りて起き上がった。

「アブダクション……宇宙人に人体実験でも、キャトルミューティレーションでもサレテロ!」

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