ブラック加東ルミ江5 ~加東ルミ江は日本の天使か悪魔か~

 ドラマ「ストップ! ギャングアイドル2」は常に人気をキープしている。やくざの娘が、その身分を隠してアイドルとなる。そして、その迫真のアクションで悪を倒す姿を描くこのドラマは、「マジ駆る九ノ一」と共に、加東ルミ江の大ヒットシリーズだ。九々龍俳山から反旗を翻した今もなお、彼女の女優・タレントとしての地位が磐石のものである事を証明するドラマであった。しかし、あまりにも現実と一致し過ぎた設定である事は、事情通の業界人なら誰でも知っている。そう、加東ルミ江は業界の闇と光の両方を生きてきた。九々龍俳山の片腕として、彼のクラウド、【ヨルムンガンド】の障害となる敵を排除する、暗殺者としての彼女……。その報酬として、ドラマや映画の出演で、人気タレントとなっていった彼女。「ストップ! ギャングアイドル」は当初、【ヨルムンガンド】が皮肉を込めて彼女を起用したのかもしれなかった。今は【ヨルムンガンド】を離れ、日本のメディア総合幕府たる東屋財団クラウド局が直接彼女をプロデュースしている。今や、【ヨルムンガンド】なくしても彼女は業界のトップタレントの一人となっているのであった。

 ドラマの中で、ヤクザの娘アイドルであるルミ江は大立ち回りを演じる。その時、実際に闇の家業で鍛えた技の一旦が出ないようによく注意をする。いかにも、若い女優がアクションをやらされている、というフリをして、かつ画面に見劣りしないように演じているのであった。本物の戦闘は一撃必殺であり、あまりにも早すぎて、それをカメラが捉える事は困難だ。それにしても、と思う。やくざとの立ち回りを演じたその夜、本物の手打ち式に出向く事になっていた。自分でも、何が現実で何がフィクションなのか、その境界線を引く事ができなくなっている。

 会場は帝都ホテルのレストラン「春富士」の個室だった。なぜ、ルミ江は今回、手打ち式に向かう気になったのか。今迄、彼女は九々龍俳山を憎みきり、それこそ【ヨルムンガンド】を怒りで焼き殺してしまいたい気持ちだった。だが、ヨルムンガンド・レンジャーの一員から脱し、抜け忍としてメンバーの他のレンジャー達と殺しあった結果、なぜ自分達が殺し合わなければならないのだろうという悩みの壁に突きあたる結果になった。人を一人殺すたび、震えが彼女を襲い、まるでこれまでの冷酷非道な自分からは考えられない、只の普通の人間の感覚に戻っていくかのようだった。金剛アヤナに言われた事が頭に残り、今のルミ江を支配していたのかもしれない。

 没落した九々龍の仮面を拝むのもいいだろう。そういうつもりもあった。空は曇り、その雲に地上の灯が反射され、うっすらと白くなっている銀座の夜。東屋財団クラウド局からの迎えのリムジンから黒いドレスを着たルミ江は降り立った。帝都ホテルを見上げる。VIP扱いでエレベータそのものが一般人とは違う。ボディガードに身を守られながら(彼女には本来そのような者は必要ないが)中華料理のレストランへと向かう。

(現実は、ドラマよりも恐ろしい。これからわたしはそれを見るだろう)

 彼女はこの式が、何が起こってもおかしくないのだと知っていた。陰謀渦巻く、参加者たちの黒い思惑が交叉する百鬼夜行の式だ。部屋には巨大な円テーブルがある。真っ白なシーツが照明に照らされ、周囲の赤い壁は薄暗く、ところどころが間接照明で明るくなっている。その部屋には、すでに彼女を除いた全てのメンバーが揃っていた。

「ドラマの撮影、御苦労さん」

 まず、声を掛けたのは正面に座る九々龍俳山その人だ。久しぶりに会うと、ウルトラガイの仮面はそのままだったが、まるで別人のように痩せ衰えて見えた。スーツは相変わらず立派だが、声もかすれ、弱々しい。枯れ木のような手で、彼の白い猫を撫でている。その隣に立っているのが勉強大好き金剛アヤナ。ヨルムンガンド・レンジャーの一人で、先日、ルミ江と戦ったヨルムンレッド。そして公安(東京バイス)という身分を隠して、今もこの会に参加している。その反対側、九々龍の隣に女が座っている。いや、少女だ。彼女をみてルミ江は驚いた。

 アナレンマ48の宇田川リカだった。一体、彼女はどのような立場でここに座っているのだろうか? 「ロリポップ/勉強してマスカ?」が大ヒット中のアナレンマ48で、センターを務める宇田川は、ベビーフェイスと甘いアニメ声という女らしさを武器に、全国のおたく心をそそる存在として、絶大な人気をはくしていた。いや、アナレンマ48といえば【アドラスティア】クラウド、すなわち【ヨルムンガンド】系列である事は周知の事実だ。アナレンマ48自体、プロデューサーの霧雨の手を離れ、東屋財団クラウド局のプロフェッショナル集団が、すべての楽曲、コンセプト、プロモーションビデオ、ダンス、番組等を取り仕切っている。これほど、業界で確固とした地歩を固め、かつ闇に近い位置にありながらクリーンである筈はない。しかし、さほど【アドラスティア】系から噂を耳にしない所等、よほど厳重に秘密は守られ、かつ、それだけ闇が力を入れている部分であるという事かもしれない。その証拠として、今、加東ルミ江の目の前に宇田川リカは座っている。彼女だけは、まるでルミ江が来た事を気にしないかのようにエビチリを食べている。彼女はラメの入ったピンクのドレスを着ていた。ピンク、そうか。ルミ江がキッと見ると、リカの目には黒い霧が宿っていた。やはりレンジャーだ。彼女がレンジャーの最後の一人、ピンクに違いない。リカはルミ江を一目すると、にこりと微笑んだ。

 そして、金剛アヤナの隣に位置する席に、今日の仲介役が座っている。青い学ランを着ているモモタロウこと桃流太郎が、「ドーモ」と挨拶をした。ルミ江は眉をひそめた。

「なぜ、あなたが」

 番組では時々一緒になった事があるが、それほど話した事はない。もちろん、モモタロウが【サイクロトロン】クラウドを仕切る真の黒幕である事は知っている。そして【赤方偏移】クラウドと延々抗争中である事も。要するに闇の稼業にも詳しい男なのだが、しかし何故この会にいるのだろう。これはルミ江にも訳が分からなかった。

「私から説明していい?」

 金剛アヤナが声を掛けた。口を開こうとした桃流は黙ってアヤナを見上げる。

「この間のジョニー様のモニュメント、私との対決で、あなたが壊してしまったわよね。それをオフィスから高みの見物していたのが彼なのよ。彼は、ジョニー様像憎しで、私達の決闘を利用した。決闘の場を、わざわざあそこに撰んでね。彼は、決して私達の争乱に首を突っ込みたかった訳ではないはずよ。ちょっと、無邪気な悪戯気分だっただけなのね。でもそれが闇の紳士達に知られてしまった時、結果的に今日の席を設ける仲介役を買わなくてはいけなくなってしまった」

「というか九々龍氏のたっての願いを聞いていたので、俺は自ら買って出たんだ。経緯は彼女の言う通りだよ。あれは名勝負だったな」

 モモタロウはあくまで人事のように感想を述べた。第一人のおせっかいよりも、自分のところが、【サイクロトロン】と【赤方偏移】の抗争を終わらせた方がよいのではないだろうか。とルミ江は思う。

「九々龍氏は、あんたとの戦いにもう、疲れてしまったってだけの事さ。それが今日の会だ。俺も、久々に彼に会って思ったんだが、ずいぶん苦労してるなと、俺も手下に裏切られないようにしないとなと思ったよ、ね、九々龍俳山さん」

「ああ、ありがとう。桃流さんの仰るとおりだ。ブラック、今日はよく来てくれたね。こんな私に会ってくれるなんて、本当にありがたい事だ、私は幸せ者だと思っているよ」

 膝に乗せた猫を撫でながら、まるで山小屋のおやじのように枯れて、おそらくは仮面の向こうでにこにことして、ルミ江には相当薄気味悪い。こんなくだらない言葉を信用する程、彼女はこの業界は短くない。「さぁ座って座って」という九々龍に促され、ルミ江は無言で座った。

「思えばわたしには数多くの罪がある。君の-----友達を------あんな目に合わせてしまった事も、罪の一つだ、一体、どのように償えばいいのか----たとえわたしが死んでも、君はわたしを許す事はないだろうな。永久に。それも分かっている。だが、ここに来てくれたという事は少しは、わたしと、話をしようと言う気になってくれたのだと確信する。そのことに感謝する。紹介しよう、すでに戦ったそうだね、ヨルムンレッドの金剛アヤナだ。ヨルムンガンド・レンジャーの中では、もっともわたしに近い位置にある。それから、ヨルムンピンクの宇田川リカ」

「もう紹介なんていいから早く話を終わらせて。わたしがお前を許す訳ない、そんなの当たり前。今すぐ殺しても構わないわよ。けど、芸能界がお前の思い通りにならない姿に変わっていった、それをわたしはお前に見せたかった。それまでは、生きてもらわなきゃならなかった。でももう十分、お前は生きた。今は生きる屍になってあたしの前に頭を下げている。もう口を聞くのをやめたら」

 ルミ江はまくしたてて、立ち上がるとピアノ線を両手でピンと張った。

「ちょっと待って!」

 アヤナが驚いて制止する。ルミ江はフンと笑った。

「----殺そうと思えばいつでも殺せた。それを言いたかっただけよアヤナ。今でも殺せる。でも、桃流さん達の顔を潰すつもりもないから安心して」

「フ~やれやれだな。こんなところで止めてくれよ。もっとも、赤坂の料亭『金環』で二十人のやくざを殺してしまった君だからな。何をするか……。こんなにかわいい顔をしているのにな。第一【ヨルムンガンド】のレンジャーに三人も囲まれて、俺は生きた心地がしないぜ。九々龍さん、彼女はうだうだと話を続けるのが好みじゃないよーだ。俺もこんな恐ろしい式を終えて、そろそろ帰りたい。早めに、手打ちして式を終わらせよう」

「分かった」

 九々龍俳山は、くぐもった返事で頷いた。宇田川リカはというとさっきからこの雰囲気の中で、もくもくと食事を続けている。その無関心、起こっている事にまるで意に介さない様子など、ルミ江には引っ掛かった。九々龍は、加東ルミ江が今後彼らと戦わないという言葉、自分を殺さないという言葉を聞くと逃げるようにそそくさと部屋を出ていった。


 会合が終わり、桃流太郎がジャガーに戻ると、同じレーヴァテイン・メンバー南方九郎がスーツ姿で迎えた。

「オメーって最近、制服着ねーよな……」

 別に桃流は相手を責めた訳ではなかった。ただの感想である。

 車を運転して夜の高速を流すとしばらくして九郎は切り出す。

「桃流さん、先日のお話ですが……考えていただけましたでしょうか」

 タバコを燻らせた太郎は唇の動きを止め、運転手の九郎を見た。

「あれが、メンバー全員の意思だというのか?」

「はい」

「その話はナシだ! 独立など許さん」

 九郎は、桃流を担いで【サイクロトロン】を独立しようとしていた。

「しかし……」

「身の程を弁えろ! オマエにグループのマネジメントなど十年早い。考えるのは俺の仕事だ。いいか、俺の前で、二度とその話はするな」

「はい……分かりました」


 その週末、メディアを騒がせていた蓬莱テレビと新興IT企業【ダークマター】の買収騒動が意外な結末を迎えた。番組収録を終えた【ダークマター】、闇田社長がなんと死体で発見されたのである。彼は収録後、姿が見えなくなり、数時間後、未使用のスタジオで逆さ釣りの格好で死んでいた。腹部に打撲の跡があった。かなり大きな力が掛かったようであった。日本中を震撼させる事件だった。犯人は誰なのか、憶測が憶測を呼び、犯人は蓬莱テレビの某だとか、いやタレントの何がやったとか、様々に語られた。【ダークマター】は各方面に恨みを買っている。その急成長ぶり、乱世の風雲児のような若き体制側への抵抗者の姿の裏には、買収につぐ買収で他人が築いた文化も人の気持ちも踏みいじる帝国主義、金儲け、利権屋の顔があった。だが、犯人はまったく両者の対立とか利害関係とは無縁なところにあるという事も、この世界では珍しい事ではない。

 九々龍俳山は、そのニュースを自室のTVで見ていた。ただ一人でも、ウルトラガイの仮面をつけたままだ。もはや、自分の預かり知らぬところで業界が動いている。直接手を下した犯人が誰なのかも分からない。いろいろ思い浮かびはするが、しかしもう自分には手が届かない世界だった。ブラック・加東ルミ江と手打ちをした結果、九々龍は東屋財団により【ヨルムンガンド】から追い出されてしまった。だから、ヨルムンガンド・レンジャーがどこで何をしているのかも分からない。彼はそうなる事を分かっていた。みじめでも生きる事を選択したのだった。だが、納得したはずなのに急速に怒りが沸いて来た。

「……くそう。こんな筈じゃなかった! 俺の元には、名を上げたいタレントたちが群れをなして集まっていた。誰もが一流というに相応しいタレントばかりだった。だがどんなに一流でも、俺がよしと言わなければ、彼らは業界で活躍できなかったんだ。今、活躍している一流と言われている者たちは、誰もが俺が育てた連中じゃないか! 俺はこの業界の帝王として、この世界を育て、ここまで導いてきたんだ! 蓬莱テレビだって俺のクラウドのタレントで作り上げた会社だと言ってもいい。どれだけ多くのタレントを使わせてやったと思っているんだ。だが、この騒動にも蚊屋の外だ。そうとも。このままにしてしておかんぞ。必ずや俺はリベンジする。必ず俺は業界に舞い戻って来る。今はその戦略を立てる時だ……」

 いつの間にか一人で熱弁を振るっていた。

「くすくすくす……」

 笑い声が聞こえる。驚いてソファーを振り返ると、後ろに宇田川リカが立っていた。

「まだ諦めてないのね。東屋の人が聞いたらどう思うカナー」

「宇田川クンか。おどかすとはあまりイイ趣味じゃないな」

 あまりに驚いたので、ソファーの上で跳ね上がり、白猫が床に飛び下りた程だった。

 宇田川リカは黙って近づいた。九々龍はそわそわとして立ち上がった。

「そんな挨拶。『リカかわいいよリカ』、っていって! 九々龍さん」

「君もわたしの元を離れていく事になったな。金剛クンもそうだな、あれ以来連絡もない。しかし君はわたしの家に遊びに来てくれて嬉しい。全く、どいつもこいつも、一旦落ちぶれたとなると誰も連絡をよこさなくなる」

 リカは向かいのソファに座った。

「フフフ……業界人の冷たさは、九々龍さんが一番よく知っているでしょ。あたしも、残念だけど暇だからちょっと寄ってみようカナーと思って来たんじゃなくて、伝える事があって来たってだけ。やってるわね。ニュース。知りたいでしょ。あの【ダークマター】の闇田殺しの犯人」

「知ってるのかね」

「目の前に座っているワ。あははは。そうあたし。宇田川リカが闇田殺しの犯人よ」

「……なんだって。そりゃ、どういう事だ。なぜ君が。東屋の差し金か!」

「よく分かったわね。当りよ」

 九々龍は落ちついて座り直した。

「ふうん。東屋財団が闇田を嫌ったという事か。野心むらむらの闇田は、世界一の企業を目指していたからな。その始まりとしてメディア支配を目ろんでいた。闇の方にも手を染めようとした。それが東屋にはずいぶん気に入らなかったようだな。東屋としては【ダークマター】とて駒の一つに過ぎない。いつの世にもああいう男は居たものだ。わたしにも何人か心当たりはある。体制をぶち壊そうという若い鼻っ柱の強いやつはな。時が戦国の世なら、まむしといわれ、謀略、策略、詐欺、脅迫でのし上がった斉藤道三くらいにはなれただろう。だが、今の世はあまりに権力機構が巨大すぎる。戦後世界を支配した史上最強の幕府、東屋財団に正面から逆らっても、潰されるのがオチだ。ワタシはその点をよく理解していたから、決して反抗する態度を見せなかった。むしろ、彼らの一部として忠実に動く、そのふりをしていたのだがな」

 かつてクラウドを制した業界帝王の風格のままに、とうとうと九々龍俳山は昔話に話を繋げた。

「違うわ。闇田は最初から東屋のシナリオ通りに動いていたのよ。バックで資金源の外資系企業【スーパースカラ】はメディアを乗っ取る事で日本の政治、経済、防衛のトップシークレットを手に入れようとした。要するにメディアを乗っ取る事は『侵略』と同義ですからね。【スーパースカラ】って奴らは本当のワルね。闇田も使い捨てられたわ。それを分かっていて、東屋はあえて彼らのやりたいようにやらせていた。闇田を過剰にメディアに露出させ、英雄像を描かせてその上で叩きのめす。彼は手のひらで踊っていただけよ。でもなぜ今回始末されたかというと、私の一存。東屋としては彼の生死はどうでもいい。いずれ舞台裏に下がる筋書きにはなっていた。けど、彼、私が気に入らなかったのよ。一歩間違うと本当に第二のあなたになってしまう可能性もあったからね」

「なんだと----き、君の一存だとぉ!」

 九々龍はいよいよ震え上がった。

「そう。あたしの一存よ。闇田の存在は東屋も気にしてなかったけど、いろいろなところにルートがあって、外国系の闇の世界にも通じていた。その気になれば、それをチラつかせて、この業界地図をがらりと変えてしまう事だってできちゃったカモ。あたしそう思ってしまったの。だってあたし、【アドラスティア】クラウドだけじゃなくて、あなたが持っていたもの、全部欲しいんだもの」

「宇田川君、待ちたまえ」

「ねぇ、あなたが居なくなった業界は、ポスト九々龍俳山で凄い争乱が巻き起こってるのよ。闇田ってやつもそうだった。業界の帝王格が居なくなった代わりに、誰が次にあなたになるか、いよいよ鍋の中は沸騰して来たってコトよ」

 一体、この十九歳のアイドルにそんな野望が宿っていたなどと、間近で見てきた当の九々龍でさえ気がつかなかった事である。闇の帝王学を身に着けた分析力、おそらく【アドラスティア】を実質牛耳っているという彼女の言葉は本当だろう。そして、【アドラスティア】を九々龍の【ヨルムンガンド】クラウドのような業界を支配する帝国に育て上げたいのだろう。クラウド。それはアメーバ同士がお互いを食い合っている世界。

「あなた、九々龍俳山って名前、偽名なんですってね。魂の名前だとかなんだとか。本名までは分からなかったんだけど。何でそんなに素性を隠すの?」

 九々龍は察した。立ち上がり、銃を懐から出す。護身用のベレッタM92だ。ところが、上から巨大な物体が振ってきて、バシッと銃を払った。一瞬の出来事だった。宇田川リカの手には、クリーム色のそれが握られ、頭上でフォーンフォーンフォーンと奇妙なうなり声を上げて回転していた。柔らかいゴムのような粘性を持ち、伸び縮み自在、しかし打ち付けられればコンクリートでも破壊する、「マジックハンド」だった。九々龍は苦しそうに腕を抑えた。

「骨折したかしら? でも安心して。すぐ楽になるわ。この世界で落ちた者が辿る運命は、すなわち死」

「ウウウ……宇田川クン、宇田川さん、み、見逃してくれないか」

「残念だワ。あなたともあろう人がそんな事をいうなんて」

 横殴りに伸びたマジックハンドは振られ、九々龍は壁に叩き付けられた。もうもうと埃が巻き上がり、強烈壁ドンによって壁は破壊され、大穴が開いている。

「前からその仮面の中身、見てみたかった」

 死体が転がっているはずの五メートル先の廊下に、九々龍俳山の死体はなかった。手ごたえは確かにあった。だが、仮面も転がっていない。

「消えちゃった?」

 忍たる宇田川リカは邸宅を速やかに探し回ったが、死体はどこにもなく、マジックハンドの強力なパワーで瓦礫の中につぶれているのだろうと結論した。ミニスカートについた埃を手で払うと、俊足忍足で邸宅を去る。


『こちら武道館前です。あっ、痛い!』

『どうしましたか頭に何か飛んできたようですが、十分気を着けてください。どうでしょう、もう中継を中止した方が』

『投石です、エー投石が飛んできまして、えー今わたくしの頭にあたりました。大丈夫です、大丈夫です。あ、ちょっと血が出ましたがハンケチがありますのでこのまま続けたいと思います。えー道路の歩道反対側はアナレンマ48のファンですね! こちらはレーヴァテイン・ファンで埋め尽くされています。車道を跨いでの、投石合戦が始まりました。あ、たった今警察の車が到着しました』

 市村記者は必死に、夜の九段坂での両者の攻防を伝えた。サッカーのサポーター同志の抗争はフーリガンなど外国、主にイギリスでは見られるが、ここは日本。一体何が起こったのだろうか。

 同日に東京ドームで五人組のアイドルグループ・レーヴァテインのコンサート、武道館でアナレンマ48のコンサートがあった。一時間ほど早く、夜七時にレーヴァテインのコンサートが終了した。ところが彼らはこの後、特別な企画を行っていた。レーヴァテインのメンバーがオープンカーに乗り込み、先導するバイクを着けてゆっくりと皇居の方面迄パレードをするというものだった。それを蓬莱テレビでTV中継する大きなイベントだった。コンサートを終えたファンがそのまま歩道を追い掛けていく。危険だったが、交通規制も行われ彼らはトークや歌を唄いながら、パレードを無事続けた。しかしその途中で、アナレンマ48のコンサートを終えたばかりのファンと出会う事になる。

 ここで説明をしておかなければならないのだが、レーヴァテイン・ファンとアナレンマ48・ファンはもともと仲が悪い。きっかけはネットでの書き込みだった。メンバーの誰某は、こんないじわるな奴だ、プライベートでこんな素行がある、あるいはこういうのと付き合っているなど。レーヴァテインファンといえば十代・二十代の女の子が中心だ。一方、アナレンマ48ファンといえばニ十代・三十代のオタ*が中心である。お互いに、先に仕掛けたのは相手の方だと言って聞かない。

『エ~それにしても何故このような争いが始まったのでしょうか市村サン?』

 記者の市村町助は必死におでこの傷をハンカチで押さえながら答える。

『まるで三十年前の学生運動の時代にトリップしたよーな感覚です、これは。二十一世紀の東京で、一体何が起こっているのでしょうか。まだ原因は明らかになっておりません、はい。まだ何がきっかけで始まったのか不明です。ちょっとインタビューしてみたいと思います』

 市村記者は近くで神社の草むらから取り出した石を投げている、十代の学生と思われる少女にマイクを向けた。

『そもそも何が原因なのでしょう?』

『知らない! アナレンマ48オタは酷いですヨ! 私達は突然襲われたんです!』

 そう言いながら熱気覚めやらぬ少女は投石に戻っていった。

『直ぐ解散しなさい。ただちに解散しなさい!』

 パトカーからの拡声器の声が当りに響きわたる。DJポリスは不在らしい。しかし収まる様子もなく、間もなく機動隊の車が到着した。

 バラバラバラバラ……上空のヘリに中継は変わる。

『九段坂上空です。道がファン達で埋め尽くされています。もう車も通る事ができません。大変な事が起こっています』

『はい。はいありがとうございました。市村さん、十分、気を着けてください。まったく、これまでには考えられないような、とんでもない事が起こっています』

 夕張雪子は隣のコメンテータと話を始めた。

 当のタレント達はその場を避難していた。メンバーは、リーダーの桃流太郎の姿が見えないことに気がついた。桃流は、薄暗い中、武道館の屋根上から争乱を見下ろしていた。そこへ小柄な人影がやってきた。宇田川リカだ。桃流から声を掛けた。

「こんな所へ呼び出しとはな。俺は君と違ってレンジャーじゃないんだ。よじ登るのに苦労したんだゼ? 俺はただでさえ、【赤方偏移】とのごたごたを抱えている。ファン同志の争いの原因は掴んでいない。だがこれ以上、【アドラスティア】とまで抗争を抱えたくないんだ。だがな、頭としての俺は、事を収めなけりゃいけない」

 桃流は真面目に言った。だがリカの答えは、

「そっちのファンが勝手に仕掛けて来たみたいよ。ま、あたしもオタにはうんざりしてるけど。でも、止める理由はないわね」

「……なんだと。俺が話をしようと言ってるのに顔を潰す気か!」

 桃流は怒気を露にした。

「違いますぅ~。感想言っただけですぅ~!」


 TVの中継を見ている加東ルミ江と共に居る、金剛アヤナ。ここは彼女の秘密のオフィスである。話があるというのでアヤナはルミ江を呼び出した。ルミ江は、白いパンツルックのスーツ姿で、シャツは黒だった。アヤナはミニスカート姿のスーツで赤いシャツを着ていた。二人はファンの抗争をさっきからじっと見ていた。

「知っていたの? あなた、今夜の事」

 ルミ江は画面から目を離さず聞いた。

「ええ。宇田川リカが仕掛けたのよ。先日、九々龍が死んだ」

「何ですって!」

 ルミ江は血相をかえてアヤナに聞き返した。

「そう、九々龍は死んだ。そのコトはまだ伏せられているけど、犯人は宇田川リカ。彼女は、九々龍亡き後、後継者となりうる人物を一人一人攻撃している。今夜の事も、【サイクロトロン】に対して、ライバルだと思っているのよ。直接の攻撃じゃないけどね。マスコミがこぞって報道するでしょう? この騒動は、後釜争い的な戦国時代の一端と見るべきね。彼女はポスト九々龍を狙う野心家の女よ」

「あいつが……。そうか、【ダークマター】の闇田を殺ったのも、あいつね」

「その通り。彼女は闇の紳士達に取り入ろうと、今派手に戦っているのよ」

 アヤナはその美しい顔でルミ江を正視した。

「彼女がどうやって闇田を殺したか、教えてあげる」

 アヤナは宇田川リカの手口を語った。


 番組の収録を終えた闇田の携帯に、非通知の電話が掛かってきた。

「もしもし、私リカちゃん。今、おうちにいるの。これからそっちへ行くわ」

 イタズラか……そう思った闇田は無言で電話を切った。

 だが、非通知の電話は五分もしないうちにまた掛かってきた。

「今お出かけ中よ。もうすぐ到着するわよ、あなたのところにね!」

「誰だっ、君は……」

 思わず出てしまった自分を呪いたい。闇田は、薄気味悪く、相手から危険な気配を感じ取った。闇田はすでに、イタズラにしては手が込んでいる事に気づいていた。怪訝顔のスタッフを置いて、闇田はすばやくスタジオを後にし、小走りに地下駐車場へと降りる業務用エレベータへ向かった。一般用エレベータはダメだ。

「今エレベータに乗ってるわ。もうすぐ到着する。逃げたって無駄よ!」

 業務用エレベータの数字が上ってくる。その箱の中に、電話の相手がいる! 携帯を右手に回れ右をして元着た道を引き返す闇田は、後ろに携帯を持った少女、宇田川リカを発見した。リカの可憐な唇が動いていた。

「もしもし、わたしリカちゃん……今到着したわ。あなたの目の前にね」

 リカは、一般用エレベータから闇田を追ってきたのだ。闇田は無人のスタジオの中へと追い詰められ、そこで撲殺された。


「リカは、劇場型殺人を好んで行う。いちいち殺人現場をドラマの一番面のように演出しないと気がすまない性質(タチ)なのよ」

 ルミ江を不快な気分が支配していた。気味が悪い女……殺人を楽しんでいる。女優としての自分に酔っているのか。決してルミ江は暗殺を行うとき、愉快な気分にはならなかった。だが宇田川リカは……。

「とにかく、彼女には気を着けなさい。東屋財団は本当に彼女をポスト九々龍に据えようとしている様子。私達は、闇の一斉捜査に乗り出す計画を着々と進めている。あなたには、もちろん闇の一端から抜け出して欲しい。たとえ、一時、芸能界を離れる事になっても。あなたの理想……いつか浄化され、穢れなき闇のない芸能界が訪れる。でもそれは今じゃない」

「わたしから、業界を取るというの?」

 ルミ江はそこに、迷いを見せた。眉をひそめ、俯く。

「辛い事だと認めるわ。でも今の芸能界は、大部分が闇の封建社会である事は、あなたもよく知っている通り。あなたがこの世界で成功しようとする事は----」

「やめて! あなたがわたしの何を知っているというのよ! あなた達の戦いは勝手にやればいいじゃない、わたしには関係ないわ……」

「……もちろん選択するのはわたしじゃない。あなた自身」

「アヤナ。もう二度と私に構わないで!」

 ルミ江はツカツカとヒールの音を響かせて、クラウドを立ち去っていった。アヤナはその洞察力で見事にルミ江の迷いを言い当てた。闇を抜けきれない本当の理由。彼女は闇の稼業と決別しても、「夢」を捨てられなかった。それは結局、闇と拘わり続けるというジレンマでもある。


「今日の所は警察が来る事も予定済みだったし、この辺で終わりにするわ。ま、御挨拶というところかしら」

 リカはウフフフと笑うと、飛び去った。桃流は眉間にしわを寄せ、もう少しで殺されるところだった、と胸をなで下ろしている。第一ハッタリだけで、こっちには何の力もないんだからな……。


 「ストップ! ギャングアイドル2」の活劇シーンに一層、迫力が増したという。ドラマの共演者の悪役俳優が、心底の恐怖を感じたと収録後、ルミ江に笑って語った。余裕がなくなっているのかもしれない、自分に。自制力がなければ、女優を続ける事など不可能である。このまま仕事を続けるのか、それとも故郷の沖縄に帰って結婚でもして、琉球王朝を復活させる男と一緒になるか。わたしは一体どうしたいのだろう。アヤナの言う事は正論だろう。自分はかつてのように、殺しが平気でできる女ではなくなっている。「技」は健在だが、メンタルが着いていけないのだ。

 今日はバラエティーでアイドルの逢坂芹香と共演である。創作料理を作るという番組だが、相手は【アドラスティア】系タレント、アナレンマ48メンバーという事で若干不安になる。つまり、【ヨルムンガンド】系列だ。その不安は見事に適中した。

「こんばんは。オツカレサマデス」

 番組が終わり控え室でくつろいでいると、芹香が部屋を訪れた。

「リカさんに会ってくれませんか」

 ルミ江は到底そんな気分ではなかったが、遅かれ早かれ向こうからやってくるのなら同じだろう。面倒くさいと思いながら「いいわ」と答えた。場合によっては戦闘になる可能性もあるがそれは覚悟の上だった。

 相手が用意したトヨタ・ヴィッツに乗り込むと芹香は終始黙っている。まるで精巧なアイドルロボットだ。かわいいが無表情だと血が通っていないように感じる。この娘も闇に拘わっている、と察した。車が向かった先は新宿だった。東屋本社・新帝国タワーの中へ入っていく。ここが現代日本を支配する幕府の城。

 エレベータに乗って、芹香と共に向かったのは上階の大会議室。そこには東屋財団専務クラスの闇の紳士たちがずらりと顔を揃えていた。そして大きな楕円テーブルの十数名の中に、宇田川リカが加わっていた。

「芹香、帰っていいよ」

 リカが声を掛け、芹香は黙って頷くとまたロボットのように部屋を去った。ルミ江は一人取り残された。たびたび、このタワーには足を運んでいる。今、ルミ江を直接プロデュースしているのが家主の東屋財団だからである。しかし来たのはだいぶ下階であり、こんな高い階に来たのは初めてだ。タワー内は各階にセキュリティーゲートがある。

「我々は当初から、君の行動を見させて頂いた」

 東屋の会長が口を開いた。

「それはどうも」

「まずわたしたちは君のファンだと理解していただいて結構だ。加東君。宇田川君はね、君と争うなんてこれっぽっちも思ってない。いろいろと今、やっておるようだがねぇ。さてそこでだ、君には大いに期待している我々だが、またより大きなステップというものを与えたいと思って今夜、来ていただいてるのだがね」

「…………」

 彼女は無言で返答した。

「ここは君も初めてだろう。これは私達の理事会のメンバーだ。ここに、私達はここに君を加える事ができると考えている。九々龍君でも、そこまでのポストはなかった。しかしこの業界の将来を考えると、宇田川君と、加東君。君たち二人の力が必要なのだという事。これが我々の結論だ。何かやりたい仕事でもあれば、何でも言って欲しいのだ。君を中心に、いくらでも新しいプロジェクトを立ち上げる事ができる」

 つまり闇の紳士の一員になれという事だった。

「『ストップ! ギャングアイドル』、かっこいいですよね。わたし大ファンでいつも真似しちゃうんです。ルミ江さんとは争いたくないな。仲良くしましょうよ」

 宇田川はにこっとした。天性のアイドルといわれている少女が、何故こんな所に居る程の野望を持ち、帝王学をも身に着けているのか。不可解な話だった。

「少し……時間をください……」

 ルミ江はかすれた声で返答した。それは自分がもっとも迷っている部分だった。夢を取るか、闇から足を洗う事を選択するか。まだ決めかねていた。送り迎えの車を拒否し、彼女は一人で帰った。金剛アヤナの言った言葉がずっと頭から離れない。今、二つの道が彼女の前にある。自分は闇からのコールを振り切って、夢を諦めても自由への道を歩むべきなのか、それとも純粋に夢のために生きるべきなのか。進むべきか引くべきか。でも進めば、闇の仕事もしなければならない。

「わたしは、天使でもない、悪魔でもない! わたしに、この世界を変えるなんてとてもできないよ! アヤナ」

 ルミ江は何か悔しさが沸いて来て、涙がとめどなく溢れた。「うう……うう」と彼女はうなだれて夜の街でいつまでも泣いていた。

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