[59]
リュトヴィッツは、ラマノーソフに近いデミトヴァ博士の別荘に行くとき通った道を、また走らされていた。消耗する1日だ。しかし、少なくとも何かに近づきつつあることはギレリスの表情からうかがえた。
ギレリスの姿を見て、ポターニンはむっとしたような顔をした。
「輸送車隊が戻ったら、お電話を差し上げると申したでしょう。忘れてはおりませんよ」
「トーリャのトラックを、もっとよく見せていただきたいと思いましてね」
ポターニンが先立って、巨大な車両が停まっている元テニスコートへ出た。
「どうぞ、ご覧ください」誇らしげな口調で言う。「元々はイギリス陸軍用に造られたもので、8トンの車台に廃棄物をコンテナに積み込むためのクレーンが搭載されております。コンテナ内は準冷蔵で、積み荷の温度が低く保たれます。風防ガラスに鎧板が張ってあるのは、テロリストの襲撃に遭った際、運転手の被弾を防ぐためのものです」
ギレリスは運転台に乗り込み、ハンドルの前に座った。計器類をひと通り見て、感心したようにうなづいた。
「そこにあるのが、非常消火システムです」ポターニンが説明した。「それから、このつまみで、コンテナ内の温度を調節します」
「トラック同士の通信はどうなってるんです?」ギレリスは聞いた。「無線らしきものは見当たりませんが」
「あ、いや・・・それはつまり、短波の周波数帯はほとんど国の公安機関に押さえられておりまして・・・我が社もだいぶ前から、周波数を得るべく努力しておるのですが」肩をすくめる。「とりあえずは、無線なしで走らざるを得ません」
「廃棄物を目的地で降ろした後、トラックはどうなるんですか?」
ポターニンはダッシュボードにある別のスイッチを指差した。
「これで、特別除染プロセスが作動します。このトラックは、自動的に内部を洗浄するようになっているのです。それから、トラックが立入禁止区域の境界まで来た時、運転手が備え付けのホースを使って、除染剤で外面を洗うことになっております」
「それで、どの程度の放射能が取り除けるんですか?」
「放射線レベルは、許容範囲内まで落ちると思います。ただ、その点は私の専門分野ではございませんので、精確な数値がお知りになりたければ、科学管理部にお尋ね下さい」
ギレリスは口元をほころばせ、ラジオメーターを相手に見せた。
「自分で測定しても、構いませんかな?」
ポターニンは顔をしかめる。
「それはもう」及び腰の声で言った。「構いませんですとも。我が社には何も、隠すようなことはございません。ですが、せめて理由をお聞かせ願えましたら・・・」
ギレリスはダッシュボードのスイッチを入れると、運転台を降りて、トラックの後部に回った。大きな扉が開き、リュトヴィッツがラジオメーターを持って荷台に乗り込んだ。ラジオメーターのスイッチを入れると、コンテナの端から端まで往復した。すでに除染剤で洗浄してあるはずなのに、ダイヤルの針は800ミリレントゲンを示した。器具のスイッチを切って、リュトヴィッツはポターニンの横に跳び下りた。
「除染した後は、コンテナを空にしたまま戻ってくるんですか?」
ポターニンが見るからに不満そうな顔をする。
「それはそうですよ。他に何を、このコンテナに積もうとおっしゃるんですか?」
ギレリスはタバコに火を付け、穏やかな嫌悪の眼差しをトラックに向けた。
「闇運送については、ご存じですか?」
ポターニンが鼻をひくつかせる。
「存じておりますとも。もう何十年も、運送管理の仕事をしてきましたからね。しかし、我が社のトラックに不法に荷を積もうなどと考える人間がいるとは思えません。このような環境で3、4日も運ばれたら、どんな荷物だってある程度、放射能に汚染されてしまいます。たとえ洗浄した後であってもね」
「それは、大した問題にはなりませんな。少なくとも、マフィアにとってはね」
「そろそろ、我が社に何が起こってるか、聞かせていただけませんか?」
「マフィアのある組織が、おたくのトラックで冷凍肉を運び込んで、ペテルのコーペラチヴのレストランに売り捌いてるんです。キエフの人々の口に入るはずだったECからの援助食糧をね」
ポターニンの口が、空気の抜けたタイヤのようにだらんと下がる。
「ご冗談でしょう」
「いや、大真面目です。不法な食糧の供給に眼を光らせてる税関や民警の裏をかくのに、これ以上の方法はないでしょうね。誰もわざわざ、放射能に近づくようなマネはしません。チェルノブイリがあった後では」
「しかし、もしおっしゃる通りだとしたら、これは大変な事ですよ。それに、うちの運転手がそういうことに関わりを持つことなど、とても信じられません」
「マフィアは人を思い通りに動かすために、どんなことでもします」
ギレリスは肩をすくめる。
「ただ、念のために全員の人事ファイルを後で見せて下さい。保安措置がどんなに万全でも、綻びやすい個所がどこかにあるかもしれません」
ポターニンはまだ、事実を受け止めかねているようだった。ぎこちない手つきで、タバコに火をつける。
「しかし、その肉は取り返しのつかないくらい汚染されることになりはしませんか」
「ええ、その通りですよ。しかし、さっきも言った通り、マフィアは気にもしないでしょう。放射能汚染は、眼に見えるものじゃありませんからね。ただ、トーリャはそれを気にしてたと思います。ベジタリアンになったのも、多分そのせいでしょう。どちらにせよ、彼はヴィシネフスキーにその情報を伝えることにした」
ポターニンの福々しい顔から血の気が引いていく。
「しかし、なぜ肉をここまで運んでくるんです?キエフで売ればいいじゃないですか?」
「ペテルのコーペラチヴのレストランに入ったことはありますか?同じ料理でも、キエフで食べる場合の数倍の値段が付いてます。観光客のおかげでね。それに、ウクライナがどれほど深刻な品不足に陥っているとしても、ペテルに比べれば、食糧事情はうんと恵まれてるはずです。なにしろ、かつてはロシアの穀倉地帯を呼ばれた土地ですから」
ポターニンはトラックに背中をもたせかけた。顔色が蒼くなっている。
「輸送車隊は今、どの辺を走ってるんです?」
「中に入っていただいた方がよろしいですね」
2人の刑事はポターニンのオフィスに入り、地図でトラックの現在地を確認した。
「今夜の目的地はここ、プスコフです。そして、道中何ごとも無ければ、明日の夜にはペテルへ戻ってくるでしょう」
「ありがたい。それなら、歓迎の準備を整える時間があります。うまくいけば、現行犯で捕まえられる」
その日の晩、リュトヴィッツはしばらく大屋敷の窓辺に座って、大きな身体をしたヘラジカがとまどったようにリテイヌイ大通りを右へ左へ走るのを眺めていた。マフィアへの対応に追われた時間の中で、ささやかな気晴らしになった。
「ライフルがあったなぁ」スヴェトラーノフが言った。「久しぶりに本物の肉にありつけるんだが」猟銃を肩に当て、ヘラジカに狙いをつけるふりをした。
グルジア人たちの送検手続きを終え、身柄を再拘置した後、ギレリスは刑事部長のコンドラシンとOMON部隊長のシェバーリン中尉を相手に、1時間かけて翌日の作戦について話し合っていた。
会議を終えたギレリスが刑事部屋に入ると、控え室に待たせてあるポターニンと秘書のことを2人に尋ねた。
「帰してしまうわけにもいかんが、ゴロツキどもと一緒に下に閉じ込めることも出来ん。昔はそれで良かったんだが。どうすればいいと思う?」
「ホテルを取ってやりましょう」リュトヴィッツは言った。「最上級のスイートルームで、電話は無し。外に警官を1人立たせておけば」
「そいつは妙案だ。スヴェトラーノフ大尉、ホテルの手配を至急たのむ。サーシャ、君にはただちにやってもらわねばならないことがある」
「なんでしょう?」
「大型トラックの運転だ」
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