第5章:密告者

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 オレグ・サカシュヴィリの葬儀会場はさながら高級外車の展示場のようだった。メルセデス、サーブ、ボルボ、BMW。どの1台をとっても、警察官の一生分の賃金であがなえる範囲を超えている。もちろん、真正直に働いたとしての話だ。

 オクチャブリスキー大通りを走って来た車が次々と、スモレンスキ墓地の門の前で停まった。黒いスーツに白いシャツを着た体格のいい男たちが数人、さっと車を降りて四方を見回す。辺りに危険の兆候が無いことを確かめた上で、組頭や首領など、グルジア・マフィアのエリートたちを車から降ろすのだ。

 リュトヴィッツは運河をはさんだデカブリスト島から、双眼鏡でグルジア式の葬式を見物していた。そばにカメラマンが立ち、スヴェトラーノフとラザレフも双眼鏡をのぞいている。時おりスヴェトラーノフがリュトヴィッツに視線を投げてくる。息子の死を悲しむグルジア・マフィアの女帝が墓地を出るところを捕まえて、不躾な質問をしないことを確かめようとしているかのようだった。

「そもそも近づけやしないぜ」スヴェトラーノフはリュトヴィッツに言った。「仮に近づけたとしても、話を聞くのは無理だ。撃たれるかもしれないぞ」

 リュトヴィッツは反論できなかった。オレグとヴァレリーの母親であるアンティサはほとんど外を出歩かない。そして出歩く時は、おそらくボディガードと弁護士軍団の鉄壁で身を護っているだろう。

「それはやめろと言ってるのか、それともお前抜きで行くのはやめろと言ってるのか?」

「自分が何を言いたいのかよく分からないよ、サーシャ。ただ、アンタにクソッたれと言いたい気分だ」

 そこに、刑事部長のコンドラシンと一緒にギレリスが到着した。カメラマンを一瞥したギレリスは怪訝な表情を浮かべてラザレフの耳元に口を寄せる。

「誰だ、あれは?科学技術部のポポフはどうした?」

「病気らしいですよ。スミルノフが代役です」

 ギレリスはあいまいにうなづいた。スミルノフが巨大な望遠レンズの焦点を合わせる様子をじっと見守る。

「心配いりませんよ、大佐。昔はKGBで、監視業務に就いてた男ですから。人員整理で辞めさせられましたけど」

「ほう。で、今は何をやってる?」

「婚礼写真を撮ってます」

 ギレリスはため息をついて沈鬱な声で「婚礼写真か」と呟いた。それから双眼鏡を持ち上げる。

 グルジア人の一団が霊柩車からオレグを運び出した。オレグの遺体は蓋のない棺に横たわり、花で覆われている。まるでレーニンだ。リュトヴィッツはそう思った。男たちが広い肩にその棺をかつぎ、祈祷書を読むグルジア東方正教会の司祭を先頭に、吊り香炉を振る従者、聖像を持つ男が続いて、葬列は墓地に続いた。

「メレブ・パルサダニヤンですよ」スヴェトラーノフが言った。「あのネクタイを直してる男。組織のボスです」

 リュトヴィッツは双眼鏡のピントを微調整し、パルサダニヤンの背後にいるアンティカ・サカシュヴィリの像をくっきり結ばせた。骨ばった身体つきの小柄な老女。顔は黒いベールで隠されていた。

 スミルノフのカメラがせわしくフィルムを巻き上げる音がした。

「たいした見世物だな」コンドラシンが言った。「彼らがオレグ・サカシュヴィリを密告者と考えてたとは、とうてい思えないが」

「去年、スヴェルドロフスクで行われた《リトル・ジプシー》の葬儀に比べれば、ちゃちなものです」ギレリスが答える。「あの時は街全体の交通が麻痺しました」

「うむ、ドゥシャン・ヌルジノフか。あの男を殺したのは誰だった?」

「アゼルバイジャン人です」

「まぁ、しかし・・・われわれの基準からすれば、これでも豪勢な式だ」

「昨年も、ルイバルコの弟の葬儀がありました」

「《黒鳥》か?あれはどういう事件だった?」

「オレグの親父と一緒です。乗ってた車ごと爆破されたんですよ。死骸をかき集めても、棺どころか、靴の箱を満たすほどにもなかったんですが、コサックの連中は盛大な式を催しました」

「わかってるよ、レオニード。君の言いたいことはな」

 コンドラシンはギレリスから講義を受けることを愉快に思っていないようだった。

「この後、連中が弔いの宴をどこでやるか、分かってるのか?」

「情報提供者によれば、トビリシというレストランに移動するようです。ネヴァ河を渡ったペトログラードスキー地区にあるグルジア料理の小さな店です。事件に関係ある話が聞けるかもしれないので、盗聴マイクを仕掛けておきました」

「それで、ドゥダロフはどうなった?」

 コンドラシンはタバコに火を付ける。紫煙を吐きながら口を開いた。

「ミハイル・ヴィシネフスキーに恨みを抱いてるかもしれないという、例のチェチェン人だ。足取りは掴めたのか?」

「全市の観光客用のホテルに眼を光らせてます」ギレリスは答えた。「やつが新しい雌牛の群れを動かし始めたら、すぐにでも網に引っ掛かるでしょう」

「早いことに越したことはないぞ、レオニード。さっきスヴェルドロフスクの葬儀の話を持ち出したくらいだから、あの時の騒ぎは覚えてるだろう。あれは戦争だった」

「ええ」

「解せないのは、ドゥダロフがこんなに早くシベリアから帰って来られたことだ」

「懲役施設管理委員会の部内者の話では」リュトヴィッツが横から言った。「保安省のある人物が手を回したようです」

「その人物の名前は分からないのか?」

 リュトヴィッツは肩をすくめ、首を横に振った。

「保安省も何を考えるのやら・・・ドゥダロフについては、君の勘が当たってることを祈ろうではないか、レオニード。この男の他に、君には何もないのだからな」

 ギレリスはただ唇を噛んで、むっつりとうなづいた。

 オクチャブリスキー大通りは駐車場と化しており、弔問客も見物人もディーゼルエンジンの排気ガスの靄の中にいた。リュトヴィッツはバンパーやフェンダーの間を縫い、群衆の中に身体をこじ入れる。ヴィシネフスキーの葬儀に向かったギレリスたちには「トイレを済ませて後からついてくる」と言ってあった。

 正直言って、計画は何もなかった。スヴェトラーノフが予想したような不作法で幼稚な方法すら考えていない。巨獣のような特別仕様のリムジンのほうへ向かっていく。全長6メートルほどの四輪駆動車だ。

 喉をごろごろ鳴らすような低い唸り声が聞こえた。なかば獣のようなその声は、何かの警告か、どす黒い悪意に満ちた非難の言葉をリュトヴィッツに向かって発していた。リュトヴィッツは怒っている男に眼を向けた。パルサダニヤンだった。

 リュトヴィッツは一瞬、アンティカの姿を見失った。数人のボディガードが目標のリムジンの後部座席に何かを押し込んだ光景を視界の端に捉える。運転手がドアを開け、体操選手の身のこなしで運転席に飛び込む。ボディガードの1人が車の横腹を叩いて「行け!」と叫ぶ。

 リムジンがこちらに近づいてくる。リュトヴィッツは半歩後ろに下がった。両手の指を動かしながら、タイミングを見極める。リムジンが眼の前を通り過ぎる瞬間、後部ドアをさっと引き開けた。身体が5メートルほど車のわきを引きずられる。ボディガードの1人がリュトヴィッツの腕をつかんだ。それをどうにか振り払い、片膝をリムジンの車内に突き入れて全身で転げ込んだ。

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