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 その日の夜、サンクトペテルブルク・テレビジョンからギレリスが出演するニュース番組が放送された。

 リュトヴィッツは大屋敷の食堂で、その番組を見ていた。画面の左側にアナウンサーのゲオルギー・ベルマン。端正な顔に無精ひげを生やしたマッチョな風貌に仕立ての良い革のジャケットとジーンズという出で立ちは、ホテル・プリバルチスカヤあたりにいそうなマフィアと大差なかった。

 番組の前半はヴィシネフスキーの業績を駆け足で紹介する短いVTRが流された。密輸業者や売春婦、反体制派にインタビューする場面。チェルノブイリ原発事故で被曝した消防士の病床を訪ね、自らも涙する場面。国営食肉市場に列をなす市民から話を聞いている場面。

 ドミトリ・ヴィシネフスキーは傍目には愛想のかけらもなく、末端の官庁かどこかで書類だけを相手にしているだけの官吏のような印象をうける。しかし、そのさりげないユーモアと常に変わらぬ誠実さで、広く国民に愛されたのだった。映像を見ていると、リュトヴィッツにはいつもの飾り気のないその語り口に、はっきりとしたペシミズムの影が差しているように思えた。殺されることをヴィシネフスキー自身が予知していたのではないか。そんなことまで勘ぐりたくなるような風だった。

「たしかに、外国資本の導入は我が国にとって急務であろうと思われます」ヴィシネフスキーが喋っている。「しかし、投資する価値のある物が我が国に存在するでしょうか?工場はひどく老朽化しています。政治は安定を失いつつあります。われわれ国民は労働倫理を欠いてます。『お上は払うふりして、おれたちは働くふりをする』というのが、支配的な風潮なのです。そして、最も基本的な本能であるはずの利益追求欲までが、ほんのひと握りの人々に独占されつつあるように見えます。しかも、その人々は必ずしも法を遵守してはいないのです」

 VTRの最後を締めくくったのは殺害現場の映像だった。森の中に乗り捨てられた黒塗りのヴォルガと二体の死体。血なまぐさいクローズアップ。

「ドミトリ・ヴィシネフスキー氏が殺されたこの事件は現在、内務省サンクトペテルブルク支部刑事部のレオニード・ギレリス大佐によって捜査が行われています」

 ベルマンはわざと顔に深刻ぶった表情をこしらえ、画面の右側にいるギレリスに顔を向けた。

「ヴィシネフスキーと一緒に死体で発見されたオレグ・サカシュヴィリですが、彼はグルジア・マフィアの一員ということでしたね?」

「その通りです」

 ギレリスは回転椅子に乗せた尻の位置をもぞもぞと動かした。

「そして、2人が撃たれたのはサカシュヴィリがドミトリに情報を提供しようとしたからだと推測されているわけですね?」

「それはまぁ、1つの可能性であって・・・現時点では、そう決めつけるだけの材料はありません。だからこそ、2人のどちらかを最近見かけたとか、接触があったとかいう方がおられたら、できるだけ早く知らせていただきたいのです。また、この2人のつながりについて何かご存知の方も、ぜひ情報をいただきたい」

 ベルマンがうなづいた。高価な革のジャケットにしわを寄せて、膝に置いたメモに眼をやる。

「このむごたらしい事件の犯人に法の裁きを受けさせるためなら、市民はできる範囲でのどんな努力も惜しまないでしょう。しかし、逆にお聞きしたいのですが」

 ベルマンは穏やかな口調から一転して攻撃的な口ぶりになる。

「サンクトペテルブルクの民警は市民のためにどんな努力をしてくれているでしょうか?いつになったら、この街のマフィアを撲滅してくださるんです?」

 ベルマンの番組に出演するに当たり、ある程度の覚悟はしてきたというものの、これは予測を超えていた。しかし、なんとかしのぎきろうと、ギレリスは最善を尽くした。

「マフィアを打ち負かせるとすれば、それは官民の協力の上に立ってのことでしょう。われわれがマフィアの構成員を有罪に追い込むためには、被害を受けた市民が積極的に名乗り出て、証拠を提供してくださることが不可欠で・・・」

「なんと、民警の力ではマフィアに太刀打ちできないとおっしゃるんですか?」ベルマンの顔にあざけりの笑みが浮かぶ。

「違う。そんなことを言ってるんじゃない」

「しかし、おたくの部内にもマフィアがここまで強大になると、どんな策を講じても効果はないと考える方々がいらっしゃるんじゃないですか?」

「それは事実だ。そういう人間もいる。しかし、わたしはその1人じゃない。わたしとしては、事態をもっと楽観的にとらえて・・・」

「ほう、あなたが楽観しておられると聞いて、われわれ市民も今夜から安心して眠れるというものですよ、ギレリス大佐。ですが、その楽観論は何に基づくものでしょうね?グルジア産のブランディですか?」

「ちょっと待て」ギレリスはがなった。

「いいえ、あなたこそ待ってください」ベルマンも負けじと声を張る。「警察はマフィアがECからの援助食料を盗むのさえ、阻止できなかったじゃないですか」

「君が言っているその犯罪はキエフで起こったものだ。ウクライナで起きた未解決事件を、うちの責任にするつもりじゃないだろうな。ペテルに西側から届いた援助食料の行方を知りたければ、市会議員にでも聞いてみることだ。それに、その服だ」

 ギレリスは上体を前に乗り出し、ベルマンのジャケットに触れた。

「誰だって、こういう上等の革のジャケットを買える身分になりたいさ。いくらした?1万5000ルーブル?2万か?うちの課員の2、3年分の給料だ。こんなものを着ている人間が、わたしに向かって偉そうな講義をするとは」

「そういう問題じゃなくて・・・」

「そういう問題だ」ギレリスの顔にどんどん赤みが増していく。「きさまや同類の連中が金にものを言わせて西側の服や品物を買いあさったりしなければ、マフィアはたちまち干上がってしまうんだからな。自分が犯罪組織の懐を肥やしておきながら、民警がマフィア相手に負け戦を強いられている状況を、とやかく言えるのか?」

「じゃあ、負け戦だということは認めるんですね?」

「認めんぞ、そんなことは!」

 この調子で、2人はさらに数分間言い争った。その挙句にギレリスはベルマンの侮辱に耐えかねて、ネクタイからマイクを乱暴に外し、スタジオを出て行った。自宅に帰ったギレリスに刑事部長のコンドラシンから電話が鳴った。

「明日の朝一番に、出頭せよ」

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