終幕 天へ還るものと地に残るモノと

40 暗澹たる日々

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」


 花屋敷統志郎は息せき切って山道を走っていた。

 彼は文壇畑の人間で、運動とは縁遠い生活をしてきた。そのため、お世辞にもきれいとは言い難いフォームで、ひどく無様にいま走ることになっている。


(き、鍛えておけばよかった……! まさかこの齢で全力疾走を必要とされるとは……!)


 可能なら歩きたい。出来れば立ち止まりたい。

 そう思いながらも、必死で統志郎は走る。

 なぜならば、目指すものがあったから。

 彼の視線の先で、夜の闇が赤く燃えていた。

 彼は、玖契村へと向かっているのだった。

 車が途中でエンストし、走らざるを得なかった。

 統志郎は走る。


(あそこにあるんだ。僕が見たいと思うものが、この世の最果てが!)


「おっとっと」


 つんのめる。

 なんとか片手をついて、転倒を避ける。半身を起こし、また走りだす。

 もはや船越栄一郎のものだった携帯に繋がることはなかった。統志郎は悟っていた。

 全ては、もはや終わるのだと。

 ゆえに走った。

 彼は走った。

 やがて、そしてとうとう、辿り着く。


「――――」


 それは、燃え盛る大地だった。

 この世の地獄がそこにあった。

 すべては血の海に沈んでいる。

 窪地のすべてが、四方の森が、それ以上の範囲が、なにもかもが膨大な量の赤い液体のなかに、巻き起こる津波の水底に沈んでいる。


(命――この村が、周囲一帯が、ひとつの生命体であるように連動し燃えている……まさか、情報生命体は、そんなにも広範囲に拡散し、遺伝子に食い込んでいたというのか?)


 そう、燃えているのだった。

 村が。そこに生きる人々が、周囲の山々が。

 なにもかもが、真っ赤に燃え、それが徐々に青い炎に焼却されていく。

 

 その蒼い炎に触れたものはすべて、灰燼となって消えていった。

 膨大な、膨大な、ありえないほどの質量が、一気に赤く、蒼く、白く燃え上がり――


 そして次の瞬間、大爆発が起きた。


 すくなくとも、統志郎はそれを爆発だと思った。

 爆風に吹き飛ばされ、彼はなすすべもなくその辺りを転がっていく。嵐に翻弄される木の葉のように蹂躙され、それでも必死に、彼は観測者であろうとした。

 村の中央から、赤い、赤い一本の光の柱が、天へと向かって一直線に伸びていく。

 すべての焔を一点に集めながら、光をすべてを貪りながら、それは、遥か彼方へと飛び去って行く――


(そ――そうか! 地下に内包されていた無限にも近しい情報を、なんらかの方法で燃焼させ燃料に変えたんだ! ! 大気圏を脱出するために必要な熱量を、エネルギーを、こんな方法で確保するなんて、まさか、すべての捕食活動がただそのためだけだというのなら、地曳富という存在は、僕らの想像よりもよほど高度な――)


 統志郎が思考できたのはそこまでだった。

 更なる巨大な衝撃がすべてを吹き飛ばし、彼の意識もまた、消し飛ばされてしまったのだった。



◎◎



 随分と長い時間が経ち、やがて統志郎は目を覚ました。

 彼の服はズタボロで、あちこちが焦げていた。

 髪の毛も鳥の巣のような有様になっている。

 ゆっくりと――無駄と悟りながらも――埃を払い立ち上がり、統志郎は村を見下ろして、そして言葉を失った。

 盆地だった場所は、さらに陥没し、まるでクレーターのような様相を呈していた。

 そこにはもはや、なにもなかった。

 家も、家畜も、木々も、河も、土も、人々も。

 なにも、なにも存在しなかった。

 彼は、恐る恐るそこに下りていく。

 崖を転がり落ちるようにしながら窪地に下りて、地面に手を突く。

 地表は僅かに熱を帯び、じりじりと肌を炙り、さらに丹念に調べていくが、土は燃え尽きた灰――塵埃じんあいのような有様で、手に取ればほろほろと解け、吹き荒れる暑い風に舞って消えてしまった。

 痛む体を酷使しながら、統志郎はなんとか村の中央だった場所まで進む。

 そして彼は。

 花屋敷統志郎は、思考を失った。


「――――」


 彼の目の前に、はあった。

 すべてが燃え尽きた焼野に。

 灰色のクレーターに。

 それだけが唯一の色彩いろだった。


 小さな赤ん坊が、ジッと統志郎を見詰めていた。


 赤い、赫い。

 焼けた銅のように燃える眸の、血のような色合いの眸の赤ん坊が、統志郎を見て――

 その口腔の中で、一揃いの犬歯が、鈍く光る。


「――――」


 統志郎は言葉を口に出来ない。

 

 彼は赤ん坊を拾いあげ、その地を後にする。

 情報がすべて死んだ跡地から。

 なにもかもがある、都会へと。

 赤ん坊がキャッキャと笑う。

 すべての命の記憶を蓄えて、更なる情報に腹をすかして。

 夜が明ける寸前、闇はひときわ濃くなった。




 暗澹たる日々が、いま幕をあける――



◎◎



『 荒れ果てたる凄惨なる境地を見よ。周りは怖ろしき暗窟にて、焔する大いなる炉のごとく、しかも焔に光なく、見ゆる暗黒は、いたずらに禍いの様相を呈す。


ミルトン 楽園喪失』






 血眸 ~暗澹たる日々~ 終

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血眸 ~暗澹たる日々~ 雪車町地蔵 @aoi-ringo

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