第3話A 鮮血のプール 怪
「駄目だ、びくともしない。」
昇降口に戻った朱里と光猛は、入口のドアに手を掛けたが、外に出た時のように前後に動くことはなかった。全てのドアを試してみるが、結果はどれも同じように静止を保っていた。
「来賓用の玄関も一応確認してみたけど、期待するだけ無駄だったわ。」
朱里が首を横に振りながら、昇降口の方に戻ってくる。これで校舎内に入る術は断たれてしまった。意を決して光猛はドアの前に立つ。握りこぶしを作り、キリキリと音を立てながら力を込め始めた。
「こうなったら手段を選んではいられない。ドアのガラスを破って中に入る。」
「待って。それは駄目。」
腕を構えた光猛の前に朱里が割って入る。手を広げて見つめてくる朱里の真剣な眼差しに、光猛は腕を下ろして構えを解いた。
「理由を話してくれるかな?」
「勿論。」
校舎の周囲を回るように歩き出した朱里に光猛もついていく。歩きながら校舎を眺めて、声を上げて中の皆に知らせる方法も考えたが、締め切られた窓を見て、気付く可能性は薄いと思い、考えを改めた。校庭の朝礼台に着いたところで朱里は立ち止まった。
「開いていたはずのドアに鍵が掛かっていた…ここから考えられるのは、校舎の内側から鍵を掛けられたもしくは警備会社の警備システムが作動した…七不思議の仕業という現実的でない選択肢を除けばこの二つが妥当な原因でしょう。前者であれば後でなんとでも誤魔化せるだろうけど、後者の場合、昇降口内の監視カメラが作動している可能性があるわ。それによって窓を割った犯人が南本君だと判明すれば、南本君自身、それから私達参加者、更に肝試しの許可を出した校長先生まで進路や立場が危ぶまれることになる。お話の世界でならそれでも人命優先に乗り込むのだろうけど、これは現実よ。万一退学にでもなれば、各々が今目指している進学の道を阻むことになる。それだけじゃないわ。問題を起こして退学となれば、家族や周囲の期待を裏切ることにもなる。簡潔に言えば、強引に破ってまで中に入るのはリスクが大きすぎる、ということ。」
「校舎内でもし負傷者や死人が出ていれば尚のこと、なにより問題を起こした生徒の証言に周囲が信用を持つとは限らない…そういうことだね。」
朝礼台に座った朱里の横に光猛も並んで座る。仲間の今の状況は心配だが、今後のことを考えると、下手なことをするのはよくないという考えも一理あった。
「それに体育倉庫に罠が仕掛けてあったというだけで、他の場所にも何か仕掛けてあると考えるのには判断材料が少なすぎると今は思うの。だから…」
朱里は校庭の東奥を指差した。そこには、次の目的地であるプールが闇に紛れて聳えていた。
「校舎内との連絡方法を考えるのは、七不思議発生場所=罠に確信を持ってからでもいいのでは、ってことだね。」
「そういうこと。…行きましょう。」
朝礼台から下りて、二人はプールへと歩き出した。黙々と校庭を突き抜けていき、ひたすらに前方を目指す。プールの大型シャワーがぼんやりと見えてきたところで、光猛は目を擦った。プールサイドに少女が立っているように見えたからだ。しかし、一度視線を外して再び同じ場所を見ると、そこには誰もいなかった。
「どうかした?」
「ん…いや、何でもないよ。」
気を取り直してプールの入口に向かい、鍵を開錠。二人は靴を脱いでプールサイドに入っていった。
水泳のシーズンはとうに過ぎていたものの、本格的に寒くなるまで水泳部が使用することもあり、プール内には水が張っていた。顔を近づけると、ほのかに塩素の香りが漂う。例の如く二人は組分けを取り出し、七不思議の確認をした。
「真っ赤に染まる夜のプール…。」
「夜に水泳部の生徒が、帰り際にプールサイドに人影を見て、確認に戻ったら水面が赤くなっていた、と。その人は怖くなって慌てて帰ったけど、翌日には水の色が元に戻っていた、か。」
光猛はプールの周辺を見回す。先程視界に入った少女の姿はやはりなかった。水の色に変化がないため、光猛はやはり気のせいだったと思うことにした。
「それじゃあ、俺は怪しそうな倉庫と男子更衣室を見てくる。杖辺さんは、この辺と女子更衣室を頼むよ。」
「オッケー。罠だと思ったらお互い手を出さずに外に出る。これでいいね。」
片手を挙げて了解の意を伝え、朱里に女子更衣室の鍵を投げると、光猛は男子更衣室の鍵を開けて中に入っていった。光猛の背中を見送ってから、朱里はプールサイドをゆっくりと歩き始めた。
男子更衣室の中は、男特有の汗臭さとプールの水の湿った香りに包まれていた。窓を開けて換気をして、光猛は懐中電灯を手に中を探っていく。男子水泳部員の私物だろうか、ロッカーの中には忘れ物であろういかがわしいアダルト雑誌が置いてあった。気を引き締めて探索していた光猛は、思わず笑みをこぼしてそのロッカーを静かに閉じた。鍵の掛かっていないロッカーや清掃ロッカー、ロッカーの上部下部まで隅々調べたが、罠と思われるものは何もなかった。
「後はシャワールームだけか。」
3箇所設置されている個室のシャワールームに向かい、一部屋ずつ見逃しがないように隈なく目を配る。一番奥の個室に入ったところで、光猛は床に僅かに残った赤いシミを発見した。
「色的に見て血に間違いない…。誰かが足を怪我してそのときにできたシミなのか、それとも…。」
注意深く周りを囲む壁や足元の床を確認するように触っていく。しかし違和感のある感触はなく、至って普通の内装だった。
「シャワーの水が硫酸に変わっている…なんてことになれば、足元がもっと溶けていてもおかしくないか。」
念のため蛇口を捻り、シャワーを少し出してみるが、ごく普通の水道水のようだった。男子更衣室はハズレと見て、最後に天井に手を伸ばす光猛。両手を挙げて天井に触れたときだった。背後からガシャンと何かが勢いよく落ちてくる音がした。振り返ると、脇に退けた入口のカーテンの後ろに入口を塞ぐようにして鉄の板が下りていた。
「閉じ込められた!?」
鉄板に向かって体当たりをしようとシャワーが取り付けてある方の壁に後退すると、タイミングを見計らったかのように左右の壁から無数の鋭いトゲが生えてきた。
「な゛!?これは…まさか…!?」
光猛が周囲を見回していると、左右のトゲ壁が光猛を押し潰すように迫ってきた。
「このままではまずい!」
勢いをつけて正面の入口を塞ぐ鉄の板に体当たりをするが、まるでびくともしない。諦めずに二度目の体当たりを試みようとしたが、既に両側のトゲ壁は光猛の腕に触れる所まで迫っていた。
「うあああああああああーーーーーーーー!!!!」
光猛の奮闘虚しく、左右のトゲ壁はぴったりと部屋の真ん中で接触した。一際大きく上げた叫び声を最後に、光猛の声は聞こえなくなった。
「あーお腹空いてきた…。」
プールサイドを一周したところで、朱里は飛び込み台に腰掛けた。ポケットから飴玉を取り出し、口に頬張る。イチゴの甘みに舌鼓しながら空腹を紛らわせた。
「それにしても、校内が魔改造されてる…なんてことになったらそれこそ大問題よね。やっぱり高校は閉鎖されて生徒達は別の学校に転入になるのかしら。」
口をもごもごと動かしながらプールの水面を見つめる。不思議と水は澄んでいるようで、月明かりに照らされた場所は底までよく見えた。ぼんやりと水底を眺めていると、プールの中央付近に何か光り輝くものが見えた。
「あれ、何かしら?」
視線を向けながらプールサイドを歩いて輝いている場所の手前に移動する。身を乗り出すように水底を確認すると、万年筆が沈んでいた。
「なんでこんなところに?生徒のタイムを計っていた先生が落とした?いや、水中でタイムを計測してメモするのは不自然よね…。」
ひとまず何かの手掛かりになるかもしれないと、万年筆を取る道具を探しに行こうと朱里が立ち上がった時。
「へ?」
誰かに背中を押される感触を覚えて、朱里は前のめりになり、前方の水面に落ちてしまった。水に浸かりながら、突き飛ばした犯人の姿を見ようとプールの底に足を着き、後ろを振り返る。が、足を底に着けた瞬間、底に穴が開き、足が穴の中に吸い込まれてしまった。突然の事態に慌てた朱里は、足を引き抜こうともがくが、抜けるどころか何かに引っ張られるようにどんどん下に吸い込まれていく。程なくして落ち着いた頃には、本来のプールの底に太ももの付け根付近から上を出した状態で固定されてしまった。プールの底に手を着いてみると、元の底に戻ったように本来の堅さを取り戻していた。必死に足を引き抜こうと両手を底に着き、力を入れて脚を抜こうと試みるが、脚の形にぴったり嵌ったように抜ける気配がなかった。完全に水没した状態で朱里は冷静に脱出方法を考える。
(身動きが取れるのは上半身だけ…。服を脱いで水面に浮かせて、南本君に気付いてもらう?その前に水が服に染み込んでるからそれは無理か…。)
どうしたものかと腕を組んで考えていると、突如、首に激痛が走った。
(!!?)
首元から赤い液体が溢れて周囲の水に混じっていく。朱里がゆっくりと首元に手を当てると、矢のような先端が鋭利な鉄の棒が首の後ろから見事に貫通していた。どうやら後ろから何者かに狙撃されたらしい。
(ああ…。)
ぐったりとした様子で朱里は下を向き、目を瞑った。そのままじっと動く様子もなく、出血がプールを赤く染めていく。数分後には、プール全体が血の池のように変わり果てた。依然として水没する朱里の様子を確認する事ができないほどに、色は濃く深く美しい赤色を呈している。
綺麗に染まった水面を見つめて、飛び込み台に座る一人の少女が静かに笑った。
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