人形使い 14
雲は一度、ゴブリンの頭部二つをもって彼のもとへ訪れていた。その際彼は頭部を受け取り、雲に指示を出した。
それは残ったゴブリンの捜索。
そしてゴブリンを保護することだった。壊れた宿屋の厩舎に隠れ潜む、ゴブリン。それを雲はすぐさま見つけ保護。抱き留めた形で保護していた。蔑むことも、嘲ることもしない。雲は非常にしたたかに同情的な表情を偽って見せた。ゴブリンは厩舎の牛さんのスペースの片隅。片隅に置かれた藁の束に潜んで隠れていたのだ。ただ血痕は外から厩舎まではわからない。だが厩舎内に入れば、血痕が藁まで続いていた。
だから藁を蹴飛ばし、ゴブリンが飛び出すのを抱きとめた形だ。
飛び出してきたゴブリンの右手は切断されていた。右ひじから垂れてる血流は健在だ。必死に止血をしようとしているのが、ひじより先の肩口が手指の跡が残っていた。左手で肩口を圧迫して血液を止めようとしたのだろう。雲はそう判断し、すぐさま糸を吐き出した。
自身の指先に糸を綿あめのようにまとめ、あとはゴブリンの右ひじに使用。雲がわたあめの糸をまとめる指を回せば、糸は意志をもって動き出す。ゴブリンの右肘まで糸がぐるりぐるりと回って、傷口を閉じ込めた。
「くきゅきゅ」
雲は優しくゴブリンを抱きしめたまま、その作業をこなした。その雲の鳴き声には優しい慈愛の響きがあった。だからか、ゴブリンは安堵したようだった。敵ではなく味方。たとえ何を考えているかわからない雲であっても、味方。心強い存在を前に、自身の窮地を救われた手前もあって雲を信じてしまった。
雲の行為に身をゆだねた。雲の肩口にゴブリンの顎が置かれる。
そんな雲の表情は、物事がうまくいったと確信する策略家のそれだった。
嘲笑など浮かべない。これは雲が狙った行為の一つなのだ。うまくいき、ゴブリンの思考は紛れもなく雲の手に落ちた。
「くきゅきゅ」
大丈夫、守ってあげる
そういう力強い保護欲を見せれば、ゴブリンは雲に安心感を作っていった。
そう人形使いなどしょせん、過去の偉人の慣れの果て。雲の起源にして、通過した存在の残骸なのだ。
終ったものに、雲は動じない。
壊れたものに、雲は感じない。
ならば、それらに害されたゴブリンに対し何を思うというのか。何も思わないのだ。むしろうまくいったとすら感じた。被害にあったことは悲劇であっても、それはゴブリンにとってのものだ。雲からすれば、ゴブリンを掌握するだけの出来事でしかない。
「くきゅきゅ」
君の仕返しを、君たちゴブリンの仕返しを。
雲は魔物だけが理解する声で鳴いた。
「くきゅきゅ」
僕が果たしてあげよう。
抱き留めたまま、甘言をささやいた。
むろん、都合の良い展開に、何ら疑問を持つことはない。ゴブリンはただ雲に対し、心を許していくだけだった。
雲はゴブリンに処置をした後、厩舎においていった。外には人形がいる。だからゴブリンを保護するという名目で留守番を命じたのだ。生き残ったゴブリンを保護できる力を持つのは雲と彼しかいない。その彼は別のことで手がいっぱいだ。それはゴブリンに説明した。彼は人形使いに対し手を打っている。だから助けに来たのが自分だと正直に教えた。だから雲に頼るしかない。
ここで嘘は雲はつかない。
彼ならばそうするし、雲ならばそうする。それをわからない魔物は彼の仲間にいない。嘘をつけばすぐばれることなど、雲はしない。
真実のみを述べたのだ、得られたのは信用しかない。しょせん得たのがゴブリンからの信用であってもだ。それでもかまわない。生き残ったゴブリンには別の使い道があった。それも雲が描く理想の使い道。むろん使い捨てにはしない。そんなのは彼の注意を引く最悪な手段だ。
彼を相手に油断はできない。
雲の計画の上で彼は重要な存在である。同時に妨げる存在も彼なのだ。
彼は決して望まないだろう。仲間を使い捨てにするなど。そして、使い捨てた場合も気づくだろう。あの人間はそういったことに関しては雲を凌駕する。雲が得ようとした未来を別の未来に置き換えてしまう。
だからゴブリンを尊重したうえで、さらなる使い道を作る。
こうすることで、彼は雲に対し注意を向けないのだ。非常に面倒なことである。
だが雲は楽しくて仕方がない。うまくいきすぎるだけでは退屈してしまう。現にニクス大商会の力関係は雲が握ってしまった。本来ならば商人側が有利な立場でニクス大商会を支配したはずだった。彼という建前を利用したうえで、商人側が幅を利かせる環境。それを雲は変えたのだ。ニクスフィーリド側が力を増すように手助けし、その上に君臨した。同時に大商人側の商人の影響力をそぐため、新しく商人を生み出した。その生み出した商人たちを大商人サイドについたように見せかけた。大商人側にいて、雲側の立場の商人。
大商人側の商人たちの商売をひそかに邪魔し、雲の手がつく商人側に有利にさせた。冒険者などは使わない。金で動くものも使うし、金じゃなく力で動くものも使った。雲というSランクの化け物を相手に逆らえるものはいない。どの人間よりも合理的で、約束だけは果たすものを敵に回したくなどない。だから従い、律儀に仕事をこなしてくれた。
商品を輸送中に襲って見せ、台無しにした。商人たちの家族を襲撃し、誘拐してみせた。その誘拐事件を助けた。そういう形にして、実は裏でつながっていた。その家族をニクスフィーリド側から解放した。こういうのをくりかえせば、疑いは出てくる。
だから今度はニクスフィーリドにも同じことをした。これのうまいところは雲自体は渋々協力したように見せたことだ。相手から協力を要請させて、助けてやったという貞。
そして雲が手をかし、解決したように見せた。
ときに雲本人の力、Sランクとしての魔力を見せつけた。人間を甘く見ておらず、戦略的に敵対組織を部下をつかって壊滅してみせた。雲自身の力で壊滅してみせたりもした。
そうするうちに雲が権力を手にしだしたのだ。
そうして少しずつ立場を雲側へ。ニクスフィーリドに力を貸したのも、所詮は権力掌握のため。ニクスフィーリドを合併させた大商人も思いもしなかっただろう。怪物という建前で自分たちの利益を得ようとした。同時に怪物に歯向かうわけでもなく、注視してもいた。そんな中、注視もしていないところから横殴りをされたのだ。
人間は、準備をしていても、甘く見ていたものたちに注意などしていない。
魔物はしょせん、魔物。
そう思ったから雲に支配されたのだ。
思考する中で、愉快気に歩けば見慣れないものを見た。
それはベルク内を徘徊する数少ない人形の背中。その背中は雲に気づかず、通りを歩いていた。ベルク内を歩むものは雲などの魔物。あとは人形の噂を信じない数少ない人の姿のみ。そんな人の姿に群れて人形が混じってもいた。ベルクの情報を手に入れるための監視要員であろう。
だから雲は人形の視界に入らないよう。
気配を押し殺して、近づいた。
そして人形の足を糸で切断して見せた。血流が通りを汚し、取れた足が意志をなくして倒れた。その足の持ち主であった人形が体を地面からすべって転げた。その惨劇はいきなり人の足が飛んだものにしか見えない。
だから数少ない人たちは叫ぼうとした。
雲は人々が騒ごうと気にしない。だが雲が怪物の配下の魔物だと気づけば口を閉ざした。騒げば怪物の邪魔をする。怪物はこのベルクの経済を支配し、暴力を支配し、平和をもたらした。どんなに最低な存在であろうと、ベルクにそれ以上の利益を持ち込んだ。そんな怪物の邪魔を人々はしなかった。
恐怖の支配による鞭。経済成長による飴。鞭と飴。
今しているのは鞭だ。
なにより足を飛ばされて尚、転げてなお、前を進もうと悲鳴もあげない者は異常に見えた。
だから人々は黙るのだ。
人形だと人々は悟ったのだ。怪物はベルクを脅かす、支配を邪魔する愚か者を駆逐している最中なのだと勝手に思い込んでくれた。怪物の支配がうまくいけばうまくいくほど、人々の生活は豊かになるのだ。だから知らんぷりをして、視線をそらして日常に戻っていく。
雲からすれば、人々の反応など予想通りだった。
その意識は雲に向くのでなく、彼を意識したものである。
誰にも聞こえないように呟くのだ。
「・・・あれは・・・どうしてここまで力をもつのか・・・わからないね」
雲は疑問を超えた関心すら持っていた。彼という存在は最弱である。底辺である。人間でありながら個人という形を保とうとする。そのくせ人間として生きようとする。この世界において彼ほど人間にこだわるものはいない。力も得ず、ひ弱な肉体のまま突き進む、哀れな底辺。
そんな底辺は、この世界には染まらない。彼が持つ独特の価値観が、この世界の形にふさわしくない。
環境に流され、状況にのまれ、其の都度の思いにとらわれる愚者が。
この世界から異端視された。
誰よりも力を持った。其の歪さは雲の持つ言葉では説明しきれない。
倒れた人形が降り返る寸前に、後頭部に足を乗せた。そして踏みつぶす。蜘蛛の足のひとつにつぶれていく頭部の感触が伝わった。血流すらも気にせず、地面が汚れることも気にしない。
弱い奴は殺す。強い奴も殺す。
殺して、壊して、突き進む。それが雲の魔物としての本性である。そのなかで雲にとって利益のあるものであれば、理性をもって対処するのだ。そんなのはほかの魔物にはない。野生の魔物などの本質は、殺して、壊して、つぶして、好きなまま生きていくだけだ。本能に従っていくだけだ。
理性など持たない。理性を持つのは人間とかかわった魔物だけ。人間の強さを学び、それを取り入れた魔物だけが理性を持つ。ペットでも奴隷でもよい。人間の癇癪に触れないように、圧政を受けた魔物は人間のやり方を学ぶのだ。もしくは人間の攻撃などを受けたものだけだ。その生物として弱く、種族としての人間の強さを学んだものだけが生き残る。
雲は人間の強さを学んだから生き残った。
雲の過去にはいろいろある。
「・・・まあ・・・こんかいばかりは・・かいけつしてみよう・・ざんがいごときにこわされてもつまらない」
所詮今回の事件は雲の食べ残しだ。中途半端に生かしたものがもたらす惨劇でしかない。人形使いごときにニクス大商会の戦闘員たちが幾人かやられた。それはあのときの雲が悪い。きちんとつぶしておけば、そもそも残骸が被害をもたらすことはなかった。
雲は進んだ。歩んだ。
ベルクを漂う人々の悪意を利用し、誰よりも早く正確な情報を得られる。悪意にリンクし、その場の状況を瞬時に見る。雲の視界はベルクの通りと別の映像が映っていた。
それは人形がベルク内から平原にいる魔物たちを監視している映像だ。
平原には少し踏み出しつつ、監視する人形の姿がだ。商人の形をした人形、兵士の格好をした人形、一般人のような人形がそれぞれ門の内側から遠巻きで覗いていた。その視線の先の魔物の中には人の形をしたものが二人いた。あとはトゥグストラがおり、リザードマンとオークが二人を護衛していた。
人形はベルクから少しだけ出ているだけ。兵士の格好をした人形がだ。
雲はリンクした情報をもとにその場へ進む。人間の移動速度よりも早い駆け足にて進む。
「・・・そんなわかりやすいものなど・・あれに気づかれなくても・・・あいつらでもわかる・・・」
雲が思うに平原に彼の魔物がいるのは、そこが一番安全だからだ。人を隠すなら人の中。木を隠すなら森の中。ならば人形を隠すならベルク内が一番の手なのである。人の生活環境ほど人形の隠しやすい場所はない。だが今はベルクに人の気配は表にない。
人形が門側で集結し見守るだけしかできないのだ。
平原に踏み出せば、それこそ開戦の証。
魔物たちだって気づいているだろう。人形が監視していることを。
人形使いは人形の監視に気づかれても気にしないし、彼も魔物が人形に気づいたことを隠していないのだろう。
だが彼の魔物にして、彼の指示を放棄する一匹の例外が雲だ。
門に集結した人形およそ35体。
その世界が大きく閉ざされた。
雲が糸を操作し、門を無理やり閉ざしたのだ。平原からもベルクの内側からも、お互い見れないように門がふさいだ。
同時に人形の背に糸の鞭をぶつけた。人形たちが気づく前に後列が切断されていく。足を、手を、頭部を切断。その部位らが反応するまえに細切れに糸の鞭が回ってうなる。音もなく、気配もない。ただ手は指ごとに切断され、足は間接ごとに切り裂かれた。頭部はスライスされ、人形使いに情報を渡すことすら許さない。
雲の指先から生じた糸の鞭。それらが伸びて人形を切り裂いただけのこと。
後列が崩されれば、前列がその様子に反応しだした。
だが遅く。
一体を残し、前列の人形の頭部を細切れにしてみせた。
残った一体に対し、雲は肩をすくめて近づいた。
この程度の人形では、彼がもつ魔物には勝てない
雲は彼の戦力を誰よりも分析していた。
あくまで魔物は彼の別の恐怖を演出する装置でしかない。
そもそもこの程度で彼を出し抜くことができるわけがない。
人間の価値を誰よりも模索し、それがわかっていながら染まれない存在たる彼を前に。
たかが残骸ことぎが彼を超えれないのだ。
雲は妄信などしない。事実や根拠を軸に人間のように思考した結果の答えだ。魔物にして雲は人間の知能と思考を持った数少ない魔物。アラクネだ。
だからアラクネは危険な魔物だった。
だからアラクネは見つけ次第殺される。
「・・・みえているかい・・にんぎょうつかい・・いや・・・よげんしゃ、らくーしゃ」
雲が挑発気味に問うて見せれば、残った人形に意志が宿る。
「ああ、見えているよ。ガーレアシア。人類の大敵にして、未来の害悪」
人形から漏れるのは老婆の声。一体を残した状態の人形にして、老婆の声に驚愕などはない。
「・・・ぼくは・・・くも・・・いまはそういうなまえなんだ」
雲が揶揄い気味に答えれば、人形の口から出る老婆の声がそれを嘲笑う。
「・・・似合わないねぇ、お前にふさわしい名前じゃない。お前にふさわしいのはたった一つだろう?」
人形の口は老婆の言葉を続けていく。感情が高ぶったのか老人形はひたすら口を開いたのだ。
「人類の最大の害悪が、害虫が、何を雲と気取っていやがるっていうのさ、お前にふさわしいのは一つだけ・・・そうだろう、未来の魔王。人類を半減させる、魔王ガーレアシア。それ以上でもそれ以下でもないのさぁ」
魔王ガーレアシア。
雲が雲でなくただのアラクネとして生きたのであれば、得た称号である。彼と出会わず、アラクネとして本能と知性にしたがった場合に生み出された悲劇の事件。その事件は今は起きていない。未来におきるはずの事件。
人類を半減させた、未来における唯一の最悪。
エルフもドワーフなどといった亜人も含め、人間も含め。
半減させた最低最悪の外道。
それが魔王ガーレアシアの起こした事件だった。
雲は人形から漏れる猛る老婆の声に対し、肩を震わせた。
おかしくて溜まらないといった雲の様子。腹を少し抑えたようにし、大きく笑い声をこぼしてみせた。
「・・・ぼくが・・・まおうのみちをすすむというなら・・・そのさきは・・・し・・・だよ・・・ぼくをころすものは、すでにしんだ・・・べるなっとはもういない」
その未来の先にガーレアシアは死ぬ。自殺ではなく他殺。ガーレアシアが魔王と君臨し、人類を半減させる戦争を起こした。配下の魔物の軍勢と強大な力を持つ魔王ガーレアシア。残っていたのは中小国家ぐらいだ。大国は真っ先に狙われ滅ぼされていた。
追い詰められた人類たちは決死の覚悟である作戦をたてた。新兵も古兵老兵も含めて、突撃させる肉壁。女も子供も関係なく、武器の生産や食料、防具の生産などの強制労働。兵士たちの肉壁で魔王に従う魔物たちを相手させ、人類に残された希望。英雄や幾つもいる勇者。高名な冒険者たちの少数精鋭を送り込む。
そのなかで英雄ベルナットがガーレアシアを殺したのだ。
むろんただではない。英雄ベルナットも死ぬ。己の命と愛武器を引き換えに、魔王を殺した。
そして残された魔物たちは死んだ魔王の意志すらも無視し、暴走。
秩序もなく、かといって魔物たちに撤退するほどの知能もない。暴れて、殺して、殺されて。兵士たちも新兵も古兵も老兵すらも無駄死にした。そのなかで生産拠点に侵入した魔物によって、女子供すらも殺された。
人類は半減したうえに、再起する能力の大半を失った。
「・・・まおうになる・・・はずの・・・みらいは・・・もうない・・・ぼくは・・・くもさ・・・ただのあらくね・・・がーれあしあのなまえに・・・かちはない・・・ごみばこにぽいしたよ・・・それに」
雲が続けようとしたものを人形の操りてたる老婆は悟っている。
「ああ、それにいるさね。魔王ガーレアシア死後、絶望しか先がない人類に対し、希望という形で君臨した奴がね」
ようやく魔物を駆逐できたと思えば、別の勢力の台頭だ。
「・・だいさんせいじょ」
第三聖女。
雲がベルク内で能力を封印した聖女だ。
二度と訪れない未来の話。
あの聖女が壊れた人類の希望になった。その世界に第一聖女も第二聖女もいない。みんな死んだ。いるのは第三聖女のみ。希望があればどこにでも意識を飛ばし、情報をえられる。その能力を防ぐことができる人間などほとんどいない。どの人類も生きるだけで精一杯だった。
希望を使い、秘密情報を手に入れていった第三聖女。
人類の弱点をいち早く見抜いたのだ。
どんな悪人も善人も手を取り合って、魔王に立ち向かったのだ。誰かひとり手を抜くことすら許されない。環境の目、監視を誰もがお互いにする。全力を。報酬のない全力を要求された。否定をすれば非人類。狂気でしかない。国家同士が裏切りすらも忘れ、魔王へ向かう。
そのときの人類は、魔王を前に弱気を見せることが裏切り。そんな基準だった。
人類は、忘れていたのだ。魔王という危機がされば、別の危機。かつて人同士で争っていた過去を。それを忘れるほどに人類は手を取り合っていた。第三聖女がその流れを壊し、希望を一方的に振りまいた。食料を、武器を。平和を語って見せた。歌って見せた。都合のよい物語を描いたのだ。
人類を守る。家族を守る。隣人を守る。
常識を語り。
人類は敵同士、家族すら裏切る。隣人など生きているだけの敵対者。
その裏をかく物語を描いた。
疑心暗鬼など通常の精神ならばならない。だが本当に人類は追い詰められていた。小さな出来事ひとつで崩れてしまうほどに。だから第三聖女の幼稚な策にのまれ、都合よく操られた。
国家は第三聖女の通りに操られた。王は操られない。臣下も操られない。操られたのは無報酬で働かされた生産者たち。女性も子供も老人だ。そして、生き残ってしまったボロボロの兵士たち。弱い者たちが集団で暴徒とかした。虐殺するには、全員が傷だらけ。心が摩耗しきっていたものたちばかり。弱き者たちに触発された強いものたちが、配慮した。その配慮こそが第三聖女の手だった。
人々が従うにはもう一つある。善意に満ちた第三聖女の両目は、見るものの心を落ち着かせる。信用ならないはずなのに、善意なる信用というものを相手にしたように感じるのだ。影響力のある個人を相手に第三聖女は語って見せた。小さなグループの長から大きなグループ。貴族以上の人類以外に、自ら語って見せた。根拠のない話であるが、第三聖女の話。
あなた方は自由である。神などはいない。貴方たち自体が尊重されるべき神なのだ。
個人主義をばらまいたのだ。こんな世界に、国家に操られ、民意の空気にのまれたものたちにとって、個人主義は麻薬そのもの。誰かに強制されることもない世界を望んでしまった。
ゆっくりとじわりじわりと侵食された聖女の一手。
やがて国民を、人類を第三聖女の希望が満たした。
人類は国家や貴族などに支配されない。自分だけの自由を手にする。国家がもたらす安定性よりも自由を。魔王の悲劇はそれほどまでに人々を追い詰めた。
動きを止める手はない。そもそも人類にそんな力は残されていない。
その未来は、早すぎるが故に混乱を招く。血が足りない。人類同士の闘争が足りない。まだ魔王と人類だけの戦い。人類は同じもの同士殺しあわなければいけなかった。お互いの宗教を、文化を理解できずにいるものたちのために命の数の塔を立てねばならなかったのだ。
人類の平和は奪った命の上にある。死んだ命の大地があるからこそ、平和は訪れる。
相手を拒絶すれば、自分たちの命が減る。その現象を実感させて、相手を尊重させる。そこから派生したのが個人主義だ。自分を尊重させるために、相手を尊重する。人類が奪った命の数ほど、その主義の大切さが刻まれる。
そんな世界をだ。
魔王ごときに血を流したからといって、勝手に作れるわけがない。
だから大きな争いが起きる。希望という建前、自由という建前で戦争が起きて。
人類は魔王戦よりも大きく数を減らす結果となっていく。人類に未来など訪れない。
「今の第三聖女に力はない。魔王ガーレアシアが生まれなければ、光をみない影の聖女さね。・・・そのときにわたしはいない・・・人形使いとして・・いや、かつての預言者ラクーシャとしてはいない・・・口惜しいね。あんな小娘に。貴様みたいな害悪に・・・大切な人類が壊されるのは!!!」
「・・・たいせつなじんるい?・・・ひとをころしてにんぎょうにする・・・かつてのよげんしゃが・・・いや・・せいぼが何をほざくというのか・・・」
「わたしが人形にしているのはね、契約によるものさ。一方的に人形にしたりはしない。死体を勝手に人形にはあまりしないさね。人には権利があるからね、生存も死亡後もね。その権利を侵害していいのは、未来のお前に手を貸す人類と、今のお前に手を貸す人類だけさ。預言者の立場も聖母の過去を捨て、落ちぶれたのはお前を殺すためだけ」
預言者ラクーシャ。人形使いの老婆のかつての異名である。世界に起きる様々な出来事。大きな苦難、絶望の未来を予知する能力をもっていた。人類のピンチとなる出来事が未来におこれば、預言者の目にその光景が浮かぶ。主犯者も被害も一部の映像として臨体験させられる。
預言者ラクーシャは別名、聖母の異名をとっていた。厳しく躾るのは父のようであり、優しく見守るのは母のようだった。回復魔法の技術も高く、人形を作れば芸術品として高くうれた。預言者の性別が女性だから聖母と呼ばれていただけで、男性であればもっと違う名前だっただろう。
預言者ラクーシャは善人だった。
人形使いは紛れもなく悪人だった。
アラクネの評判が悪い理由。
この世界には魔王はいくつもいる。勇者もいくつもいる。英雄もいくつもいる。聖女もいくつもいる。
だが預言者だけは一人しかいない。
たった一人の預言者を表舞台から消し、その心を悪に染めたからだ。預言者たる善人は、人形使いという悪になった。それを成したのがガーレアシア。その名前のアラクネは今は雲と名乗っている。
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