彼と雲

雲の態度が急激に変わったことを彼は感じていた。無邪気さを表に出したアラクネの子供。通常はその認識でありながらも、彼自身が警戒をしていた魔物だ。


 無邪気さという言葉で隠した悪意の視線。人を玩具みたいにみるような視線を彼のみに向けていたが今はない。べったりとくっつくのは前と変わらない。しかし現在にあるのは他の魔物と同様な熱い視線だった。ただ熱い視線といっても、他の魔物にあるのは親愛からなるものだ。


 雲にあるのは、それは執着。玩具からなるものではなく、独占欲。牛さんが彼に向ける視線と似ているが、質が違う。牛さんは彼個人に配慮しつつ行動する。だが雲の場合は、彼個人の生活にへばりつき、なおかつ自身へと意識を向かせようとする。


 子供であって、子供になりきれない魔物の姿。


 彼は他人の思いをわかるつもりは一切ない。わかったつもりになる気もない。己が勝手に感じたことを直感として当てはめているだけだ。


 雲は、彼に直接危害を加えないだけで、危険な存在だ。それを彼は自覚していた。だから雲といるときは、必ず牛さんを連れていた。室内ではオークの華とリザードマンの静を傍に付けていた。


 それは今はない。


 雲と彼の二人きりだった。彼は誰かと手をつなぐ行為をしない。だから雲は彼の隣を一緒に歩いている。ベルクの大通り、いつも日常的に通る道をただひたすら歩く。買い物をするわけではない。目的があるわけではない。


 ただ歩いている。日は上空に展開され、光が地上を突き刺している。良い天気であり、本来ならば昼寝をしたくなる陽気さだ。



 二人きりでどうなるのか試したくはないが、試すしか方法はない。今後それを続けるには不便が生じるからだ。雲が最近布団に潜り込むことが多くなっている。今まで決まった場所はなかったのだ。ゴブリンやオーク、もしくは天上など色々なところで適当に寝ていた。最近は固定しているかのごとく彼の布団の中で一緒に寝ている。一人で寝たい彼としては、正直邪魔に感じることもある。だが、断れない。雲はそこを理解しているように、彼へ密着しないよう隙間を開けて寝ているのだ。中途半端でありながらも、彼が嫌がるスペースを侵していない。




 彼は悩んだ。



 雲の態度の急変。信用させて裏切る気配が感じ取れない。底辺であるからこそ、他者を信用しない。人の姿に半身とはいえ、そっくりな魔物だ。自身の心が汚れきっているのに、他人が汚れていないわけがない。


 そういう比較をこなし、彼は決断した。



 全ての魔物にそれぞれの役割を与えた。牛さんの世話をリザードマンに任せた。ゴブリン、コボルトはオークと一緒に掃除やら家事を任せた。宿の住人、管理者には敵対行動を一切とらないよう指示を出している。世話といっても、一緒にいるというだけのものだ。牛さんには弱いものいじめをしないように言ってある。言わなくても最近は物分かりが良いため、言う必要はない。オークとリザードマンは優秀なため彼の不利になることはしない。ゴブリン、コボルトもオークの華に逆らうことはない。



 心配なのは、彼が現在横目で見つめた雲だ。


 雲はニコニコと無邪気さを振りまき、彼へと歩調を合わせている。楽しいと見た目だけでは感じ取れるものだ。



 読めない。最近の雲もそう、また自身の左目の異常もそう。見た目は変わらない。彼の左目は魔力を持たないものには普通の目にしかみえない。絶望と悪意の下賤な真紅の色が彼には見えないのだ。見るものを不安にし、心の感情を逆なでる、この世界の誰もが認識できる非道の魔眼。


 この世界において、完璧な魔力無しは彼しかいない。この世界のもともとの住人たちは、どんな存在であろうと魔力を有する。魔力の差に幅があれど、まったく無いのは異世界人たる彼だけだ。



 彼が訪れる時間、動く時間になると人の姿が通りから消える。いるのは彼に敬服した輩と彼サイドについた商人の手先。ハリングルッズの構成員もそれに当てはまる。だが、彼は気にしない。また相手方も視界にとどめつつ、彼を気にしない。



 気が付けば平原へと出ていた。門番へ軽く会釈をし、ベルクの外。なだらかな目の付く限りが開けた世界。彼は一瞬悩んだ。ほかの魔物がいない状況下で平原へと出る危険性。だが見渡すと何も魔物一匹見当たらない。遠く進むわけでもないし、軽く歩くのみ。門番が彼を見つめる視線のため、引き返すことも恥ずかしい。



 結果、進む。


 雲は何も臆した様子が無い。時折彼の方へ視線を向けて、目が合えば屈託のない笑みを浮かべるのみだ。しいていうなれば、若干雲は彼の左目へと視線を流してから顔を見てくる。


 ベルクの先には森がある。いつもの森だ。だが、森にはいかない。森とベルクの中間あたりで彼の足は止まった。


「・・・雲」


「くきゅ?」


 彼のか細い呼びかけに、雲がなぁにといった鳴き声で振り返った。気付けば、彼の視線が目の前にある。顔を近づけたのは彼、足を止めたのも彼だ。膝を平原につけ、雲の顔の側面を両手でつかむようにしていた。


「くきゅ?」


 それすらも気にしたことがない様に雲はつづけた。なあにといった鳴き声を見せて、首をかしげて口元を優しく歪ませている。悪意はない。


「・・・君の変化は何だ?」


 今までの無邪気さに隠した悪意。それから悪意をけして無邪気さを振りまく変化。


「くきゅ」


 さぁといった風の鳴き声。会話を理解しているようで、理解してない風にも聞こえる。だが、それで諦めるほど彼はひねくれ加減が低いわけでない。


「・・・雲、君は僕をどうしたいんだ?その・・・僕を見る気配が変わったのは一体何が」


 彼の問い、それはまだ続こうとした。だが、続けられなかった。


 雲の人差し指が彼の唇に当てられたからだ。開こうとする唇を軽く指で押さえられていた。抵抗すれば開くだろうが、それをさせないのは雲の気配が変化したからだ。


 無邪気さを掻き消した、悪意のものだ。


 表情は歪んでいる。嘲笑をまぜた、獲物を狙うかの肉食獣の眼。


 毒々しい気配をもたらす彼とそれに追従するかの毒。誰も近づけさせない拒絶の彼と油断をさせるため子供を演出しきる雲。お互いがお互いの触れてはならない点に彼が近づいたための警告だ。


「・・・」


 彼は無言を強いられた。


「・・・」


 雲は無言をもって答えている。


 気付けば彼は雲の顔から片手を離して、人差し指をどけていた。軽く当てられた人差し指は、彼の排除行動にも抵抗する様子が無い。


「・・・そういうこと」


 雲は変化をしていること、それは聞くなと言っているわけではない。一瞬に揺らいだ毒気の笑みにあったのは、困惑。彼が理解したかのような発言に混ぜた一瞬の変化。


 面倒な彼だからこそ、面倒な雲の様子にも気づく。



「・・・君は聞いてほしいんだね。止められても」


 雲の表情の変化すらも、それは演出にすぎない。彼を玩具としていたことを彼自身がしっている。雲もそれを気付いている。お互いは似たもの同士なのだ。子供らしくあろうとする雲と大人という立場を維持しようとする彼。


 両者は、思いに違いはあれど、自分の役割を守るために行動している。


 子供は語らない。思いで行動で、言葉にならない会話を志している。大人は語る。思いによる行動をせず、会話という言葉を用いた形ある姿を模索している。


 雲の立ち位置を侵し、彼はそれでも会話をつづけた。



「・・・あえて聞かないであげる」


 しかし、追及はしない。


「・・・くきゅ!」


 悪意ある笑みは崩れ、一瞬の困惑。その後の変化は駄々をこねる子供そのもの。聞くな、だけど聞けというもの。されどそれすらも、嘘。


「・・・雲、君は僕を玩具として見ていた。だが今は違う。昔は駄目でも今が良ければいいという言葉は正直嫌いだ。だからこそ、君が言いたいことを全て聞かないであげる。その嘘もわかりづらいけれど、理解しないであげる。僕に悪意をもった罰だ」


「くきゅ」


 雲は愕然としている。悪意も毒気も消し去り、嘘も消え去っている。見破られたというわけではない。彼が見抜いていることはとっくの前にしっている。


 天邪鬼。



 彼は残念なことに、気付いてしまったのだ。自分が天邪鬼であり、雲もまた天邪鬼。なぜ信用してなかったか、今日二人きりでいたのか。変化をしたから、会心したから。


 そんなわけがない。雲はどんな手をつかっても、会心をした振りなどできた。試したわけでもない。雲が出来る表現が、演技だった。だから利用していた。


 彼が出来ないことを雲が出来て、雲が出来ないことを彼が出来る。魔物たちは優秀だ。オークもリザードマンも牛さんも、ゴブリンもコボルトも。


 雲にはない。彼にもない。



 お互いがお互いを演技している。


「・・・なら騙されてあげよう。面倒な雲と僕。本当に厄介だ」


 悪意はある。これからも雲は持ち続ける。そしてそれを彼が信用することはない。



 面倒だからだ。信用するのが。


「くきゅきゅ」


 ならば、なぜ会話をしたのかという疑問。それを雲が抱いた瞬間に、彼は口を開いた。



「・・・だって、そっちのほうが面倒じゃないから」



「・・・くきゅ」



 雲の疑問、彼の答え。似たもの同士の勝手な推測試合。



「・・・次に玩具みたいな目でみたら」


 雲の側頭部をつかんでいた片手を後頭部へと伸ばし、そのまま引き寄せた。小柄な雲の体が彼の方へと傾きバランスを崩し掛けた。雲は抵抗をしない。反省もしていない。


 抱き留めたかのような形で、雲の耳に口を近づけた。



「・・・容赦なく潰す」



 彼は毒を吐いた。冷徹で、畏怖すらも生み出す怪物の声を生み出した。



「くきゅ」



 やってみろ。


 それが雲の答えだ。


 反省もなく、悪意もない。彼個人に歯向かうつもりはないが、嫌われたくもない。かといって黙るのも楽しくない。無邪気さを内包した面倒な魔物。しかし、彼の脅しに対してノーダメージということもない。


 若干の震えが生まれているからだ。


 彼が軽く手放し、バランスを保とうとする雲。その一瞬に見えた左目の悪意。それは間違いなく生殺与奪に関するものの視線だった。彼が今まで歩み生み出してきた悪意と、一つの町の魂達。それらが彼の意識に操られるように、雲へと殺気を飛ばしている。


 びくりと跳ねたのを隠すのは演技ではない。彼の左目と右目。交互に見るように小刻みに動く雲の顔を彼は無視した。



「・・・戻ろうか」


 彼は雲を見ることが無い。ただ膝についた土をぱんぱんとたたき落として、立ち上がる動作をしていた。その視線が交わることがないというのに、左目が悪意をまき散らす。数千にも及ぶ悪意の鼓動が雲一匹に襲いかかっている。気付けば雲は彼が立ち上がろうとする瞬間に、飛びかかっていた。


 彼は貧弱だ。子供の勢いにまけ、そのまま後ろへと倒れこんだ。


「くきゅきゅ」


 雲は怯える姿は見せていない。それすらも他の魔物と違い隠しきっている。彼が気付かないレベルで心の奥底に封じ込めているため、誰にも気づくことはない。されど左目の悪意は、その閉じ込めた感情すら引き出そうとしてくるのだ。不安にさせられる、感情を揺さぶられる。子供らしさを切り捨てて、雲は本性をさらけ出した。



 雲は彼の腹部に顔を押し付け、体すらも密着させた状態だ。倒れこんだ彼という貧弱さを理解しながら、力をセーブしつつ、抱き留めている。


「くきゅきゅ」



 それは執着。恐怖を感じ、なおかつ弱者が牙をむく有様。勝てる相手であろうと、勝てさせない彼という矛盾。面倒な雲の演技にも気づき、本質にも気づくくせに、嫌がらせに何も尋ねない。かといって潰すといった脅しを平気でかけてくる。


 変わり者だ。


 彼も雲も変わり者なのだ。


 嫌いだからと言われて、嫌うほど素直ではない。好きだからと言われて好きになるほど単純でもない。引かれたから引いてやろう。ある一定のラインをもって動く似たもの同士だからこそ執着する。


「くきゅきゅ」


 誰もが理解できない一定のライン。雲がラインを越えられて、彼のラインを越えられなかったという話。雲が行っているのは、自身に彼の臭いを、彼に雲の臭いを付けることだった。表情は無。彼も雲も無。ただ、なすがままに抱き留められている。


「・・・雲、頭を撫でてほしい?」


「・・・くきゅ!」


 彼の問いに対し、雲は嘘をつかずに言う。はい!といった大きな返事を。


「・・・やだ」



 しかし、彼は撫でずに、雲から視線をずらす。雲も理解していたのか、その返事に驚きもない。ただ彼の上半身へと擦れるように移動した。その移動のさなか、さすがの彼も雲に視線を合わせようとした。


 だが見れなかった。ただしくは左目が開かなかった。


 空いた右目だけが捉えたのは、左目の瞼に雲の口が迫っていたこと。そして後に暖かい感触が左目の瞼に落ちた事だった。



「・・・雲、君は変わっているね」



「くきゅきゅ」


 言われたくないといった雲の返事。甘い空気があればいいのかもしれない。だが無表情で口づけをする雲とそれを無表情で受け止める彼。



 儀式のようにしか見えなかった。これはにおい付けである。本来ならば親愛なるものに向けるアラクネの儀式だが、そこには温かみのある感情が存在する。この場合みたいな、一方的な馴れ合いから生じるものではない。空気が何も変わっていない。


 温かみも冷たさも変化がなく、普通だった。


 彼は雲を信じず、雲は彼に執着する。


 だがそこに命に関わる危険性はない。信じないのは雲があくまで、まともという点。彼自身の命を奪う危険性に関しては無いとすら考えていた。裏切れば雲を排除する考えのみが物騒なだけで、それ以外は平穏なものだ。



 雲の口づけが離れた。そのまま彼から退こうとした瞬間に、頭に彼の手が当てられた。左右に小刻みに動く彼の撫でる手。ふつうの感触。ゴブリンやコボルトたちが受けていたその表現を、雲は受けていた。


「・・・く、くきゅ!」


 さすがの雲ですら騙されたようだった。


「・・・仕返し」


 彼の言葉は足りない。何に対しての仕返しか。もしくは言葉が間違っているかだ。仕返しなのか恩返しなのか。口づけに対し、彼は撫でるという行動で反撃したのかもしれない。



 彼の撫でる手に必死に無表情でいようとする雲と、それすら見ても変化のない彼。何事にも侵害されなかった子供の無邪気さにヒビを入れた。



 抵抗はない。雲はなすがままに受け止めた。



 そうして時間がたち、夕暮れかかったときに雲と彼はベルクへと戻り始めた。

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