彼の活動 9

グラスフィールの都市には彼の存在を口に出すものは少なかった。表通りにも裏通りにも口コミによる会話伝達方法の姿はなかった。



 

 噂伝達がなくても、どこから洩れ出して怪物の仕業と脳内で変換されていた。



 住人皆殺し事件。


 彼を見る目は、人間を見るものではなかった。視界にいれようとしたくもないが、いれないことによるトラブルも怖い。彼と衝突や露骨な無視が生むかもしれない悲劇を恐れていた。見過ぎることによる睨み付けているという言いがかり問題にも発展するかもしれない。


 横目で彼を見て、なおかつ他のことへと集中した振りを民衆は強いられた。


 民衆の危険思考が彼へと全力に傾き、知性の怪物というギリギリ人間扱いは最早ない。知性の怪物は、人でなしと悪い方へランクアップをされた。


 歯向かうものだけに容赦がないというイメージが、邪魔になったもの全てを無にするという無差別式破壊兵器扱いだった。




 グラスフィールの隣町の住人を策をもって、手を汚さずに皆殺しにした事件。犯人は路地にうろつく乞食の老人だという情報。それも何もかも彼がもたらしたものだ。ただの死にかけの老人が町一つを滅ぼせるという情報を真面に信じるものはいない。しかも犯人は瓦礫に埋もれて圧死しているという。情報隠滅もされていて、真実が表に出てこない。


 されども証拠がない。


 彼がやったという証拠がない。



 この世界の人間も死後何時間ぐらいかは魔法などを使えば、ある程度特定できるレベルではある。その特定期間と彼の都市の滞在時間がかみ合っていない。隣町で住民皆殺しになった時間と、彼がグラスフィールの都市にいた時間が同じだったのだ。いくら急ごうとも、王国最速の騎兵部隊であろうとも半日の時間がかかるためだ。彼がそこまでの速度を出せるという情報は未だなく、たとえトゥグストラでさえも半日を軽く超える時間があるのだ。



 彼のアリバイはグラスフィールの都市の住人が証明してしまっていた。彼が隣町の情報集めに動く中での時刻と、住民皆殺しの時刻。それらは一致し、露骨なぐらいに情報の正当化が進んでいた。


 彼は無罪だ。



 その裏に企む何かがあろうとも。



 暴けない司法には、彼を有罪へと導く方法はない。冤罪をかけて処罰するという手もあるだろう。だが、誰が手を出したいというのか。全てを滅ぼし、無へと転換する。人の悪意に反応し、逆に己の悪意で飲み干す怪物を。



 騎士団は動けない。司法もまた動けない。冒険者なんかもっての外だった。商人も利益のためですら、彼を利用しようとするものは少なかった。彼にかかわれば破滅する。


 都市の一番勢力の大きい商人、強情の商人が言ったとおりのことが起きていたのだから。制止した通りに、注意通りに物事が発動し悲劇を生み出した。隣町に投資していた商人は腹すらたてるまでもなく、彼がもっとも手を出さないであろう都市に投資を開始した。


 無自覚に。



 彼の手元に入らない資金が、続々と集まっていく。


 その集まった金を運用するのは、ハリングルッズではない。彼へと逸早く降伏をした強情の商人がそれをまとめた。安くはない金額が更なる投資へと突き進む。



 彼が唯一手を出さないであろう、ベルク。最も滞在期間が多く、日常的に魔物の被害も大きい地方。武器の売れ幅が一定し、食料などといったものすらも安定傾向にある。行政的に赤字であろうとも、商売が安定するという意味では商人たちに不都合はない。



 ベルクの裏領主は、小さな犯罪組織から彼個人へと移り変わった。されども小さな犯罪組織は恨みすら持たないであろう。その皆殺し事件の情報は、都市以外であれば真っ先に手に入れている組織なのだ。


 彼の名をもって、近づくものは少ない。悪名高いからこそ、従おうとする軽い若者たちすら減っていた。好奇心を怪物に対して持つ者はいない。



 一つの町を証拠を残さず、滅ぼす鬼畜に常識が残った小さな組織ごときでは敵うわけがない。常識がある者が付いていけるわけがない。



 だから、彼は孤独だ。物語の主人公みたいに女性が群れるハーレムを形成する可能性はない。万が一にもあったであろう可能性なんか、ゼロだった。



 地盤硬めが進む、敵対者もライバルも存在しない怪物。その多額の資金は彼の敵対者にはわたることはない。


 ハリングルッズがベルクに乗り出す間もなく、強情の商人がまとめた新組織がベルクを纏めていった。彼への資金を掠め取ろうとしたハリングルッズの行動は遅く、商人の速度の前には敗北を期した。



 新組織、ニクス大商会。都市の商人連合が送り込んだ、彼への全力の媚び。大商人が資金を追加し、必需品やぜいたく品をふんだんに取り扱う商会が完成した。ベルクを本社として、そこから伸びた蜘蛛の巣状の交易網は、都市の商人と地方商人の全てを恐怖という感情をもって形成されていった。


 騙されることのない、商品たち。彼の名で嘘をつくものは一切いない。彼というブランドが、全ての価値を高めていく。普通に売られる商品よりも若干高いが、それでも偽物はない。


 犯罪者組織なんか特にそうだった。交易網は誰もが利用できる。嘘さえつかなければ、騙さなければ何を仕様とも構わない。値上げをしようが、値下げをしようが意味はない。



 ニクス大商会は強情の商人の影響力、商人連合の販売網によって構築される。そこから嘘をついたものは弾かれるだけだ。未来永劫、何をしようとも参加することは許されない。唯一例外があるとすれば、彼の許可を得ることだ。


 彼のブランドを傷つけたことに対しての謝罪を直接行うことだ。そして、そんなことをすれば諜殺されるのが確定されている。


 だから、誰も嘘つかない。だが参加しないというわけにもいかない。巨大な資金が流れる交易網に参加できれば、どのような無能でさえも飯を食い続けていくことができるのだ。


 弱者を貪る怪物は、弱者の日々の食事を保証する。


 餌を狩るために、餌を生み出す。



 自給自足の図がここにはあった。


 それを知っていても、欲が人を動かすのだ。彼へと関わるな。だが、怪物への影響力の範囲に入ることが、明日の飯の種になる。



 彼は商売能力は一切ない。裏の暴力的なボスでしかない。



 表立ってのトップは強情の商人だ。されども方針に口出す権利を彼だけが有する。商人連合は、彼への援助としての資金という考えのみだ。切り捨て金にも近い多額の金銭で幾ら利益をあげようとも、連合は方針に口を出す気はなかった。



 下手に目をつけられて、既得権益を破壊されてはたまらない。彼へと敵対する意図はないという意思表示以上に価値はなかった。



 皆殺し事件をもって、彼はニクス大商会の裏ボス的立場となったのだった。ハリングルッズに鎖をつながれたばっかりの怪物。表向きハリングルッズに協力する組織として、怪物たる彼をラブボスとし利益の奪い合いが水面下で始まっていく。





 大商会が出来るのは、皆殺し事件より3か月後の話である。


 そして、これから彼と少女が食事を取り合うのは事件から一週間後のことだった。



 彼と少女は、食事をとっている。グラスフィールの都市のレストランだ。魔物も入ることが許された格式の低い庶民に愛された食事処。嫌味たらしい装飾品などはない。水が入った瓶がテーブルに置かれただけで、硬いソファーにテーブルをはさむ形で対面に座っていた。



 少女が無言で食べるのは野菜炒めと硬い黒パン。この世界独自の緑黄色野菜の色配合を緑一色に染めたかのような料理。熱による若干の湯気と野菜たちの甘くも苦くもない独特の臭いがテーブルを包む。黒パンに関しては、硬いだけだった。異世界の小麦もどきが、うまく土が取れていないための黒色だった。


 対する彼も同じ料理をつついている。


 この席には二人しかいない。


 脇にも誰もいない。



 彼を守護する魔物たちは、彼と少女とは別の席で食事をとっている。彼と少女で一つ、ゴブリンとコボルトの一つオーク、リザードマン、アラクネの1席。計三つの席を占有している。牛さんはオークとリザードマンコンビの席の通路側で黙々と食事をとっている。



 それは彼の指示だ。彼が真顔で指示をするものだから、誰も抵抗するものはいない。



 少女と彼は無言で飯を食らいあう。何も語らない。沈黙と悲劇による言葉の抑制が少女に訪れ、彼はもともと無口に近いために何も話さない。お互いの口は食事に集中するのみで、第三者から見れば居心地の悪さだけがあったのだ。



 お互いの食事の速度は同じだった。若干彼が遅いぐらいで、皿に残る野菜炒めの量は余りかわらない。皿から料理が消えだし、黒パンなどは食い切っている。



 料理が消え駆ければ、後に残るのは居心地の悪さのみ。



 少女の両親は消えた。家にのこった最後の財産を持てるだけもって、少女はこの場所にいる。保護者は消え、少女は本当の孤児へと成り果てた。



 守ってくれる存在は何もいない。


 されども少女から沈痛な表情はあれど、涙があふれることはない。彼が町の住人を皆殺しにした。その情報の真意を知る、唯一の証人。だが少女が彼を弁護しようとも、彼が犯人扱いもどきを受けるのは変わらない。差別を受けることが彼にはなく、与える存在もいない。


 少女が何をいっても、彼が脅迫したと民衆には思われるだけだ。



 そして彼は自身が犯人ではないことを自覚している。民衆は彼がいる間は、一切口を閉ざしている。誰もが、彼の情報を一切口に出すことをしない。



 彼は己の立ち位置を全く知らないのだ。


 少女もまた彼の立ち位置を知らない。当事者だと、彼の関係者だと思われているが為に、誰も少女には語らない。



 少女の頭にあるのは、これからの事だ。彼が異世界に来た時にどうするか迷ったときと同じように、少女も悩みぬいている。



 少女は学生である。その学生に必要な学費を稼ぐ手段が無い。学校や商売において金銭のやり取りが重要であり、泣き脅しなど誰も聞いてくれはしない。己の手で、己の全てで生き残るすべを得なくてはならないのだ。



 手元に残る大金。両親が蓄えた金貨軍は、都市の銀行に預けている。手元にあるのは登録証明書と両手で宿した魔力測定器による個人情報のみだった。登録した都市のみでしか、引き落とせない銀行。


 積んでいる。


 金がある分ましだという考えか、小娘一人で今後を生きていく選択肢のなさか。



「・・・学生と聞きました」


 彼は黙々と食事をとっている。口を開いたのは咀嚼したものを飲み込んだ全て飲み込んだ時だ。水で流し込み、少女の今後を思うてかの判断。


「・・・はい」



 彼は水の入った瓶をつかみ、コップへと水を灌ぐ。コップの中間ぐらいで水を入れるのをやめ、瓶をもとの位置へと戻した。



「・・・単刀直入に聞きます。これからどうしたいですか?」



 彼は決めつけない。子供一人がこの世界を生きていくなんか不可能に近い。彼という大人が一人で生きて行けず、魔物という手段をもって生活をなしているのだから。


「・・・どうしようもないですよ」


 少女も喉が渇いてなくても、口がむず痒いのか水を流し込む。年相応の少女の飲み方ではなく、勢いよく体内に入れていく有様。


「・・・僕には、貴女を養うほどの力はない」


「・・・義務もないじゃないですか」


「・・・誰にも義務はない。貴女以外、貴女の人生には義務を持たない」


「・・・・わかってます」



 彼は淡々と事実を述べる。悲劇のヒロインが目の前にいて、彼は尚、現実を突きつける。言いたくはない。口に出したくなんかない。されども現実を理解しないのは、とてつもない悪夢を引き起こすのだ。それをしっているからこそ、彼は勇気を振り絞った。


 だが、少女には嫌味にしか聞こえない。悲劇がある子供を大人が救えという他者依存の場面。その場面を助けてくれというつもりはないが、あらかじめ釘をさされたのだ。


 しかも、冒険者たちが怯えるであろう存在が。皆殺し事件を楽々と片づける存在が。


 余裕がないとほざくほどだ。


 人の心がないのかさえ思えてしまう。子供を傷つけるつもりはないといっていて、実際はたくさんの毒を心に塗り付けてくる。


 人でなしだ。



「・・・学生を続けるつもりで?」


「・・・関係あるんですか?」


 彼と少女は黙々と水を飲んでいく。食事はテーブルに残っていない。口がむず痒いからお互い水を飲んでいるだけだ。



「・・・当事者なもので、一応」


「・・・っ」



 義務だからではない。適当な態度なのだ。両親を失った子供に向ける態度ではない。それでも少女には歯向かうほどの気力はない。現実をつきつけ、嫌味をまぶす彼。彼は嫌味を言っていない。言いたくないことを嫌われる覚悟で言っている。



 彼は、自分と同じ道を歩んでほしくないと少女に思っている。強く思っている。


 底辺の道を突き進むなど、未来ある子供に相応しくない。



 学生の道がすべてではない。そう、諭したかった。学費というものは日本でさえ莫大なのだ。学校という費用が免除されても尚、家庭に多大なダメージを与えていく。小学、中学、高校、大学。当たり前のことを当たり前に行うことでさえ凄まじい金額だ。



 それを両親のいない少女が行えるわけがない。


「・・・学生をあきらめて、仕事を探すべきだ」


「・・・それだけは絶対にしない!」



 されども底辺、根暗のぼっちが会話を潤滑に行えるわけがない。学生の道を進まなければ、ロクな道はない。それを彼は知っている。だが、知っていても言うしかないのだ。学生を諦め、空いた資金を別のところへ回すという道を。



 彼は手助けしない。手を出せば、そのまま人は甘えてしまう。彼が両親に甘え、行政に甘え、自身の無能を棚に上げた社会への批判が生まれてしまうのだ。自身を他人に委ねて、その他人を批判するという底辺の中の底辺が生まれてしまうのだ。



「・・・私は、学生をやめない!たとえ何があっても!どんなことをしても!!夢をあきらめるということだけはしたくない!」


「・・・貴女からすれば関係ないかもしれない。だが言わせてほしい。どうやって夢をかなえるのですか?」



 彼は水を飲み干し、さらにコップにつぐ。彼がつぎおえれば、少女が瓶を手に取り自分のコップへと注ぐ。


 金と時間。勉強への熱意。将来への渇望。



 彼には関係がない。だが少女はそれを口に出さない。それをいう事だけは、まずいのだ。自身の立場の危うさ、脆さをしっている。それを一から否定することになる。ここで言い返せないで、どうやって己の夢を守るのか。



 曖昧な夢だ。


 社会的地位をあげる。


 それだけだ。決まった職はない。やりたいということはない。だが、学生という身分は平民であろうとも成り上がりを許される少ない希望の一つなのだ。


「・・・貴女の両親は、全てを叶えるほどの財産を残しましたか?」


「・・・・残ってない。残ってなくても仕事をしながらでも学業を!」


 彼は否定するように顔を左右に振った。



「仕事は両立できるものじゃない」



 躊躇うことなく、少女の甘えを否定する。


「・・・そうだとしても頑張れば、・・・私の・・・全てをかけてでも・・・」


 ためらいがちであれど、少女の執念は他人に言われても何もない。執着が学生という身分にありすぎている。それ以外に何もないといわんばかりだ。


 そして、そこを彼が違和感を持った点であった。


「・・・・もしかして」




 だから彼に見抜かれた。



「・・・やりたいことが実はないのでは?・・・やりたいことがないから、言えないんだ。曖昧な言葉だけで、逃げるだけ。深く考えずに、敷かれた道をそのまま歩くだけですか?」



 彼は見抜いた。その有様を、無様さを。何もない少女、学生以外にやることがない。それ以外に果たすべき道が見当たらない。誰かが定番とした道を歩くだけの、自分を捨てた行為。



 勉強をしろ、自分を高めろ。これだけが少女にあるだけのように彼には見えた。将来が見えないけれども、学業の成績次第では進む未来が大きく広がる。



 そういう幻想に捕らわれた哀れな羊。


 これは罠なのだ。


 自分を捨て、誰かに自身の責任を丸投げする行為。敷かれたレールを歩くだけという行為は自己の形成を遅くする。



 底辺への第一歩。学業で上位陣であろうとも幸せになれるという幻想が、現状も相まって選択を狭めている。


 選択の狭くなる無自覚な罠が、少女を底辺へと導いてしまっている。底辺ほど一発逆転を狙っていく。こつこつと極端な意地をはる。ギャンブルや、給料の高さのみしかみない。自身の能力の有無を見捨てて、夢だけが膨れ上がる。



 底辺ではないものは、地味な努力を積み重ねている。目指すべき処を最初に定めている。こういう生活をしたいから、このレベルでいいと。時間を無駄にせず、能力と比例した将来を見定めている。


 学業の成績下位者であろうとも、最初から目指すべき道が見えているものが幸福に突き進むのだ。後から決める。後から後からと先を見ずに今だけを見続けてしまう。そして時間だけが過ぎていき、失敗していく。


 学業が上だから実力者だと騙るのは成功者の言葉。底辺へとならない道を定められた言葉。成功者に学ぶのもよいことだ。だが、失敗者から学ぶことの方が底辺を避けやすい。形が定まらない子供ほど、成功者に学ぶ。人生に失敗したものほど、失敗者の言葉を噛みしめる。



 夢を見させたのは、成功者。


 現実を突きつけるのは、失敗者。


 そして出来上がるのは底辺だ。社会でぎりぎりに生きることを許された廃人の出来上がり。希望を持てず、生きることだけしかできない木偶の坊。生きるだけ生きて、老いて死ぬだけの人生になってしまう。



 底辺道、まっしぐら。



 底辺は嫌われている。見下されている。



 そして、彼は少女を見下している。思いっきり、格下を見るかの如く。だが優越感など彼にはない。それは、彼が進んできた失敗の道。底辺への成り下がる道なのだ。


「・・・お前に何がわかるんですか!・・・」



 少女は彼の煽りを受けて、その否定する視線を受けて激情の言葉を残す。されども、自分語りだけはしない。自分が両親いなくなったことも、言葉にするだけ自身の価値が極端に下がるのみ。



「・・・人は人のことなんか一切わからない」



 彼は、彼という道をたどろうとする少女の気持ちなんか一切わからない。同じ境遇だと、底辺へと進む道であろうと、気持ちなんか一切わからない。何となくで考えることはあるだろうが、それだけだ。それ以上に同調ぐらいしかできやしない。


 他人が他人を理解できる奴は神様でもない。


 語るだけの詐欺師だけが理解した振りをする。




 だから、彼は現実だけを突きつけた。敷かれたレールではなく、自分から敷くレールもあるのだ。少女の敷かれていたレールをぶち壊し、再構築への術を考えさせる。


「・・・だったら黙っと」


「・・・だから、貴女に道を示してあげます」




 そういって、彼は水を口に入れた。


 彼の指し示す道は、甘えを与えるものではない。だが、現状の少女では底辺以上の廃人へと向かっている。仕事なし、収入なし。学業に執着。学業を切り離すことは生きがいを奪うものかもしれないと、思い込み始めた彼は別の道を模索する。



一方的に助言をするのでは誰も聞きやしない。やりたいことを無理なく維持させる。


 何となくふわっとした感じで道を示して、少女にそれを形成させる。それを目的としたとき、彼の覚悟は定まった。



 少女が突然の彼の言葉に、戸惑う姿を見せている間に。


 彼は目をつむった。されども右目は制御できても、左目だけは彼の指示に若干の猶予を持たせていた。赤目の左目が全てをさらけ出す。


 彼には普通の目にしか見えない左目。魔力を一切もたない者に認識すら許されない後天的能力、魔眼。少女には彼の左目が赤いことを知っていて、民衆も若干の魔力を持っているために認識できる。


 彼だけが認識できない。紛い物の能力。


「・・・ずっと見ているのでしょう、リザ氏」



 彼は彼を見続ける存在に気付いている。今まで過ごしてきた悪い社会経験。その経験がいつ自身に視線が向くかを判らせる。姿を消そうとも意味はない。


 見開いた先をむくのは、最も遠い先の席だ。彼と少女以外客はいないはずだが、されども彼の左目がはっきりと捉えている。魔物も少女も気付かない。左目だけでなく、通常の目である右目ですら微かに捉える影のような姿。


 気配遮断スキルをもった相手。



 視界にとらえられ、はっきりとした眼光が遮断した気配すら意味を亡くす。


「こ、この距離で・・・」



 彼に問われ、その鋭い眼光が偽装すら許さない。慌てふためくように淑女は席から急いで立ち上がっていた。愕然とした表情と態度が淑女の全てを表す。漏れ出した感情の声は、気配遮断スキルによって誰にも届かない。



「・・・ちょうどよかった。どうぞ僕の隣か、この子の隣に座ってください」



 否定はさせない。彼は見えない相手に言葉をかけている。対面に座る少女も何事があるかはわからず、魔物たちも突然の彼の物言いにビックリしているだけだ。


「・・・リザ氏、僕は貴女がなぜそこにいて、監視していたことは一切聞きません。ですから姿を現してどうかこの席にお座りください」


 片手で指し示すのは少女の隣。決して自分の隣だけは手で制さない。


 言葉と行動は違う。彼は人が隣に座ることが苦手なのだ。


「・・・僕とリザ氏の仲をさらに深めていくためにもどうか」




 お願いする態度ではなく、命令するかのように。彼は赤い左目を細くする。


 ハリングルッズの淑女、リザの監視理由など簡単なものだ。住人皆殺し事件についての情報を集めるために、直接彼の元で聞き込み調査をしていただけだ。彼が認識できるであろう距離と、認識できない距離。それらを今までの反応と経験からはじき出した距離で確認していたのだ。




「・・・この席まで来たくないのであれば、それで構いません。僕も見られていたことは気付かなかったことにします」



 彼は少女の隣を支持するのをやめた。交渉をやめた。


「・・・一つ言っておきましょう。僕はこのことをずっと覚えていますから」


 監視されていたことを気付かなかった。だが覚えている。執念と根に持つタイプの底辺は、精一杯の抵抗だけを示した。


 そうして、コップの中の水を飲み干した。彼は何度も何度も水をコップに注いで飲み干していく。その一介の量はコップの中間ぐらいで固定されている。それでも何回も繰り返した。たぷたぷとなりつつあるお腹をさらに酷使していくように、苛立ちによる行動に見せていく。ただ反応してくれなくて、独り言いってる気分で恥ずかしくなった照れ隠しなだけである。


 されども照れ隠しが、苛立ちによるものにしか見えない淑女にとっては重大だ。



 気配を隠し、慌てて彼と少女の席の通路へと飛び出してきた。彼と少女の間を区切る中間地点の通路で、淑女はスキルを掻き消した。消えていた姿が、表へと存在を立証していく。


 淑女が誰の目にも移っていくと、少女の瞳が大きく開く。魔物たちの飛び跳ねる音が大きく響く。警戒するかのような威圧が魔物たちから放たれるが、淑女はどこ吹く風のように無視をする。



 淑女、リザが口を開く前に。



「・・・僕だけでなく、この子のことも面倒みてくれませんか?」



「・・・理由は?」



 淑女たるリザは緊張している。警戒している。彼の能力を見誤っていたことを、鎖につながっても危険な猛獣の存在を。



「・・・この子は、夢があるそうです。今はまだ何か定まっていないですが、大きな夢が」



「・・・それをかなえろと?」



「手助けを・・・今はまだ学生らしいです。その学生の立場で出来る仕事があれば、何かしらあげてください」



「・・・学業をこなしながら仕事ですか?」



「・・・貴女も仕事をしながら、僕を監視していたでしょう。できないのであれば構いません。それだけでいいです」



 淑女の言葉が詰まる。何事も言えなくて、言い返すための脳が停止している。必死に回転させようにも、事実を言い返すことができるわけもない。


「・・・監視ではなく・・・」


「・・・あれは間違いなく監視だ・・・僕がそこまで無能だと?」



 彼の自信は確かなものだ。言い訳を否定するわけではない。されども彼の極端な経験が、その逃げすらも許さない。



 見られ続けて、探られ続けるなんて、彼には慣れっこなのだ。誰も意識してくれなくても、どこかで探られている。ずっと影のような人間なんかいやしない。虐められっ子なんか影のように印象が薄いのに、虐められている。


 探って、何も反撃しない影そのものだと理解されたとき、虐めというのは生まれるのだ。


「・・・だから忘れます。・・・全て・・・貴女が僕の情報を知りたいというのはわかっています」


 正社員になるということは雇用を安定させるという事。そのためにどういった人物か探るのは企業の暗黙のルールなのだ。簡単に人を首にできない。だから人を知り、そこで同じ仕事が出来るか、仲間としてふさわしいかを知る。


 企業側の精一杯の誠意なのだ。


 それを彼が知っているからゆえに、探ることをしない。


 彼が思うのは、自分への仕事への態度や犯罪歴などを淑女が探っているという点。淑女が探るのは、彼という人間が引き起こしたであろう皆殺し事件の真相。されどもお互いの理解は埋まらない。



「・・・いいでしょう。認めましょう。それは何処まで仕事を与えれば?どこまで事実を告げてもよいのでしょうか?」


 淑女、リザの脳裏にあるのは、彼が思い描く策謀の図。あくまで予測でしかなく、ある程度確信へと迫る一歩でしかない。



「・・・簡単なことで。そして深く仕事にのめりこむ必要が無いものを」



 彼が語るのは学業への両立が許される、バイト感覚なもの。それ以上に意図はない。淑女が理解するのはバイト感覚というのは理解できた。だがさらに踏み込むのであれば、ハリングルッズという名を出さないぐらいの薄い関係を築けといった勘違い。



「都合のよいことを言っている自覚は?」


 淑女たるリザの内心にあるのは、微弱な怒りだ。ハリングルッズを都合のよい玩具としか見ていない。町一つを滅ぼしたであろう怪物の恐れのなさは異常だ。


「・・・駄目ですか?」



「・・・認めるわけには」



「・・・では、すいません。辞退させてください。この子も僕も二人とも辞退を」



 彼はそういって、興味をなくす。思い通りになるとかではなく、姿を消してまで監視するハリングルッズという雇用先が少し信用できないのもある。たしかに企業が社員を雇用するために、人の人物像を探るのはよくあることだ。されど、常識のある範囲というのが存在する。


 隠れて情報を探るなんて、不気味なのだ。


 仕事がない状況。


 されども草取りフリータとしての仕事ならば健在なのだ。正社員ではなく、フリータとしてならば生きていける。この先の人生、どこで仕事を得られるかわからない。



「・・・リザ氏、お手数おかけしました。色々お世話になりました」



 彼はそう言って、頭の中からハリングルッズという組織の情報を掻き消そうとした。その時だった。



 リザにあるのは、焦り。自身の判断によって怪物が組織の鎖から解き放たれてしまうことへの危惧。町一つ滅ぼした怪物。人の悪意を飲み干す怪物。ハリングルッズに送り付けられた強情の商人からの多額の金銭。崩壊まではいかなくても、大きなヒビがはいる。



 彼という個人を一度取り込んでおいて、制御しきれず放出なんか。ほかの有力組織からすれば恰好のネタなのだ。ハリングルッズからの報復なんか怪物が恐れているわけがない。なにせアサシンである気配遮断スキルを見通すレベルだ。魔物の育成技術、彼という個人の影響力。今更捨てられるほど、ハリングルッズには余裕なんてないのだ。


 ハリングルッズから報復を恐れず、それを口実に他の組織になんか入られれば大きな損失だ。封じこんできた色々な権益が崩壊しかねない。商人たちは逃げるだろう、強情の商人も逃げるだろう。武器も奴隷商も陰で侮辱しながらハリングルッズを冒涜してくるだろう。


 封じ込めた怪物であろうと一個人。その個人が抜け出せるのから自分もと押しとどめてきた勢力が増長するに違いない。



 嫌がらせなのだ。


 この怪物は。


「・・・全て認めます。認めてやります。私の権限で全て、認めましょう」



 だから認めざるを得ない。


 この嫌がらせの達人に、最初に監視という喧嘩を売ったのは自分なのだ。それを無かったことにするといわれてまで、蹴ってしまうことはできなかった。



「・・・ありがとうございます。無理をいってもらって」



 彼は穏やかそうに、少女に向き直った。少女のぽかんとした表情、だが冷や汗も溢れている。淑女が突然現れた事もそうだが、その相手に真っ先に気付く彼という存在の能力。会話の中に混じりこんだ圧力の数々。少女には会話の中身がわからずとも、彼が会話を続けるたびに焦りを見せる淑女の表情を見れば嫌でもわかるというものだ。


 この目の前の男は、脅しをかけているのだと。



 姿を消せる存在を恐れずに、堂々とした態度をもって脅迫しているのだと。



「・・・学業をこなしながら、仕事がんばってください。全てリザ氏に委ねれば上手くいくと思います」


 彼は片手でリザを丁寧に紹介して、少女へと無表情のまま会話を交わす。


 物事が進めば、会話も変わる。彼とリザの会話ではなくなって、リザと少女の会話へと成り果てる。



「紹介にあった、リザと申します。どうかよろしくお願いいたします。学業をこなしつつできる簡単な仕事の紹介に関しては後日連絡を差し上げます。できればどこの学校なのかを・・・」



 リザから会話が始まり、少女の簡易的面接が行われた。



 それを彼が聞くわけもなく、代金の清算を店員がいるであろう会計処まで歩いて行った。多少時間をかけ会計を終え、なおかつ飲み過ぎた水分をお花積みと称して清算。


 魔物と少女、そして自分の食事代。少女を無理やり連れだす形で来たのだから、彼が奢るのは当たり前。通常の大人の常識をもって、この場面の出来事は終わりを見せていった。



 簡易的な面接は、終わったらしく姿勢を正しく伸ばした少女の姿があった。そして通路側にいた淑女の姿は一切ない。彼がいない間に消え去っている。彼の左目には何も映らないし探れもしない。




 彼が席にそっと座る。その座ったのを確認した少女は、若干明るくなった表情をもって彼を出迎えた。



「・・・ありがとうございます。これで学生のままでいられそうです。今のところは無理ですが、状況が落ち着き次第、何かお礼をしたいと思っています」


「・・・いりません」


「そうはいわないでください。お礼は・・・その前に名前を窺ってませんでした。ええと尋ねるまえに、私の名前から・・・」


 その先を彼は言わせなかった。片手を出し、その先をとめたからだ。


「・・・お互いの名前は知らなくていいと思います。お互い、これでおしまい。深く仲良くなるのは貴女のためにはならない」


 底辺と仲良くなることは、成功を遠ざける。貧民は貧民を呼び、上級者は上級者を仲間へと引き入れる。同じ立場の人間同士仲良くなるしかない。立場の低すぎるものを仲間にいれると、悪い方へと立場を引きずり落とされる結果を招く。


 彼は自覚してしまっている、己が底辺だと。そして少女は底辺を避けられる未来がある。引きずりこみたくはないのだ、底辺道に。



「で、ですが!!」


「・・・お気持ちだけ頂きます」



 彼はそういって、先を聞こうとせずに立ち上がる。席に座って数分の出来事だ。座って、たっての無駄動作を行い、彼は少女に背を向けた。


「・・・会計は済ませてあります。あとはご自由にお帰りください」



 仕事の紹介はした。生きる術を与えた。あとは、住む場所もどうやって学校に通うかも少女自身が考えることだ。それ以上でもそれ以下でも手を貸してはいけない。


 彼はその持論をもって、歩き出した。歩き出した瞬間、魔物たちが一斉に立ち上がり、彼の後をついていく。



「必ず、必ず返しますから!!」


 その背に言葉がかかろうとも。



「・・・忘れてください。無駄なことです」


 底辺は人と仲良くなることが大の苦手だ。仲良くしたくても、したくない。その天邪鬼の強い思いは、誰にも覆すことはできやしない。



 彼の元に誰も残らない。彼自身が認めない。





 そして、彼は頷くことなく店を出ていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る