大盗賊の湯 (前)

この度、『異世界銭湯♨ ~松の湯へようこそ~』が書籍化されることになりました!

出版社はアーススターノベル様になります。



(御入浴における諸注意)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

 文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれませんが、湯に流しましょう。

・入浴マナーは守りましょう。

・最近ロッカーの盗難が相次いでいます。貴重品は番台にお預け下さい。



 賑わいを見せる下町の大通り。

 道の端から漂う食べ物の匂いが、キールの胃袋を刺激する。

 目に入るのは売り台に並んだ果物や野菜、穀物を挽いた粥の入った大鍋、吊り下げられた腸詰肉、背負いかごに入ったチーズや卵、桶に詰め込まれた塩漬けの魚の切り身。


「……ゴクリ」


 思わず唾液が湧いた。

 このところ『仕事』が上手くいかずロクなものを口にしていない。

 最後に食べたのは昨日、拾った林檎の芯だ。


 だが路上売りたちから盗みを働くのは、リスクが大き過ぎた。

 彼らは用心深い。見るからに浮浪児であるキールが不用意に近づけばすぐに警戒するだろう。

 捕まって袋叩きにあう程度ならまだいい。

 運が悪く憲兵所につき出されでもしたら、貧民窟の隅で蹲る浮浪者や元泥棒たちと同様、利き腕を斬り落とされる運命が待っていた。


「我慢だ、我慢」


 だからキールは自制して、人込みに身を潜めた。

 この大通りにきたのは、あくまで『仕事』の為だ。

 上手く稼ぎさえすれば、好きな物を幾らでも食べれると、己に言い聞かせ、獲物の品定めを続けた。


「おっ?」


 向こうから歩いてくる恰幅のいい中年男がいる。

 汚れてはいるが仕立ての良さそうな柄付き上着に、頭部に巻いた陽射し避けの布。

 腰に下げた大きな巾着袋から顔をのぞかせる算盤。

 多分行商だろう。

 満面の笑みを浮かべているところから察して、商売が上手くいったばかりのようだ。さぞかし懐が潤っているに違いない。

 街の外から訪れた者ならば、こちらも手を出し易かった。


 キールは口笛を吹きながら、何気なく歩いている振りをして、行商人と鉢合わせするように進路をとった。


「うわっ!」

「おっと!」


 そのまま行商人の膨よかな腹にぶつかり、大げさによろめいてから尻餅をついた。


「いててて」

「何だ、浮浪児かよ。お前みたいのが人様の道を歩くんじゃないよ」


 倒れたキールをじろりと見てから、行商人は巾着袋を慌てて抱た。荷物をひったくられるとでも思ったのだろう。

 それから地面に唾を吐き捨て、立ち去っていく。

 遠ざかっていくその後ろ姿を見送りながら、キールはゆっくり立ち上がり土埃を払った。


「……」


 行商人に不注意で衝突したわけでも、ひったくりに失敗したわけでもなかった。

 手元に残った戦利品が、仕事に成功したことを証明してくれている。


「ひひひ楽勝、楽勝♪」


 行商人の柄付き上着の内ポケットにあった皮袋だ。

 重さは上々。

 銭貨のジャラジャラとした感触はなかったが、肌身離さず持っていた以上、金目のモノに違いない。

 これで久しぶりに美味しいものが食べれそうだった。



「……」


 だがその日、キールはしょぼくれながらねぐらに戻る羽目になった。


 住処は、街道の外れにある小さな御堂だ。

 昔は何かが祀られていたらしいが、蔦が絡み過ぎているせいで、雑木林に紛れ、人から見捨てられた場所だった。


 内部は少々不気味で、黴臭かった。

 だが隙間風はないし、雨漏りもしないので非常に過ごし易い。

 元々は貧民窟暮らしだったがあそこではどれだけ稼いでも、育て親から上前をはねられるし、何かにつけて暴力を振るわれる。だからここは唯一、安心して眠れる場所だ。


 ただ当面の問題は食糧だ。


「……ぐう」


 腹が鳴る。

 行商人からの掏りに成功したものの、結局何も食べることができなかった。


「何なんだよ、これ」


 皮袋から取り出し中身を改めて確認するが、やはりただの木札だった。

 用途は不明だが『♨︎』という奇妙な焼印から察するに、商人が使う割り符かもしれない。

 だが金に換えることも、自分に使う事もできない以上、どうでもいい代物だ。


「畜生、腹が減ったぞ」


 木札を放り出し、大の字に寝そべった。

 取り敢えずこれ以上動いても腹が減るだけだ。もう眠ろう。明日また大通りで商売をしよう。

 大丈夫、次は上手くいくはずだと、自分に言い聞かせる。


「いつか大盗賊として大成してやるんだ」


 何故なら自分には『掏り』と『施錠』の素質がある。

 御堂の入口にかかっていた金属製の錠もそれで開けることができた。

 この二つは貧民窟で元育ての親に教わった技術。ろくでもない奴だったが、その点についてだけは感謝していた。


 そんな事を考えながら瞼を閉じていると、ふいに周囲が明るくなった気がした。


「……?」


 目を開けると、薄暗いはずの御堂の内部が光で溢れている。

 見ると、床に発光する奇妙な模様が刻まれていた。


「――ちょっ、どうなって」

 やがる、と最後まで叫び切らないうちに光の洪水に飲まれ、キールは御堂から消失した。



「……は?」


 いつの間にか見知らぬ場所にいた。

 御堂ではない。どこかの暗い通路だ。

 状況がさっぱり呑み込めないが先のほうが明るいので、とりあえず歩いてみる。


「……だから、どこだよ?」


 天井から下がる布のようなものをくぐると、本格的に知らない場所にいた。


 どこかの建物の内部である事は分かる。

 御堂よりも広いし、綺麗だし、何より明るい。

 天井から煌々とした灯が降り注いでいるせいで、まるで昼のようだ。


 奥にある木製の背の高い台は、何となく宿屋の受付を思い起こさせるが、何かの店だろうか。

 ただ留守なのか人気が感じられない。


「すいませーん、誰かいますかー?」


 試しに声をかけても返事はない。

 まあ浮浪児が相手にされるわけがないので、店の人間が来たらに一目散に逃げるだけだが。


「不用心だねえ」


 店は背の高い台を挟んで、通路が二手に分かれ、それぞれ色の違う布で仕切られている。

 キールはできるだけ音を立てないようにしながら、紺の『男』という布のかかった通路に向かった。


「……ふむ?」


 布からそっと覗き込んだ先は、別の部屋と繋がっている。

 奇妙な広間だ。

 壁の一部が鏡張りになっており、床には、羊毛、綿、麻でもない素材の絨毯が敷き詰められていた。


 だが何より目についたのは巨大な棚。

 高さは大人の背丈程もあり、棚が縦五段横に十二列も並んでいる。

 その段ひとつひとつに扉が備わっており、見た事もない形状の金属錠が取り付けられていた。


「ほほう」


 キールは顎に手を当て、口元をにやつかせる。

 これだけ厳重に管理されているという事は、中には金目のものがしまってあるに違いない。

 恐らく店が商いとして取り扱っている商品だろう。

 鼻をひくつかせても、辺りは花のような良い香りがしない。食べ物ではないだろうが、金になるのであればこの際、何でも良かった。


「よーし、ここは盗賊としての腕の見せ所だな」


 今度こそ千載一遇の機会だ。

 キールはこきこき指の関節を鳴らすと、早速作業に取り掛かることにした。



「ったく、どうなってんだ?」


 キールは地団駄を踏んだ。

 扉棚の開錠には苦労しなかった。

 錠の仕組みが思った以上に単純だった。

 鍵は木板で、錠内部のつっかえと一致した溝が彫られていなければ差し込めない仕組みだが、細長い棒切れを鍵穴に突っ込んでやれば内部の絡繰りはあっさり解除できた。


 問題は棚の中に何も入っていなかったという事。

 まさか人がいないのは、商売がうまくいかなくなって夜逃げしたとかなのだろうか。

 昼間の木札といい、何故こうもハズレばかり掴まされるのか。


「はあ、せめて金になりそうな備品を物色しよう……おや?」


 扉棚の側面に面白いものを見つける。

 色褪せた紙の札だ。

 そこには奇妙な文字が記されていた。

 キールは文字を習っていないが、街の店にかかった看板くらいなら読み取ることができる。だが札に記された『日ニ十月ニ十』という文字は、明らかに常用文字ではない。

 魔術師が作った呪いの類だろうか。


「これ剥がして売ったら金になるかな?」

「さあ、どうですかね」


 キールの呟きに、対して返事があった。

 ビクリとして振り返ると、通路の柱に寄りかかる細身の男がいた。


「逆さ札ってね。天下の大泥棒石川五右衛門様の命日を書いて逆さにしたお札です」

「……」

「あなたみたいなコソ泥が来ないようにする為の魔除け。でも所詮は迷信。二束三文の価値もないみたいだ」


 細身の男が大げさに溜息をついた。

 見慣れぬ紺色の腰ヒモのない服装――多分店の者だろう。

 錠開けに多少、熱中してしまったが警戒は怠らなかったはず。微かな衣擦れだって逃さない耳に、近づいてくる足音は聞こえなかった。


 ――こいつは只者ではない。


「あーらら扉がみーんな開いちまってる。折角、鍵を抜いてたってのに、どうやって開けたんですかね、この子は」

「何で……棚に何も入ってないんだ?」

「風呂屋ですもの。閑古鳥が鳴けば当然、ロッカーは空。鍵を抜いてたのは悪戯防止の為です」


 フロヤ? カンコドリ? ロッカ?

 先程から言っている意味がまるで分からなかったが、非常にまずい状況であることは理解していた。


「ふむ、こういう時は、問答無用で『出禁』喰らわすべきなんでしょうが」

「!」


 細身の男が一歩だけ前に出てくる。

 ゆらり――その足の運びはどこか踊り子のように優雅で、その静かさは熟練の殺し屋のようでもあった。

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