魔女見習いの湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・当銭湯では、日替わりの湯を御用意しております。

 本日は『蜜柑の湯』です。



 ハレイナは落ちこぼれの魔女見習いだ。


 彼女にとって最初の不幸は、魔術の才の欠如。

 百舌の魔女を祖とする名門に産まれながら、致命的な欠点を二つも抱えていた事だ。


 ひとつは悪すぎる視力。

 矯正具を用いても人並み以下であった為、まともな術式が構成できなかった。


 ひとつは高すぎる潜在魔力。

 ただ放射するだけでも熱暴走の危険が生じるせいで、一小節の呪文詠唱でも両掌が皮膚が火傷する有様だ。


 故に魔術が制御ができず。

 故に昇級試験にも合格できず。

 故に身分は永久に魔女見習いのまま。


 決して物覚は悪くなかった。

 魔術に対する感性も高かった。

 三歳で古い高等魔術文字を解読出来る程度には賢かった。

 何より向上心もあった。


 だがどれだけ能力が高くとも魔術師の世界では、魔術の腕が全てだ。

 初等魔術すら行使できない者に用はない。

 名家の子女であれ、いやならばこそ世間から爪弾き者として扱われた。

 親族にすらこれ以上家名を汚さぬようにと、一門を厄介払いされた。


 そしてたどり着いたのは象牙の塔。

 研究狂いの魔術師ばかりが集う魔術研究機関。

 そこで彼女は生涯を送る事になった。



 二度目の不幸が襲ったのは十七の時。

 彼女はいつものように象牙の塔の地下で引きこもり、研究をしている最中だった。


「あ……れ……?」


 立ち眩みがして、思わず床に膝を突いていた。

 寒気がした。初期症状からある病に似ている事にたどり着いたのはわりと早かった。


 その場で白衣と外套を脱ぎ捨て、全身確認。噛み痕があり、衣類をくまなく調べると案の定、胡麻粒大の虫――人喰い蚤がいた。


「間違いない。黒霧の病だ」


 ハレイナがかかったのは大陸を席巻しつつある恐ろしい病だ。

 潜伏期間を経て、倦怠感の後、寒気、そして発熱と眩暈。その後は高熱にうなされ、七日間を経て死に至る。


 薬品棚から手持ちの魔法薬を引っ張りだし、一通り試したが、どれも効果は期待できないことを理解していた。

 有効な治療法は未だ確立されていない病だ。


「……唯一の例外は」


 霊薬エリクサーだ。

 どんな毒も大けがも、不治の病からも立ち所に回復させる究極の魔法薬。

 但し、下っ端であるハレイナはそんな希少で高価なものは所持していない。


 この象牙の塔で、所持していそうな教授の顔が幾人かいた。

 だが彼らの研究室を訪れ、頭を下げても門前払いを食らう場面しか、浮かんでこない。

 何より黒霧の病は感染する。

 下手に外出することで周囲を巻き込み、機関に迷惑をかけたくはなかった。


「……よし諦めよう!」


 彼女は小さく、そう宣言した。


 意志が固まれば後は行動のみ。

 己の為すべきことを成すことにした。

 通用口に張り紙をし、地下室すべての隙間に目張りを施す。

 どこから虫が沸いたのかは不明だがこれ以上の感染を阻止する必要がある。


 思い切りの良い彼女は、この時点で自らの死を覚悟していた。



 象牙の塔に所属し、彼女が始めたのは魔法薬学だ。

 理由は簡単。それだけが魔術を扱わずにできる数少ない研究学問だからだ。

 そしてそれこそが彼女の全てになった。


 入塔後、彼女はすぐに幾つもの実績を築いてきた。

 魔術を用いない研究であるが故に、評価こそ低かったが、紛れもなく魔術の進歩に貢献する成果だった。


 故に渋々ながらも象牙の塔は実力を認めた。

 そして魔女見習いのまま、彼女に単独の研究室を与えた。

 助手はいない。

 場所は本拠地の塔にある薄暗い地下室だ。


 だがそれこそが彼女が初めて勝ち得たもので、以来、唯一無二の安息場となった。


 周囲からは、隔離だ、左遷だ、日陰仕事だと陰口を叩かれていた。

 無論、本人は気にしない。

 誰にも邪魔されない環境で、次々と知的好奇心を満たしていく。

 それは転職であり、至福だ。

 このままの日々が永遠い続けばいいと思って研究に励んだ。


 象牙の塔での十余年の歳月は、充実していた。

 他者の目からすれば不遇と言って差し支えのない待遇を受けても尚、彼女は幸福としかいえない時間を過ごしていた。


 故にハレイナは病気に罹ったのは天命。

 幸福になることのできた当然の代償だと思うことにした。



「……ふう……はあ……やばい……かも」


 熱で朦朧とし始めていた。


 これから地獄のような高熱に魘される。

 免疫器官は自ら毒素を生み出し自壊。

 手足は次第に壊疽していき黒炭の様になるだろう。


 この時点でハレイナの頭にあったのは、どのように生き延びるかではなく、どのように楽に死ぬかだった。


「……」


 思案の末、薬による自決を選択する。

 幸い、自殺薬は幾つか所有していたし、自分らしい最期だ。安らかに逝けるはずだ。


 だがいざ瓶の蓋を開けかけたところで、指を止めた。


 果たしてこれでいいのだろうか。

 結局、自分は魔女にも魔術師にはなれなかった。

 だが研究者にはなれたのではないか。

 ならば研究者としての誇りと責務は失ってはならないのではないか。

 己の使命を最期まで全うすべきではない。

 せめて今体験している症状を克明に記して、未来の礎となるべきが、正しい在り方ではないか。


「というか、どうせ死ぬなら死の間際まで、楽しく研究し尽くしてやる」


 ハレイナに不敵な笑みが浮かんだ。

 欲望と共に気力が湧きてきて症状が軽くなってきた。


 それからふらふらと机に向かう途中で、ふとある事を思いだし立ち止まる。


「あ……そうだ」


 彼のことを忘れていた。

 この研究室にはハレイナ以外にも小さな同居人いたのだ。

 まだ自分が動けるうちに餌をあげよう。

 それから水槽から出してやらねばならない。彼の大きさならばきっと勝手に外にでて、好きに生きていくだろう



「……ん」


 ハレイナは喉の渇きを覚え、意識を戻した。


 暑い様な寒い様な感覚。

 高熱のせいだ。

 机に向かっていたはずが、床に横になっているようだ。起き上がろうとしたができない。指先すら動かない。


「み……ず……」


 何かが身体の上を這い回っている。

 ふいに口元に温い水が運ばれてきた。

 それから額に柔らかく冷たいものが被さって、熱での苦しみが少し和らぐ。

 誰かがハレイナを看病してくれていた。


「だ……あれ……?」


 生まれてこの方、看病などされた事はない。

 両親にすら出来損ないと罵られ、疎まれてきた彼女に、心当たりはない。


 何とか瞼を開いた。

 だが世界がぼやけて見える。

 手を伸ばし眼鏡を探そうとしたところで、力尽き――。

 意識がまた途絶えた――。

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