ドワーフの湯 (中)



 結局、素直に七十Gを支払うことにしたのは、客になればぞんざいに扱われる心配もなく、色々と相談に乗ってもらえるだろうという打算からだった。

 だがその考えは早々に打ち砕かれることになる。


「男湯はこちらでございます」

「うむ」


 店を案内してくれたのはバントウと呼ばれた女だった。

 彼女は客商売の者にしてはあまりにも無愛想だった。

 そして『湯男』という暖簾の奥にある部屋へ通されるなり「お召し物をお預かり致します」

と告げてきた。


「どういう意味だ?」

「言葉通りです。直ちに衣服とお手荷物をすべて頂戴し、丸裸になって頂きます」


 ボルケーノが躊躇している隙をついて、彼女は「失礼」と呟きながら、仕掛けてきた。

 瞬く間に兜が、胸当てが、籠手が、シャツが、ズボンが剥ぎ取られてしまう。


「なっ……!?」


 あまりの早業だった。

 その手際は、これまでに出遭ってきたどの掏摸をも超越しており、一瞬のうちに武装解除どころか丸裸にされてしまっていた。


「おや、未だ腰元に幾つか残っておりますね」

「ぬう……!」


 ボルケーノは思わず後ずさっていた。

 このただならぬ状況からボルケーノはひとつの結論を弾き出した。


「セントウとは追い剥ぎのことか!」


 治安の悪い街では、旅人の身ぐるみを剥がし生計を立てる盗賊宿があるという話を耳にしていたが、まさか自分がその被害者になろうとは思いもしなかった。

 反射的に腰元にある手斧に手が伸びる。

 相手は年若い娘だ。できれば手荒な真似はしたくはなかったが止むを得ない。

 だが――。


「入浴マナーは……絶対です……!」


 バントウがそう呟いた次の瞬間、それが起きた。

 頭部からギギギと角が生え、その瞳が爬虫類のように縦細い冷たいものになり、唇から犬歯がのぞき出す。

 そして、彼女にぎろりと睨まれた次の瞬間――。


「――っ!!」


 ボルケーノは立ち竦んでいた。

 圧倒的なプレッシャーによって体中から汗が吹き出し、まるでバジリスクの単眼に睨まれ石と化したかのように身動きがとれない。

 戦士としての長年の勘が告げていた。


 目の前にいる女はヤバい。

 これまでに渡り合ってきたどんな怪物よりも強い。

 あの荒神の谷で死闘を繰り広げたワイバーンや、火の山峠で出会った極東の眼帯をしたサムライとやらをも超越していた。


「守らなければ『出禁』に致しますよ」


 何を言っているのかさっぱり理解できなかったが、目の前にいるバントウには決して逆らってはいけない。大人しく言うことに従い、機嫌を損なわないようにする事だけが生き残る唯一の術だと理解した。


「わかった投降しよう」


 ボルケーノは斧を投げ捨て両手を挙げ、降伏を告げた。


「|それ(・・)もです」

「くっ……」


 ボルケーノはその手を慎重にゆっくりと下ろし、最後の砦を解き、折りたたむと、それを恐る恐る差し出した。


「確かに受け取りました」


 バントウはまるで何事もなかったかのように先程の威圧感を緩めると、頷いてくる。

 この女がそこまで褌に執着する理由が、全く理解できない。ニュウヨークマナーとは一体何のことだろう。


「ではこちらの手ぬぐいをどうぞ。バスタオルはお召し物とロッカーに保管しておきます」


 バントウは代わりに言うように、一枚の白い布切れを手渡してくる。

 そこには『松の湯』という青い文字が染められていた。

 その言葉の意味を読み取ることはできなかったが、ボルケーノは大人しく受け取りそれで股間を隠すことにした。



 カポーン。


 どこかで奇妙な物音が聞こえてくる。

 まるで洞窟のように音が反響する広々としたその空間は、だが天井からくる不可思議な灯火により真昼のように明るかった。


「……」


 足元がひんやりと冷たく濡れている。

 青い床だ。小さく四角い滑らかな板が隙間なく敷き詰められている。またよく見ればあちらこちらに排水口が設けられている。

 職人種族であるドワーフとしての好奇心がくすぐられたが、状況はそれどころではない。


「ではそこにお掛け下さい」


 バントウに促され、椅子の前に座らされる。

 椅子は木のように軽く、陶器のような滑らかさを持った材質でできており、尻がひんやりと冷たい。

 これから何が行われるのかは分からない。

 だが嫌な予感しかしなかった。


「少々痛い思いをしてもらう事になりますが御容赦下さい」


 ボルケーノはごくりと唾を飲み込んだ。

 恐らく店は盗賊紛いな行為を働いた後、ここで客を『処分』するのだ。

 ならば床が陶器製であるのも理解できる話だ。

 水を弾く材質ならば例え吐しゃ物や血で汚れても痕を残すことなく洗えるし、排水口があれば簡単に流してしまえる。


「おや震えておられるのですか?」


 バントウは奇妙なものを手にしていた。

 鮮やかな青色の長い管と、先っぽに束子の付いた長い棍だ。

 その二つの道具でどのように拷問をするのか皆目検討もつかなかったが、おぞましさだけは感じ取れた。


「で、できれば見逃してくれんか」

「入浴マナーは絶対。これを逃れることはできません」


 またしてもニュウヨーク。

 恐らくは盗賊が使う符丁か、邪教の戒律か何かに違いなかった。


「ですが心配しなくても、|すぐ楽になれる(・・・・・・・)事を保証致します」


 バントウはそこで初めて表情らしい表情を浮かべる。

 それはこれまでに目にしたことのない凄みのある笑みで、ボルケーノは全身に鳥肌が立つのを感じた。

 それは『心配するな。すぐ殺してやる』という意味で間違いなかった。


「さあ目を瞑って下さい」

「無念じゃ……」

「では参ります」


 おもむろに頭から何か熱いものを浴びせられ、びくっとなる。

 湯だった。

 更に謎の白い粉が投下され、噎せ返る。


「ええいままよ! ……ぐはっ!?」


 ボルケーノはついに逃走を試みたが、その場で転倒した。

 どういうわけか足元が異様なまでに滑るせいだ。


「粉石鹸を撒いたのを伝え忘れておりました……まあ良いでしょう。この方が洗いやすいので失礼します」

「うぐっ!?」


 バントウに背中を踏まれる。

 彼女の小さな足には、どういうわけかオーガを思わせるほどの膂力が込められており抵抗できない。


「異世界における衛生環境は問題だらけです」

「ひぐっ!?」


 おもむろにボルケーノの背に、ざらついた堅いものが押しつけられる。

 束子だ。束子のついた棍が物凄い力で、何度も何度も背を往復していた。


 これは拷問だ。

 このまま少しずつ少しずつ生皮を剥いで、肉を抉っていくつもりなのだろう。

 まだ痛みはなく、むしろ心地良いくらいなのが余計に恐ろしいと思った。


「なかでもドワーフは別格。人族よりも分厚い皮膚と、頑強な体質のせいで滅多なことでは病気にならない。それは良いことですが反面、清潔さを保つ習慣が根付かない。おかげで垢まみれで埃まみれで蚤だらけです……失礼」

「ぬおっ!?」


 バントウは爪先でいとも容易く、ボルケーノをひっくり返すと、その足で今度は腹を押さえつけ、またしてもあちこちをくまなく擦っていく。

 いつの間にか泡立ち始めた全身の滑り気を利用して、逃亡を試みようと考えたがどれだけ抵抗しても小さな素足がそれを許してはくれないようだ。


「ただ当銭湯のもっとーは『来る者、拒まず』。である以上、私の職命にかけて、貴方を出来立ての陶器みたいにしてみせましょう」


 彼女は手慣れた様子で作業を続けながら、一方的に何事かを喋り続けていたが、皮膚が削られていく恐怖で頭が一杯になっているせいで、何を言っているのか分からなかった。


 それからどれくらいの時間が経っただろうか。

 気が付くとボルケーノは理不尽な足から解放されていた。

 バントウの手には青色の細い管が握られており、そこから噴き出したお湯によって、ボルケーノを包んでいた泡が落とされていく。


「何と……これは?」


 ボルケーノはすっきりと泡の落ちた肌を見回したが、擦り傷ひとつ見つからない。

 ただ垢や固くひび割れた皮膚がこそげ落ち、見たこともないくらいに艶を帯びているだけだった。

 この時点になって、ようやくただの勘違いなのだと思い至った。

 殺されるわけでも、拷問でも、ましてや追い剥ぎをされたわけでもなかった。


「自分はただ身体を洗われていただけだったのか!?」

「これにて一丁上がりです」


 バントウはそう言って、束子付の棍を下した。

 その口元には注意しなければ気づかない程、微かにだが満足げな笑みが浮かんでいた。

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