パズーの怒りと超災難 2

 玉座の間までパズー達が戻ると、大狼三頭が恐ろしいほど唸った。特に王狼ヴィトニルの毛が炎のように逆立った。


「ひいいいいい!蛇だ!俺達じゃなくて海蛇!手違いというか悪気ないしあとすぐ治る!治し方を教えてもらった!アンリさんとティダの為になるって言ってた!っていうか海蛇が出てくるなら教えろよグスタフの親父!蟲との掟も本も無かったじゃないか!」


 即座に王狼ヴィトニルに向かって横に手を振った。それから思い至ったのでグサタフの胸倉を掴んだ。グスタフが思いっきり体をビクつかせた。


「あ、ごめんなさい。目が見えないなら怖いですよね。すみません。でもそうだ。何で教えてくれなかった!いや、信じないか。しかも声が出せないし。やっぱりすみません」


 パズーはグスタフから離れた。何か怖い気配がして振り返ると、牙があった。


 牙!


「あ"あ"あああ!っ?食われてない?」


 確かに食われた。月狼スコールが飛びかかってきて大口開けて食われた。顔にベッチャリと唾液がついていて、臭い。


〈臭いとは何たる無礼。こんなの群れにいれるとは俺が殺される。しかしフェンリスの妻アンリエッタを死なせたら万死に値する〉


〈英断そして死なぬという正しい判断。スコールよ、成長したな!このパズー、フェンリスの大駒だと聞いていたが、本当にフェンリスに味方を増やしてきたようだ。ふむ、ヴァナルガンドと違って全く伝心術が下手くそだな。やはり下等。スコールよ、お前の群れだ。相当きたえないと食い殺さねばならんからな〉


 今度は大狼。セリムが大狼と喋れると嬉々としていたのはこれか。食い殺されるのが代償ならこんなの嫌だ。これもセリムのせいだ。しかし、蟲との会話そっくり。しかし大狼は人の言葉を理解しているっぽい。


 フェンリスとはティダだろう。アンリではなくアンリエッタ。謎すぎる。


 伝心術?服の裾で顔を拭いた。


「あのーこれって戻れます?俺、もっと地道に励むつもりなんで、問題が済んだら戻してもらいたいんですけど。絶対に食い殺される自信がある……」


 聞くだけ聞いてみようと大狼三頭の前に座り込んだ。


〈はあ?下等に戻りたいとは珍妙だな。こいつの主ヴァナルガンドも妙だから崖の国とやらは相当おかしいのだろう。こんな軟弱を招くなどスコールは恥晒しだ。追放したいがお前もこいつもフェンリスの下だからな。直訴しておく。まあ無駄だろうけどな〉


〈嫌味で激励げきれいはやめろウールヴ。この軟弱、フェンリスを殴る。ヴァナルガンドも殴る。そして背後に蟲がいる。海蛇とやらも身の内にいれた。こいつを囲えば俺達が蟲も海蛇も下に配置出来る〉


 蟲も海蛇も下に配置出来る。王狼ヴィトニルの思考はティダそっくりだ。なんて尊大。これが大狼。


「あー、あの、妙でいいんで、下等で良いから後で戻してください。ゼロースさんくらいまで成長してからなら多分頑張れる」


 三頭揃って大笑いしはじめた。


〈そのゼロースはわざと大狼に招かれていない!まだまだ足りんがフェンリスが大変気に入って期待している!ヴァナルガンドを招いたから、認められる人間の男が不在。ゼロースはもう少し、らしい。俺から見たらもう好きで仕方ないように見えるがな。あのフェンリスが人を!だから俺達もこいつは一生大狼に招かないで人にしておく。シュナ・エリニュスと同じだ。しかしゼロースは蛇の王子とはまた珍妙な位を持ってるな!俺の下にしたいんだが強欲フェンリスが直下だとゆずらない。パズーよ、軟弱臆病かと思ったら目標はナルガ山脈より高いんだな!気に入った!このウールヴが嘆願通り戻して、もう一度招いてやろう!喋れぬのに鍛えられる方が怖いだろうに変な奴め!くはははははは!崖の国とは愉快ゆかい也!〉


 選択を間違えたっぽい。しかも記憶か思考を覗かれているらしい。中途半端に。喋れないのに鍛えられたいなんて思っていない。怖すぎる。それにしても誠狼ウールヴの笑い方はティダそっくりだ。


 パズーはゼロースを見上げた。大狼刺青いれずみを禁止されて落ち込んでいたが、そんなものなくても大狼に殺されないという信頼。そういえばティダに背中も見せられていたのを見たし、直々に将棋も教わっていた。静かに向かい合う二人は成熟した男性で格好良かったとマルクと二人で密かに憧れると言い合った。


 大狼刺青いれずみを禁止されてあまりに嘆いているゼロースに、ティダは仕方ねえなと別の絵柄を提案していた。酔って覚えていない。何だっけ?


 ゼロースは確かにとてもティダに気に入られている。丘で横並びを認められた男。誠狼ウールヴにもか。ティダとそっくりな高笑いを続ける誠狼ウールヴに、王狼ヴィトニルが「ゼロースをもらうのは俺だ」と文句を言った。二頭が唸り合いはじめる。


「パズー、もしや今度は大狼とも話せるのか?」


 ゼロースの鋭い目に嫉妬しっと羨望せんぼうが燃え盛っていた。怖すぎる。


「ひっ!ゼロースさんは大狼同等の人間として認められてるんだって!ティダが人にしておきたいらしい!よく分かんないけどこの二頭、ゼロースさんを取り合ってる!セリムと同じ特別中の特別?直下らしい。意味が分からない。本人に聞いてくれ!何かそんな感じ!一人だけ違う刺青いれずみの絵を貰ってただろう?」


 鎧甲冑を身につけ、アンリを横抱きにしているゼロースが無表情になった。それからシュナの兄だと知った時と同じくらい嬉々とした満面の笑みを浮かべた。豹変ひょうへんが睨みより怖く感じた。


「三頭ハイエナにそこまでの意味が!我が王がセリム様並みに俺を買ってくれているのか!何という光栄!それにヴィトニル様とウールヴ様まで。このゼロースの一番はシュナ、そして次は家族だが、このアンリ様も家族同等として必ずやお守りします。手が塞がっていて敬意を示せないのが悔しい。すみません。パズー、早くアンリ様を毒消しで処置しよう。こんなにも苦しそうなのは一刻も早く良くしないとならない」


 ゼロースがスキップに見えるような軽やかな足取りで小走りしだした。


「私は守られるようなきたえ方をしてません」


 小さくも強いアンリの声が残った。


〈妻を利用し下に置くはずが、フェンリスならば逆手にとる。海蛇を手に入れるとは良い妻だ。フェンリスは果報者だな。尻に敷かれる訳だ。人としてしかきたえてないから噛まれたりする。フェンリスは可愛がって何も出来ないだろうからウールヴ、いやスコールだな。ウールヴだとフェンリスが怒る。スコールよ、アンリエッタに色々教えてやれ。しかし開心も閉心も上手いし、向上心高く良い女だ〉


 アンリは相当王狼ヴィトニルに気に入られているらしい。そしてティダも。かゆくてならない特別扱いに、人目をはばからなさだから見てれば分かる。しかし「尻に敷かれる」という貴重な情報を手に入れた。これはいつか使える。アシタカは分かっててティダを操っているのか。真似しよう。


〈人とは珍妙奇天烈。あんな男がいるとは世界は広い。本山をヘジン一頭に任せてしのびないが俺がこの国に残る意味は絶大。しばし待とう子狼パズー。アンリエッタが良くなったらヴァナルガンドの元へ移動する。フェンリスには黙っておこう。フェンリスを操ろうなどいう豪気。それに宿敵の至宝に取り入るのも強欲。それに免じてだ。アンリエッタが直接、上手く話すだろう〉


 王狼ヴィトニルが唸るのを止めてパズーの背中を尾で押した。珍妙奇天烈なのは大狼の方だ。豪気でも強欲でもない。怖くて避難方法がいくつも欲しいだけ。やはり思考を全部読める訳ではないのか。


〈結局フェンリスが正しいってか。ったく帝の名をいつ奪えうばえるんだか。良かったな軟弱子狼。すぐ追放だから名はやらん。十年、子狼終わるときに招けるようにきたえてやろう。スコールを俺が育て、スコールがお前。フェンリスにそう言え。スコールを手に入れたい。フェンリスの大駒とやら俺のものにしてやる!くはははははは〉


 月狼スコールがゼロースの後を追って走りだした。誠狼ウールヴの九つ尾にも背中を押された。こいつ、十年も付き合うつもりなのか?


〈この世の全てが見本也!ヴァナルガンドの教えが最も偉大になれる道!よってこのスコールはヴァナルガンドの直下。任された小群の蟲姫と羽破れ大蜂蟲アピスの子は今やフェンリスの直下。俺は本山の為にもフェンリスの為にもヴァナルガンドに従う。軟弱子狼パズーとは気が合わん。未熟でフェンリスやヴィトニルやウールヴの考えがまだ分からない。もう子狼ではないが、群れ囲いはまだ早かった。嫌いだし、軟弱子狼は要らない〉


 嫌いだし、軟弱子狼は要らない。


 こっちだって恐ろしい大狼など願い下げだ!しかも大人っぽい王狼ヴィトニルや荒々しくも分別ありそうな誠狼ウールヴとは違ってすぐ噛み付いてこようとする乱暴者っぽい月狼スコールは無理。理不尽。それにしても子狼ではないなら何なのだ?小さいのはもう成長しないのか?大狼は謎が多い。


「強いからって調子に乗るなよスコール!有る事無い事セリムに吹き込むぞ!崖の国中にも言いふらすからな!ヴィトニルさんとウールヴさんは素晴らしいのに、子狼は単なる野獣やじゅうだってな!お前が大好きなラステルにも言うぞ!ラステルの大親友は俺だぞ!しかもラステルとは喋れないだろう?セリムと付き合い長い俺に逆らうとセリムの下につけなくなるからな!」


 腹が立ち過ぎて思わず叫んだ。今までの不満を言えてスッキリした。話せるならまだ怖くない。しかもセリムを尊敬しているならパズーには手を出せない。すごぶる有益な情報を得た。


 振り返った月狼スコールが牙を剥き出しにした。襲ってこないと分かってても腰が抜けた。


〈卑怯也!やはり嫌いだ!俺はもう子狼ではない!聞いてなかったのか?頭が悪いのか?賢くないのは知っている!蟲姫に嘘をついたら頭蓋骨噛み砕く!〉


 月狼スコールは何故かラステルにとても懐いている。ブラッシングされて恍惚こうこつとしているのも何度か見た。


「なら侮辱ぶじょくするな。嫌いな相手は無視しろ。脅すな。牙を剥くな。俺も怖いから近寄らない。お互い平和。いいか、崖の国に行っても嫌いな奴は無視しろ。威嚇いかくするな。侮辱ぶじょくするな。そしたらセリムもラステルもお前をもっとめる。偉大になれる」


 背中から大笑いがした。誠狼ウールヴは引き笑いしている。


〈完敗だなスコール!軟弱子狼パズーよ、スコールが群れを放棄したと俺がフェンリスに伝える。俺が囲う。下等な筈の人を囲うなど人生とは、生きるとは楽しいな!喧嘩けんかしてないで早く行け!目障りだからこいつらも連れてけよ!〉


  月狼スコールが鼻を鳴らして走りだした。すっかり忘れていたルイ達。シャルルが「何だあいつ」という目でパズーを見ていた。支えているグスタフに支えられているようにも見える。隣のルイはうらやましそうなのでまた嫌な予感がした。セリム2号め、深く関わるものか。


 セリムのせいで誤解に誤解が増えていく。大迷惑だ。ルイの目元と癖毛がセリムに似ているので顔を見るとムカムカしてくる。表情がセリムを想起させるから余計に。


「大狼と話せるのは今だけ特別!緊急事態だから今だけ話せただけ!アンリさんの治療をしたらセリムの所に行く!ルイはついて来い!シャルルはグスタフの親父からもっと話をきちんと聞け!あとシャルルは城の留守番頼まれてるんだから、一緒に行けないから、何か大事なことをやっておけ!それが何なのかは俺には分からないから知らない!勝手に頑張れ!」


 パズーはルイの所まで戻って、ルイの腕を掴むと走りだした。どいつもこいつも自分勝手な自由人。自由大狼か?自由海蛇に自由蟲!横に並んで助ける?違う。自力で好き勝手する為に大きな男になる。巻き込まれるのも、囲われて守られて悔しかったり、期待に押し潰されたり嫌な気分になるのも、迷惑かけられるのも弱過ぎるからだ。こんなの最悪だ。思い通りにならな過ぎて腹が立ち過ぎる。崖の国での扱いや誤解なんて可愛ものだった。ぬくぬくの温室。


 ティダが吠えろというのはこれだ。口にしないとどんどん勘違いされる。翻弄ほんろうされる。


 吠えるためには力が必要。とりあえず口とセリムとラステルの大親友という割と使えそうな権力でのさばってやる。あと蟲の子と蛇の子。何なのか解明して利用する。


 シュナの寝室の前まで来るとパズーはルイの腕を離した。


「ルイ!どっちかっていうと寡黙かもくそうだから忠告しておく。セリムを筆頭に自分勝手でおまけに能力も権力もある奴ばかりだ。言いたいことは言わないと絶対に自分が納得出来ない方向に持っていかれる。俺みたいに怖がりで臆病で、いつでも逃げたい奴でも主張だけはする。不本意な事は御免だからだ!」


 パズーはルイの胸に拳を当てた。セリムがパズーへ苦言を呈した後にたまにこの仕草をしてくれる。意味は知らないが、何となく嬉しい仕草。期待かもしれない。ティダでいう、三回音を鳴らす。ルイがセリムと話すのだからしっかりしてもらわないと困る。


「パズー殿。私はイマイチ状況が分かっていません。次から次へと……。助けてくれるのは有難いが何故です?ヴァナルガンド殿もそうだ。怒っていたが、君は我儘わがままと言っていたがこの国の為でもあるようにしか思えない。知ってることや考えを何でも教えてください」


 やる気に満ちたルイの表情にホッとした。祭り上げられるように国王になるルイは、嫌々ではないらしい。自信がなさそうなのに、やる気満々。パズーはしまったと心の中で舌打ちした。こういう所もセリムに似てそうだ。王族の血を引く領主の息子。ドメキア王国の領主とは崖の国のような小さな国の王と同じような立場だと聞いた。


「俺だって分からないよ!何なんだよ蟲は怒るし、怒ったら超面倒なセリムが怒って蟲の王レークスと結託したっぽいし。それに海蛇。シュナ姫が蛇の女王?意味が分からない。それに蟲へ平和を祈れと言われたティダが大人しくしてる訳がない。あいつ、蟲の大群に丸腰で挑もうとする意味不明な男だ。分かんないから必死に考えて動いてるだけ!故郷にれた女残して死にたくない!助けるのが何故?崖から落ちそうになる奴がいて、手を出さないなんて奴はいない!そんなの当たり前のことだろう?しっかりしてくれ。俺こそ助けてくれよ!俺よりいくつ上なんだ!」


 ルイが目を大きく丸めた。それからばつが悪そうな、それでいて悔しそうな顔付きになった。


「すまない。周りに気圧されてつい流されていた。しかし混乱していて。反乱のこともまだ飲み込めていないんだ。しかし情けないことを言ってられないよな」


 ルイが辛そうにうつむいた。震えているし顔は白いし、唇は青い。苛立ちが引いていった。


--誰にでも第一歩がある。先駆者のパズーやシャルルを見習うと良い。パズー、僕の情けなさも話して欲しい。自分を信じろ。無理なら信じるべき者が誰を信じているか考えろ


 アシタカの穏やかな微笑みと、優しい声がよみがえった。息苦しくて動悸が激しかったのが治っていく。


「いや、情けないことは言ってもいいと思う。あんなにすごいアシタカもそうだし……」


 ルイが眉間にしわを寄せた。


「あのアシタカ様が?」


「よくボヤいてる。あと怒ると口が汚くなる。国の救世主を侵略者って言うくらいだし勘違いとか多そう。ちょこちょこ卑怯だし。自然と人の上に立つ人間って雰囲気だから、あいつが勘違いすると大勢が迷いそう。本人にしても巻き込まれる奴にしても厄介だと思う。だから気負ってるんだろう。ドメキア王国とベルセルグ皇国からの侵略後のアシタカは尊敬に値するけど、争いの渦中では何か右往左往してるのしか見てない。俺が居ない時に輝いていたのかもだけど、俺はあんまり見てない。未だに俺に御礼がないし。割と大きな恩なのに」


 崖の国からペジテ大工房へ送り届けた御礼が無い。しかもティダをペジテ大工房に招くのに協力したのに。高文明の機械だけど特別と貸してくれた通信機も、パズーを働かせる用だった。しかもセリムに渡せだのシュナに渡せだの命令ばかり。部下でも、国民でもないのにこき使われていた。のらくら御礼を餌に働かされそうな予感がしている。


「今回のこともアシタカはセリムを信頼し過ぎてちょっと間違ってる。多分だけど。今のセリムに必要なのは答えじゃない。理解出来ない、時間が足りない、歩み寄りたいっていう誠意。そんなんでいいはずだ。下手に回答を持っていくと、それではダメだ、違うって始まる。あいつ、時々すっごい厳しいんだよ。弱い者を守る為なら非情になる。アシタカは付き合いが浅くて分かってない。セリムの理想は息切れしてついていけない。本人に力があるのに未熟だって思ってるから誰でもセリムと同じ事が出来るって勘違いするんだ。おかしいんだよあいつ。蟲と家族になるなんてこの大陸にセリムしかいないのにそれでも自分が特別って分からないんだ。おかしい」


 不安も不満も隠しはしなかった。ルイが面食らったように口を開けた。それからパズーを尊敬するような目で見てくれた。重苦しい目だが、セリムとは違う。過大評価ではない。この尊敬の目の相手はパズーの向こうにいるアシタカへだ。そういう風に考えると重たくない。


「アシタカが話すべきだって言い残したから話したんだ。思いつくアシタカの情けないところ。俺の考察は、セリムと幼馴染でよく知ってるから出来るだけ。あとたまたま考えさせられる事件に遭遇そうぐうしたから思いついただけ。正解じゃないかもしれない。もっともらしく言っただけ。大成功も大失敗も両方見れた。あんな体験滅多にない。筈だったのに次から次へと問題だらけ。国に帰りたい。セリムもトラブルメーカーだから連れ帰りたい。精一杯助けるからセリムをなだめるのに協力して欲しいです」


 つい軽口のように話しかけたが、国王だ。タメ口なんてきいてはいけなかったのに怒りで忘れてた。セリムへの癖のせいだ。こんな姿を崖の国で見せたら、クワトロに知られたら怒号が飛んでくる。しかし、アシタカが酒の席で気が楽だとめてくれた。ルイが怒るまではこのままにしておこう。ルイもいつの間にか気さくになってるので、この方が良いのかもしれない。


「僕に出来ることは何でもする。よろしく頼むよパズー殿」


 いきなり国王。それにこんな歴史的難題。押し潰されたりしないのだろうか。ルイはずっと顔色が悪い。


「あー、大丈夫そうじゃないですよ。自分を信じられないなら、信じるべき者が誰を信じているか考えろというアシタカの言葉を大切にした方が良いです。あのシュナ姫がルイが国王でやっていけるって決めたなら正しいと思う。シュナ姫も眠れない夜を耐えて、アシタカに支えられて奮い立った。でも大国は背負えないって逃げた。助けてって沢山言って、大勢に手を借りて、あと信じられる人を大切にした上で頑張るべきだ。国王なんて想像もつかない。全然見返りがないのに滅茶苦茶忙しい仕事。平民には王族って変としか思えない」


 レストニア王族は朝から晩まで働き詰め。国一番の手本だから贅沢ぜいたくが許される。崖の国は貧乏だから贅沢ぜいたくもたかが知れてる。この城の豪華絢爛ごうかけんらんさに、ちょっと聞いただけのシュナの苦労の数々。大国の王なんて絶対にやりたくない。


「シュナ姫が逃げた?王位を継がないが僕達の上に立ってくれる。表向きの地位が無いだけで影の王はシュナ姫だ。背負わせ過ぎて申し訳ないが器が違い過ぎる。シュナ姫には頭が上がらないし足を向けて寝られない。僕は国家反逆罪に問われて隠れてたんだ。上手く逃げてたと思っていたけど、改めて調べたらそれにもシュナ姫が噛んでた。王が見返りのない忙しい仕事か。不思議な表現だな。そんなこと考えた事なかった」


 ルイの発言こそパズーは驚いた。考えた事がないのは、人の上に立つのが当たり前の人間だからか。


「あんな嫌味ったらしい演説を聞いたのに?こんなに国の為に尽くしたのに恩を仇で返してもう知らないって捨てられたじゃないか!大好きなアシタカの手伝いの為にこの国を良くするだけ。アシタカに害なしたらこの国はシュナ姫にぺちゃんこに潰される。ついでに言うとシュナ姫に害なすとティダと大狼とティダやシュナ姫に味方する天運みたいなのがこの国をぐしゃぐしゃにする」


 ティダは好き嫌い激しいし仲間が大切な文分敵には容赦ようしゃなさそう。現に相手によって態度が違い過ぎる。シュナとティダは二人とも天に味方されている。ティダが死にそうになれば大地が揺れ、シュナ姫の後押しのように海産物の雨。偶然だとしても、偶然には思えない。神話とか伝説というのはこうやって出来るのだろう。


「それくらい分かっている。大抵の者は理解しただろう。しかしシュナ姫は結局捨てられないんだ。だからこの地に留まる。ペジテ大工房に行きたいのに行かない。グスタフ王への態度とそうだ。あの方は慈悲の塊だ。見返りなんて求めてないように見える。自分が情けなさ過ぎる。何も知らずに……ずっと……。こんな見る目がなくてやっていけるんだろうか」


 ルイが涙目になった。


「あー、でもそんな深刻にならなくても。見る目なら、それこそシュナ姫がいる。そこからまた見る目がある人が増える。アシタカが長距離通勤をするという、とんでもないことを言いだしたのはシュナ姫の為だ。シュナ姫も息抜きにペジテ大工房やうちの国へ来るって言うし、自分の嫌なことに関しても国政についても肩の荷が下りたって言ってた。今までの褒美みたいに絶世の美女に大変身して大好きな男が支えてくれる。アシタカは家族と言って避けてるからちょっと可哀想だけど。まあ、真似してたら幸せになれる。ルイも大変な仕事も手本がいれば楽だ。どっちにも有益」


 ルイがようやく血色良くなった。ルイが何か言いかけたその時、扉が開いた。ゼロースが顔を出した。


「遅いと思ったら何をしている?毒消しとやらがどれか教えて欲しい」


 立ち話し過ぎた。ゼロースにキツく睨まれた。


「セリムと話すから大事な事です」


 胸を張ったら益々睨まれた。怖い。怖過ぎる。何でここまで?


「大事な話?何がどう繋がるか教えて欲しいものだ。絶世の美女に大変身して?シュナはずっと美しい心持った素晴らしい方だった。見た目で判断する愚か者め。それに何だ、シュナを支えるのはずっと護衛してきた信頼されている親衛騎士団や紅の騎馬隊の精鋭。特に兄だと判明した俺。アシタカ様こそシュナ様に惚れ込んでいる。ポッと出な上に、見た目にあっさり惚れた、おまけに女誑おんなたらしと聞いている。不信かつ不愉快。アシタカ様は無自覚のようなのでしばらく自覚させない。あれで無自覚とは変な方だ。シュナの為だ。むしろシュナの気が変わるようにするべきだ。余計なことしたら首をねるからな」


 ゼロースが鼻息荒く言い切った。シュナの絶対的忠臣は兄と判明してますます入れ込んだように感じる。ルイがパズーの肩を叩いた。それからパズーの背中を押して部屋に入った。


「言わないと伝わらないの典型だ。ありがとう。僕もアシタカ様こそがシュナ姫に首ったけに見える。人同士で誤解し合うのに、二千年分の罪への賠償ばいしょうなど絶対に譲歩しあえないな。異国の者と語るというのはとても有意義だ。それにゼロース様とも。どうかこの国の為によろしくお願いします。先人達が、そしてシュナ姫が必死に守ってくれたこの国を僕はきちんと守っていきたい。第一歩が滅多にない巨大な苦難なら、後は気軽に歩める。血塗れの戦場に出征ではなく言葉での交渉。こんなの頑張るしかない」


 ルイの横顔は決意にみなぎっている。血色良くなったので昂然こうぜんとしてとても立派な尊敬するべき年配者に見える。育ち方や努力、根っこもパズーが心配したり支えるような人ではない。さすが周りの人達から国王にと推薦すいせんされた人。反乱軍の中心に祭り上げられて、争い嫌いだが覚悟を決めた男だと聞いている。その通りだ。ピンときてなくて思い上がって語りかけたのが、恥ずかしくなった。


「シュナ姫様がずっと支援してきた方に馴れ馴れしいぞパズー。しかしそういう者も必要だと感じている。頼りにしているが、頼りないな。まあ、気になったら何でも吠えてくれ。国が違うから視点が変わる。まずは毒消しだ。どこにある?アンリ様の顔色がどんどん悪くなっている」


 部屋に入って真っ正面のソファにアンリが座っていた。顔色が相当悪い。青黒いという感じのアンリを見て血の気が引いた。今にも死ぬかも知れない。それなのに座っている。ゼロースとルイが慌てて駆け寄り、パズーも近寄った。


「シュナが食べたと聞いたのでとりあえず机の上の金平糖みたいなものをいくつか食べました。甘いかと思ったら苦い。あと湯に入れて浴びたとも聞いています。時間が無いので溶ければ水に溶かして布にでも含ませて傷口に当てます。水に溶けなければ湯を用意しないとなりません」


 アンリが右手に毒消しの玉を持てるだけ持っていた。机からソファまでの床にいくつか毒消しが転がっている。月狼スコールが隣の部屋から尾に水の入った器を持ってきた。ゼロースがアンリの手から毒消しを取り器に入れた。毒消しは水に簡単に溶けた。ルイが何処からか持ってきたタオルを水に濡らす。全員手際良くて早い。パズーは何も出来てない。月狼スコールに薄ら笑いされた。


「あっさり食べたんですね。セリムが蟲は食べたら死ぬ人がいるかもしれないものを贈ってくるって言ってた……。あー、でも信じるしかないか。でも見た目は悪化している……」


 アンリがにこりと可憐に笑った。それからルイが絞ったタオルを受け取り首の噛み傷に当てた。更に月狼スコールから器を受け取った。自分でやるというように。


「他に方法を知りません。禁足地の生物ということは治療法もないでしょう。蟲の王レークスは我等ペジテ大工房の大技師と誓い合う仲。ならば選択肢は一つ。呼吸が随分楽になったのでやはり問題なかった。信じるべきものは自分で見定めます。では、速やかにセリム殿のところへ移動しましょう」


 アンリがよろよろと立ち上がった。ゼロースがさっと抱き上げた。アンリは一瞬不満そうに唇を尖らせたが、すぐに柔らかく微笑んだ。ルイがアンリに見惚れている。アンリはぼんやりと焦点が合わないような辛い様子で気がついてない。ゼロースは気づいたが無視した。


「パズー。そのポーチに入るなら毒消しを入るだけ持っていこう」


「はい」


 ゼロースがパズーのポーチを指差した。パズーより早くルイが両手一杯に毒消しを持っていた。やっぱり素早い。アシタカ達が不在なので自分がやらないとと思っているのが伝わってくる。これがセリムの狙いか?


「ポケットに入るだけと手で持っていこうと思ったが、そのポーチにも入れよう」


 パズーの整備品入れの隙間とスボンのポケットに毒消しが一杯になった。アンリがまだ手に持っていた毒消しをまた口に入れていた。こんな肝が据わっているとは知らなかった。部下がかなりいる大国の軍人長で、あのティダの妻の座を手に入れた女性。これは確かに惚れ惚れする。パズーは首をブンブンと横に振った。ティダに殺されたくない。この人は男だと自分に向かって念じた。ラステルやシュナにだらしがない顔をするのと、アンリにでは結果が違いすぎる。


「足手まといにならないくらい動けるようになるまでよろしくお願いしますゼロースさん。参りましょう」


 ゼロースが苦笑いした。まるでアンリが指揮官だ。


「ルイはとりあえず謝罪。誠意。常に誠意。あと改善したいっていう意志。分からないものは分からないって突っぱねる。俺はセリムが怒るからアンリさんがこんな目に合ったと言ってやります。他にも色々ある。そういうのが効くんだ。自己反省をはじめたらこっちのもの。自分から何をどうして欲しいのか語り出す。あと珍しいもので釣る。海蛇や王族秘密の部屋や、ゼロースさんがシュナ姫の兄とか材料が沢山ある。ルイが昔から海蛇と仲良くしてたというのも使える」


 パズーはルイとアンリを交互に見た。


「パズー、俺はどうする?普通に話せば良いか?」


「俺も合ってるか分からないので俺を止める役です。俺、つい口が過ぎる。余計なことを言っちゃう。あとシュナ姫の兄としてシュナ姫が如何に苦労してこの国を守ったのか、シュナ姫がどれだけこの国が大切なのか訴える係。セリムは絶対にシュナ姫を無下に出来ない。アンリさんも、ルイも、違うと思ったら俺を止めて欲しいです。ただ、出来ないとか嫌だはなるべく言わないこと。セリムの奴、怒ってると不誠実とか出来るのに嘘つきだとなってないとか勘違いするから」


 ルイが胸を張って部屋の扉を開けた。


「最初は一人でと言われたのに、三人も付き添いが許された。僕なら出来る。そうやってしっかり現実と向き合います!」


 ルイが先頭きって進んだ。アンリとゼロースが顔を見合わせて力強く頷き合った。それからアンリがパズーに三回ウインクしてくれた。大人の落ち着いた美人系と思ったのにこの仕草は可愛いらしい。ゼロースがつま先で三回床を叩いてくれた。とてもやる気が出た。


 待ってろセリム。


 辞める予定だったのに目付として初の大仕事。


 絶対に何か成してやる。

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