フェンリスとアンリエッタ

 部屋の中央で胡座をかいて、両手には酒瓶。酒瓶から直接酒を飲むティダを、アンリはため息混じりに見下ろした。腰に手を当てて両足を開いたが、ティダの殺気しかない黒鉄くろがねのような瞳に気圧される。


「自暴自棄とは見過ごせません」


 顔の真横に酒瓶が飛んできた。思わず酒瓶を左手で掴んだ。きっちり当たらない位置目掛けて飛んできたがつい手が出ていた。ティダが一瞬目を細め、それから不機嫌そうに鼻を鳴らしてアンリから目を逸らした。


「放っておけ……。それとも俺の相手でもするか?」


 昨晩はあまりにも寂しく悲しそうだったのに、一転自死するだの駄々をこね出した。全くもって見聞きした男と違う。わざとらしく浮かべた狡猾こうかつな笑みにアンリは首を横に振った。


「それで気が済むのならそれでも良いです。生娘きむすめでもありませんし。しかし、貴方は後でまた酷く傷つくのでしょう?」


 アンリは足元に酒瓶を置くと近寄った。しゃがんでティダに右手を差し出す。もう一本の酒瓶を渡せと指を動した。ティダは悪戯をとがめられた子供のようにそっぽを向いた。


「その目を止めろ」


「その目?何の事です?そちらこそ、そんな顔をするなら話して下さい。嫌なら出航時のように振る舞う」


 ぶすくれていたティダが無表情になった。それから爽やかな笑顔を作った。しかし頬が引きつっている。アンリはそっとティダの頬に手を伸ばした。ティダは素直にペチペチと頬を叩かれるのを許した。


「そんなにシュナ姫に惹かれたんですか?」


 眉尻を下げたティダは無言でアンリを見据えた。捨てられた子犬みたいな瞳をしている。


「違う。シュナは……絶対にあの真贋しんがん見分ける片目は見抜いていた。俺は死ぬべき過ちをした。目が腐っていて、軽率過ぎた。忠告されたのに二度もしようとした。忠告で止まったが、惑わされた。目が眩んだ。なのに……」


 唇を噛むとティダは俯いた。


「それ程後悔しているのに、あっさり許されて傷ついたんですね。いや、自分を許せなかった。死ぬ程許せなかった。でも信念曲げてまで、シュナ姫達の想いを汲んだのですね」


 こくんと頷くとティダがアンリを見上げた。憎らしいという表情に困惑してしまう。


「シュナにラステル、二人の宝に俺の唯一無二の親友。その真心に引かねば大狼ではない。お前は本当に猛毒だな……その目を止めてくれ……」


 今度は昨晩と同じような悲しそうな表情だった。目が潤んでいる。その目とは何だろうか?


「そう。それで?」


 アンリはティダの手から酒瓶をそっと奪った。反抗して暴れるかとも一瞬思ったが、予想通りティダは静かだった。


「ヴィトニルは俺に寄り添い、一人にするものかと常に背中にいた。俺はヴィトニルを無下に出来ん。そのヴィトニルが人里で生きろと、変われと言う……」


 迷子の子供みたいだ。アンリはそっとティダの手を取った。指先が冷え冷えとした、骨ばった大きな手。震えている。


「それで?」


 昨夜のように、日に焼けた頬に一筋の涙が零れ落ちた。


「友の誠の想いだ。生きる意味を変えろ、情けない誇りまがいを捨てろ、前に進めと……。そこにお前だ、うっかり目が眩んだ……何て目で見やがるアンリ」


 すがるような目線。昨夜の逆でアンリはティダの唇にそっと唇を寄せて途中で止めた。こんな衝動も自制に苦労するのも初めてだ。アンリはそっと顔を離した。


「普通の目よ。私の何をそんなに気に入ったのか分からない。けれど逆もだわ。見返りは勝手に見つけるから好きにして。貴方は誰よりも一人では生きれないと知っている。そんな人の隣に居させてくれるなら、これ以上の誉れはない筈よ」


 寂しそうにだが、やっとティダが心の底からというように微笑んだ。


「その目だ。俺の空虚で堪え難いところをそそのかす。君の発言が、俺が胸の奥に埋めて隠す想いを掘り起こす。存在自体が俺を揺らす。他の男と比べられるのも腹わた煮えくり返る」


 凶暴な燃えるような黒い瞳に射抜かれる。背中に腕を回されて床に押し倒された。


「昨日、私の向こうに別の人を見ていた男が言う台詞?ソアレさん。何度も謝っていたけれど、私と似てるのかしら?」


 アンリはティダの胸を押し戻した。そのまま逆にティダを床に押し倒した。


「勿論だ。見た目も性格も何もかも違うが、死に際のソアレの目と同じ目をしている。でなければこのような激情を感じん。いきなり誓わん。グレイプニルの名も付けない。死んだ女に敵う女は居ない。言っただろう?この世で最も不幸な女となるだろう、と。俺の人生は全てソアレに捧げる。絶対曲げん」


 また押し倒された。逃げるなというように、顔の脇にティダの前腕が置かれた。覚悟を決めたというような真摯しんしな瞳。この人はもう他の人のものではないと、シュナとは関係ないと知った今、とても拒めそうにない。死人は別格だ。ティダが言うように、永久に敵わない。


「それで逃げても許す。裏切りも許す。何もかも全て許すなのね。庇う側と言ったけれど、自分も貴方も全力で守る。最後まで諦めない。それが護衛人。ずっと励んできたからそこそこ強いの、安心して。後は昨夜の言葉通りよ。主従関係の話かと思った。でも今からの関係でも同じね。つまり、道が分かれて盟友になっても約束は変わらないわ」


 揺らめく炎は火炎のように激しくなった。炭にされるかもしれない。目と鼻の先までティダの顔が近づいた。酒臭いが嫌ではない。アシタカの"呑まれて堕落するから酒は飲まん"と言う口癖をぼんやり思い出した。理性が飛んで、明け透けにものを言われることが、こんなにも胸を貫くとは知らなかった。


「酔ってない。俺は見捨てさせられた君に同じものは与えん」


 目線を盗まれ、思考も見透かされている。髪を掴まれただけで鼓動を奪われた。もっと欲しい。翻弄ほんろうされてみたい。酒の匂いだけで酔ったのかもしれない。


「一挙一動にここまで反応してもらえるのって嬉しいものね。故郷にはこんな男いなかった」


 男特有の鋭い獲物を狙う目線なのに、ティダは動いてこない。アンリの全てを楽しんでいるようだ。決意を固めたから余裕を取り戻したのだろう。


「いや、大陸中探しても居ない。生涯隣に置いて命だけは守る。逃げても許そう。裏切りも許す。何もかも全て許そうアンリ。相応しくないからと逃げても無駄だ。俺は逃げても地の果てまで追いかけて地獄に連れ戻す。道が分かれたら引きずって隣に立たせる。砂漠にはオアシスがあるのだろう?地獄には何がある?」


 一番の座は永遠に手に入らない。先に嘘なく告げるとは、誠実ではないか。ティダはアンリに放った言葉で自ら傷つき続ける。失った太陽に焦がされ続けて、火傷を負い続ける。それを覚悟でアンリに手を伸ばしている。何処をそんなに気に入られたのだろう?


「貴方がいるわ。周りに花が咲く。果たしてそれを地獄と呼ぶのかしらね?」


 ティダが大きく目を丸めた。それから満足そうに顔をほころばせた。


「その目だ。何も知らないのに俺を信じるというその目。グレイプニルと呼んでも?」


 いつまで焦らされるのだろう。炭になっても燃やされ続けたら何になるのだろうか。


「アンリって男名なの。アリエッタと呼んで。私に貴方を導いた大狼の妻の名は恐れ多いわ。それに二人だけの名前って燃えない?」


 ティダの太い薬指がアンリの唇をなぞった。背中から足の指先まで痺れる感覚に悶えそうだ。優越感に浸るしたり顔をティダが耳元に寄せた。


「この匂い、俺の密告に唯一飛び出してきた兵士はお前か。アシタカかと思っていたが……。通りで抗い難い訳だ」


 ささやかれて、アンリも腑に落ちた。惚れた腫れたは一度や二度ではないのに、この掻き乱されよう。


 狙撃銃の照準器スコープの向こう、ノアグレス平野の雪原で、さあ殺してみろと裸で仁王立ちしていた男。俺を殺せば誇りを失うと言わんばかりの姿。雄大な大自然にひるがえっていた純白と漆黒の旗。焼き付いて離れない二色の旗と猛吹雪の中の凛とした姿。


 信じて護るべきだと本能が叫んでいた。


「飛び出した時には居なかったのに、匂いなんて分かるの?」


 耳に息がかかるたびにゾクゾクする。意図的な生殺し。欲しいのに、喉が渇いて声が出ない。好き勝手にされてみたくて堪らない。こんな感情が身の内に存在していたなんて知らなかった。


「ああ分かる。関所門でも銃口を下げていたな。余所見をしてみろ、血の海を見ることになるからな」


 顔を上げたティダが、再びアンリの目を獣のような瞳で見据えた。観察力に記憶力も桁違い。本当に逃げられない。シュナが手遅れだと告げた意味はこれなのだろうか。


 そうでなくてもアンリは逃げられない。大狼にまたがってアシタカとパズーを抱えながら堂々とペジテ大工房の関所門を通過したティダを眺めている間、鳥肌が止まらなかった。この状況になって気がついたが、人としても男としても一目惚れだったようだ。鈍感だとは思っていたが、我ながら鈍感過ぎる。


「裏切りも許す、じゃなかったの?」


「アンリエッタ、君のことは許そう。まあ昔と違って今の俺なら他所など見れんぞ。むしろ見れるものなら見てみろ」


 浮気相手は殺すと言わんばかりの殺気。逆は永遠の浮気者なのに、酷い男だ。


 今すぐ噛み付いてきそうな気配なのに、全く襲ってこない。途方にくれてしまう。こんなに焦らされた事などない。


「これ、いつまで続くのかしら?」


 この懇願こんがんで満足するかと思ったがティダは貪欲なようで、まだ動かない。それどころかアンリから離れた。無言で右手を差し出されたので、アンリも黙って手を握った。体を引っ張られたので素直に立つ。


「その気にさせたが悪いな。一滴も飲んでない時にする。床の上というのも風情がない」


 そっと前髪を指でいじられて、その後優しく壊れ物を扱うように頭を撫でられた。これだ、この圧倒的な理性がアンリの心を奪った。昨夜もアンリの唇に触れる寸前で止めて、顔を肩に埋めただけだった。


「そう……」


「堪えるからそんな顔をするな。もう一つ謝る。俺は女好きだ。今示された信頼に応えられる生き方はしてきてない」


 ティダが腰を掴んできた。アンリを見下ろして、探るように見つめてくる。


「それで?」


 問いかけにティダがぶすくれた。


「だからその目を止めてくれ。分かった、分かったよ。これより先、別の生き方だ。いくつもの女を抱えるのも権力に群がる女も虫唾が走るが、遊ぶのは別だった。今後は他の女に手を出さないし遊ばない」


 何も言っていないのに勝手に想像してくれる。アンリが変なのではない、ティダの心の根っこが真っ直ぐなのだろう。


「それで?」


 ティダが益々ぶすっとした。


「下手に出れば、楽しんでるな?俺がここまでしてるのに欲しいとも言わない。手を引かせた。アンリエッタ、何ていう女なんだお前は」


 意図的に焦らされて、楽しまれてるのかと思っていたら手を出して欲しかったらしい。我慢して損したという気持ちが湧いて、アンリは羞恥しゅうちで顔が熱くなった。


「いえ。ただ聞くと思いがけない言葉が出てくるから。あー、こんなに強く慕われたことは初めてよ」


 目を細めたティダがアンリの体をすくい上げようとしたので、トンッと後ろに跳ねて後退した。視線が恐ろしかった。


「おい。わざと腹を立たせておいて、これとは酷い女だな」


「別に比べたわけじゃないわ。わざとじゃないわよ。怖い顔をしないで。酷いのは散々焦らして涼しい顔して離れたティダの方じゃない」


 ねた表情に変わったので、もうそんなに怖くない。今度は頭を撫でてやりたい衝動に突き動かされた。抑えようと、拳を握ってぼんやりとティダを見上げた。頑固そうだからうっかり触ると、アンリだけが負傷する気がした。

 

「そんな顔してくれるな。口約束は破ったって構わないだっけな?」


 質問なのに、返事をする前に手を伸ばされた。上着のジッパーをそっと下ろされる。防弾チョッキに手を掛けられるのかと思ったら、首から右肩にかけて指が這った。声が漏れそうな背筋がゾクゾクする触り方。


「やはり俺は死んでも誓いを破らん。そもそも娘として誓いを続けようとしたんだ。おまけにまだこの体味わってねえ。俺は矜持を何も曲げていない。未熟にも猛毒食らって朦朧もうろうし、醜態しゅうたい晒しただけ。シュナめ、任せようと思ったが、こうなれば毒蛇の巣を破壊し王国を消滅させてくれよう。正々堂々と誓いを消して、袂を分かつ」


 乱れた黒髪を搔き上げた、何とも言えない色気に目を奪われていたら右肩に噛み付かれた。痛んだところを舌でなぞられて、全身から力が抜けた。恍惚こうこつとした笑みを浮かべるティダが、腰が抜けて崩れそうになったアンリの腰に腕を回して支えた。


「アンリエッタ、お前は祝いに取っておく。それまでこの熱に浮かされ、身悶えし、自ら慰めて待ってろ。口約束?侮辱するな。大狼の誓いは心臓が止まる瞬間まで続く、絶対的なものだ」


 全身の毛が逆立つような囁き方に目眩がした。そっと床に座らされ、ティダはアンリから離れた。熱があるような噛み付かれた肩を手で抑え、動かし難い震える体で何とか振り返って目で姿を追う。


 船長室の扉が開け放たれて、ティダの広々とした背中に、輝かんばかりの太陽の光が差し込んだ。


「俺は自ら帝の名を冠した大狼フェンリス。地獄の深淵だろうが何処へでも連れて行く。この世で最も不幸な女を望んだアンリエッタ。誓い通り、生涯何があろうと何をされようと尽くせ」


 振り返ったティダの表情は、逆光で見えなかった。


「ヴィトニル!ヴァナルガンド!猛毒食らって朦朧もうろうし、醜態しゅうたい晒したが俺は帝狼ていろう也!決して誓いを破らん!ドメキア王国シュナ姫よ、平和という安らぎの為に愛を誓った。運命として従う!不死の蛇ヴォロス強欲蛇王アバリーティアを丸呑みし、真の大鷲おおわしとして大空飛んだ瞬間が偽りの誓い消滅の時!何人たりとも俺の矜持を曲げることは許さん!」


 高らかに宣言するとティダは扉を閉めた。勝手に動揺し、落ち込み、身勝手な屁理屈で奮い立った男にアンリは大きくため息を吐いた。


「血が出る程噛むこと無いじゃない……」


 右肩を抑えていた掌についた血を眺めてアンリはぼやいた。噛まれただけなのに、腰が砕けて動けない。しばらくして扉が再び開いた。


「アンリ大丈夫?」


「アンリ殿、何があった?」


 心配そうなラステルとシュナ姫の姿を見て、アンリは慌てて上着の前を閉じた。自然と涙が零れた。とんでもない男に気に入られ、心を奪われてしまった。


「大狼とはとんでもない生物ね……」


「私の思いやりは気に入らなかったらしい。何が誓いだ。つくづく難儀な男だ。それにしてもアンリ殿、あんな状態からよくもまあ奮い立たせたな」


 シュナがアンリの前に膝をついて、頬の涙を恐る恐るという様子で拭ってくれた。


「いえ、勝手に立ちました。そして置いていかれました。シュナ姫のこと余程大切なのでしょう」


 シュナが呆れた顔をした。


「いや。永遠に続く誓いと永久の平和への誓いは背負えない。偽りの誓いは必ず消し去るから大鷲となった暁には自ら幸福を掴み自由に生きろ、だと。余程気に入られたのはアンリ殿だ」


 ラステルがアンリの肩にそっと手を置いた。


「命を賭して護衛するが、万が一俺が不在の際は自分で何とかして生き延びろ。俺がこの世で最も優先するべき女が出来た。ですって」


 アンリは両手を広げてシュナとラステルにすがりつくように抱きついた。


「あのような方、心臓が持ちません。なのに地の果てまで追いかけてくる。絶対逃してくれない……。私は取り立てて何もしていないのに……」


 恋に落ちて喜びではなく、恐怖が先行する女など滅多にいないだろう。


「逃げたいならいつでも言ってね。崖の国のお姉様達がぺしゃんこにしてくれるわ。グルド帝国兵や泥人形みたいなのより怖いのよ。ティダ皇子の誓いも矜持も爆発苔で壊してくれるわ!私も大親友の為なら大狼にだって嚙みつけるのよ!さっき見たでしょう!」


 アンリから離れて、任せろと拳を握ったラステルの表情は自信に満ち溢れていた。


「無下にされたら即座に頼れ。私も毒の牙で噛みつき、矜持に野望、求めるあらゆる願望をも蹴散らしてくれよう。不敗神話の大狼?こっちは不死の蛇ヴォロスだ。敵うわけがあるまい」


 シュナもラステル同様に自信みなぎる笑みをたたえて腕を組んだ。


 大狼だけではなく、同じような女達にも気に入られたらしい。


「私、とんでもない方々に気に入られたのね。心当たりないわ」


 ラステルが見惚れる程可憐に微笑んだ。


「私はセリムを射止めた女よ。とても見る目があるの」


 シュナが気品溢れる微笑みを浮かべた。


「私は生き様で大狼に過ちを反省させ道を正した女だ。自分の価値を決めるのは相手。それが崖の国流。覚えておくが良い」


 発言後すぐにシュナは立ち上がった。物腰柔らかで優雅な所作。手を引かれ、立つように促された。ラステルが飛び上がるように立ち上がった。


「我が敬愛する母の教えだ。全ての命は愛に燃える。身を焦がして破滅するのなら、美しく綺麗な炎を選べ。どうする?」


 慈しみに満ちたシュナの青空色の瞳から、ティダに寄り添い支えて欲しいという祈りを感じた。だからティダはシュナへの誓いを納得出来ない形で終わらせられないのだろう。自らの尊厳に関わるから口約束ではなく、


「誠心こそ我が国の大掟に込められた誇り。それを護るのが護衛人。お妃様方。いえ、シュナ、ラステル。三人の誰か一人でも死ぬと立ち直れなさそうな大狼の為、私は二人を守り自らも守る。それが彼を支えることになる。私は今まで通り、護衛人という誇りを糧に炎を燃やすわ。戦闘に護衛は得意なので任せて。代わりに他は助けて頂戴ちょうだい。こんなに恐ろしい恋、一人では立ち向かえないわ」


 アンリは背筋を伸ばして二人に敬礼した。ここまで強く向けられる三人からの敬愛に、胸を張るしかない。動かした右腕により右肩の噛み跡が熱くなり、血がたぎる。不幸になる、二番手の女だと言い放たれ、死なない覚悟までさせられるとは。爪先から頭のてっぺんまでこちらに向けさせられたら、女冥利に尽きるというものだ。


「セリムも助けてくれるわ!パズーもよ!それにお姉様達が絶対頼りになるわ!シュナ姫は私達を見て、いつかの時の手本にしてね」


 ラステルがシュナごとアンリを抱きしめてくれた。シュナもアンリの腰に手を回してくれた。シュナは返事をしなかったが、微かに首を縦に振っていた。


「ありがとう。心強いわ」


 右肩の熱で身をよじりそうになり、アンリは身震いした。

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