大技師一族と蟲の民6

 ラステルはセリムの名前を呼び続けた。


「セリム。セリム……大丈夫よ……昔の話よ。絶対に許さないって言ったのに私たちはここにいるわ」


 セリムの頭の上にいつの間にかアピが止まってた。癖っ毛を撫でるように前脚を動かしている。


「ああ、そうだ」


 顔を上げたセリムの瞳はいつもの青い色だった。セリムが小さく笑った。それからアピを頭の上から下ろして抱きしめた。アピがセリムの胸元を触覚で叩く。


「分かった分かった」


「何が分かったの?」


 ラステルにも蟲の声が聞こえれば良いのに。


「遊んでくれって。そしたらおこりんぼを忘れる。僕が教えたらしいけどそんな事あったかな?ここは風がない。後で外でうんと遊ぼう。思い出は大事だ。僕には誇りオルゴーがいるから大丈夫。だから心配するな」


 セリムがアピに頬を寄せた。それからラステルの上にアピを乗せてラステルを抱きしめた。ラステルもセリムの背中に手を回して抱きついた。


「セリム君……」


 黙って見守っていたヌーフが恐る恐るといった様子でセリムの名前を呼んだ。


「真実なんて必要ない。僕はこれ以上を求めない。怒りや憎しみに飲み込まれて大切なものを失ってしまう」


 ラステルは驚いた。知りたがりのセリムがそこまで言うということは真実というのはとてつもなく嫌な事に違いない。


「違うよラステル。僕の知識欲はより良いものが欲しいからだ。古代の罪は悍ましく忌むべきもの。そこからは何も学べない。君と生きていくのにここから学ぶ事はない」


「私の心が読めるの?」


「そしたら嬉しいけど、逆は恥ずかしいから今で充分かな。君ならどう思うかなって考えただけだよ。合ってて良かった」


 セリムが立ち上がってラステルの手を引いて立たせた。それからラステルの腰を抱いてヌーフに向かい合った。


「蟲は繋がっている。だから人より絆が強い。一匹殺されれば怒り狂い、一匹優しくされれば皆が慕う。だから王を決める。牙には牙、それ以上でも以下でもいけない。罪には罰を、罰を果たせば許しを。それを果たす責任を負うものが蟲の王だ」


 セリムがラステルを見た。


「そんな風に掟を作った。沢山の決まり。何かは教えてもらえないが、人との共存を諦めて見下している。でもテルムや蟲の女王の想いも残ってる。想いは消えない。だからホルフルアピスは僕を家族にしてくれた。共に生きる、蟲の民。特別で光栄な事だ」


 とても幸せそうな、はちきれんばかりの笑顔をしてセリムがラステルを見つめる。こんな風に認めて貰えて胸がいっぱいで幸福だ。


「君がいる。僕を慕うホルフルアピスの子が成長し想いはきっと継がれる。僕や君が異形の化物は知的で優しい生き物だと伝える。家族が古い記憶、大事な伝統、刻まれた想いを教えてくれる。新しい時代はもう始まってるんだ」


 ラステルは大きく頷いた。


「大技師ヌーフよ。新しい世界にはこのペジテ大工房が必要だ。強大な力を有しながらも己を律してきた。その先頭に立ってきた大技師一族。今度はそれをこの国ならず外へも伝えよう」


 ヌーフがパチパチと瞬きした。


人形人間プーパについて知りたかったのじゃろう?地下遺跡へ連れて行こうと思ってたんじゃがのう」


 セリムが首を縦に振った。


アモレという名前を貰った人形人間プーパ。どんな死を迎えたとしても幸せだったと命絶えた。でなければ蟲の中に彼女の祈り歌は残らない。ラステルも同じ道を歩む。殺戮さつりく兵器蟲の女王はねじ曲げられた伝承だ。そう信じる」


「蟲の女王はそのような名だったのか」


 ヌーフが独り言のように呟いた。それから納得したように首を小さく縦に揺らした。


「蟲の中に残る祈り歌?」


 ラステルの頭上でアピが鳴き始めた。ギギギギギというまるで歌には聞こえないが不思議と胸に温かさが灯るような響きだ。


末蟲すえむしが歌ったから家族は思い出した。とても綺麗で楽しいことも一緒に沢山。蟲の民セリムの想いを姫が歌にした。それは古い歌と同じだってさ。ヌーフさんもそう信じていましたね。知ってますよ」


 尊敬の眼差しをセリムがヌーフに向けた。


「ほっほっほっ!君を育てた人達と会いたいの。未来を作る子供達に大切な教えや学びを伝えねばならん」


 ヌーフも尊敬の目をセリムに返した。


「貴方が育てたアシタカもこの国の業や罪を背負い、それでも今までとは違う新しい時代を切り開きます!ヌーフさん、貴方は素晴らしい方だ。だからいつか貴方の後を継いだアシタカが背負いきれないと言ったらペジテ大工房の秘密を聞きます。過去にいがみ合い、殺しあった者達が今度こそ共に生きる!さあ頑張りましょう」


 高らかに宣言したセリムがヌーフに背を向けた。それからルルの方へと進んでいった。ルルはニコニコしながら泣いていた。セリムがラステルの頭の上のアピを両手で包んでルルへ向かって投げた。くるくると回ったアピがルルの足元に着地する。それからアピがルルの周りを旋回しはじめた。


「君の父、そして祖先はとても偉大だ。その娘達と息子も同じ道を歩く。ルルちゃんは殺されたアシタバアピスの子の殻を持ってるね。三つ子姫にそれと我が国の珊瑚や貝殻で髪飾りを作ろう」


 殺されたと耳にした途端ラステルの胸の中でチリッと何かが燃えた。けれどもいつもみたいに込み上げてくる激情は無かった。殺されたことよりも、ルルがその死を悼み子蟲の気持ちを汲んでくれてことを大切にしたい。そんな風に自然と怒りが消えた。


「私の故郷からタリア川の結晶を削ってくるわ。一緒に飾ってね」


 ルルがぶんぶんと顔を縦に振るとアピが嬉しそうにルルの腕の中に飛び込んでいった。


わたくし達、人の姫ですって。父は人の王。とても名誉な事なんですよね?そういう感じがします」


 セリムがルルの頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「命を差別せず尊重する者。敬意を込めた名称だ。僕は人の王子。人の王だったのに未熟だから格下げだってさ。繋がってるのにさっぱり理解できないよ。でも蟲のお姫様には王子様の方が似合う。一緒に成長して王と女王になろうラステル」


 あはは!とセリムが無邪気に笑って来た道を戻り始めた。ラステルの肩を抱いて、頭の上にアピを乗せたルルと手を繋ぎ。その横にヌーフが並んだ。


「そうだ、崖の国へ来ると良い。一緒に海岸を散歩しよう。珊瑚も貝殻も自分達で選んだ方が気にいるだろう」


 セリムが鼻歌混じりにルルに告げた。


「我が一族は外界へは出ないしきたりぞ。今のは聞かなかったことにしよう」


 ヌーフの発言にルルがあからさまに落胆した。


「親は怒っても子に酷いことはしない。君達の親はそういう人だ。望むのならば僕が責任を負う。信じられるかは自分で決めなさい」


 セリムの発言にルルは考えるように俯いた。それから顔を上げて笑顔を見せた。


「足るを知る者は富む。つい最近教えてもらった素敵な言葉です。まずは堂々と街へ出るところから始めます。掟やしきたりの意味を調べて、考えて、慎重に。わたくし達は既に有り難いほど豊かですもの。羨ましがるよりも大切な事を見つめないとなりません。今まで勝手でしたから改めます」


 まるで答えが分かっていたようにセリムはチラリとも驚きを見せなかった。ヌーフがルルの肩を抱いて「良かかな良きかな」と褒めた。ルルは胸を張っている。


「聞いたかラステル。このままじゃ女王は彼女達だ」


「まあセリム!自分の事は棚に上げるの⁈」


 ラステルは肩を揺らして笑った。


「僕は強欲だからね。いくらあっても満足しない貧乏人。苦労をかけると思うよ」


 知ってるわ!とラステルはセリムに歯を見せて笑ってみせた。セリムがまた無邪気に大きく口を開けて笑う。


 不安は沢山ある。本当は人形人間プーパが何なのか、蟲の女王はどうなってしまったのか知りたい。


 人の形をした蟲とは何なのだろう。


 殺戮さつりく兵器蟲の女王。


 本当に捻じ曲がった伝承なのだろうか?


 けれどもラステルにはセリムが居る。


 絆を繋ぐセリムを絶対に信じ、支え、強くあろう。セリムがラステルを心の底から信じてくれているように。

 

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