蟲森での結婚式

ふわりと飛んできた毒胞子がラステルの肌に跳ねた。セリムは羨ましいなとその感触を想像してみた。硬いのか柔らかいのかその中間なのか、全く分からない。セリムはほこを落としてラステルへ体を向けているヴァルの前でそんな事を考えていた。そのくらい長い間ヴァルは無言だった。


「お父さん。会えないと思っていたので手紙を書きました。私は彼と共に生きます。親不孝をお許しください。いえ許してくれなくても構いません。今までありがとうございました」


脱いだ防護服から封筒を出すとラステルはヴァルの手にそれを握らせた。ヴァルは呆然としているのかなすがままだった。それから封筒から手紙を出して読み始めた。ラステルは微笑みながら泣いていた。セリムは思わずポーチからハンカチを出してラステルの目元を拭った。


「全く勝手な娘だ。何もかも。おいセリム」


手紙を読み終わって不意に声を出したヴァル。その声は落ち着いていた。


「はい」


「父親に挨拶もせずに娘に手を出したな?」


落ち着いてなどいない。怒りが滲んだ声だった。セリムはラステルの深い襟元から覗く白い肌についた赤い跡に気がついて慌てて首を横に振った。そのあとすぐに首を縦に振った。


「あの。はい。すみません」


ヴァルが豪快な笑い声を上げた。


「冗談だ。このような娘を選ぶとは妙な男だな!清々しい程に呆れた夫婦だ。止めても無駄だろう。好きに生きよ」


セリムは少し、いやかなり落ち込んだ。蟲に変と呼ばれて義父にも妙な男呼ばわり。セリムは心の何処かで大事な娘を頼む、なんて台詞を期待していた。


〈姫はへんてこりんが好き〉


追い討ちのように蟲の声が飛び込んできた。


「ヴァル。その者は変わっているのです。ラステルと似合いの変人です」


テトと手を繋いだラファエがラステルの横に立った。


「その声ラファエ様。隣の者が崖の国の娘ですか?」


ヴァルが指を揃えてテトを指した。


「崖の国の王子セリムの幼馴染。羊飼いのテトです。初めましてラステルのお父さん」


テトの声は震えていた。ゴーグルの奥で驚いたように生身のラステルをチラチラと気にしている。


「お父さん。初めて出来た真の友です。しばらくタリア川ほとりの村で暮らします。どうかテトをよろしくお願いします」


ラステルはヴァルに向かって深々と頭を下げた。セリムも同じように頭を下げた。テトも頭を下げる。


「これ以上は遅くなる。セリムさん、ラステル。どうかご自愛を」


ラファエがラステルに抱きついた。ラファエが離れるとテトがそろそろとラステルを抱きしめた。その後テトはぎゅっと強くラステルの体を抱いた。しばらくしてテトから離れたラステルはもう一度ヴァルに抱きついた。


「私幸福です。お父さんに拾ってもらい、父親にも蟲にまでも心配されてこんなに大きくなれました。それなのに我儘でごめんなさい」


「お義父さん。必ずまた戻ってきます。我が国で美しい妻に相応しい祝いの式典を挙げるつもりです。その際は是非御列席していただきたい。それから蟲森で暮らすことも検討しているのでその際は御指南お願いします」


ラステルが目を丸めてセリムを見つめる。パァっと花が咲いたような笑顔になった。少し頬が赤らんでいる。またヴァルが大声で笑い出した。


「外界を捨てて蟲森で暮らすというのか?ラステル、本当にとんでもない男を見つけてきたな」


ヴァルは笑いすぎて引き笑いになって体を丸めた。セリムはまた落ち込んだ。良い男だと褒めてもらうつもりが空回りばかりだ。自分はそんなにおかしいのか。「お父さん笑いすぎよ」とラステルがヴァルの背中を撫でている。


蟲森から去ろうにも潮時に困った。


〈テル、テル、テテテ、テル、テル、テテテ〉


ガンの幼生が頭上を通り過ぎた。ヴァルが身構える。ラファエとテトが身を寄せ合った。イブンがセリムの腕を抱くように掴んだ。


「姫が去る。願いを叶えようだと」


イブンがぐるりと周囲を見渡すのでセリムも同じように周りを見た。パキパキと植物が折れる音、羽音、ガサガサ、ゴソゴソと蟲が移動してくる。三歩動くと蟲というところまで蟲が密集した。隙間がないほど蠍蟲ソーサ玉蟲ボー蜘蛛蟲ヤルンなどなど様々な蟲がセリムたちを取り囲んだ。上空には多羽蟲ガンが飛び回る。


〈へんてこ人間セリムは姫のつがい。ここにいる人間を姫は好き〉


「おい!僕はそんなに変なのか?」


セリムは思わず上空の多羽蟲ガンに叫んでいた。返事はない。


「セリム。みんなに変だと言われているの?」


ラステルの問いにセリムは小さく頷いた。大変不満なのにラステルは愉快そうだ。


「ラステルさん。ガンが言ってる。願いを叶える。好きに生きよと」


イブンは上を向きながら呟いた。畏怖というよりも感嘆のこもった声色だった。


〈テテテテテ。テールム。テールム。テテテテテ〉


〈テルムテルム〉


〈テ、テ、テ、テルム、テ、テ、テ、テルム〉


「凄い大合唱だな」


セリムにも聞こえる謎のテルムの歌をイブンも聞いているのだろう。セリム以上に聞こえるのだろうか。ラステルが両手を組んで両膝を立てた。


「お祝いを感じるわ。それから寂しいって」


祈るようにラステルは目を瞑った。セリムは上空に風の渦を見た。右回転するゆっくりとした螺旋の風。大量の多羽蟲ガンの幼生が楽しそうに、まるで踊るようにフワフワと風に乗っている。風は|成蟲(せいちゅう》の多羽蟲ガンの羽ばたきで発生しているようだ。


陽の光の届かない薄暗い蟲森にキラキラと輝きが舞い始めた。光苔に類似している蟲森の光苔トラーティオが星のように煌めく。赤、青、緑、黄、紫、橙、まるで虹を分解したような光がセリム達に降り注いだ。


〈テテテテテ。テールム〉


〈テルムーテルムー〉


〈テ、テ、テ、テルム、テ、テ、テ、テルム〉


〈すっかり子どもらが懐いている。我らを無視して〉


〈テール-ム。テテルテルテテ-〉


〈テルム、テルム〉


「ガンを育てた人間。ガンを嫁にする人間。ガンの友達の人間。へんてこ人間ばかりだだって」


降り注ぐ蟲森の光苔トラーティオの七色の光。その息を飲む程の美しさにセリムはイブンへの返答が出来なかった。


体にバツ印のついている多羽蟲ガンがゆっくりと飛行してきた。まるで冠のような蟲森の光苔トラーティオの七色に輝く輪っかを鋭い脚で運んできた。そいつはそっとラステルの頭上に冠のような輪っかを乗せる。セリムを一瞬見るとバツ印の多羽蟲ガンは群れに戻っていった。気配に気がついてラステルが目を開けて頭の上を手で探った。ラステルの手に蟲森の光苔トラーティオが付いて、それでラステルは驚いたようにセリムを見上げた。


「蟲のお姫様。でももう僕のお姫様だ」


セリムはラステルの手を取って立たせた。ラステルは微笑んでいる。神聖と感じるほどに美しく輝くセリムの新妻。蟲を知り、互いを知り、争わない境界線をずっと知りたかったがどうだ。セリムの好奇心と探究心は友好の道を見出しかけてる。その導となった妻をセリムはただ誇りに感じた。


「ありがとうセリム」


ラステルの手に力が入った。


「知らなかった。私ガンだと思われていたのね」


「そうみたいだな。そりゃあガンを妃にしたら変な人間だ」


セリムは苦笑しながらラステルの肩を抱いた。ラステルはクスクスと控えめに笑い声を立てた。


〈テテテテテ、テールム、テテテテテ〉


まるで鼻歌のような響きがして多羽蟲ガンの幼生が正面からよろよろと飛んできた。脚に白銀の少し歪な丸い玉を抱えている。セリムの前を多羽蟲ガンの幼生はよろよろと右往左往した。


「セリム。疲れてるみたいよ」


「セリム手を出せって言っているぞ」


ラステルとイブンがほとんど同時に口にした。セリムはラステルの肩から手を離して両手を揃えて差し出した。手袋の上に多羽蟲ガンの幼生が白銀の小さな玉を置いた。

親指大の少し歪で半透明の白銀の玉。


「何だろう?」


セリムはラステルへ視線を投げた。


「見たことないわ」


今度はイブンを見つめた。


「何も言っていない」


〈誓いに食べて〉


セリムの真正面に空中静止していた多羽蟲ガンの幼生の声だと思った。セリムはもう一度イブンを見た。


「僕には何も聞こえない」


白銀の玉をセリムは指でつまんで眺めた。はっきり言って美味しそうではない。


多分大丈夫。そう思ってセリムは一瞬防護マスクを下げて白銀の玉を放り投げた。手袋には毒胞子は付着していなさそうだが恐ろしく緊張感した。それでも食べてみたいという好奇心に勝てなかった。そうしないといけないという気がした。


「「セリム!」」


ラステルとイブンとテトが同時に叫んだ。遅れてラファエが「セリムさん」と悲鳴に近い声を出した。ヴァルが「吐き出せ。基地外か!」とセリムの背中を叩いた。思わず体を捩ってその手から逃れた。


「セリム!大丈夫なの⁈」


ラステルに向かって首を縦に振った。今のところは何もない。セリムは何となく白銀の玉を噛み砕いた。蜂蜜みたいな甘い味が口いっぱいに広がる。セリムは噛みながら溶けていくかけらを飲み込んだ。


「甘い」


セリムがそう告げるとみんな怒ろうとしたのかセリムに近寄った。しかし誰かが声を出す前に周囲の蟲達が移動し始めた。一同驚いて蟲の動きに注目する。また蟲の道ができていった。その道には蟲森の光苔トラーティオが柔らかく降り注ぎ、虹色の道へと変わっていく。


〈テテテテテ、テルム、テテテテテ〉


〈テ-ルムーテルムー〉


〈テ、テ、テ、テ、テ、テ、テルム、テ、テ、テ〉


全身で嬉しいと表現するかのように道を飛び交う多羽蟲ガンの幼生の若々しいまだ薄い羽に降り注ぐ7色の光が反射して道がさらに輝きを増した。


「私こんな強い好意を感じたことが無い」


「ガンの子達はセリムが大好きで仕方ないようだ」


ラステルとイブンが独り言のように呟いた。幼生達は何がそんなにお気に召したのだろう。セリムはぐるりと上空を見渡したが多羽蟲ガンの幼生は遊ぶように飛び回っている。


セリムの前に脱いだ兜や鉈長銃なたちょうじゅう、鞭、短剣が降ってきた。セリムはそれを全部身につけて短剣を両手に乗せた。しかし蟲達はもうセリムを威嚇しなかった。静かに穏やかな若草の瞳をたたえて体を左右に揺らしている。セリムはヴァルに向き合った。ヴァルは一歩、二歩とセリムから離れてしばらくジッと動かない。基地外とまで呼ばれた。セリムへ恐怖を抱いたのかもしれない。


「王族の紋章が入っています。役に立つ事があるかもしれません。どうか私達の結婚記念品として受け取ってください」


セリムは立て膝で短剣をヴァルに捧げた。


「……預かっておく。二人で取りに帰って来るように。必ず」


ヴァルの声は震えていた。しかしセリムに近づいて短剣をしっかりと受け取った。ラステルがセリムの横に並んで立て膝でこうべを垂れた。


「崖の国のセリム。我が娘の婚姻を認め祝福を」


ヴァルの台詞を合図にセリムとラステルは同時にゆっくり立ち上がった。


目の前に広がるのは幻想的な光の道。


セリムとラステルは自然と手を繋いだ。それからラステルの防護服を抱えた。ゆっくりと二人で歩き出す。一度振り返って蟲森に残る者たちにゆっくりと会釈した。それから背を向けて再び足を進めはじめた。


多羽蟲ガンの幼生が歌い続ける。楽しくて仕方がない。喜びを抑えられない。そんな気持ちを込めた謎の歌。不思議な曲。


〈子らよ本当に勝手ばかり〉


それでも成蟲せいちゅう多羽蟲ガンは子供達を手伝うように羽を羽ばたかせて風を産む。テルムが産まれる?テルムの歌?


〈楽しいテルム、楽しいテテテテテールム〉


祝福に包まれながらセリムとラステルは花天月地かてんげっちの蟲森街道を腕を組んでゆっくりと踏みしめて歩いた。


「私とんでもない旦那様を手に入れてしまったわ」


「世界で唯一蟲を嫁にした王子。神話になれるかもな」


もうっとラステルがセリムの背中をそっと叩いた。それから優しく撫でた。


まるで蟲による婚礼の儀式だとセリムは高揚する気持ちで胸が詰まって涙が止まらずラステルに撫でられ続けた。


共に生きる。


セリムの望みが叶い始めている。



***



この時、ペジテ大工房の防衛要塞の望遠鏡に小さくドメキア王国第4軍の紅旗が高々と掲げられて翻るのが確認された。

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