第24話 腫脹



「何でだよヴィマ!一体何があったんだよ!」



 毒々しい錆び色の肉塊が止めどなく地より出で、粘液の雨が大地を濡らす中、迎撃として飛んで来る肉の礫を避けつつ、巨大な山椒魚へと肉薄するドラグリヲ。


 そのコックピットの中で雪兎は必死にヴィマラの名を叫び続けた。



 予兆など何も無かった。


 彼女の身体に巣食う化け物の監視も、新野主導の下で適切に行われていた。


 何もかもが上手くいっていたはずなのに何故だと、雪兎の口から必死な問い掛けが絶え間なく紡ぎ出され続ける。



 だがその答えとして帰って来たのは容赦の無い痛烈な打撃。


 質量×速度=破壊力という単純な計算式を証明するかの如く、真横から飛んで来た触手に思い切り払い除けられ、ドラグリヲは猛烈な勢いで弾き飛ばされた。


 水切りをするように何度も地表を跳ねた後、長い年月を経て色あせた城壁のど真ん中に叩き付けられ、大きなクレーターを形成させられる。



「ぐぅぅ……!」


『人間の応答らしき音声信号は認識出来ず、哀華さんともコンタクトも一向に取れません。


 どうやら何かしらのアクシデントがあったことは確実のようです』


「アクシデントだと? 何を馬鹿な事を言ってるんだ!


 あそこには四六時中クソジジイの兵隊がウロウロしてんだぞ!害獣だろうと暴徒だろうと容易に入って来られる訳が無い!」


『何事も絶対という言葉はあり得ないんですよ。


 過程はどうあれ、このような結果になってしまったのは事実なのですから。


 それに無駄口を叩く暇なんてありませんよ』



 カルマの辛辣な言葉に思わず顔を歪め、黙り込む雪兎。


 だがカルマの言う通り今は口論をする暇など無く、追撃を行おうと散開する触手の群れがメインモニターに映り込む。



「くぅ……!」



 斬り払おうと思えば十分に斬り払えるだけの早さと反応の鈍さ。


 だが雪兎は反撃することを躊躇し、ひたすら逃げに徹し続けた。


 装甲の下に配されたバーニアを目一杯に吹かし、迫る触手をただ避け続ける。



『何を躊躇っているのですユーザー。


 やるときにはやらないと、却って貴方が危険になります』


「そんなことは言われずとも分かってるさ!


 だがな、今コイツを本気で始末したらヴィマは一体どうなるんだよ!?」


『…………』


「あの子を殺せと、お前は僕にそう言いたいのか?


 簡単に言うんじゃない! 僕はそこまであっさり割り切れないんだよ!


 それに、お前だって本当は納得していないんじゃないのか?


 こんなことになっても、あの子の命を助けたいと本当は思ってるんじゃないのか!?」


『………………』


「黙ってないで何とか言って見ろよ畜生!


 お前は命令を待つだけのポンコツとは違うだろうが!」



 鼻息荒く追求する雪兎の言葉に言い返すことが出来ず、暫しの間返答を模索し続けるカルマ。 しかしいくら思案しようとカルマ自身が納得出来る回答を見いだすことが出来ず、結局テンプレートな答えを返すに終わる。



『私情など関係ありません。私の使命は害獣を余さず駆除すること。ただそれだけなのですから』


「……お前は本当にそれで良いのかよ」



 カルマの感情が込められぬ返しに雪兎は悲しげに表情を曇らせながら俯く。


 出来ることならば穏便に済ませてやりたいと思いながら。


 だが、その甘い考えは戦闘中には足枷にしかならず二人を更なる危機へと招き入れた。追い縋る触手を振り切る為にさらに加速しようとドラグリヲが地面を踏み込んだ矢先、その箇所だけがピンポイントで陥没し、地下にあった柔らかい何かに爪先が触れる。



「くっ!?」


『良いはずが無いでしょう? でも、少なくとも彼女は殺る気なんです。


 だから、殺されない為には仕方無いんです』



 明らかな悪意と殺意が感じられる罠の存在に、雪兎は強く牙を噛み締めながら呻き声を上げる。 刹那、地面から大量の触手が鳥籠状に生え、逃げ道を完全に封鎖しながらドラグリヲへと向かって殺到した。



「ちぃぃっ!」


『スモーク起動。 舌を噛まないようご注意を』



 雪兎の対応よりも早くカルマのアナウンスがコックピットに響く。


 いつも通りならば難なく切り払って抜け出せる程度の攻撃だが、著しく戦意が低い現在の雪兎では回避は困難だと判断したのか、カルマは独断で表層装甲を炸裂させ、ドラグリヲを煙幕の底に覆い隠した。



「すまない、余計な世話かけたな」


『謝る暇があるならさっさと手足を動かしてください』


「あぁ、分かってる」



 機嫌を損ねたようなカルマの声に促され、雪兎はドラグリヲを全力で跳躍させた。ヤワな害獣程度ならば蒸し焼きに出来る程に熱い煙幕を引き裂いて、一気に間合いを離し仕切り直す。



 その一方、置き土産である煙幕にまかれた触手群は既に獲物が逃げたことも知らず必死に捜索を続けていた。何もない場所を何度も往復し、先端を垂らしながら途方に暮れる無様な姿。



 それを見て雪兎は一筋の希望を見出す。


 大した五感もスピードも持ち合わせておらず、大層なのはパワーと図体だけ。


 これだけ運動機能に差があるならば、本体を生かしたまま無力化することも不可では無いかもしれないと。



 だが、その楽観的な考えはすぐさま払拭され二人を絶望の淵へと追いやった。


 今まで触手群を覆い尽くし、行動を阻害してきた熱い煙幕。


 それが突然立ち消えた瞬間、今まで静々と規模を広げていた肉の結界が爆発的に拡張し、肉塊の大津波となってドラグリヲの頭上へ殺到した。



「なっ、どうなってるんだ!?」


『どうやら熱に反応して爆発的に成長するようです。


 熱を伴う攻撃はこれ以降避けて下さい』


「無茶言うな馬鹿! 実弾も爆発物も光学兵器も使わないでどう戦えってんだよ!」



 荒れ狂う肉の侵蝕から何とか逃げながら雪兎は怒鳴るように問うが、それに対する具体的提案など無く、侵蝕はますます広域に広がっていく。



「くっ、このままだと旧都が……」


『そんな甘い結果に終わると本気で思っているのですか?』


「何だと?」



 思わしげなカルマの言葉に思わず牙を剥き出しにしながら苛々と問い返す雪兎。


 すると、カルマは自らの無力さを蔑むように乾いた笑み浮かべながら口を開いた。



『考えても見て下さい。 ほんの僅かな熱エネルギーを瞬間的に得ただけで、彼女はここまで飛躍的な成長を遂げられたのですよ?このまま手を拱き続けて日が昇ったらどうなります?


 事情を知らない方々が考え無しに爆撃を始めたらどうなります?


 発電プラントの燃料を見つけられて捕食されたらどうなります?』


「……!」


『そうなったら終わりです。下手すればこの星自体が彼女の肉体になります』


「そんな馬鹿な!」


『何と言われてもやるしかないんです。 希望的観測を交えた最も甘い計算でこの予想なのですから、もしこれが現実にでもなれば、さぞかし愉快な有り様となるでしょうね。


 だから手遅れになる前に貴方が殺ってあげるんです。それがなにより彼女の為なのですよ、ユーザー』


「うぅ……!」



 カルマの紡いだ言葉を嘘だと信じたく、雪兎は牙を噛み締めながら首を振る。


 しかし現実は何よりも残酷で、かつてヴィマラだった化け物はドラグリヲの位置を捉えると何の躊躇いも無く触手を繰り出した。



『さきほどの小細工は最早通用しないでしょう。 ご決断を』


「……畜生!」



 自分が知っている少女はもうここに居ない。


 その辛すぎる現実を否応が無しに叩き付けられると、雪兎は垂れていた頭を上げて向かい来る敵を睨み付ける。


 それと共に、ドラグリヲは納めていた牙を剥き出しに吼え、思い切り躯を捻り多数の触手を斬り飛ばした。



「畜生!畜生!!」



 自分の気持ちを騙す為に幾度と無く怒鳴り声を上げながら、一心不乱に爪を振り回させ続ける雪兎。


 だが、無我夢中に繰り出される攻撃には雪兎の想像以上にキレが無く、数回も当たらないうちに易々と見切られ受け止められる。



「しまった!」



 今すぐ切り離さなければ不味いと雪兎はすぐさまコンソールに手を伸ばすが、それよりも早く正面装甲を貫通してコックピット内に突っ込んで来た触手に身体を貫かれ、そのままシートへ縫いつけられてしまった。


 傷口から吹き出した鮮血がモニターを真っ赤に染め、跳ねた飛沫が雪兎の目を眩ます。



「ヴィマ……どうして……」



 血反吐をブチ撒け、息も絶え絶えにやっとの事で言葉を紡ぐも、それで精神的に限界を迎えてしまったのか、雪兎は完全に俯いたまま手足を放り出すように脱力する。それに伴い、ドラグリヲも触手を引き抜こうとする姿勢のまま完全に動きを止めた。全身を彩る隈取りから輝きが失われ、顎が半開きとなり、その奥に備えられていた主砲が顎の外へ情けなく垂れ下がる。



『何をやってるんですしっかりして下さい! このままでは貴方も!』



 完全に腑抜けきり、諦めてしまった雪兎を必死に励ますカルマ。


 しかし一向に反応は無く、ドラグリヲは致命的な隙を晒し続ける。



『まったくもう!』



 肉体的にも精神的にも、最早まともに戦える状態では無い。


 カルマはとっさに判断するとコックピット内に姿を現し、雪兎に無断で操作に介入する。


 ……しかし動かない。 既に跳躍の命令を入れたにも関わらず一向に動作を開始しない。



『馬鹿な!?』



 こんな時に限って都合良く故障させるほど自分はポンコツでは無い。


 間違いなく外的要因が元に違いないとカルマは断じ、急いでメンテナンスシステムを起動させる。


 その瞬間、カルマは自分達がおかれた状態を把握し思わず青ざめた。


 カルマの電子頭脳内に投影されたのは、稼働部位全てに肉の楔を撃ち込まれ無防備な姿勢で吊るし上げられたドラグリヲの姿。


 その眼前には、肉塊の本体である巨大な錆色の獣が大口を開けて聳え立っている。


 メインディッシュが待ちきれないと言いたげに大量の涎を零し、何のものであるかと形容し難い不気味な呻き声を漏らす化け物。


 それは自身の血に塗れたドラグリヲの頭を、淀みきった瞳でしっかりと睨み付けていた。



『ヴィマ……』



 自身の存在を消されるという恐怖か、ヴィマラの自由意志の消失に対する憐憫か。


 カルマは疑似人格システムが産み出した複雑な感情の波に晒され、無意識のうちに大切な者の名を口走ると共に内心呆れる。


 すべてを超越した兵器だと煽てられても、最後に考えることは対したことないのだと乾いた笑みを浮かべ、トドメを待った。



 ――その時だった。



 赤錆色の化け物の背後より突如飛来した無数の氷の刃がドラグリヲを拘束していた触手を余さず両断し、そのボディを粘液で湿った地表へと解き放った。



『なっ、これは!?』



 どこの共同体にも存在しない投射物による援護を受け、困惑するカルマ。


 しかし程無くして、頭上から響いてきた羽音から何者による攻撃であったのか認識すると、怖じ気づいたように顔を歪めた。


 直後、上空の冷えた大気を切り裂いて一対の巨影が飛来する。


 豪壮と流麗。 怒号と旋律。 灼熱と零下。 ありとあらゆる要素が相対したツガイの竜。テリトリーの異変に気付き、早々に食事を切り上げて戻ってきたのか、それらの口元には緑色の血と肉片がこびり付いており、寒気を感じるほどの怒気を醸し出している。



 しかし、本気を出さずとも容易く捻れるドラグリヲのことなど眼中には無いようで、二匹の注意はもっぱら錆色の獣へと向かっていた。



 既に旧都の空の半分を覆いつつある肉の結界を見上げ、憎々しげに唸る紅蓮。


 それは眼前を遮るグロテスクな肉を引き千切って無理やり天高く舞い上がると、自慢の両腕と翼を目一杯に広げ分厚い灼熱の衣を身に纏う。


 形状的にはドラグリヲのフォース・メンブレンと非常に酷似しているが、計測される熱量はまさに桁違いであり、陽光と見紛う程の輝きが旧都を明るく照らすと、鱗の隙間から溢れ出た紅炎が夜空を激しく舞い踊った。



『滅茶苦茶です……、科学も常識もあったもんじゃありません』



 周辺温度に一切影響を与えぬまま、比喩で無しに太陽の中心よりも熱くなってみせるトンデモっぷりにカルマは驚くよりも先に呆れてしまった。


 物理法則を何もかも超越し、やりたい放題暴れ回るチートっぷりに何も突っ込むことが出来ず、ただただ立ち尽くす。



 だがそんなカルマの態度とは正反対に、錆色の獣はたちまち興奮の絶頂へと駆け上った。


 常識では考えられない熱量の出現に歓喜し、臭気の混ざった喚き声を上げながら紅蓮を見上げる。


 喰らうことさえ出来れば、星を覆うまでの成長を約束された莫大なエネルギーの塊。


 それを確実に捕食するべく、錆色の獣は有る分ありっ丈の触手を解き放った。


 直角、鋭角、フェイント、数万にも及ぶ触手同士の連携と多彩な戦術を組み合わせ、どうあってでも捕らえようと躍起になって紅い流星を追い回す。



 標的を捉えることに集中し過ぎた結果、本体の防御が手薄になっていたことにも気付かずに。



 不意討ちを喰らわすにはこの上無い絶好の機会。


 それを待ちわびていたかのように、今まで沈黙を守っていた龍が首をもたげる。


 体色そのままに碧霄と称されるようになったそれが半透明の羽根を震わせ、唄うような咆え声を上げると、何も無いはずの空中から無数の氷塊が生成され、無秩序に育った肉塊を片っ端からブツ切りにしていった。



 斬り裂かれた肉塊が大量の血潮を振り撒きながら凍り付き、落下の衝撃で跡形も無く砕け散る。


 さらに地上に零れた血液に冷気が伝播すると、地表に張り巡らされた肉の根がことごとく氷結粉砕され、瞬く間に肉の侵攻をくい止めた。




『これが神話級害獣とそれに比類する害獣の戦い……。


 なるほど道理で人類がたやすく追い詰められる訳です。


 並みの兵器でこんな化け物共相手に太刀打ち出来る訳が無い』



 生命としての範疇を超越した生物同士の争いに手を出せず、カルマは自嘲するように呟く。そうしてコックピット内に実体化すると、血塗れのままピクリとも動かなくなった雪兎の肩を抱いた。



『もう、私達に出来ることなどないかもしれません』



 いつに無く弱気な態度で雪兎を慰めながら、カルマは遠回しに撤退を促す。


 災害を腕力でねじ伏せるような怪物相手に真面目に立ち回っていたら命がいくつあっても足りないと。


 だが、事態はカルマの思うようには転がらなかった。



「……なにを馬鹿言っているんだ?僕はまだあの子の事を見限ったわけじゃない」


『えっ!?』



 腹に突き刺さった触手を無理矢理引き抜いてそこらに投げ捨てながら、雪兎は己の半身たる左手を思い切り握り込む。


 すると、機体に標準搭載されたリアクターが生産出来る以上のエネルギーが雪兎の身体から産出され、ドラグリヲを再び立ち上がらせた。


 装甲の隙間から噴き出すフォース・メンブレンはより明るく、全身を彩る隈取りはより鮮やかにドラグリヲのボディを輝かせる。



「あの子の人生はこれからなんだ。こんな辺鄙な場所で終わってしまっていいはずがない!」



 身を震わせて叫ぶ雪兎の脳裏を流れるは、ヴィマラと過ごした短いながらも楽しかった日々。


 子を持った親の気持ちが痛いほどに身に染みた幸せな2週間。


 ヴィマの困り顔、照れる顔、拗ねた顔、屈託のない笑顔。


 彼女の何気ない仕草と声が何度も意識に割り込んで来る。


 そして最後に、疲れて眠ったヴィマの顔を眺めながら哀華と共に語り合ったことを思い起こした。


 これまでどんな境遇に居たのか知る術も無いが、これからは幸せに生きていって欲しいと。



「だから助けてやるぞヴィマ! 例えこの身体が滅ぶ羽目になったとしても!!!」



 外聞も何もかも投げ捨てて吐き出したその啖呵を皮切りに、ドラグリヲの咆哮が遠雷の如く旧都の空に轟く。


 それは今まで夢中になって紅い光を追っていた錆色の獣の気を引き、一気に逆上させた。


 偽善者は死に絶えろと言わんばかりに放たれた肉の奔流が、一つの巨大な塊となってドラグリヲを真正面から襲う。



 圧倒的質量を誇る攻撃が迫り、至急回避を促すアラートが鳴り響くも、雪兎は逃げずにドラグリヲの上半身を捻らせながら深く腰を落とさせる。


 死ぬかもしれないと、どこか冷静な頭で雪兎は考える。


 けれども、それに対する恐怖以上の使命感が雪兎に自殺行為にも等しい行為を強行させた。



「そうだ、それでいい。お前の憤りの全てを僕にぶつけて見ろ。


 今更逃げなんてしない。 全部受け止めてやる」



 己を奮わすように呟き、雪兎は牙を食い縛る。


 だがその時、唄うような吼え声と軽い衝撃が苛立ちを呼び起こし戦意をかき乱した。


 舌打ちをしつつ雪兎がドラグリヲの背を確認すると、そこには赤い氷の結晶が深々と突き刺さっており、引き抜く暇すら無く素早く装甲内部へと溶け込んでいく。



「空気読めない奴め、一体何の真似だ?」


『どうやら恩を売られたようですね。 あの赤い奴共々何を考えているのか理解出来ませんが、今は存分に利用させて貰いましょう。


 機能拡張DNA読み込み完了。 伝導冷却式攻性兵装“ライトゥング・アイゼン”起動します』



 碧霄の取った極めて不可解な行動に困惑する雪兎を尻目に、カルマは淡々とシステムの更新作業を開始した。


 初めてフォース・メンブレンを起動した時の様に聞き慣れない武装名を口ずさみ、手早くプログラムを書き換えてそれを実行した。 途端にドラグリヲの牙と両手足先の爪を包み込むように蒼く輝く何かが実体化し硬化する。 目眩い月の光を帯び、淡く輝くそれは、地球上に存在するどんな物体より冷たく鋭利な凶器。



 灼熱の戦衣と対極する絶対零度の刃。



「僕に任せてくれるのか?」



 横槍を入れるどころか、わざわざ力の欠片を寄越してくれたことに驚き雪兎は思わず呟く。


 勿論その問いに化け物が応えるはずも無く、結晶を放った本人は遺跡ビルの頂上でとぐろを巻き、偉そうに腕を組んだ旦那共々傍観に徹し始めていた。



「いいさ、期待通り見せてやる。脆くて弱っちい人間なりの覚悟ってヤツを!」



 敵であるはずの存在から物言わぬ叱咤を背に受け、雪兎はドラグリヲと共に拳を固く握りながら高らかに咆哮を上げると、全身のブースターの推力を全開にして肉塊の奔流へと真正面から突撃した。


 蒼く揺らぐ拳と淀んだ臭気を醸し出す肉塊が激突し、衝撃が迸る。


 互いの体を伝い、大地へと還元される莫大なエネルギー。


 それは衝撃の発生源付近の地面を擂り鉢状に深く抉り抜き、巨大な音の壁となって地表のものをまとめて張り倒した。



「ぐあ……!」


『外殻及び基幹部位に多大な損壊を確認。 オートリペア起動』



 間近でナパームが破裂したような衝撃が機体の隅々までを襲い、ドラグリヲの基幹フレームを大きく軋ませ、歪ませる。


 大破同然の損傷を受け、青色吐息に呻きを零すドラグリヲ。


 しかしその行為は決して無駄には終わらず、錆色の獣にも同等以上の凍傷を負わせることに成功していた。


 肉塊に圧し潰され、鉄屑同然に変形させられた腕部フレームより延びた氷の茨。


 それが肉塊深くに浸透し、筋繊維を片っ端から粉微塵に砕いていく。


 これ以上触れられていてはマズいと判断したのか、錆色の獣は急いでドラグリヲを引き剥がそうと画策する。


 だが何故か引き剥がせない。 ドラグリヲ以上の馬力を持つはずの触手を複数用いてさえその小さな躯を引き剥がすことが出来ない。



「頼むからそう無碍にしないでくれよ。例えお前が僕達の事をどう憎らしく思っていようと、僕等が今でもお前の事を想っていることに違いは無いんだ」



 慌てたように触手を巻き付かせる錆色の獣を見つめながら、雪兎は悲しげに呟く。


 だが、そんな雪兎のテンションと反比例し機体の出力は尚も上昇を続けていた。


 ライトゥング・アイゼンを通し、錆色の獣から奪われた莫大な熱量がそのままリアクターへと流れ込み、全身から排出されるフォース・メンブレンの勢いと揺らめきがさらに激しさを増していく。



「だから、お前を殺らせはしない。お前は僕が助けるんだ!誰にも駆除なんてさせない!」



 雪兎の強い決意が入り混じった叫び。


 それに応じてドラグリヲは一声大きく吼えると、眼前に立ち塞がる肉塊を粉砕して駆けた。


 フォース・メンブレンの放つ光を浴びて美麗に瞬く肉片の雨の中、ドラグリヲは半壊した腕を錆色の獣へと向けて振りかざし、躊躇い無く一気に跳躍する。



 最早遮るものは何もない。


 遮るものがあるとすれば、恐らくそれは己の甘さだけ。


 雪兎はそう己に言い聞かせ、顎が砕けんばかりに牙を噛み締めると、錆色の獣の胸を深々と貫き、体内に大量の氷の茨をばら撒いた。



「だから、止まれえええ!!!」



 これでも止まってくれないのなら、非情に処理する他に道は無い。


 そんな雪兎の考えに同調するように、ドラグリヲは錆色の怪物を全身で抱きしめるように密着させる。


 装甲の表面から生やした無数のグロウチウムケーブルを突き刺し、絶対に離すまいと誓うかのように。



『敵臓器との物理的接続を確認。これより急速凍結を開始します。


 ユーザーはこいつが完全に凍結してしまう前にヴィマへ何かしらの対応を。


 間に合わなければ、貴方も等しく凍結処理されて死ぬ羽目になります』


「あぁ待っていろ。必ず、必ず救い出してやる!」



 カルマからの警告を胸に刻みつつ、雪兎はコックピットから霜が降りた錆色の丘陵に飛び移ると、もっとも強くヴィマラの気配を感じる方向へ走り始めた。


 己が負った傷のことなど一切頓着せず、身に付けたパワードスーツの隙間から血を滲ませながらも、必死に気配の根源を目指す。



 今度こそ、今度こそは救ってやると強い使命感に駆られ、振るう爪にさらなる力をこめながら。




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